機能と普遍
広告の仕事をはじめたときから、すごく悩んでいたこと。今だに悩むことがあって、そのときどきで判断が違ったりもしています。この悩みは、広告やマーケティングにかかわる人なら、それこそ20年30年のキャリアを持つベテランの人でもあるのではないでしょうか。
機能寄りのメッセージにするか。それとも、普遍性のあるメッセージにするか。
今は不況でもあるし、機能対普遍の争いも少なくなりましたが、一頃は、機能を端的に言ってほしい人と、個別の機能ではなく、その機能が提供する価値、つまり、普遍性を持つうれしさ、たのしさなどのエモーショナルな部分を言いたい人の対立がよくありました。
もちろん、そういったことは理論的にも整理されてはいます。まあ、当たり前の話ではありますが、基本に立ち返って自分の頭の中をもう一度整理するために、大画面テレビを例にちょっと説明。
- Function=機能(画面のサイズが大きい)
- Functinal Benefit=機能的受益(迫力のある映像を表現)
- Emotional Benefit=心理的受益(映画館の感動)
ラダリングと言いますが、ベネフィットの流れを「はしご」がけするとこういう流れになります。最近は、こんなにわかりやすい商品はあまりないとは思いますが、状況によってはこういうわかりやすいケースもあるでしょうね。
かれこれ四半世紀前の広告になりますが、よくできた例でもあるので、ソニーの大画面テレビの広告を挙げてみます。眞木準さんのコピーです。
- ヘッドライン「子供ができたら、映画にも行けないわ。」
- エンドライン「お茶の間で迫力の大画面。22・20・18型コンパクトに新発売。」
これは、「はしご」の下から上へきれいに表現されています。こういうふうにいければ、まあ対立もなく、みんなが納得という感じもしますが、状況によっては、ヘッドラインを「22型」にしたい人、「お茶の間で迫力の大画面」にしたい人、「子供ができたら、映画にも行けないわ。」にしたい人というのはでてきそうです。
ここで、広告というものについての考え方がでてきます。要するに価値観の問題になってきますから、こんがらがるんですよね。例が見事だから、このやり方しかないように思えてしまいますが、じつはどのやり方もそれなりに正解だったりもします。たとえば、かつてユニクロが出したフリースの広告「ユニクロのフリース ¥1980」もありました。
私はケースバイケースだと思っていますが、でもこのあたりのきちんとした理由はわかっていたいと思っていました。機能で勝負すれば、商品の差別性が際立ちます。ライバルが競っている状況では、差別性を際立たせることが有効なときもあります。普遍で勝負すれば、共感が得られます。人の感情を表現するわけですから。で、その感情は、じつは、凡庸にさえならなければ、普遍的であればあるほど共感されます。
要するに、広告は差別性を際立たせるものであるか、共感を得るためのものであるか、という価値観の問題になってしまうわけですね。状況による、というものの、そのどちらについても、感覚ではわかってはいるけれども、もっとはっきりと理解したい、言葉で言い切りたいと思ってきたのですね。
で、2009年10月27日号の「SPA!」の工業デザイナー水戸岡鋭治さんのインタビュー記事を読んでいたら、なるほどなあ、そういうことだよなあ、という言葉があったんですよね。ああ、こういうふうに言えばよかったんだな、という感じで、個人的にはすごく感心してしまいました。電車の中で、おぉ、と声を出してしまったくらいです。
JR九州の一連の車両デザインについて、そのデザインには水戸岡さんの強い美意識を感じるのです、という問いに対しての答えです。
いや、それが機能美と普遍性なんです。機能美は体を満足させる。機能を追求すれば肉体的にも楽なものが造れるけれど、それだけじゃ心は満たすことができない。それを満たすのが普遍性、心地よさなんです。
少し、広告の表現とは文脈は違うけれど、なるほどと思えました。広告は、長く使われる列車のデザインとは違い、時系列の中でのピンポイントのコミュニケーションなのでケースバイケースではあるけれども、機能と普遍の違いを、これ以上ないというくらい明快な言葉で表現されていますよね。
なるほど、これはダノンの「♪カラダだけでもアタマだけでもだめよね」ということだなあ、と。ちょっと違うか。違うかもですね。すみません。ところで、このコピー、もはや知っている人はあまりいないかもですね。市川準さん監督のCMです。
これ、その頃に流行った知能テストっぽいシチュエーションで、白衣の先生が子供に思いついた言葉をホワイトボードに書いてみて、と質問して、子供が「ニラ」って書くんですよね。で、このコピーがメロディ付きで流れるというCM。今だと苦情が来るんでしょうねえ。私は大好きですけど。
ま、ちょっと脱線してしまった感じはありますが、本日はこんなところで。ではでは。
追記:
はてブのコメントでご指摘。プチダノンのCMは、「ニラ」じゃなくて「にら」だそうです。そう言えばそうだ。「にら」。ひらがな。市川さんらしいですよね。一緒に仕事したかったなあ。
関連エントリ:市川準さん(2008年9月19日)
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コメント
こんにちは。コメントさせていただきます。 機能性は競合他社との差別化で、普遍性は他社も含めたその商品の購買のパイを促進させる、って感じじゃないですかね。 景気がいい時はテレビも売れるから他社に負けない売りをアピールしよう、ってなるだろうし景気が悪い時はテレビを買う人自体が少ないからまずは大枠での魅力を伝え、テレビじゃない他のものとの差別化に勝つ事が大事。そんな風に考えてみました。
投稿: Et | 2009年10月25日 (日) 03:31
>機能性は競合他社との差別化で、普遍性は他社も含めたその商品の購買のパイを促進させる、って感じじゃないですかね。
だから普遍っていうのは現場に近づけば近づくほど人気がなくなるのかもしれませんね。他社を利したくないですから。
不況になると、基本的には出費を必要なものだけに抑えようとするから、機能、普遍といったものではなく、ちょっと身も蓋もないけれど「価格」が選択の要因として大きくなっていくように思います。
テレビはまだそこまではきていないけれど、いずれはテレビもコモディティ化するのだろうな、と思います。
ちょっと自分のメモ的になってしまいますが、そうしたコモディティ化に抗するのも重要だけど、その流れを必然として受け入れ、コモディティとは何か、そのコモディティの中で生活の質を考えていく、みたいなことはこれから重要になっていくのではないかな、なんて思っています。
投稿: mb101bold | 2009年10月25日 (日) 09:35