Googleの素っ気なさ
とあるブログで、Googleのトップページのロゴが変わっているのを知りました。11周年とのことですね。
ま、Googleのロゴは、何かの記念日に度々変わっているので、それほどのニュースでもありませんし、別にどうってことはない話かもですが、それよりも私が、へえなるほどなあ、とあらためて思ったのは、頻繁にGoogleを使っているにもかかわらず、そのブログを読むまで、私が変化に気付かなかったということ。
私の場合、Googleで検索するときは、Firefoxの検索窓を使っています。また、ホームをiGoogleにしているので、それを使うときもあります。なので、Googleをいつも使っているにも関わらず、ロゴの変化に気付くこともないわけです。
Googleのホームページは、あいかわらず素っ気ないデザイン。google.co.jpは下の方にYouTubeやらニュースやらのリンクアイコンが付いていますが、google.comには付いていません。きっと、11年間ほとんど変わっていないのではないでしょうか。日本のGoogleは、検索シェアのこともあって、若干のアレンジをしているでしょうから、google.comのデザインがGoogleの考え方を素直に表しているということですね。アメリカが本社だから当たり前ですが。
そのシンプルなホームには、一切広告がないんですよね。検索キーワードによる関連広告の表示というのがGoogleの提供する広告ソリューションですから、このデザインには筋が通っています。ホームの段階では、検索キーワードが何も送信されていない状況なので、当然、広告は表示されないということ。
日本でトップシェアのYahoo! JAPANは、ホームでのバナー広告が広告ソリューションのいちばんの売りで、この枠は人気も高いようです。yahoo.comも同じようなバナーがあります。広告の効果で言っても、大勢の人が見るサイトですから、かなりのものがありますし、値段もけっこう高額。
で、一方のGoogleのホーム。ここも大勢の人が見るサイトには変わりがありません。であるならば、このホームにバナー広告を貼付ければ、かなりの効果が期待できる広告媒体になるはず。でも、Googleはそれを善しとしないわけですよね。調べてみると、iGoogleにも、Googleニュースにも広告がまったくなく、相当な意志が感じられます。
一企業として、すごいもんだなあ、と思います。Googleの広告ソリューションを例にして、マス広告の終焉が語られますが、当のGoogleはそんなことは微塵にも思っていなくて、それよりも、マス広告を提供するテレビや新聞が、自ら提供する広告媒体に縛られてがんじがらめになってきた歴史をよく見て勉強しているような気がするんですよね。しかも、Googleには、マス広告と相似構造を持つ広告には興味がない、と。それが、Yahoo!との決定的な違いのような気がします。Yahoo!は、さらにホームを充実させて、ネットのマス広告+検索連動型広告というバランス型でこれからもいくのでしょうね。
前に、Googleっていうのは「純広」で食っていこうとしている会社という趣旨のエントリ(参照1・参照2)を書きましたが、より正確に言えば、自らが提供する「検索連動型広告」の新しい価値を信じて、それだけで食っていこう、ということなんでしょう。それは、逆に言えば、Googleで検索される側のサイトにおける「純広」と我々は競合しないという意志のようにも見えます。ちょっと、考えすぎのような気もしないでもないですが。
それにしても、この素っ気なさは、筋金入りだなあ。なかなかできることではないですよね。これだけネットがワサワサしてきて、競合もたくさん出て来たにもかかわらず、11年変わらないのは、ほんとすごいです。
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コメント
僕はトップページをGoogle(jp)にしているのでアニバーサリーロゴには大概気づくのですが、これだけ多様なブラウザやウィジェットがあるとGoogleを使っていてもGoogleを見てる人は少ないでしょうね!
入り口が増えたところで、出口としての検索結果のページに誘導されるのでGoogleとしては問題はないんですけど。
投稿: naosukebe | 2009年9月28日 (月) 01:22
私はいつのまにかGoogleのホームを見なくなってしまったので、naosukebeさんのブログを見るまで気付きませんでした。
多くのウェブサービスでは、入り口を増やすことが自社広告媒体の価値を下げることになってしまうというジレンマがあると思うんですが、Googleの場合はそれがないのがすごいと思いました。
広がって、いろいろなところで使われるのが何の問題もないところがすごいですよね。
投稿: mb101bold | 2009年9月28日 (月) 01:42
おひさしぶりです。いきなり長文ですが。
グーグルはポータルサイトを目指しているのではなくて、検索システムと検索結果(などのWebサービス)を提供することを目指しているのだと思います。検索(結果)を提供していないのに、広告をつけることはしたくないのだと思います。
あと、素っ気ないのはインタフェース設計の都合もあるのではないかと。フォークもナイフも不要なハンバーガーが世界中に浸透しているようなのと同じで、極めてシンプルなインタフェースを狙ってるんではないでしょうか。
そして連想的余談ですが…
うまく言えませんが1つのサービスや結果に対して、何段階か広告が入るのは、どうも納得できないと日々思っています。特に映像系はそういうのが多いと感じていて、たとえば映画館で映画を見るとき。金払って映画見るはずなのに他の映画の広告を見ないといけない。たとえばレンタルビデオ。金払ってレンタルしてるのに他の映画やビデオの広告がいっぱい。なんか変じゃないですか?そのぶん料金が安いはず、なんて言われたりしますが、ホント?しかも牛乳パックの広告欄とはワケが違うと思うんです。牛乳飲む前にヨーグルトを強制的に食べさせられるような感じでしょうか。電話かけるときに、通話料を払うのにCMを聴いてからじゃないと電話ができないとか。
そんなことを考えると、バナーだらけで、有益な情報にたどり着く前に広告を見せるようなスタイルよりは、グーグルのほうがユーザーの満足が高くて浸透しやすいかもしれませんね。
投稿: そうちゃん | 2009年9月29日 (火) 06:31
確かに、映画の上映前の広告は、強制的に受動モードに入らされて広告を見させられるという感じはありますね。
私は広告の要件を「見る人の受動性」に置いていますが、そこに「強制」が入るとほんとの受動性にはならないと思うんですね。そのあたりが難しいところです。
投稿: mb101bold | 2009年9月29日 (火) 08:48