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2009年10月28日 (水)

人間の感覚は逆説的に働くのかもしれない

 学生の頃、ほんの少しだけ音楽をかじっていただけなので、そのあたりの曖昧さは許していただきたいとは思うのだけれど、和音について、少し思うところを書いてみたいと思います。音楽にあまり詳しくない方でもわかるように書いていますので、しばしおつきあいを。

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 12の音階を持つ西洋音楽の考え方ですが、和音は、1度、3度、5度の組み合わせである三和音(3つの音が重なる和音)が基本ですよね。この三和音は、4つしかありません。長三和音、短三和音、減三和音、増三和音。この4つ。ギターをやっている人は、コードネームで書く方がわかりやすいですよね。Cをルート音として書くと、C、Cm、Cdim、Caug。メジャー、マイナー、ディミニッシュ、オーギュメント。この4つです。それ以外の組み合わせでは、和音にはなりません。

 そこにルート音から7度の音を合わせたのが四和音。C7とか、Cm7とか、Cmaj7とか。厳密には6度の音、また、7度の四和音にさらに9度の音を組み合わせたり、13度の音を組み合わせる、といったものがありますが、そのあたりは、もはやよくわからない領域なので、割愛します。

 で、例えば、C(ドミソ)とCmaj7(ドミソシ)の音を比べると、Cはただ単に明るい響きで、Cmaj7は明るい響きに加えて、透明感みたいなものが加わります。ぐっと響きに広がりが出るんですよね。ボサノバなんかでは、Cmaj7とか、それに9度の音を加えたCmaj9が基本ですよね。あのボサノバな感じが、Cmaj7の感じです。あの透明感。

 これ、不思議だと思いませんか。ドミソのきれいな三和音にシを加えると透明感が出るんですよね。おかしいと思いませんか。だって、ドとシの組み合わせなんですよ。ピアノの鍵盤を思い出してください。隣あわせの音なんです。ピアノでこの2つの音を同時に弾くと、ビーンという不快な音がするはずです。

 なぜ本来この不快なはずの音を組み合わせることで、本来は透明感があるはずのCという三和音にはない透明感が出せるのか、というのが不思議なんです。もしかすると、このあたりの話は、音楽を本格的に勉強した方だと、それはね、これこれでね、という感じで解決済みの話なのかもしれませんが、このあたりの人間の感覚っていうのは、ほんとなんだろうな、と思うんですよね。

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 エレキギターをやっている方だとわかるかと思いますが、ギターをアンプにつないだだけの音って、すごく生な感じがします。音がソリッド、というのでしょうか。わかりやすく言うと、非常に固い音がします。そこで、いわゆるエフェクターという、音の波を加工できる装置をあいだにかまします。

 例えば、コーラス。これは、同じ波形の音を時間的にわずかにずらす装置です。つまり、ギターの弦をはじくと、最初の音、わずかにずれた時間に最初の音と同じ波形の音を鳴らすという仕組み。そのかけ方にもよりますが、コーラスをかけると音に広がりが出て、これも語弊があるかもしれませんが、上記の透明感と同じような感覚の音をつくることができます。

 ディレイというエフェクター。詳しいことはよくわかりませんが、最初の音と少し遅れた音を鳴らす仕組みです。これは、深くかけると音につやがでます。パットメセニーのギターの音なんかが代表的ですよね。

 これも不思議だと思いませんか。だって、どちらも音を重ねているわけです。しかも時間的に差をつけて。理屈で言えば、重ねるわけだから、元の音より濁ったりしそうな感じなのですが、広がりや透明感、つやがあるように感じるんです。

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 松田聖子さん。デビューの頃は若々しく伸びやかな声でした。で人気が出て、スターになって、喉を酷使して、ハスキーになるんですよね。「赤いスイトピー」くらいからだったような気がします。そうなると、理屈では歪みであるわけだから、広がりや透明感が損なわれるはずなんです。

 でも、感覚で言えば逆なんです。より広がりや透明感が増したように感じるんです。少しハスキーになったことで、より魅力的な歌声になりました。これはどういうことなんでしょうね。歪みを手にしたことで、逆に広がりや透明感を表現することができるようになった。専門的には倍音ということになるのでしょうけど。

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 そもそも、サックスにしても、トランペットにしても、空気をリード、唇といった障害物で歪ませた空気によってできた音を金属管で増幅させることで音を出しています。それは、弦楽器にしても、打楽器にしても同じなのかもしれません。つまり、音自体がそもそもそういうものだから、とも言えるのかも。

 三味線ってあるじゃないですか。倍音を増やすために、わざと棹に弦が触れるようにしているそうです。「さわり」と呼ぶみたいですね。これによって、あの三味線独特の空間に響き渡る独特の音色と伸びのある音ができるんですね。

 インドにシタールという楽器がありますね。ミヤーンと粘っこく伸びる音が特徴的です。ロックやポピュラーにもよく使われます。あれも弦をわざとビビらせることであの音が出るんですね。エレクトリックシタールという楽器があって、ビートルズも使っていましたし、パットメセニーも使っていました。なので、学生の頃、その音を出したくて、工夫をしたヤツがいて、その方法は、ブリッジにわざと金属片をかましてビビらせるというやり方でした。今は、シターライザーという替えブリッジがあるそうです。

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 なんとなく思うのは、人間の感覚って現象に対して逆説的に働くのではないのかな、ということですね。Cmaj7のドとシなんかの例が象徴的なんですが、そうした矛盾みたいなものが中にあることによって、はじめて広がりとか透明感とかが感じられる、というか。

 社会とか街とかでも同じで、計画的につくられた建築物や都市空間の中にいると、それは人間が快適に過ごすためにつくられたものにもかかわらず、少し息苦しく感じてしまいます。路地があり、わけのわからない空き地があって、少しいかがわしい地区もあり、そんな雑多な街のほうが、私は居心地がよく感じます。よくわかっているわけではないですけれど、それは、人の心なんかでも、きっと同じなのかもしれないなあ、なんて思っています。

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コメント

都島のオスギです(笑)
私もむかし音楽を齧ったクチなのですが、
「透明感」について考える時、
音色と和声は分けたほうが
理解しやすいのではないでしょうか?

まず音色について。

これについては、「倍音が増えると透明感が増す」
のだと思っています。
何故か?
倍音が増えれば、(倍音だらけの)風の音や水の音など「自然界の音」を連想し、
現代人は「透明感」(=懐かしいような、神々しいような感じ)
を感じるのではないでしょうか。

例としては、
「ガムラン」「メセニーのギター」」「荒井由美の声」。。。

次に和声について。

ベタなCよりCmaj7の方が、それよりCmaj9の方が
より曖昧な感じがします。
私たちは、「Cmaj9というコード」に対して、
透明感というよりも
まず「曖昧さ」を感じているのだと思うのです。

で、「曖昧さを表現するのに適した音色」が
先ほどお話した倍音の多い「透明感のある音」なのだと思うのです。

という流れで、「Cmaj9を聞くと透明感があるように感じてしまう。」
というのが私の考え方です。

※都市空間の話は、まさしくそうだと思います。
一時落ち込んでいたショッピングセンター「つかしん」が復活し、
また賑わっているのは、「センター付近にある雑多な市場コーナー」にある
と言われてることを思い出しました。

投稿: オスギ | 2009年10月29日 (木) 12:37

都島のオスギさん、こんばんは。ベルファの近くに実家のあるmb101boldです(笑)
とってもわかりやすい解説、ありがとうございました。音色と和声は確かに概念が違いますね。倍音の多い音が、和声における「曖昧さ」を表現するのに適しているという考え方は、経験的にも納得です。
7thも9thもテンションノートですし、曖昧や緊張、不安定さなど、ひとつの三和音に性格付けをしているのは、理屈でも体感的にもわかるのですが、でもやっぱり、ドとシという隣り合わせの、二音だけでは非常におかしな感じに(その感じをファニーに演出したのがモンクですよね)聴こえるのが、Cmaj7という四和音として感受した場合にきれいに聴こえるのかは、ちょっと感覚の神秘みたいなものはあるのでしょうね。
>「つかしん」が復活し、また賑わっている
そうですか。賑わっているんですね。雑多な市場というのは、これからの都市とか場みたいなものを考えるうえではとても示唆的ですね。

投稿: mb101bold | 2009年10月30日 (金) 00:12

いつも楽しく拝見しております。

>ドとシの組み合わせなんですよ。ピアノの鍵盤を思い出してください。隣あわせの音なんです。ピアノでこの2つの音を同時に弾くと、ビーンという不快な音がするはずです。

この部分不思議に思って音楽関係者に聞いてみたら、
隣り合った1度のドとシは不協和音だけど
11度のシとドは和音になるんだそうです。

私は詳しくないのでよくわからないんですけど。
ご参考までに。

投稿: ASA | 2009年11月 4日 (水) 11:28

なるほど。
音の距離も和音に影響するんですね。ジャズピアノでは、1度、3度を省略して和音を奏でることがよくあるのですが、確かに隣あわせではあまり弾いてないような気もしますね。
こんどじっくり調べてみたいです。

投稿: mb101bold | 2009年11月 4日 (水) 21:39

つかしんの地名に懐かしく思い出しました。
学生時代に「ここは路地を人工的に作り出しているのだ」と関係した文化人サイドから聞いたことがあり、「ニセモノの路地だと、どうなんだろう」と思ったりしたもので...。

個人的にシタールは好き、沖縄の三線の音色には涙さえ浮かぶのに、祖国の三味線は津軽以外どうも苦手でした。

あのサワリは民族の嗜好が表れているらしいのですが、個人によってさじ加減があるようです。

そういえば、日本の雅楽も、外で聴くと気持ちいいですね。(クラシック的な和音+アルファが加わって高度なのだ、と教わりましたが、正直よくわかりませんでした。)

投稿: mistral | 2009年11月 5日 (木) 12:13

「さわり」が生み出す音は自然の模倣でもあるだろうから感受の部分では文化的なこととか個人的な指向とかも影響するのでしょうね。
雅楽は詳しくはわかりませんが、その魅力のしくみは面白そうな予感がしますね。

投稿: mb101bold | 2009年11月 6日 (金) 01:34

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