Twitterかあ
私にはちょっと無理だなあ、とブログでつぶやいてみたりして。
なんていうか、思考が微分化されていくのが、個人的についていけない感。ああいう感じで軽やかなコミュニケーションはうらやましいとは思うんだけどねえ。mixiもちょっとしんどい感じが個人的にはしたなあ。生活的にも、このブログだけで精一杯感あるしなあ。このあたりは、完全に時代についていけてない感が。
なんか、いろいろついていこうとはしてみたけれど、私にとっては、ブログって、個人雑誌みたいなもんで、「俺が書き、俺が編集して、俺が発行する」みたいな感じ。そういう中で、コメントやトラックバックをいただいたり、メールをいただいたり、そんなときどき生まれるコミュニケーションで、私的には十分に幸せ。
Web2.0とか言っていた時代からもっと進んで、これからはMash upだ、Twitterだ(というか、今のは2度目のブームのような気がするけど)、と言われていて、それについていけない私は旧人類とか思うけれど、私にとっては個人が簡単にサイトを持てて、それなりに思いを込めた文章とか写真とか絵とか映像とかを発表できるようになった、ということで、十分にWeb5.0くらいの出来事なんですよね。
もちろん、そんなWeb2.0的なサービスは、受動的には便利に使うけれど、そこで主体性を持って参加するまでのスキルがいまいち自分にはない、というか。
YouTubeなんかは、すごいよなあ、とは思うし、いろいろと著作権上の問題はあるにしろ、映像の分野で言えば、これは革命と言ってもいいかなあ、と思うんですが、ニコニコ動画になると、いまいち私的にはわかんなくなるんですよね。もちろん、人気が出るのはわかるし、でも、個人的な指向で言えば、映像を引用してきちんと自分の場所で言及をしたくなるタイプなんだよなあ。
まあ、そうした多様性があるのはいいことだと思うんですけどね。でもなあ、時間をかけて書くブログでさえ、書くからにはどう思われてもしょうがない、それが書くということだ、みたいな、挟持というか、開き直りがいるし、書いたあとにあれは違うよなあなんて思うこともあるのに、つぶやきを気軽には残せんよなあ。
そんな感じに思っている人もいるんだろうな、きっと。でも、そういう声は、今はあまり出てこないんだろうなあ。そう思っている人の多くは、Twitterって何?っていう人だろうしなあ。
そういえば、ブログをやりはじめの頃、2年くらい前だけど、とあることで、急激にアクセスが増えたことがあって、それがすべてtwitter.comからのアクセスで、そんなこともあって、Twitterには怖いイメージがつきまとっていたりもするんですが、それからくらべるとずいぶんとメジャーになったもんだな、とは思いますね。って、何が思いますねなんだか。
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コメント
とっても感覚が近い方がいることがわかってちょっとホッとしてます。
「え、Twitterやってないの?」
っていう脅迫めいたイメージがあったので。
(いやもちろん誰からも脅迫はされてませんけど)
投稿: superjetter | 2009年8月 4日 (火) 12:33
言いたいことがあるような、ないような記事ですねw
自分は、(新しく)価値のあるコンテンツが生まれていると言う点で、ニコニコは肯定できると思います。日本で言えばYoutubeよりも質の高いコンテンツがある、と。色んなコミュニケーションの仕方はあれど、人それぞれに合ったものでそれぞれが価値を生み出すのであれば。
でも、こういうサイバー空間でのコミュニケーションに傾倒してる人が多すぎる感があるんですよね。生き物としてどうなの?という。その点twitterはまだマシなのかなぁ、とも思ったり。
投稿: イデラ | 2009年8月 4日 (火) 13:34
はじめまして。
地方でCMの企画演出をしております。
過去の内容を含めていくつか読ませて頂きました。
唐突ですが、この世にブログがあってよかったなあと、はじめて思いました。
プレゼンの現実について、広告賞への複雑な心境について、「広告村」の自己中心性ついて・・。
ここまで正直(誠実?)に書かれた文章を読んだことがありませんでした。
私も昔から感じていたご意見が多かったということもあるのでしょうが、なんというか僭越ですが励まされました。
こんな広告人がいるのならまだCM続けてみよう、とでもいいましょうか。
わたしには「広告界は肉食獣の集団、そうでないと生きていけない」という空気があるように感じますが、
このブログはそこに違和感を持っている人たちに何らかの指針を示していると思います。
これからも時々お邪魔します。
そして応援しております。
*オフコースがお好きとのこと。
もしご存知なければキリンジという兄弟ミュージシャンをお勧めします。
特にファーストはオフコースの中期の影響を受けていると思います。
投稿: CM企画演出家 | 2009年8月 4日 (火) 13:41
>superjetterさん
私も、近い感覚の方がいてホッとしています。見てるぶんには、なんか楽しそうすなあ、みたいな感じはするんですが、あの輪に入っている自分が想像できないんですよね。
>イデラさん
まあ、それぞれ得手不得手があるだろうし、いろいろ合ったのを使っていろいろ楽しめばいいと思うんですけどね。サイバー空間でコミュニケーションに傾倒している人が目立つというのは、当たり前だけど、傾倒している人が目立つからなんでしょうね。
>CM企画演出家さん
はじめまして。でも、私は肉食獣かもなあ、と思うときもときどきあります。気の弱い肉食獣というか、なければ草も食べますけど、とか、そんな感じかもですねえ。
キリンジは、中期のJUNKTIONの匂いがしますね。どちらかというと鈴木康博さんの匂いかなあ。緻密なサウンドづくりとかコーラスのセンスとか。本人たちは否定しているみたいですが、感じますねえ。
今後ともよろしくお願いします。
投稿: mb101bold | 2009年8月 4日 (火) 23:47
Twitter、一応つっついてみましたが、楽しさが分からなくてほっぽらかしです。
「俺が書き、俺が編集して、俺が発行する」は、よく分かります。私は「俺が書き、投げ出す」だけで、より引きこもり的です。
mixiやってたときに、世の中の人はこんなにつながりたがっているのかって、驚きました。blogを数年やってて感じるのは、私はつながることを怖れているのかもなってことですね。
投稿: denkihanabi | 2009年8月 5日 (水) 01:08
Twitterにしてもmixiにしても、やっぱり本質はコミュニケーションなんですよね。つまり、コミュニケーションツール。
その元テクノロジーであるblogはどうかというと、コメント機能、トラックバック機能があるけれど、やはり本質的にはパブリッシングツールなんでしょうね。
しなやかな対人スキルがあまり求められない俺俺ツールのblogが私には合っているような気がします。
投稿: mb101bold | 2009年8月 5日 (水) 01:30
おっしゃるとおりなのですが、しかしコミュニケーションのツールとしてサイバーに没入しやすいものであるから、そこに危険性があるんじゃないかな、というところです。
コミュニケーションがまったくないよりはましなのかもしれませんが…
投稿: イデラ | 2009年8月 5日 (水) 03:16
昨日NHKで
【アンコール放送】
若い広場 オフコースの世界(1982年3月21日放送回)
というドキュメンタリーやってましたね。
http://cgi2.nhk.or.jp/etv50/request/summer_event/wakai2.html
映画[Let It Be]のオフコース版。
本当に貴重なレコーディング風景が大半でした。
NHKのアーカイブ力ってあなどれませんねえ。
投稿: CM企画演出家 | 2009年8月 5日 (水) 09:06
はじめまして。普段から読ませていただいているおそらくほぼ同年代の同業者(あえて一緒にしてしまってすみませんが)の者です。
>つぶやきを気軽には残せんよなあ。
には全く同感で、私も興味は持ちつつ誘われたりもしつつTwitterには入っていけずにいます。
コミュニケーションツールが先鋭化したり、多様化・細分化するのも、傾倒する人がいらっしゃるのも、危険は孕んでいると思いますが、それはそれで構わないと思っています。
個人的に最近感じるのは、サイバーでないというか…ストレートにアナログとも言っちゃっていいのか…。
サイバーなコミュニケーションとは全く乖離した、人対人のコミュニケーションで事足りている人たちも、実は圧倒的多く日本にも世界にもいる。という事実を、ついつい忘れがちになっちゃう自分がいることです。
それが、いちばん恐いですね。
その方々が、商品やサービスによっては圧倒的なユーザーさんだったり、消費者さんだったりするのだよ…と企画書書きながら思っていたりします。
投稿: qp | 2009年8月 5日 (水) 12:30
毎回の更新、楽しみに読ませていただております。
当方は4月頃よりTwitterの使用を開始し、それなりに楽しんでいる者です。
一応同業の末席にいる者として、mb101bold様がいつかTwitterにいらっしゃるのではないかと勝手に楽しみにしていたのですが、今回の記事でmb101bold様のTwitterを使用されない理由が自分なりに納得できたように思います。
おっしゃる通り、自らのつぶやきに後悔したり、他人に誤解を与えたことはありますし、また、一度Twitterを使い始めると140字の気軽さからか、没入してしまっている状況もあったりします。
各種メディアが異様にTwitterを持ち上げている状況下で、その奔流の中にいては気づけないことを、改めて学ばせていた思いです。
ありがとうございました。
投稿: iida | 2009年8月 5日 (水) 21:44
>イデラさん
ええ、それはそうですが、そこは各人自分のセンサを働かせて、無理ぜず楽しみましょう、という感じでしょうね。
>CM企画演出家さん
1982年3月21日に見ました。懐かしいですね。
そういえば、このドキュメンタリーについてのエントリも書きました。
http://mb101bold.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/nhk_fe49.html
よろしかったら。
>qpさん
というかそういう人が大半なんじゃないかな、と思ったりもします。まあ、そのことは価値観を含めない事実として、という感じですが。でも、同時に、やがては電話と同じようなところまではいくんだろうな、とも思います。
>iidaさん
140字というところもTwitterの魅力なんでしょうね。はてブのコメントもそうですが、制限によって生まれる何かってありますよね。ちょっと誤読気味かもですがマクルーハンの「メディアはメッセージである」というテーゼを思い出すんですよね。
投稿: mb101bold | 2009年8月 5日 (水) 23:14
いまさらと失笑されそうなTwitterのこと。
この記事をお書きになられてから、二年経過なのですから、本当に、いまさらなのですが。
2011年、夏。ようやく周りから「Twitterやれ、すぐやれ」と言われなくなり、ほっとしています。誰も聞いてないのに、「やんない!」という人も、うるさかったけれど。
コピーライターとして、これでいいのかと、考えるフリもしましたが、縁なきままきてしまいました。
Twitterは、つぶやき。と、字面通り受けとっているのですが、それならよけいにやれない・やらないなあ、と思っていました。
つぶやく。たとえば、「あ、爪みたいな月だよ」と、発信していいのですよね。私は、これをしたくない。どこにも出さずに、胸の中にとっておきたい。とっておいて、いつか「表現」で使いたい。だけどTwitterという形でいったん外に出してしまうと、「表現終了済み」になってしまう。表現をする人間は、自分が表現してしまったものには冷淡です。それは、もう終わったことだから。早い話が、もったいないのですね。爪みたいな月だと思った瞬間、ぱっと外に出さず、とっておいて・ためておけば、また別の表現になれたかもしれないのに。
パートナーは、私と散歩しても面白くないといいます。見たもの・感じたものを、かたっぱしから言葉にして伝えてくるその人に対して、「あ、いいもの見つけた」というほど、こちらは無口になるのですから。
連日の投稿すみません。
こちらのブログ、おもしろくて読み止めることができずに。
しまった!毎日、午前中の五時間はライティングの時間なのでした。さぼってしまった。
投稿: 志木 | 2011年8月 4日 (木) 09:21
今はfacebookがそうですね。私はどちらもアカウントがありますが、facebookのほうはあまり使ってませんねえ。これは、なんとなく自分ではわかっていて、mixiもあまり使わなくなってしまって、ああいう閉じる方向のコミュニティは苦手なんです。
一方、twitterはやってみると案外閉じてなくて、まあ、ミニブログなんですよね。ブログより気軽に書けるブログという側面もありますね。
インフラとしては、twitterはいろいろ問題は含みつつ、わりといいとこいってるなあ、と震災のときは思いました。
以上、2011年8月時点での雑感でした。
投稿: mb101bold | 2011年8月 6日 (土) 13:28