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2009年10月 4日 (日)

新書文体

 いろいろな新書を読む中でちょっと気付いたこと。

 ほとんどの新書って、「ですます」なんですよね。普段は「だである」で書いている著者も、新書だと「ですます」になるようです。その意味するところは、おしゃべりの言葉に近い言葉で書きたい、ということなのでしょう。文体としては、普段は「だである」で書く著者の対談集や講演集に近いように思います。

 最近の新書は、教養だけではなく、よりタイムリーな話題を扱うという雑誌的な役割も担っている気がします。脱稿から出版までのタイムラグが1ヶ月という新書も多いです。紙の出版物としては驚異的なスピードですよね。そのスピードが、文体に影響しているのかも。つまり、確定的な事象ではなく、現在進行形の事象を扱うが故に、断定的に書けない、断定的に書けなければ、当然、おしゃべりのような読者への「こう考えるのだけれど、どうですかね」という問いかけになる、というようなことなのかな。

 一方、本来は思い切りタイムリーなはずのネットの言葉が、それほど「ですます」ではないのも興味深いところです。ブログなんかも、主流はまだまだ「だである」調の書き言葉ですしね。と考えると、新書という媒体が持つ「啓蒙性」みたいなものが影響しているのかもしれません。

 ともあれ、新書という、わりと現代的なメディアにおける日本語の変化は、日本語全体、ひいては日本の生活文化全体に何かしらの影響を与えていくということはあるのだろうな、と思います。ケータイ小説なんかは、書き言葉の解体的なものが鋭角的に出ているような気がしますが、鈍角的に、だからこそ広まりが実感できる新書文体が妙に気になります。

 そう言えば、このブログもデフォルトが「ですます」なんですよね。なんでだろう。

 私の場合は、単純に「ですます」が書きやすいというのはあるなあ。特に、このエントリみたいな生煮え感があることを書く時は、気軽に書ける「ですます」が書きやすいみたいです。

 

 ■最近読んだ中で「ですます」の意味合いが気になった新書

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コメント

blog始めた頃は、「ですます」でも「だである」でもない書き方をしようと思ってました。それで発見して、とっても気に入ったのが、20代の女性がくわえタバコで書いてるみたいな文体。「っていうか、〜だし」系の。今では小学生が使う言葉ですが、あれをクールに使ってる人たちがいたんですよ。あの辺の「しゃべり書きハイブリッド文体」はハマりました。
最近は「だである」の方が私は楽らしく、そっちになっているのであるが。

投稿: denkihanabi | 2009年10月 6日 (火) 01:45

なるほど。「しゃべり書きハイブリッド文体」ですか。
桃井かをりさんのリアルしゃべりっぽいですね。「っていうか、鰹だし」と不良っぽい女子高生姿の鰹が話すCMもありました。あれ、好きだったなあ。
私は「だである」で書くと、なんか、いや別に怒ってないんですけどね、と付け加えたくなります。ブログは特にそう。

投稿: mb101bold | 2009年10月 6日 (火) 02:06

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