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2009年9月の21件の記事

2009年9月28日 (月)

Googleの素っ気なさ

2  とあるブログで、Googleのトップページのロゴが変わっているのを知りました。11周年とのことですね。

 ま、Googleのロゴは、何かの記念日に度々変わっているので、それほどのニュースでもありませんし、別にどうってことはない話かもですが、それよりも私が、へえなるほどなあ、とあらためて思ったのは、頻繁にGoogleを使っているにもかかわらず、そのブログを読むまで、私が変化に気付かなかったということ。

 私の場合、Googleで検索するときは、Firefoxの検索窓を使っています。また、ホームをiGoogleにしているので、それを使うときもあります。なので、Googleをいつも使っているにも関わらず、ロゴの変化に気付くこともないわけです。

 Googleのホームページは、あいかわらず素っ気ないデザイン。google.co.jpは下の方にYouTubeやらニュースやらのリンクアイコンが付いていますが、google.comには付いていません。きっと、11年間ほとんど変わっていないのではないでしょうか。日本のGoogleは、検索シェアのこともあって、若干のアレンジをしているでしょうから、google.comのデザインがGoogleの考え方を素直に表しているということですね。アメリカが本社だから当たり前ですが。

 そのシンプルなホームには、一切広告がないんですよね。検索キーワードによる関連広告の表示というのがGoogleの提供する広告ソリューションですから、このデザインには筋が通っています。ホームの段階では、検索キーワードが何も送信されていない状況なので、当然、広告は表示されないということ。

 日本でトップシェアのYahoo! JAPANは、ホームでのバナー広告が広告ソリューションのいちばんの売りで、この枠は人気も高いようです。yahoo.comも同じようなバナーがあります。広告の効果で言っても、大勢の人が見るサイトですから、かなりのものがありますし、値段もけっこう高額。

 で、一方のGoogleのホーム。ここも大勢の人が見るサイトには変わりがありません。であるならば、このホームにバナー広告を貼付ければ、かなりの効果が期待できる広告媒体になるはず。でも、Googleはそれを善しとしないわけですよね。調べてみると、iGoogleにも、Googleニュースにも広告がまったくなく、相当な意志が感じられます。

 一企業として、すごいもんだなあ、と思います。Googleの広告ソリューションを例にして、マス広告の終焉が語られますが、当のGoogleはそんなことは微塵にも思っていなくて、それよりも、マス広告を提供するテレビや新聞が、自ら提供する広告媒体に縛られてがんじがらめになってきた歴史をよく見て勉強しているような気がするんですよね。しかも、Googleには、マス広告と相似構造を持つ広告には興味がない、と。それが、Yahoo!との決定的な違いのような気がします。Yahoo!は、さらにホームを充実させて、ネットのマス広告+検索連動型広告というバランス型でこれからもいくのでしょうね。

 前に、Googleっていうのは「純広」で食っていこうとしている会社という趣旨のエントリ(参照1参照2)を書きましたが、より正確に言えば、自らが提供する「検索連動型広告」の新しい価値を信じて、それだけで食っていこう、ということなんでしょう。それは、逆に言えば、Googleで検索される側のサイトにおける「純広」と我々は競合しないという意志のようにも見えます。ちょっと、考えすぎのような気もしないでもないですが。

 それにしても、この素っ気なさは、筋金入りだなあ。なかなかできることではないですよね。これだけネットがワサワサしてきて、競合もたくさん出て来たにもかかわらず、11年変わらないのは、ほんとすごいです。

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2009年9月23日 (水)

銀橋2009

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 大阪に「銀橋」と呼ばれる大きな橋があります。

 国道1号線、大川(旧淀川)に架かる橋で、大阪市北区と都島区の境に位置しています。「銀橋」という名前は通称で、正式名称は桜宮橋。決して繁華街でも有名な観光地でもありませんが、下を流れる大川の河川敷には桜宮公園が広がり、近くには、春に桜の通り抜けが行われることで有名な造幣局や、大阪に現存する最古の洋風建築である泉布館や旧桜宮公会堂があり、地域の憩いの場として賑わっています。

 この「銀橋」は、関西建築界の父と呼ばれる建築家、武田五一設計で昭和5年(1930年)に完成しました。当時は戦後最大のアーチ橋だったとのことです。

 この「銀橋」の北側には、少し大きめのアーチ橋(正式にはローゼ橋という形式の橋だそうです)が架かっています。正式名称を新桜宮橋と言います。国道1号線の拡張工事により設置され、2006年12月18日に開通しました。設計監修は、建築家の安藤忠雄さん。

 この橋が興味深いと思うのは、過去と現在が寄り添っているところです。

 私は、この近くで生まれ育ってきましたので、この「銀橋」のある風景は、子供の頃から慣れ親しんだ風景でもありました。泉布院に隣接する旧桜宮公会堂は、私が子供の頃は桜宮図書館として使われていて、よく自転車で遊びに行きました。

 思い出はそれぞれでしょうが、きっと、「銀橋」のある風景は、大阪に暮らす多くの人にとっても大切な思い出の風景になってきたのだろうと思います。多くの街の風景は、時間の経過とともにカタチをまったく変えてしまいます。それが進化というものなのかもしれません。けれども、この「銀橋」のような、新旧ふたつのものを対峙させながら未来に向かうというカタチも、選択肢のひとつとしてあるのかもしれない。そう思わせてくれるのが、この新しい「銀橋」の風景です。

 国道1号線のこのあたりは、道が狭くなっていたこともあり、慢性的な渋滞が発生していました。道路を拡張するにあたって、この「銀橋」をどうするかという問題が起こりました。そのとき、委員会は市民の意見をまず聞くという選択をしました。つまり、この新しい「銀橋」は、みんなの意見がつくった橋とも言えます。

 この新しい「銀橋」がつくられた経緯は、大阪国道事務所が制作した「銀橋サイト」に詳しく記録されています。興味のある方は、ぜひご覧ください。また、こちらに掲載されている写真はクリックで拡大します。そちらもあわせてどうぞ。

 関連エントリ:「二項対立ではなく
 

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2009年9月21日 (月)

秋ですね

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日曜の午後、東京の中野で拾いました。
スダジイという木のどんぐり。
シイの実とも呼ばれています。
アクが少ないので、生でも食べられるそうです。
私は食べたことがありませんが、
甘みの少ない栗のようなピーナッツのような味
とのことです。

 

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新幹線の車内から。もうすぐ新大阪。
向こうに新快速が走っています。
山手線の緑の電車や中央線のオレンジの電車と
同じように、この白い電車を見ると、
ああ、関西に帰って来たなあと思います。

 

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新大阪駅の本屋さん。
東野圭吾さんの最新刊と並ぶのは、
なぜ阪神は勝てないのか?」という新書です。
買ってしまいました。

 

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JR新大阪駅の在来線コンコースにある
浪花うどんの「きざみうどん」です。
味のついてない薄揚げをきざんだものが乗っています。
薬味のネギが青ネギなのが関西ですねえ。
あったかいうどんを食べたくなるのも、
ああ、秋だよなあ、と思います。

 

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新大阪駅2階。ここから見えるダイキンの看板を見ると、
「さあて、弁当でも買うて帰るかあ」という気分になります。
空が高くて、風がきもちのいい日でしたので、
今日はそのまま帰らずにちょっと寄り道しました。

 

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前に書いたエントリで触れた桜宮橋、通称「銀橋」に
立ち寄りました。新旧ふたつの「銀橋」が寄り添って、
近くには高層ビルが建ち並び、子供の頃に見た景色とは
少し違っていました。これからの子供たちは、
この景色を見て育つんですね。

 

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2009年9月20日 (日)

毒饅頭とマニュアル

 大手納豆メーカーが民事再生法の適用を申請したとのこと。日経ビジネスに記事がでていました。

 「最後に“毒饅頭”を食べてしまったからね」。くめと取引のある食品メーカーの社長は、くめが追い込まれた経緯と理由を解説する。

 大豆など原材料の調達コストが年々上昇する一方で、販売価格には転嫁できない。追い込まれたくめは、数年前から、大手小売りチェーンの要請を受け、PB(プライベートブランド)商品の下請け製造を始める。

 下請け製造は、自社ブランドを持つ食品メーカーとしては苦渋の選択だが、大量注文を受ける「数」はくめにとって魅力だった。工場稼働率を上げるためにはやむを得ないと判断した。ところがこれが、くめにとっては、先の社長いわく“毒饅頭”となる。

 スーパーマーケットを見ていると、例えば、カップヌードルの横にPBのカップヌードルもどきが置いてあるものなあ。価格は40円くらい安くて、中身が少し貧弱だけど、まあ同じ。コンビニでは100円均一のお菓子なんかもあって、その中身は有名メーカーのかつてのヒット作なんかが多いです。昔は定価で売られていて、みんながこぞって買ったけれど、いろいろな競争に負けて、そのままの価格とパッケージでは戦えなくなって、価格を下げてPBで再デビュー。そんな感じなんでしょうね。きっとこれも、既存の工場ラインをそのまま使えて、衰退して、そのままではお金にならない商品が、投資とかもなくお金になって、ある意味でスーパーとメーカーの利害が一致、みたいなことなんでしょうね。これは毒饅頭なのかどうかは、情報に疎いので私にはわかりませんが。

 これは他人事とは思えないんですよね。こういうことにまつわる判断をちょっと間違えると、それこそ日経ビジネスの記事にあるようなことになってしまいます。また、この手のことは、その瞬間では、単純にいい話だなあと思ってしまうことも多いし、あとから見て、「ああ、あのときの判断が原因だったのか」。で、覆水盆に返らず。

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 広告コミュニケーションの話で言えば、今、WOMやらBuzzやら言いますよね。流行していますから、その手の新手法のお誘いも多くなっていると思いますし。でも慎重になったほうがいい、慎重になりすぎるくらいがちょうどいいと私は思っています。私の場合は、少し慎重すぎるくらいかもしれません。でもねえ、こういう事例もあるわけだし。

 もちろん私もWOMやBuzzを意識したキャンペーンをやりましたが、そのやり方は、自らが発信するコンテンツにいろいろ楽しめるようなくふうを仕込む、というもので、主体は必ずこちらに置きましたし、猛烈に計算して、先を読んで行いました。そのやり方は、きっと最先端の人から見れば古いと言われそうですが、でも、私は古くて結構と思うんですね。どこに毒饅頭があるかわからないし、一度食べたら、もう終わりだし。

 広告というかブランドについての基本になるものって、昔も今もそんなに変わらないと思います。結局はその基本の部分に照らして判断しなくちゃいけないんですが、広告、SP、PRと部署が分かれていると、その判断基準にばらつきが出てきます。コミュニケーションデザインという新しい概念は、コミュニケーションを機能で分けてはいけないよ、軸としてひとつとして見なくちゃいけないよ、ということなんだろうと思います。

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 良品計画の業績が振るわなくなったとき、現会長の松井忠三さんが行ったことは、徹底的なマニュアル作りだったそうです。1000ページを超え、現在も時代の流れに会わせて修正が重ねられる「ムジグラム」というマニュアルによって、良品計画はV字回復しました。日経ビジネスの記事にはこうあります。

 1990年、松井は西友の人事部にいた。西友もやはり「マニュアルは創造性を奪うから不要だ」というセゾン文化の残滓からの脱却を図っていた。部下だった小林珠江は、アシスタントの女性と2人で業務マニュアルを一から作成して、その素案を松井に見せた。

 小林はしばらくして松井に呼び出された。「これ」と、手渡されたマニュアル案は、びっしりと手書きの赤文字で埋め尽くされていた。そして一言。

 「ダメだ。このマニュアルには、魂が入っていないよ」

 きっとこういうものが、本当のマニュアルというのでしょうね。で、見ていないのでなんとも言えませんが、この記事に出てくる素案がいわゆる世間で言われているマニュアルで、松井さんはきっと、そういうマニュアルはマニュアルではないと言いたかったのではないでしょうか。

 素案のようなマニュアルは、人の創造性を奪うのはたぶん事実でしょう。そこには、きっと理由が書かれていないだろうし、理由がわからない規則は、人を疎外していきます。だから、人は本能的にマニュアルを嫌うのだろうと思います。けれども、現場で起こる問題点をすくいきり、魂の入ったマニュアルは、つまり、そこには人が宿っていて、そこには話言葉はないけれど、それは確かに物語であり、その物語は、人の創造性を発揮させるはずです。そこにある規則には、きっと誰にでも理解でき、納得できる明快な理由が書かれているはずです。理由がわかると人は動きます。松井さんはこう言います。

 「スポーツと同じです。基本がなくて最初から自己流だと、進歩はいずれ止まる」

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 今、良品計画は少し業績が良くないようです。でも、たぶん、この「ムジグラム」があることで、良品計画は、以前のように毒饅頭を食べてしまうことはないのではないかと思います。失敗を許さないマニュアルではなく、失敗に動じないマニュアルこそ、求められるのでしょう。たぶん、このマニュアルは、マニュアルのカタチをしたブランドブックなのでしょうね。というか、これは私にとっては新しい考え方ですが、ブランドブックというものは、じつはマニュアルのことなのではないか。

 だからこそ、そこには魂が込められるべきで、その魂は、抽象的なイメージの言葉ではなく、具体的な事柄の集積なのでしょう。魂は細部に宿ると言いますし。なんとなくそれは、今の広告コミュニケーションが向かう道筋と同期しているように私には思えます。

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広告って

 広告とは何かとか、これからの広告はどうあるべきなのかとか、そんなむずかしい話じゃなくて、単純に、なぜ私は広告の仕事が好きなのかなあ、なぜなんだろうなあ、という感じのやわらかめのお話です。

 私は、社会人になってから、ということはもう20年ですが、広告をつくるという仕事以外したことがありません。役職的には最初はCIプランナーも経験していますが、まあ、おおざっぱに言えば、これも広告をつくる仕事と言えるのではないかな。

 それに、私は営業という仕事もしたことがありません。広告会社にとっての商品は、広告です。その広告を売るのが営業の仕事だとすると、私は社会人になってから自らを売るという仕事をしたことがないのですね。

 私がずっとやってきたのは、相手がいて、その人の思いに応えるという仕事。つまり、そこに主体がないわけです。だから、相手によって自分はどんどん変わるし、変わるべきだと思うし、というような、ちょっと倒錯ぎみの心持ちで仕事をしてきたような気がします。あるコピーライターさんが、「自分のコピーっていうのはないんです。でも、相手のために書いてきたさまざまなコピーをずらっと並べて、どうしようもなくにじみ出る共通のニュアンスが、クリエイターであるあなたの自分らしさってことではないかな」と言っていましたが、ほんとそう思います。

 かれこれ10年ほど前の仕事ですが、ある百貨店のバレンタインデーキャンペーンの広告コピーを書いたことがありました。

 「うれしいあなたが、うれしい私です。」

 つまりは、そういうこと。広告をつくる仕事っていうのは、そういう仕事なんだと思います。よく言えば、いい人で、わるく言えばおせっかい。それが、広告をつくるということ。それは、弁護士とかお医者さんの仕事に似ています。もしかすると対極にあるのが芸術家なのかもしれません。広告をつくる仕事は、絵とか映像とか言葉とかの芸術的素養をつかってする仕事だから、ややこしい部分もあるのですが。

 今にはじまったことではないけれど、広告をつくる側の利益のための提案というのがあるにはあって、それがここ最近の不景気で目立ってきました。広告をやらしたい、みたいなことですね。ひとつの基準は、今は広告的な施策は必要がないんじゃないか、と提案できるかどうか、もしくは、その方針に心から同意できるかどうか、なんでしょうね。

 でも、そういうことが外部にいるとできにくくなっている構造的な問題がでてきて、そういう広告をつくる人たちがどんどん中の人になっていく潮流も出てきました。無印良品なんかもそうだし、ユニクロも半ばそう。ソフトバンクの一連の仕事も、実質的にはそんな感じなんだと思います。私の感覚だけかもしれませんが、今、いいな、機能しているな、と思う広告は、みんなそういう構造で仕事をされているような気がします。

 それはきっと、広告という仕事のシステムがどんどん複雑になってきて、外の人のままでは、経営者もしくは責任者とがっぷりよつの話ができにくくなってきた、ということなんでしょうね。

 私は、広告を「自分のことをまったく知らない人に自分のことを知らせること」と定義しています。つまり、不特定多数に向けて、ということが広告の条件で、ゆえに、広告は、広告を見る人の立場で言えば、受動性がその特徴です。そういう意味で言えば、「自分」と「自分をまったく知らない人」のあいだに広告をつくる人がいて、そういう独特のポジションから見えるものをつかって、その両者をうまくつなぐのが広告にできることであり、広告にしかできないことだろうと思います。

 そういう独特の思考のあり方が、私はすごく好きなのだろうと思います。だから、広告の仕事が私は大好きなんですね。で、やはり私の専門性というのは、どうやらそこあると思いますし、世の中に向かって、正面切って自信があります、と言えるのはやっぱりそれだろうと思います。

 まあこのブログは、商売でもないですし、それほそ根性を入れて精密に書いているわけではなく、自分の書きたいように書くゆるい場所ではあるんですが、このブログで言えば、自分の専門外について書くときのスタンスでもあるのでしょうね。

 広告のことを書く時は、当事者というかプロとしての意識があって、そういう意味では、このブログの広告エントリというのは、広告的でもなんでもない書き物ですが、専門外についての書き物はどこか広告的なんでしょうね。まあ、でもアクセス数を見るぶんには、社会的なニーズは広告系エントリに分があるようですが、例えば音楽については、私は挫折した人だし、これはすごいなあという憧憬みたいなものを、なんとか違うコードで表したいという感じになるのかもしれません。ふと、そんなことをふと思いました。

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 土曜日から長いお休みをとる方も多いのではないでしょうか。私も、ずいぶん久しぶりの長い休暇です。ここ最近は、ほんといろいろきつかったので、しばらくゆっくり休みたいと思っています。やっぱり、休みって必要ですよね。なんか身にしみて思いました。でも、休み中もブログは書くかもですけどね。みなさまよいシルバーウィークを。ではでは。

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2009年9月18日 (金)

後期高齢者医療制度がなくなるんだよなあ

 昨年の春過ぎに母がおかしくなって、家族で慌てふためいて、緊急入院。入院すると歩くことも食べることも喋ることもできなくなって、もう駄目かもと思ったりして、たぶんそれは薬のせいだとは思うのだけれど、まあ医者ではないのでよくはわかりません。だけど、そうなって、2ヶ月ほどたって、長期の入院が見えてきたときに、病院からは転院の催促があったんですよね。

 母の場合は、とある疾病でそうなって、だけどその最中に認知症がわかって、その時点の最悪な状態が認知症によるものでもないにも関わらず(認知症というのは、それほど急激に状態が悪くなるものではありません)、認知症の専門病院に転院をすすめられたんですね。専門家ではないからよくわからないけれど、やはりこの一連の騒動は今も納得いきません。結果論としては、転院によって治療方針が変わって良くなってはくれたけれど。

 この私が体験した騒動は、後期高齢者医療制度のせいかと言うと、じつはそうではなくて、その前にできた「90日ルール」のせいで、後期高齢者医療制度とはまったく関係がないんですね。

 このあたりの話が整理された論議というのが、ついに起こらなかったのは、なんとなく残念ではありました。文藝春秋などでは触れられてはいましたが、やはり制度自体が複雑すぎて、ある程度の知識がなければよくわからない話になっていたように思います。

 後期高齢者医療制度も介護保険制度も、本質的には、長期療養が必要となる年齢層に対して、一律の保険制度でフォローするのではなく、それを分けて財政的な危機を回避できる新しい制度をつくるという目的でできたもので、そこから起こるいろいろな問題は、その運用にあったような気がします。

 財政的破綻を回避する新しい制度をつくるという目的は、当面の出費を減らすという目的にすり替わって、その運用が出費を減らすという一点に絞られました。その運用は、ある意味では巧みで、よくもまあこんなふうに考えられたな、というものでした。優秀ですよね。嫌みで言っているのですけどね。目的に忠実というのも、こういう場合は考えものですね。

 例えば、90日ルールで言えば、病院は90日以上入院しても罰則はないんですね。でも、90日を超えると儲けにならない。要するに、本来国が制度としてやるべきことを、現場のお医者さんにやらそうとしている。こういう運用ルールにすれば、「すみません、出て行っていただけますか」と医者は言うだろう、と。医者だって商売なんだから、言わざるを得ないだろう、みたいなことです。それで、認知症や脳梗塞の後遺症で苦しむ人たちが医療難民化したのは、体験した人ならご存知ですよね。今はこの制度はひっそりと凍結されているので、現場は少し沈静化しているようですね。

 介護保険に関して言えば、介護認定というものがあり、介護保険が十分に使える要介護5なんかだと、状態としては介護保険ではなく、後期高齢者医療制度または健康保険を使っての医療を受けなくちゃならないんです。現実としては。で、良くなって、もう一度認定を受けると、要介護1とか、もっと言えば、要支援になってしまいます。となると、今度は介護保険がうまく使えなくなるんです。

 こうした運用を生み出したもとは、気軽な社会的入院の増加による財政的な貧窮があったのだろうと思います。これをすごく根に持っているのだろうな、という運用に見えます。

 民主党政権になって、後期高齢者医療制度がなくなるそうです。後期高齢者というネーミングが高齢者を切り分けている、みたいな感情論から批判が広まって、問題の本質が置いてけぼりになりました。見直されるべきは、制度ではなく運用のほうだったのにもかかわらず、あまり本質に関係ない、というか、慢性疾病で長期化する年齢層の保険制度を別建てにしようと意図する、ある意味で建設的な回答であるとも言える後期高齢者医療制度がスケープゴードになった感じが私にはします。

 前にも『問題は「後期高齢者医療制度」ではなくて』というエントリで触れましたが、ネーミングとかイメージって怖いな、と思います。そういうイメージを操作する仕事をしているだけに、これは自戒を込めてそう思います。

 なんとなく、政権も変わったことでもあるし、この問題についてはもう一度書いておこうと思いました。なんか、日常に起こるあれこれとわわせて(ほんと、いろいろ起こるものですよね)、こういうエントリを書くと憂鬱な気分になるんですけどね。民主党にはがんばっていただきたいなあ、と切に思います。ほんと、お願いしますよ。ほんとにさ。

 追記:

 本文と関係ないですが、昔のエントリをリンクします。私はビートルズやローリングストーンズよりPPMの方が好きでした。マリーさん、いい歌をたくさん、ありがとうございました。

 Puff, the Magic Dragon

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2009年9月17日 (木)

本日は書くことがなにもありません。

 ということを書けるのもブログの良さだったりするなあ。第一、お金がかからない。これが紙のメディアだったら、なんとまあ贅沢なことするよなあ、ということになりますよね。ちょっと例が古いけれど、今、あなたのパソコンに表示されている文字。きっとゴシックだと思いますが、このゴシックだって、ちゃんと読みやすく設計された書体ですよね。これ、写植を発注したらどれだけお金を取られることか。それを版下にして、製版にまわして、印刷して、配布する。このプロセスにも、ものすごいお金がかかりますし、まあ、本日は書くことがなにもありません、という内容では読む人はいないので、配布してもゴミになるだけですよね。

 でも、ブログなら、こういう思いも伝えることができるし、読まれた方だって、いろいろなブログを読むのを楽しみにしている私がそうであるように、このブログを読んでくださる人だって、きっと、ああ、この人、書くことがないんだよな、そういう日もあるよなあ、なんてきっと思ってくださるだろうと思いますし。

 まあね、こういうことを毎回続けるとさすがに読んでくださらなくなるだろうけれど、それでも、こういうなんにもない文章がそれなりに不特定多数に向けて放たれるということ自体、何気ないことだし、世の中に何の影響も与えないことではあるけれど、本当はとても革命的なことだろうと思うのです。

 何回かこのブログでも取り上げさせていただいたと思いますが、もう一度、風野春樹さんの「ブログふたたび」という2003年に書かれた言葉を取り上げます。

 ウェブログは、はっきりと明るさを指向している。個人と個人をネットワークし、啓蒙(enlightment)しようする。それが、私がウェブログ(あくまで「ウェブログ論」のたぐいで語られるウェブログだが)をうさんくさく感じる理由だ。多くの人がウェブサイトを開くのは、別にウェブジャーナリズムの一翼を担うためなどではなく、「わたしがここにいること」を誰かに承認してほしいからだろう。星の数ほどある個人サイトのすべてが、「わたしはここにいます!」という叫びなのだ。

 個人がメディアを持つことは、マスメディアが目指す指向性とは逆の、暗さの中にほのかに見える小さな小さな星でありつづけることを指向することを自ずから含んでいるのだろうな、と思います。たくさんの人に読んでほしいという気持ちの中に、いくらかの矛盾を含みながらも、たったひとりでも読んでくれる人がいればいい、という気持ちを持ち合わせているのが、あえて、オープンなネットの中で、個人がメディアを持つことの意味なんだろうと思います。

 本日は書くことがなにもありません。

 こうしたことを書けるのは、それこそ星の数ほどあるメディアの中で、もしかしたらブログしかないのかもしれない。で、こうしたことも書けるメディアを持ち続けたい、ということが、私にとって、ブログを続けていくということの意味なのかもしれません。でも、そういう思いもまた、自分の中では矛盾としてあるのですけれどもね。

 この矛盾する気持ちは、あの頃から少しも変わらないのが、自分でも不思議に思います。これだけ多くのエントリを書いても、やっぱり変わらない。なんか、本日は書くことがない、というだけに、わかりにくい文章になってしまいましたけど、ブログを書いている、もしくは読んでるあなたなら、ね、わかるでしょ。やっぱり、わかりにくいか。まあいいや。ではでは。

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2009年9月15日 (火)

なんで関西弁にならへんかったんやろ

 初対面の人、例えばタクシーに乗ったときなんかは、必ず「関西ですか?」と聞かれるんやけど、私がしゃべる言葉って、厳密に言えば関西弁やないねんね。大阪に帰った時は、こんな喋り方なんやけど、東京ではこんな喋り方はせえへんのですわ。文字に起こすと、まあ、だいたい標準語。だからさあ、とか、それでね、とか、そんな感じなんですわ。ほんじゃ、なんで関西とわかるかって言うたら、やっぱりイントネーションなんやろね。

 イントネーションはなおらんかった。やっぱり関西弁のイントネーションって抜けないよなあ、なんて話すと、とある地方出身者は、関西のやつは甘えてるんだよ、なんて言われた。確かにそれはあるかもなあ。関西弁まるだしで話しても、けっこう生きていけるもんなあ。

 テレビなんかでは、大阪の芸人たちが地元そのままの関西弁で活躍してるし、私が東京に出て来た頃はすでにさんまさんとか紳介さんとかが人気だったわけやし、その流れにのって関西弁でいくこともできたんやけど、まあ、私の場合は、イントネーションを除くと、そういう感じにはいかんかった。

 東京の大学を出て、関西で就職したんやけど、そのときは、けっこう苦労したんですわ。社会人になって、まわりはみんな関西弁で。決定的やったのは、目上の人への関西弁の話し方がまったくわからんかったこと。先輩後輩の関係って、学生時代に学ぶやないですか。それを東京言葉で学んだから、目上の人向けの関西弁がまったくわからんわけ。

 たとえば、こういう感じ。

 「先輩、なにしてはりますのん。」
 「僕、そんなこと言うてないですやん。」

 なんか文字にすると媚びてる感じがするけど、まあ、媚びてるんやろね。そんな媚びた感じの関西弁を、同僚はさらっと使うんよね。私は使われへんわけ。頭が求めても体が拒むわけですわ。これは困ったなあ、と思っているうちに、東京にまた出て来たからよかったんやけどね。

 でもまあ、東京でのびのびと関西弁をしゃべってる人見ると、いいよなあ、のびのびしてて、とは思うんよね。もう、あの境地には戻られへんのやろね。私の場合、関西弁イントネーションの東京言葉でずっと生きていくんやろね。

 少し前までは、大阪に戻っても、しばらくは東京の言葉遣いが抜けへんかったんやけど、歳をとったせいか、最近は新幹線で米原を過ぎたあたりで、関西弁モードに切り替わりますねん。新大阪で道を聞かれても、「地下鉄はあっちですわ。」と答えますねん。ますねんって、これは普段は使わんなあ。今のはちょっと濃いめの関西弁やね。

 しかしまあ、なんで関西の人って、なんでも「さん」とか「ちゃん」とか付けるんやろね。飴玉をあめちゃんと言ったり、お芋さん、お豆さん、おかいさん、お稲荷さん、今思いつくのはそれくらいやけど。っていうことは、なんでも、というのは言い過ぎやね。すみません。というか、こういう乗り突っ込み的な感じも、関西やなあ。

 そう言えば、母方のばあさんが、ずっと大阪の人で、一人称を「わたい」って言うてたなあ。「わたいのことだっか」と落語家さんみたいな話し方をしてた。ああいう昔ながらの関西弁は、もうなくなりつつあるんやろね。親父は仕事の電話では「そうでんなあ」とか言ってるけど、ありゃ商売言葉やな、と子供ながらに思ってたなあ。親父は広島やし、若いときに東京で仕事をしてた関係で、寝言では東京言葉が出るときあったし。

 あと、ひとつだけ。昔から、村上春樹さんの小説にいまいち入り込めなかったりしたのは、舞台が神戸やのに、なんで登場人物がみんなそんなしゃべり方なん、というのがあったなあ。あれ、気にならへんかったですか。最近は、そんなもんかなと思えるようになったけど、最初は気になって、気になって。アフターダークで関西弁が出て来たとき、うわっ、関西弁使うんや、なんて。ていうか、今どきアフターダークの話題かいっ。

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2009年9月14日 (月)

イチローさんのような広告プランニングが求められているのかもしれない

 マリナーズのイチローさんが、米大リーグ史上初の9年連続200安打まであと「2」とのことで、テレビのスポーツニュースでもイチローさんの特集が目立っていました。インタビューで、イチローさんは、サードとレフトの間に落ちる凡フライのラッキーヒットに対してこんなことを言っていました。

「狙ってやっているんですよ。解説の人は、それをラッキーでしたね、というかもしれませんが。」

 で、このあと、狙ったところに打てることを実証するビデオが流れて、なるほど、それは本当だろうな、イチローさんは狙ってやってるんだろうな、とテレビを見ながら思いました。

 イチローさんは大スターですが、ホームランバッターではありません。私は野球はあまり詳しくはないけれど、子供の頃の記憶で言えば、王さんや田淵さんのような華のあるバッターではなくて、本来は、コツコツとヒットを重ねるタイプの地味な選手ですよね。そんな彼が球界を代表するスター選手であることは、今の時代を象徴しているような気がします。

 私の専門は広告ですから、広告の話になりますが、今求められる広告プランニングは、イチローさんのようなものではないかな、と思います。凡打に見えようと、狙ったところに打って確実にヒットにする、というような。逆転満塁ホームランのような華はないけれど、コンスタントにブランドを成長させられる継続性、持続性のある広告プランニングこそ求められているような気がします。

 私が経験してきた広告プランニングの実務を見ても、こういうイチローさん的なスキルが必要であるケースが多かったように思います。テレビCM、新聞広告、交通広告など、マスメディアを中心に、割合シンプルにメディアを組み合わせられた時代は、ホームランが求められました。というより、毎回打てればホームランを打つほうがよかったように思います。

 けれども、メディアが多様化して複雑になり、低成長の経済状況下で、ブランドを短期視点だけでなく長期視点で考えないといけなくなってきた今、逆に、今、このタイミングでホームランはいらないというケースが増えてきました。また、フェーズによっては凡打に見えるけれど、確実にヒットにはなっているというような、地味なコミュニケーションの積み重ねが優先されるケースもあります。自分の経験で言えば、そのことに神経を注いで来たような気がします。それは、意識して、というよりも、実務の必要から意識させられたという感じです。

 コミュニケーションデザインという新潮流で学ぶべきところがあるとすれば、私は、広告コミュニケーションを時間軸で見るという部分であると思っています。こういうことを言うと、おまえわかってないよ、と言われそうですが、じつは、本音で言えば、生活者のコンタクトポイントで広告が生活者を追いかけていくような、平面的な軸でのコミュニケーションデザインはあまり意味がないと思っています。というか、それは、わりあい前提としてある戦術レベルの話かな、と思っています。

 時間軸で見れば、広告をやらなくていいフェイズ、あるいはやってはいけないフェイズというものもあり、逆に、ここは何がなんでもやらなくちゃいけないフェイズもあります。この見極めは、長期的に見たブランドの成長と、生活者の意識から導き出されるものなのでしょう。で、その生活者というのは、結局は自分だったりするんですよね。

 ホームラン、ヒットエンドラン、ポテンヒット、バンド、フォアボール。そうした、様々なものをフラットに見られる地平にこそ、これからの広告プランナーが立つべき場所なんだろうな、と思います。そのためには、イチローさんのように日々のトレーニングによって、基礎体力を養うしかないのだろうな、と。

 で、私?

 基礎体力のなさを痛感しています。なんかそういうことに気付いてからは、自分はわからないことだらけだなあ、なんて思っている次第です。いろんなことを勉強しなきゃなあ。まあ、あきらめずに、コツコツとがんばるしかないですな。ではでは。

 追記:

 記録達成しましたね。素晴らしいですねえ。

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2009年9月13日 (日)

萩原健一さんの5年間

 フジテレビのザ・ノンフィクション「ショーケンという"孤独"」を見ました。ショーケンこと萩原健一さんのことは、あまり詳しくないですが、一時代を築いた大スター、というかトリックスターという言葉が正しいのかもしれないですが、そんな凄い人だというのは知っています。いくつかの事件も、なんとなく記憶にあるし、ファンも多いけど、アンチも多い、そんな今の時代では生きにくい人であるのだろうな、とは思います。

 テレビに出ている人は、ある意味、人々の記憶の中で生きている人でもあるわけだから、その人がまったく活動できないでいても、その人は確実にいるわけで、ドキュメンタリーの中で「5年間の沈黙を破り」という言葉の重さは、我々テレビを見る側の人にはわかりにくいのかもしれないな、と思いました。

 テレビというものは不思議なもので、この前、萩原さんが「チューボーですよ」にゲストで出演していたのを見て、その時点で、その何事もなかったかのような現在の映像は、過去の記憶と瞬時につながってしまって、5年という時間がなかったものとして認識されてしまい、お茶の間は、萩原さんの5年間を捨象してしまう。そして、その5年間は萩原さんの心の底に沈殿していって、もう誰にも見えない。

 例えば、私が、これから君は5年間沈黙しなさいね、と言われたら、言葉は大げさかもしれないけれど、きっと絶望するだろうと思います。よく飲むと、ついつい、僕にも干されている時があってさ、なんて言うけれど、それでもたかだか2年くらいで、しかも、それでもなんだかんだやることを見つけて、妙な成果を出して来たりもしたわけで、萩原さんの5年とは、その重さは比べ物にならない。

 でも、このドキュメンタリーもまたテレビであり、ひとつの虚像でもあるのも事実で、映像にされない時間に、萩原さんだけの時間が今も流れていて、身近にいる人との愛憎のせめぎあいや、出会いや別れ、ささやかなふれあいもあるだろうし、それは、テレビを見る人である私たちにはやはり知る由もなく、萩原さんだけの時間として流れていくのでしょう。

 映像化された、テレビの人ではない萩原さんを見ていて、これからの5年をどう生きるか、なんてことを柄にもなく思いました。それにしても、テレビではさらっと5年と言っていたけど、5年かあ、5年は長いよなあ、長過ぎるよなあ、と思ってしまいました。5年だものなあ。

 話の結びとしては、なんだか間抜けな気がするけれど、テレビでよくやる「あの人は今」という企画。あまりに残酷すぎて、私は正視できないんですよね。ああいう企画をさらっと出せる人は、その残酷さとどうたたかっているんだろうか、なんてときどき思います。どう自分の心と折り合いをつけているんでしょうかねえ、なんて。きっと、大人なんだろうな。萩原さんではないけれど、わたしゃ、いつまでたっても子供で結構、とか思ってしまいます。でも、それも違うような気が。甘いこと言ってんじゃねーよ、という気が。うーん。

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2009年9月12日 (土)

結局はそこなんだよなあ

 今日の東京は少し天気が悪くて、家でぼんやり。テレビを見たり、本を読んだ、ネットを見たり。前回の「戦争メタファ」というエントリに、「農業メタファという感じですかね(笑)」というコメントをいただいて、なるほどなあ、と思う。種を植えて、苗を育てて、収穫する。その前に土地を育てる、というのもあるし、豊かな土地を持続させていくというのもある。そう言えば、会社を辞めるときの引き継ぎでも「こことこことここに種を植えておきましたので」みたいなことを言った覚えがあるし、農業メタファというのは案外使って来たのかもしれないなあ。

 ブランドをつくっていくという営みは、どちらかというと農業に似ているのかもしれない。うん、似てる似てる。風から守ったりすることも必要だし、小さな芽のうちに収穫して食べると、それはそれでおいしいけれど、そこをグッと我慢なんて時もあるし。虫がつく、というのも何かのメタファにはなっているだろうし、そこで農薬を使うべきか否かというのも悩みどころだし、そこからもっと踏み込むと、無農薬だからいい、みたいなことにも疑問符がつくという領域になってくるし。

 このあたりの話は、面白そうなので、ちょっとがんばって考えてみようかな、と。なんとなくエンターテイメントといしても面白そうだしね。農業メタファというのは、ほんとしっくりきます。

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 橋本治さんの「大不況には本を読む」という新書を読んでいて、いつもながらたいへん気持ちのよい本ではあるなあ、と思う。橋本さんの本は不思議で、これは正しいなあ、正しすぎるなあ、と思いながら読んでいくと、今度はそのあまりの正しさに、なんかもしかしてだまされてるかな、と思い出してきて、よくよく考えると、これは橋本さんが自分の頭で考えているからだったりして、結局、あんたも自分の頭で考えな、ということになり、そこが今、すごく読まれるべき本であると強く思うんですが、今、出版界での売れ筋は、こういう本ではない、というのは本屋さんに行けばわかる。

 若い人はこういう本を読んだらいいと思うよ、と思います。でも、どんな本を読んだらためになるか、とか、1行も書いてないですから。そういう実利的なものを期待して読むと、腹立つのかもね。まあ、だまされたと思って読んでみて。で、だまされた、と思っても、当方は何にもできませんけどね。橋本さんの新しい本、あいかわらず、おすすめです。

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 突然デジカメがほしくなり、今までデジカメを1台も持っていなかったこともあり、デジカメ選びをすごく楽しんだわけなんですが、そんな中で気付いたこと。結局、デジタルの時代になっても、要はレンズだったりするんだなあ。いかにいいレンズを搭載できるか。そこを基準にして、いろんなものが決められていって、レンズを基準にして、大きさや機能のせめぎ合いがあり、それは、これだけ時代が変わっても変わらないものではあるんだろうな、と。

 デジカメは、きっと今、1周して、そういう本質の部分のせめぎあいにあるんだろうと思います。

 エレキギターというのがありますよね。そりゃ、ありますよね。この書き出しは、ジャズで言えばクリシェですね。エレキギター。エレキだけど、結局はどれだけいい木を使っているかが音色を決めるんですよね。それで値段も決まってきますし。レス・ポールさんが亡くなりましたが、これだけ長い時間が経っているのに、エレキは木の質で決まる、なんですよね。だからビンテージギターが現役で働けるし、結局はそこなんだよなあ。どんな時代でも、結局はそこ。

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 どんよりした天気ではありますが、これから外出です。久しぶりに飲みのおさそい。中野駅あたりでいろいろ話そう、という感じです。このブログを通して知り合った、若い広告人の方と話します。

 ブログと言えば、私は、基本的には毎日書きたいな人ですが、そんな私にも、でも書かないという時があります。それは、飲んだとき。基本、酔っぱらったときには書かない。それは、このブログを始めた時から、憲法のようにあることです。酔って書くとろくなことがないらしいですよ。私はその経験がないからわかりませんが、聞くところによるとそうらしいです。

 で、ブログだってTwitterだって、結局はそこなんです。酔って書くとややこしい、とか、そこが重要。てなわけで、そろそろ遅刻しそうなので、本日はこのへんで。ではでは。

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2009年9月11日 (金)

戦争メタファ

 10年ほど前に、元電通のCMプランナーである佐藤雅彦さんが、「経済ってそういうことだったのか会議」という竹中平蔵さんとの対談集で、売り上げが倍もあるのに電通マン自らが「電博」なんて呼び方をするのは良くない、みたいなことを言っていました。

 これを博報堂の立場に立って考えると、うまいレトリックだったりします。売り上げ規模で倍の差がつけられているのに、2強のイメージを植え付けられるし、企業は、じゃあ電博で競合させてみるか、ということになり、博報堂にとってみれば売り上げ半分なのに同等に扱ってもらってラッキー、電通にとってみれば2倍の差があるのにたまったもんじゃない、ということになります。

 売り上げだけが広告会社の価値ではないけれど、「電博」というレトリックには、そんな戦略が含まれています。こういう手法は、いろんなところで昔から使われています。上記の対談では「他人の土俵で相撲を取れ」と表現されています。資生堂に対するカネボウ、佐藤さんのかつての仕事で言えば、カルビーに対する湖池屋。

 ただ、あの頃、すごく新鮮に見えた「他人の土俵で相撲を取れ」戦略に限らず、様々な戦略的手法が今通用するのかな、という気分があるんですね。念のため書いておきますが、これは佐藤さんを批判しているわけではないですよ。時代っていうのがあるわけだから。当時、もっとも刺激的だった言説を例に、それから10年経った時代の気分を語っているわけだから。それに、本を読んでもらったらわかると思うんですが、当の本人が相手の戦略にはまっているんじゃないよ、という話で、それは今も通用する話。

 本題に戻ります。

 もちろん、ものを伝えるときには考えてやらないといけないですよ。アイデアとか芯とかがなくちゃ駄目。それは、今も昔も変わらない。けれども、それはなんとなく私は戦略と呼びたくはないんですね。だから、私は人から「戦略プランナー」とか間違っても呼ばれたくもないし、その肩書きからイメージされる戦略は、もう通じないと私自身が思っているんですね。

 そんな私の気分は、時代の流れとも呼応してて、例えば、マーケティングの専門家の呼称を見ていけばわかるかもしれません。マーケティングプランナーと呼ばれた時代から、少し経つとストラテジックプランナーと呼ばれ、広告会社にはストラテジックプランニング局が誕生し、やがて、そのブームが過ぎたら、コミュニケーションデザイナー。今やコミュニケーションデザイン局が花盛り。

 ここから見えてくるものは、「戦略から戦術の時代へ」ということなんでしょう。メディアが多様化して、言いたいことを届けるためには戦術を緻密に組んでいかなくちゃいけないですよね。それがコミュニケーションデザインということなんでしょう。密教化している感じもするので、いや、それがコミュニケーションデザインじゃないよ、と言われそうですが、まあ、大まかにはそういうことだと思います。

 でもなあ、それはそれでわからなくもないけれど、どちらもちょっと戦争メタファな気がするんですよね。本当に終わったのは、戦争メタファなんじゃないかな、という気がするんですね。私は。というか、そう思いたい。

 戦略から戦術へ、みたいな文脈は、戦争メタファ的には、きっと空爆から地上戦みたいなものでしょ。こういうのはたまらなく嫌いというのもあるけれど、そういう気分とは別に、なんかそういうのが通用しなくなっていっているんじゃないか、それが広告が効かなくなってきたという言説と同期しているんじゃないか、と思うんですね。どっちにしても、戦場では、広告をつくる人も見る人も誰も楽くないだろうしさ。結局、世の中は戦争ではなかったけれど、比喩的に言えば、戦時中の熱狂が終わった、ということかも。

 だったらどうするよおまえ、というのは突きつけられるんですけどね。答えがあるとしたら、もっと根っこの部分かもな、という予感はあります。それを何と呼べばいいのかはわかりませんし、素直にアイデアと呼べばいいのかもしれないですが、外資育ちの私としては、アイデアという言葉は手あかが付きすぎているんですよね。それに、今、私がぼんやり考えていることは、時代とかに関係なく、もっと普遍的なことのような感じもあるし、ぼちぼちやって、ぼちぼち理論化みたいなことをやるしかないんだろな、なんてことも思っています。

 こういう、まだ整理されていない思考を書くというか、伝えられる場所があるっていうのはありがたいな、と思います。そんなね、こういう普通の人のなんでもない思考を書き残せるメディアを、小さいながらも個人が持てる時代っていうのが、戦争メタファっていうのを無効化させている一因だったりもするのかな、とも思っています。レトリックはすぐバレるさ、真面目に正直にやらなくちゃね、みたいな。そんな感じです。

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2009年9月10日 (木)

「すわ」を3回も見た。

 雑誌を読んでいたら、「すわ」を3回も見ました。ラッキー。というか、この「すわ」という言葉って、私は今まで使ったことが一度もないし、使っている人を見たこともないんですよね。雑誌で見たのは、こんな感じ。

 すわ、大惨事。
 すわ、本物か。
 すわ、不倫か。

 「こっ、これは」みたいな感じの意味なんでしょうね。日常の雑談で「あのさあ、ここだけの話なんだけどさあ、こないだ部長がさあ、そんなこんなでさあ、すわ、不倫か、と思ったわけよぉ。」なんて聞いたら、ちょっとげんなりしそうですね。結構古くから使う由緒正しい日本語だそうですが、まあ、これからも使わないんだろうな。

 と思っていたら、もうこんな時間。すわ、遅刻か。微妙に使い方が違うような気がしないでもないですが、本日はこのへんで。さあ、今日もがんばりましょ。ではでは。

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2009年9月 9日 (水)

渋谷文化は地形がつくったのかもしれない

 私は渋谷が苦手です。街行く人がみんなおしゃれで、なんとなく居場所がない感じがして。それに、渋谷で待ち合わせ、みたいなことになったら、必ず迷います。JR渋谷駅のどの出口から出ても、私には同じような風景に見えます。もちろん109とか目立った建物があるから分かると言えば分かるのですが、それでも感覚的に、ここで間違いがない、という確信が持てないのです。

 ずっと新宿に近い場所で住んで来たので、用事がなければ渋谷には行きませんし、これまでの職場や担当の得意先が八重洲、丸の内、京橋、日本橋、銀座、新橋、品川といったビジネス街だったこともあり、苦手意識がずっとありました。

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 でも、9月から渋谷を毎日歩くようになって、すこし考え方が変わってきました。おしゃれな街だから、というなら六本木だって銀座だっておしゃれだし、繁華街が苦手というのも違います。新宿だって池袋だって、別になんとも思いませんし、大阪なら梅田でも戎橋でも難波でも平気です。慣れていないからか。そうでもないような気がします。なんだかんだで渋谷には50回以上訪れているはず。それでも、なんか妙なのは違う理由があるのだろうな、と。

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R0010185_2 で、そんな違和感を抱きながら渋谷駅を目指して宮益坂を歩いていると、あれっ、と思いました。えらく渋谷駅が低いんですよね。これ、渋谷によく行く人なら当たり前じゃんという感じでしょうが、渋谷ってすごい谷なんですよね。写真は宮益坂を渋谷駅方向にレンズを向けて撮影したものです(クリックで拡大します)。でも、広角単焦点のGRDは、こういうの苦手。ちょっと分かりにくいかもです。

R0010189_2  こちらは、宮益坂上方面にレンズを向けたもの。この写真の方がわかりやすいですね。けっこうな坂。スペイン坂なんかは、これぞ坂という感じでわかりやすいのですが、渋谷の場合、どの出口を出ても上り坂で、つまり、地形的には渋谷駅が谷底なわけです。なんとなく、どこを出ても同じ感じがする理由がわかった気がしました。

R0010180_3 R0010183_2 比較的傾斜が緩やかな感じがする宮益坂でも、横から見るとこんな感じ。で、渋谷駅に向かってどんどん進んでいって、渋谷駅に到着しても、やっぱり斜めなんですよね。右の写真は渋谷駅のすぐそばのみずほ銀行のビルの下の部分なんですが、結構斜めってるでしょ。谷底にしてこうです。

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R0010175_2 谷底の渋谷駅を中心に放射線状に道が広がる渋谷は、どこから見ても斜めっていて、例えばこの写真なんかもどこかしら気持ちがざわざわする感じがしませんか。それは、いい意味で心がときめくみたいな感じを無意識で持たせるのでしょうね。なんとなく心がピクニックというか、ケじゃなくハレな感じというか。

R0010149_2  ちなみに、ビジネスの街である京橋の交差点の写真はこうです。ちょっと、これ、撮影の仕方じゃないの、という気もしないではないですが、平べったくて、落ち着いた感じがします。この地形で、仮に109やパルコがあっても、渋谷みたいな感じにはきっとならないのでしょうね。

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 「春の小川」という歌がありますよね。あれは、現在、渋谷の地下を流れている渋谷川界隈を歌っているそうです。今はビルだらけですが、この渋谷の地形を考えると、その昔はのどかだったんでしょうね。日本テレビ「所さんの目がテン!」のライブラリーに渋谷川のことが詳しく出ています。

 地下鉄銀座線の渋谷駅が地上3階にあって、隣駅の表参道駅が地下にあるのは、渋谷が谷の底だから、というのは言われてみれば、なるほどな話ですね。

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 地形が文化に与える影響というのは、きっとあるのでしょうね。それは人の心に与える部分もあるでしょうし、開発の歴史にも影響をしているのだろうと思います。

 渋谷はもともと東急がつくった街だそうです。阪急の大阪梅田開発の手法に影響を受けて、東急のターミナル駅だった渋谷を開発していったそうです。その後、西武が参入してきて、東急 VS 西武みたいな感じで発展していきました。私が学生の頃は、渋谷はパルコ VS Bunkamuraな感じがありました。

 推論なんですが、きっと土地が取得しやすかったんではないでしょうか。地下を流れる渋谷川のために地下階がつくれなかったり、いろいろ制限のある土地だそうですし。だから、民間主導で思い切った開発をしやすかったみたいなことがあるのかも、と思いました。

 駅を中心にして街路が放射線状に広がり、やたらY字路が多くて、一度坂に入ると、まるっきり風景が変わっていくのも渋谷の魅力です。そんな地形的な特徴も、東急や西武にとっては、独自の文化圏をつくりやすかったのかもしれません。

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R0010195_2 R0010191_2 宮益坂を昇りきると、宮益坂上に出ます。そこから先は表参道へつながります。雰囲気はもう違います。246がまっすぐに伸びて、建物も平地だからなのか、落ち着きが出てきます。少し行くと、青山学院です。

R0010193_2  写真は、宮益坂上のすぐ側のビルです。青に赤のど派手な「もうやんカレー」の看板がすごく目立ってしまっていますが、すぐ側のビルと喫茶店は、地名には「渋谷」とついているにも関わらず、「渋谷」ではなく「青山」なんですよね。

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2009年9月 8日 (火)

こいつ、いい顔してるよなあ。

R0010194

「こどもの樹」岡本太郎(1985)

東京青山「こどもの城」にあります。
最寄り駅は、東京メトロ銀座線表参道駅。
徒歩3分くらいです。

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2009年9月 7日 (月)

さかなクンさん

 寝付けなくてテレビを見ていると、なぜだか「さかなクンの生態大図鑑」という番組が放映されていて、ぼんやり見てたらどんどん惹き付けられてしまいました。ああ、もう3時だ。でもおもしろいから最後まで見ます。さかなクンさんは、高校のときにテレビの魚知識クイズ選手権で4連覇して、いつしかテレビには欠かせない「おさかな伝道師」になっていったそうです。

 さかなクンさんはインターネットをやらないそうです。わからないことがあれば、図鑑をめくって調べて、それでもわからないことは大学教授へ電話して聞くそうです。そんなさかなクンさんだから、子供たちは夢中になって彼の話を聞きます。いっしょにキャーキャー言って、さかなのふしぎを楽しみます。で、一拍おいて、子供たちに、こんどはひとりの大人としてさかなのレクチャーをするんですね。さかなクンさんのこの一連の話しぶりは、見事です。

 これはすごい光景だなあ、と久しぶりに感心してしまいました。

 こんな子供たちの姿は、大学の頃、授業をさぼって4畳半のアパートで見た「おかあさんといっしょ」の中の「にこにこぷん」のコーナーで、お兄さんやおねえさん、じゃじゃまる、ぴっころ、ぽろりと一緒に踊る子供たち以来だなあ。あの子供たちの夢中になるさまを見て、なんじゃこりゃ、と思って、将来はNHK教育で子供番組をつくりたいと思いましたもの。でも、NHKは私を入れてくれませんでしたが。

 つまらない自分語りはこのへんにして、さかなクンさんの話。

 なんとなく、ちょっと泣きそうになるくらい、さかなクンさんは教育というものの原初の姿を見せてくれています。そんな彼には夢があって、それは、いつか誰も見たことのないさかなを見つけて名前をつけたい、というものです。これなんでしょうね。きっと、これです。

 さかなクンさんは、朝日新聞にコラムを書いています。インターネットで読めます。「いじめられている君へ」というシリーズのひとつです。「広い海へ出てみよう」というタイトルがついています。

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2009年9月 6日 (日)

[書評] 『無印ニッポン 20世紀消費社会の終焉』堤清二 三浦展(中公新書)

Muji  セゾングループ元会長での堤清二さんと、「アクロス」元編集長、今話題の『下流社会』や『非モテ!』の著者であるマーケター三浦展さんの対談集。

 堤清二さんが、小説家・詩人としての名前である辻井喬名義ではなく、ゼゾングループを率いてきた経営者として対談に臨まれているところが、言い過ぎでもなんでもなく、この本の最大の魅力であると言ってもよいと思います。

 9月4日に書いたエントリでも触れましたが、兵庫県尼崎市塚口にある「つかしん」という街型ショッピングゾーンについて、ほんの数ページではありますがきちんと率直に触れられていました。「つかしん」は、今はグンゼの経営になっています。私はここ最近は訪れたことがありませんのではっきりしたことはわかりませんが、ブログ検索などで見ると、まあまあ市民に愛されている施設ではあるようです。

 私は大阪育ちですので、セゾングループの文化はあまり享受していません。でも小さいながらに確実にあった体験としては、南大阪の郊外にある八尾の西武百貨店の最上階にあった八尾西武ホールでの映画観賞。私の世代の関西の若者は、少しマイナーな映画を上映してくれるホールは、扇町ミュージアムスクエアか八尾西武ホールという感じだったんですね。八尾は大阪中心部からは少し離れていましたが、電車に乗って通っていた記憶があります。大林宣彦さんの自主制作映画の上映や、寺山修司さんの映画を見たのもここ。「廃市」や「書を捨てよ街へ出よう」はここで観ました。

 ちょっと余談になりますが、寺山修司さんの映画「書を捨てよ街へ出よう」は、クライマックスシーンに急に画面がホワイトアウトし、主人公の私の独白が延々と流れるシーンがあるんですね。でも、当時の八尾西武ホールはおせじにも防音が良くないんです。言い方は悪いけど、平場に間仕切りがあるだけのホール。隣にはおもちゃ売場があって、おもちゃの音やら子供の笑い声なんかが、シリアスな独白シーンにまじるんです。確か、主人公である私が津軽弁で「俺を忘れないでくれ。俺を忘れないでくれ。俺を忘れないでくれ。」と叫ぶのですが、その台詞に混じって、おもちゃの音と子供の笑い声。それが、妙にリアルで。今も脳裏に焼き付いてます。

 関西は、地元資本の百貨店が強い地域で、東京資本の百貨店は当時ほとんどありませんでした。伊勢丹も松屋もありません。もう今はありませんが、名古屋資本の松坂屋が天満橋にあり、三越が北浜にあっただけ。高島屋や大丸、そごう、阪急などが東京に進出している関西資本系百貨店とは対照的でした。そんな中、郊外に八尾西武をつくり、またまた郊外に「つかしん」をつくったセゾングループは、なんか意欲的だな、と思いましたし、その一方でつくる場所が郊外ばかりだったの、それを不思議に思ったところがありました。当時高校生だった私には、セゾンの郊外戦略なんてものはわかりませんでしたし。

 この本は、書名が示しているとおり、無印良品の「これでいい」コンセプトをもとに、日本のこれからを探っていくというのもですが、この数ページの「つかしん」の構想とその失敗体験の中に核心があるように思えました。堤さんは、「つかしん」をどう考えたかを率直に短い言葉で語っています。

見えない共同体のようなものを考えていましたね。規模は小さいかもしれませんが、若者たちはいろいろな場所でそういうものを作っています。たとえば、あまり有名ではないシンガーソングライター。そのまわりには、一〇〇人単位の共同体ができている。それは、職場共同体や家族共同体や地域共同体とは似ても似つかないテイストによる共同体です。(134P〜135P)

 また、失敗の原因については、こう語っています。

つかしんでは、百貨店の人をトップにしたのが間違いでした。テナントや業者を下に見る。村にとっては全員がテナントだから、対等でなければならない。わたしがそう言うと、わかりました、とは言うんだけれど、実行が伴わなかった。(135P)

 パッケージ型ではなくパッサージュ(街路)型の都市計画。具体的に言えば、大崎ではなく五反田的な都市計画。もっと言えば、自然発生的に成長した高円寺や麻布十番、大阪で言えば、京橋や鶴橋のような入り乱れた商店街を持つ、多層構造、重層構造の街づくり。これは、街づくりだけの話ではなく、クロスメディア環境にも、コミュニケーション環境にも援用できる、所謂「場」の話だと私は思っているのですが、そういうパッサージュ型の構想というものが可能なのか、可能であれば、可能にならない理由は何なのか。そういう課題を喚起させてくれる話でした。

 この話に関連して広告人として最近思うことは、同じように、エンクロージャー戦略というか、消費者を囲い込み育てていく、のようなやり方はもうそろそろ終わりに来ているのではないか、ということ。それは、旧来型のマーケティングの終わりでもあり、基本であるターゲティングという手法自体がもはやどうしようもなくゴールに向かっているように思えます。行動ターゲティングとか、そういう試みが花盛りな時に言うのは、なんだか時代遅れな感じがしますが、そのターゲティングの発想の根幹にある「見つける・育てる」という考え方自体が、消費の楽しさや自由を奪い、ますます硬直化させてしまっているのではないか、と思います。

 これは、ある意味で反ブランド的な考え方になりますが、そういう反ブランド的な「これでいい」というコンセプトを消費者に投げかける無印良品という「ブランド」はやはり気になります。これは本書でも触れられていますが、ユニクロも同じ。大衆の終焉、マスの消滅、とは言われていますが、都市という視点で見れば、そこには、子供、若者、中年、高齢者、すべてを呑み込む、まさに大衆のいる場ではあります。これは、人間が社会を形づくる限り変わることはありません。

 であるならば、マスプロダクトというものがこれからも成り立つには、論理的には無印的あるいはユニクロ的な「これでいい」的なコンセプトしか持ち得ないのではないか、とも思えます。現実は、まだそこまでは来ていないけれども。しかしながら、未来のマスプロダクトを思考する無印的なものが「最大公約数」的な発想では作られていないというアイロニーが、何か大衆というものの熱が少しずつさめて来て、平熱へと行き着く未来を示しているように思います。

 それは同時に「これがいい」というブランドの本質について、もう一度考え直すことでもあるのだろうと思います。話が循環しますが、そして、この新しい「これがいい」を考えることは、地方あるいは地域を考えることでもあるのだろうな、その土地の風土や文化に根ざした「これでいい」と「これがいい」をコインの裏表として考えるとこだと思います。そう考えると、やはり、最初の疑問に戻るのです。

パッサージュ型の構想というものが可能なのか、可能であれば、可能にならない理由は何なのか。

 可能であるという答えがあるかもしれないと思うのと同時に、可能でないという答えもあるだろうな、と思います。もしかすると、パッサージ型への自然成長を阻害しない構想だけが求められる、ということかもしれません。このあたりの最前線では、今どういう考え方があるのだろう。ちょっと知りたくなりました。

 対談本でもあるし、答えを探している人にはもの足りないかもしれませんが、人によってそれぞれの気づきがある本かもしれません。おすすめです。ではでは。

 ■関連エントリ:ユニクロは、日本の人民服である。

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2009年9月 5日 (土)

なう

 Twitterが第二次ブームみたいな感じになってきて、第一次ブームのときになかった(ような気がする)言葉のひとつに、「なう」という言葉があります。「帰宅なう」とか、先の衆院選で話題になったものでは「初めて下野なう」とか「当選確実なう」とか。すごいよなあ、ここまで微分化しますか、と感心します。

 コメントが賑わうタイプのブログやソーシャルブックマークのコメント欄なんかで最近目につく言葉は「噴いた」という言葉。これも、きっと、今この瞬間、みたいな気分を表現するためのものですよね。

 ウェブのコミュニケーションツールは、出版という行為を簡便にしたり、時間を短縮したり、分散された情報を集積したり、ウェブの得意とする分野において高度化する一方で、リアルに優位性のある分野に対しては、テクノロジーでどこまで近づけるかという課題を持ちながら進化を重ねているような気がします。私はギークではないので、そのあたりの技術革新のモチベーションの本当のところはわかりませんが、端から見ているとそんな感じに思えます。

 後者のリアルに絶対的な優位性がある分野、例えば、人間の表情とか、発言のリアルタイム性だとか、そういった原理的には絶対にリアルには勝てない分野においては、これはもう漸近線的な進化しかないのだろうな、とも思います。それをバーチャルリアリティと呼んでもいいのですが、技術革新の動機としてはやはり「リアルに近づく」でしょうし、昔、パイオニアのコンポーネントステレオ(懐かしい用語ですね)の広告コピーで「スイッチを切るな。現実がやってくる。」というのがありましたが、ま、そういうものであろう、と。

 漸近線的進化であるから、そのリアルとのすきまの部分は、当然、Twitterなどのコミュニケーションツールのテクノロジー以外の部分で埋め合わせていくことになって、それは、コミュニケーションツールの制作者ではなく、ユーザーが埋め合わせていくということになるのでしょうね。

 例えば、それはユーザーの意識だったり。Web2.0という言葉に表現される人間の行動規範や倫理といったものは、コミュニケーションツールがリアルに近づけない、その不完全性の補完として理解できるのかもしれません。その意味では、最近目にすることが多い「なう」とか「噴いた」とかの言葉は、ある種のテクノロジーというものなのかもしれません。

 もう少し掘り下げて言えば、「なう」も「噴いた」も、今この瞬間、という臨場感を伝えてくれるものの、わりあいその人の感情の起伏や個別性なんかは伝えてはくれません。吉本隆明さんの用語で言うならば、指示表出的な言葉なのでしょう。状態を指示する指示表出。そういう意味では、プログラム的でもありますね。

 例の新聞社のTwitterでは、私は「思うとおりにはさせないぜ。」という言葉の方が、Twitterといえどもテキストで記録されるメディアでの発言としてはいささか刹那の感情の表出に過ぎるような気がしますが、とても自己表出的で、Twitterならではだなあ、と面白く思いました。

 私は、というと、その手の自己表出は苦手。やってもうまくは立ち回れないと思うし、たいがいリアルでも引っ込み思案で、あのときああ言えばよかったとか、言わなきゃよかったとかの連続なのに、ウェブでまでそんな思いはしたくないよなあ、という感じです。ま、わりと頻繁にブログを書く方なので、何を言っているんだろ、この人、というのはあるかもしれませんが、やはり私は何かを書くためには、ある程度の沈黙もいるし、そんな私にはブログで十分と思っております。

 でも、Twitterは嫌いではないですよ。これからはもっとこなれていくと思うし、ああいう軽やかな感じはうらやましすなあ、と目を細めて眺めておりますです。では、よい休日をお過ごしくださいませ。

 関連エントリ:Twitterかあ

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2009年9月 4日 (金)

「つかしん」まわりのこと

 西武、パルコ、無印まわりの話で、ここまで率直に「つかしん」について話されているのは初めてではないでしょうか。私は、セゾン関連では「つかしん」プロジェクトがずっと気になっていました。消費社会や都市、コミュニティ、建築などいろいろな分野に波及する様々な学びの種が含まれているような気がしていて、そのことをまわりに話しても、まあ「つかしん」自体をあまり知る人がいなかったので、うーん、なんともだなあ、と思ってきたので、これはありがたかったです。

 まだ読了していないので、それ以上は書けなさそうなんですが、とりあえずおすすめの本とは言えそうな気がしますね。私がこの本を知ったのは、新聞の社説でちょっと触れられていたからで、そんなオールドタイプの情報摂取の仕方も、なんかいろいろ、これからの諸々を考える上で感慨深いなあ、と思ったりしています。

 とともに、なんとなくわかってきたのは、こういうちょっと気になるな、みたいなことを書く時は、Twitterみたいなツールは便利なんだろうな、ということですね。ブログ、特に私のような書き方をするブログは、ツール自体がある程度の長さで整理して書け、みたいなことをツール自体が要求をしているような気がして、実際、トップページに短いエントリが入るのは、なんとなく気が引けるんですね。

 Twitterで書くなら、こういう感じかな。

 「この本、おもしろいよ。セゾンまわりで「つかしん」に触れられてるの、はじめてかも。URL」

 ま、おすすめです。きちんと読んだら、きちんと感想を書きたいと思います。ではでは。

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2009年9月 3日 (木)

アイデンティティって、何?

 アイデンティティという言葉を初めて知ったのは、確か中学校の頃。倫理の教科書で、心理学の項目で出て来たような気がします。エリクソンですよね。モラトリアムなんて言葉も紹介されていました。

 なんとなく、「人間の成長にはアイデンティティ(自我の同一性)の確立が不可欠で、その確立までのモラトリアム(猶予期間)が、あなた方が今いる学生時代なんだから、偉人たちが残した知識をしっかりと学んでアイデンティティを身につけて、立派な大人になりましょう。」みたいな感じが嫌でした。その文脈で語られるアイデンティティという言葉が、とっても軽く感じられたんですね。

 でも後に、エリクソンという人の人生がとってもややこしかったことや、その感受性も何か愁いのようなものがあることを知り、この言葉の印象が少し違ってきました。エリクソンの発達心理学はアメリカの心理学と紹介されるけれど、彼自身はドイツ生まれのユダヤ系デンマーク人なんですよね。

 アイデンティティという言葉は、あくまで境界例の患者さんの臨床から生まれた概念ではあるけれど、エリクソンという人は、自分の問題としてアイデンティティという概念をひねり出した、というか、ある種の必然から出て来た切実な言葉なんだろうと思います。

 ずいぶん昔に読んだから記憶があいまいではありますが、エリクソンはアイデンティティという概念を相当複雑なものとして扱っていましたし、アイデンティティという概念が社会科学やマーケティングなどに応用され多用されることに戸惑いがあったと聞きます。

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 彼のつくったアイデンティティという概念をマーケティングに応用したものが、CI(コーポレイト・アイデンティティ)で、このCIの分野で私のキャリアが始まりました。私は、昔はCIプランナーだったんですね。日本のCIの世界では、中西元男さんが率いるPAOSという会社が君臨していて、そのPAOSが自社の提案事例を紹介したDECOMASという百科事典のような本があって、それを熟読したりしていました。小岩井農場やMATSUYAなんかの事例は、それはそれは見事でした。ちょっと鳥肌が立ちます。

 でも実務ではどんな感じなのかというと、社名変更ありきで、なんでもかんでも規定していって明文化し、それを詳細なマニュアルにしていく作業だったりします。作業の本丸はロゴデザインとその後についてくるシステムデザインで、ブームの頃、多くのCI会社はその業務を根拠にして、高額のフィーを勝ち得ていて、そういうバブルな構造だったので、ブームが去ると、ロゴデザインだけ売ってくれないかな、みたいなことが増えて、CIと言えばVI(ビジュアル・アイデンティティ)のような風潮がこのとろこずっと続いています。

 CIブームの頃は、きっと企業は、自分の宿命とか使命みたいなもの、つまり、どうしようもなく形作られた企業人格なんかを軽く見て、自分がなりたい自分になれると安易に考えて、どんどんなりたい自分になっていったという感じでした。

 そこで語られるアイデンティティという言葉は、とても軽く、とても薄く、教科書で紹介されていたアイデンティティという言葉によく似ていました。

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 コミュニケーション戦略の構築だけでなく、コーポレイト・アイデンティティやブランド・アイデンティティの構築にも、よくSWOT分析の手法が使われて、SWOTのW、つまり弱みをどう克服するか、というふうにアイデンティティがつくられていくことが多いです。弱点を克服して、強い自分になる、みたいなことですね。

 この弱みの克服というのが、どうにも軽く思えてしまうのです。だから、Wは無視する、ということではなく、逆にWこそが重要なのではないか、と私は考えています。人もそうだけど、企業だって、ひとつの企業が世界のあらゆる価値を提供できる、なんてことは絶対にないわけです。ということは、世界のあらゆる価値という軸で見れば、その企業が提供できないことというのは絶対にあります。

 提供できない、という言葉を、提供しない、という言葉に変えてもいいのかもしれません。けれども、その提供しない、ということ、つまり、全能の神の視点から見て弱点に映るものにこそ、その企業のアイデンティティがあるように私には思えるのです。また、同時に弱点の裏返しは、そのままS、つまり強みです。

 提供します、という文脈だけで考えると、その「提供します」が美しければ美しいほど、今後の新しく生まれた「提供します」との矛盾が起きてきます。そのとき、せっかくのアイデンティティが無力化してしまうんですね。逆に、規定された「提供します」に忠実になればなるほど、アイデンティティが成長を阻害してしまいます。柔軟性がなくなるんです。

 アイデンティティの構築って、ほんとは「提供しない」モノやコトは何か、ということを追いつめて考えるプロセスなのではないかな、と思うんですね。「他の人はうまくそれをやるけれど、それだけは、私には絶対にできない。」という弱点にこそ、アイデンティティがあるのではないか、と思うのですがどうでしょう。むしろ、弱点を認める痛みの伴う作業がCI。だから、多くのCI作業は、今だにトップレベルの経営案件だし、必然として外部的視点を必要とするんですよね。精神分析と同じように。

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 エリクソンという人は、その概念の中でしきりに成功ということを言ってきた人ですが、その明るいアイデンティティという概念の裏側にある暗さみたいなものが気になるし、アイデンティティという概念に意味があるとすると、その暗さに中にしかないのかもな、という気もします。

 関係の絶対性という吉本隆明さんの概念は、相対主義として語られがちだけど、その相対にまみれて、あれもできない、これもできない、というときに生まれる反逆の倫理みたいなものは、もしかすると、アイデンティティのことなんじゃないかな、と思いました。これは確信ではないけど。

 余談ですが、文章っていうか、書き言葉って面白いなと思うのは、頭の中の思考は、この文章を逆から読む流れなんですよね。つまり、なんとなく、関係の絶対性ってアイデンティティのことなんじゃないか、と思って、そこからCIについて考えたのです。そんなところも、ちょっと気になるところです。

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2009年9月 2日 (水)

たかが広告、か?

 広告という切り口で時代を見た場合、きっと「たかが広告」の時代なんだと思います。これは、いくら広告が好きだ、広告を愛している、と叫んだところで、どうにもこうにも時代の変化なわけです。かつてあんなに素晴らしかった広告が、今ではこんなありさまなんてこと言って、昔を懐かしんだところで、状況は何にも変わらないですよね。やけ酒はすすむかもしれないけれど。

 時代は「たかが広告」。その意味はきっと、メディアが多様化していることによる、広告が主に置かれるマスメディアの地位の低下。こうして私が書いている、ブログをはじめとする個人メディアだってその一部だし、古き良き広告をとことん愛して、新しい広告をつくろうともがく私にしても、その「たかが広告」の時代を進めている張本人だったりもするのです。広告、しかも、これまでの所謂オールドメディアと言われるマスメディアを生業としている人が、ブログやらを毛嫌いする人が多いのには、きちんと理由があるのだと思います。本能的に嫌いますよね。だって、マスメディアが、様々なメディアの一部になってしまうのだもの。

 こういう話はもう聞き飽きましたよね。ネットを眺めると、いくらでも目に入ってきますものね。これからは広告じゃないよ。口コミだよ、CGMだよ、ブランデッド・エンターテイメントだよ、プラットフォームだよ。まあ、そうかもしれないです。今は、その土壌は小さいけれど、これからはそんな環境が世の中を覆ってしまうんだ、という話もわからないでもないです。未来の話は景気が良く聞こえますし、衰退していってる側にいる者からすれば、はいはいわかりました、という感じで、極論だよなあと思いながらも黙って聞くしかないよな、という感じもあるにはあるし。

 本音を言えば、私は、ノスタルジーたっぷりの昔話も苦手だし、まだ来ていない未来を根拠にした極論も苦手。どっちも違うんじゃないの、というのが実感として、あるいは予感としてあるんですね。マスは小さくはなるけど、社会が続く限りきっとなくならないし、ネットはもっともっと大きく巧みになるけれど、それが覆いはしないだろう、と思うんですね。だったら、それをどっちも使えばいいじゃない、みたいな感じ。これからはネットだ、ネットで覇権をとるぜ、とも思わないし、ネットなんかどっかにいっちまえ、とも思わないんです。だって、それって広告の環境に過ぎないじゃないですか。環境あっての広告であって、その逆はないものね。

 だから、なんか、環境を嘆くんじゃない、という感じもするわけです。また、環境を美化するのもおかしいんじゃないか、とも思うわけです。フラット化というじゃないですか。だったら、この環境をフラットに見ましょうよ、と。その中で広告がやれることって、ほんとにないですか。

 口コミ、CGM。それを上手く運ぶには、やっぱり広告の力が必要ではないんですか。日本の選挙はともかく、アメリカの大統領選では、ネットが大活躍って言いますよね。見たか、口コミ、CGMという感じですよね。でも、そのパワーが発揮できたのは「YES, WE CAN.」という広告的な言葉があったからですよね。それって、古典的すぎるくらいの広告の力ではないですか。ちょっと例が古いけれど。

 考えようによっては、口コミ、CGMまで射程に置いた長いコミュニケーションのフィールドで広告を設計するには、より力強い広告的な芯が必要になってきている、とも言えるんじゃないかな、と思うんですね。ということは、今の時代を生きる広告人の方が、牧歌的な時代の広告人よりも、よりダイナミックなプランニングが必要だ、という言い方もできるよね。まさに「されど広告」の部分が今ほど求められる時代はないんですよ。だから、若い人で本気で広告をやろうと思う人は、嘆く必要なんかないんです。おっさんの愚痴は、右から左に受け流せばいいんですよ。

 私?私はやりますよ。これからも。まだまだ、若いあなたには負けませんよ。若いあなたのような突破なことはもうやれないかもしれないけれど、私にはあなたにはない経験があるからね。それに、こんな時代「たかが広告」なんて言ってるうちは、私には勝てんよ。それに、ネットを語るなら、少なくともブログくらいやろうよ。別に今流行のTwitterでもいいけど。

 えっ、そんなこと言わずに力あわせてやっていきましょう、って?そうだね。古い広告クリエーターの悪いクセだね。なんでも勝負事にしてしまうクセ。こんな時代でも、がんばってやってるあなた見てたら、なんだか元気でてきたよ。ありがとう。お互いがんばろうぜ。じゃあね。また会おうぜ。

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