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2009年9月 3日 (木)

アイデンティティって、何?

 アイデンティティという言葉を初めて知ったのは、確か中学校の頃。倫理の教科書で、心理学の項目で出て来たような気がします。エリクソンですよね。モラトリアムなんて言葉も紹介されていました。

 なんとなく、「人間の成長にはアイデンティティ(自我の同一性)の確立が不可欠で、その確立までのモラトリアム(猶予期間)が、あなた方が今いる学生時代なんだから、偉人たちが残した知識をしっかりと学んでアイデンティティを身につけて、立派な大人になりましょう。」みたいな感じが嫌でした。その文脈で語られるアイデンティティという言葉が、とっても軽く感じられたんですね。

 でも後に、エリクソンという人の人生がとってもややこしかったことや、その感受性も何か愁いのようなものがあることを知り、この言葉の印象が少し違ってきました。エリクソンの発達心理学はアメリカの心理学と紹介されるけれど、彼自身はドイツ生まれのユダヤ系デンマーク人なんですよね。

 アイデンティティという言葉は、あくまで境界例の患者さんの臨床から生まれた概念ではあるけれど、エリクソンという人は、自分の問題としてアイデンティティという概念をひねり出した、というか、ある種の必然から出て来た切実な言葉なんだろうと思います。

 ずいぶん昔に読んだから記憶があいまいではありますが、エリクソンはアイデンティティという概念を相当複雑なものとして扱っていましたし、アイデンティティという概念が社会科学やマーケティングなどに応用され多用されることに戸惑いがあったと聞きます。

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 彼のつくったアイデンティティという概念をマーケティングに応用したものが、CI(コーポレイト・アイデンティティ)で、このCIの分野で私のキャリアが始まりました。私は、昔はCIプランナーだったんですね。日本のCIの世界では、中西元男さんが率いるPAOSという会社が君臨していて、そのPAOSが自社の提案事例を紹介したDECOMASという百科事典のような本があって、それを熟読したりしていました。小岩井農場やMATSUYAなんかの事例は、それはそれは見事でした。ちょっと鳥肌が立ちます。

 でも実務ではどんな感じなのかというと、社名変更ありきで、なんでもかんでも規定していって明文化し、それを詳細なマニュアルにしていく作業だったりします。作業の本丸はロゴデザインとその後についてくるシステムデザインで、ブームの頃、多くのCI会社はその業務を根拠にして、高額のフィーを勝ち得ていて、そういうバブルな構造だったので、ブームが去ると、ロゴデザインだけ売ってくれないかな、みたいなことが増えて、CIと言えばVI(ビジュアル・アイデンティティ)のような風潮がこのとろこずっと続いています。

 CIブームの頃は、きっと企業は、自分の宿命とか使命みたいなもの、つまり、どうしようもなく形作られた企業人格なんかを軽く見て、自分がなりたい自分になれると安易に考えて、どんどんなりたい自分になっていったという感じでした。

 そこで語られるアイデンティティという言葉は、とても軽く、とても薄く、教科書で紹介されていたアイデンティティという言葉によく似ていました。

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 コミュニケーション戦略の構築だけでなく、コーポレイト・アイデンティティやブランド・アイデンティティの構築にも、よくSWOT分析の手法が使われて、SWOTのW、つまり弱みをどう克服するか、というふうにアイデンティティがつくられていくことが多いです。弱点を克服して、強い自分になる、みたいなことですね。

 この弱みの克服というのが、どうにも軽く思えてしまうのです。だから、Wは無視する、ということではなく、逆にWこそが重要なのではないか、と私は考えています。人もそうだけど、企業だって、ひとつの企業が世界のあらゆる価値を提供できる、なんてことは絶対にないわけです。ということは、世界のあらゆる価値という軸で見れば、その企業が提供できないことというのは絶対にあります。

 提供できない、という言葉を、提供しない、という言葉に変えてもいいのかもしれません。けれども、その提供しない、ということ、つまり、全能の神の視点から見て弱点に映るものにこそ、その企業のアイデンティティがあるように私には思えるのです。また、同時に弱点の裏返しは、そのままS、つまり強みです。

 提供します、という文脈だけで考えると、その「提供します」が美しければ美しいほど、今後の新しく生まれた「提供します」との矛盾が起きてきます。そのとき、せっかくのアイデンティティが無力化してしまうんですね。逆に、規定された「提供します」に忠実になればなるほど、アイデンティティが成長を阻害してしまいます。柔軟性がなくなるんです。

 アイデンティティの構築って、ほんとは「提供しない」モノやコトは何か、ということを追いつめて考えるプロセスなのではないかな、と思うんですね。「他の人はうまくそれをやるけれど、それだけは、私には絶対にできない。」という弱点にこそ、アイデンティティがあるのではないか、と思うのですがどうでしょう。むしろ、弱点を認める痛みの伴う作業がCI。だから、多くのCI作業は、今だにトップレベルの経営案件だし、必然として外部的視点を必要とするんですよね。精神分析と同じように。

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 エリクソンという人は、その概念の中でしきりに成功ということを言ってきた人ですが、その明るいアイデンティティという概念の裏側にある暗さみたいなものが気になるし、アイデンティティという概念に意味があるとすると、その暗さに中にしかないのかもな、という気もします。

 関係の絶対性という吉本隆明さんの概念は、相対主義として語られがちだけど、その相対にまみれて、あれもできない、これもできない、というときに生まれる反逆の倫理みたいなものは、もしかすると、アイデンティティのことなんじゃないかな、と思いました。これは確信ではないけど。

 余談ですが、文章っていうか、書き言葉って面白いなと思うのは、頭の中の思考は、この文章を逆から読む流れなんですよね。つまり、なんとなく、関係の絶対性ってアイデンティティのことなんじゃないか、と思って、そこからCIについて考えたのです。そんなところも、ちょっと気になるところです。

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コメント

よく読ませていただいてますが、
初めてコメントします。

最近、自分のアイデンティティについて考えます。もう34ですけど(笑)。
きっかけは、リストラで社会から離れていたこと。たったひとりで孤として立ったとき、否応なく「自分は本当はどんな人間で、何をしたくて何はできないのか」をもう一度考えることになりました。
こんなこと20歳のころ以来ですが、当時は「自分はなんにでもなれる」という現実味のない全能感の中でそれを考えてました(間違ってるけど、こういうのって若い時は一回あった方がいいと思うんだよな)。
でも今は、糸井さんが言うところの「自分だけの踊り」ってどんなんかを考えられる所まできました。34にしてようやく(笑)。
だから、できないことを考えると自分が見えてくるっていうのは、本当に共感できます。
特に大きい会社で働いてる人を見ると、自分の固有の価値観やできないこととかって、無視されたり完全に忘れてしまってるように見えます。東京は特に(僕も関西出身で3年前から東京。関西は電通でも大広でも、その人の人間性が前に前にでますよね)。
そんなとこで考えあぐねてしまう自分が、外資の代理店を今受けていて、キャリアとしてはかなり未来が開けるけど、どうもそのアイデンティティってやつが、「向いてないんじゃねーの?」って言ってくる。
ともあれ、流れに飲み込まれず踏み止まって考えることが大切だなと思っています。

とりとめがなくなりましたが、結論が特にないです(笑)。読んで感じたことを描かせていただきました。長々とすみません。

投稿: yunbo | 2009年9月 4日 (金) 11:43

アイデンティティという言葉を初めて知ったのは、「東京ラブストーリーの赤名リカの台詞」という経歴を持つ僕がコメントを書くことをお許しくださいm(..)m
 「アイデンティティって何?」って聞いたことがあって、その時「自己の証明、同一であること」と聞いていました。
 でもアイデンティティって、大なり小なりの世界観があって、所属の欲求というか、必要性というか、生きるための倫理が形成する人格のひとつなのかなぁと色々と調べている間に思ったりしました…。
 CIで、無知の自分がこれがCIかなぁと思ったものは、武田軍の「風林火山」という軍旗でした。
 こうして考えると、前者のアイデンティティは、既に存在するものに対しての所属意思(もしくは無意思)であり、CIといったアイデンティティは理想という無の存在に対しての所属意思になって、類似はしていますがまったく別なものに見えてしまいました。
 また、アイデンティティには社会性を感じるのですが、CIは独自性が感じとれ、これにも違和感を感じました。
 結局、なんだか良くわからない(^^;
理解力がなくて、頭の中で組み立てができなくて、混乱してしまって、こんな変なコメントを書いています(^^;
 すみませんm(..)m

投稿: たか | 2009年9月 4日 (金) 18:15

>yunboさま

最近は、なんとなく私もできないことはできないということを自分が認めるところからはじめようと思いだしています。どうがんばっても自分は自分にしかなれないのだし。でも、それは自分のよいところを見つけることでもあるような気がします。
あと、アドバイス的なことですが、外資系の代理店って、見た目ほどスマートでもないですよ。外資経験の長かった私がいうのだから間違いありません(笑)。なので、もしそこで縁があれば進んでいいのではないかな、と思います。私のようなやつだって10年以上のびのびとがんばれたんですから。健闘、祈ってます。

>たかさん

風林火山は確かにCIですね。アイデンティティもそうだと思いますが、CIの場合は特に、最終的には「未来への道筋」としてポジティブに表現されます。その最終定着物(スローガンとかデザインとか)に至るプロセスは、弱みを確かめることが必要なのではないか、ということなんですね。
ポジの裏にはネガがあり、社会に発信するということはポジにするということだから、プロセスとしてはネガを認識、みたいなことですかね。このあたりは、どちらかというと、CIプランナー時代ではなく代理店時代のCIの実務経験の実感から来ています。

投稿: mb101bold | 2009年9月 4日 (金) 22:18

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