銀橋2009
大阪に「銀橋」と呼ばれる大きな橋があります。
国道1号線、大川(旧淀川)に架かる橋で、大阪市北区と都島区の境に位置しています。「銀橋」という名前は通称で、正式名称は桜宮橋。決して繁華街でも有名な観光地でもありませんが、下を流れる大川の河川敷には桜宮公園が広がり、近くには、春に桜の通り抜けが行われることで有名な造幣局や、大阪に現存する最古の洋風建築である泉布館や旧桜宮公会堂があり、地域の憩いの場として賑わっています。
この「銀橋」は、関西建築界の父と呼ばれる建築家、武田五一設計で昭和5年(1930年)に完成しました。当時は戦後最大のアーチ橋だったとのことです。
この「銀橋」の北側には、少し大きめのアーチ橋(正式にはローゼ橋という形式の橋だそうです)が架かっています。正式名称を新桜宮橋と言います。国道1号線の拡張工事により設置され、2006年12月18日に開通しました。設計監修は、建築家の安藤忠雄さん。
この橋が興味深いと思うのは、過去と現在が寄り添っているところです。
私は、この近くで生まれ育ってきましたので、この「銀橋」のある風景は、子供の頃から慣れ親しんだ風景でもありました。泉布院に隣接する旧桜宮公会堂は、私が子供の頃は桜宮図書館として使われていて、よく自転車で遊びに行きました。
思い出はそれぞれでしょうが、きっと、「銀橋」のある風景は、大阪に暮らす多くの人にとっても大切な思い出の風景になってきたのだろうと思います。多くの街の風景は、時間の経過とともにカタチをまったく変えてしまいます。それが進化というものなのかもしれません。けれども、この「銀橋」のような、新旧ふたつのものを対峙させながら未来に向かうというカタチも、選択肢のひとつとしてあるのかもしれない。そう思わせてくれるのが、この新しい「銀橋」の風景です。
国道1号線のこのあたりは、道が狭くなっていたこともあり、慢性的な渋滞が発生していました。道路を拡張するにあたって、この「銀橋」をどうするかという問題が起こりました。そのとき、委員会は市民の意見をまず聞くという選択をしました。つまり、この新しい「銀橋」は、みんなの意見がつくった橋とも言えます。
この新しい「銀橋」がつくられた経緯は、大阪国道事務所が制作した「銀橋サイト」に詳しく記録されています。興味のある方は、ぜひご覧ください。また、こちらに掲載されている写真はクリックで拡大します。そちらもあわせてどうぞ。
関連エントリ:「二項対立ではなく」
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