もしもし
うちの親父はメールが使えない。というより使う気がない。親父は個人商店を経営していて、わりと早い段階からファックスを使っていたし、昔、遠くに住む絵描きさんと絵本をつくっていたときに親父の事務所のファックスを借りた覚えもあるし、機械音痴ってわけではないと思う。要は、そんなもんいらんがな、という意志なんだろう。
たしかWindows Meの頃だったと思うけど、いらなくなったパソコンを送ったこともあったけど、大阪に帰ったときに見たら、ポリ袋に包まれて、部屋の隅に置いてあった。
そんなやつであるので、連絡はいつも電話。
母の具合が悪くなってから、まあ少なくとも1週間に1度は電話をしている。以前は、1ヶ月に1度すればいいほうだったのが、えらい変わりようである。人間、変われば変わるもんだ。
お互い頑固だったりもするし、ひねくれもんだったりもするので、最初のほうは用件をつくろうとしてた。
「そう言えば、阪神調子ええなあ。」
とか、
「こないだの台風どうやった?」
とか。どうでもいいことを枕に話し始める。ほんと、ややこしいやつらだな、と思うけど、まあ、親子だし、そういうことだし、しゃあないなという感じ。でも、さすがにじゃまくさなってきて、そういう枕を省略したくもなってきて、
「もしもし。」
「なんや。」
「なんややあれへんがな。べつに何にもないがな。」
「そうか。」
母の面会で大阪に帰るときも、
「大阪に帰るからな。」
「おまえが来たかて、なんにもならんがな。」
「そんなん言うても、もうチケットとってもうたがな。」
「そうか。で、いつ着く?」
「夕方。」
「新大阪でいつもの弁当買うてきてくれ。」
2年ほど前、母の具合が急変したとき、
「すまん。帰ってきてくれ。どうしていいかわからへんのや。」
と夜中に泣きながら電話をかけてきて、それが、これまでできちんとした用件があった唯一の電話。親父が泣いてるのははじめてで、正直どうしていいのかわからなかった。
その頃にくらべると、ひねくれ具合はあいかわらずではあるけれども、ずいぶん落ち着いてきた。どこの親子もそんな感じだと思うけれど、ぎくしゃくしつつもそんな習慣ができたのは、すごくありがたいし、ある意味では、母がくれた習慣でもあるんだろうな、なんて。
あれから母は。
元気です。元気すぎて困るくらい。気分的には絶好調の時期みたいで、みんなに「この子らなあ、私が育てたんやで」と自慢しよる。わしゃ、もう40過ぎのおっさんやで。恥ずかしやんか。病状的には、絶好調すぎて困ることもままあるみたいだけど、これからも気長に付き合っていかないとしゃあないなあ。
そんな感じです。
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