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2009年11月 8日 (日)

こういう話を読むと、本能的に構えてしまうのはなぜだろう。

 ネットでコピペされ続けている有名な話。ものすごい数のサイトに引用されていますので、これ読んだことがあるわ、という人も多いのではないでしょうか。ハーバード・ビジネス・スクールというところがミソなんでしょうね。皮肉が効いていますよね。
 

メキシコの田舎町。
海岸に小さなボートが停泊していた。
メキシコ人の漁師が小さな網に魚をとってきた。
その魚はなんとも生きがいい。
それを見たアメリカ人旅行者は、
「すばらしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたの」
と尋ねた。

すると漁師は
「そんなに長い時間じゃないよ」
と答えた。旅行者が
「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。
おしいなあ」と言うと、
漁師は、自分と自分の家族が食べるには
これで十分だと言った。

「それじゃあ、あまった時間でいったい何をするの」
と旅行者が聞くと、漁師は、
「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。
戻ってきたら子どもと遊んで、
女房とシエスタして。
夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、
歌をうたって…ああ、これでもう一日終わりだね」

すると旅行者はまじめな顔で漁師に向かってこう言った。
「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した
人間として、きみにアドバイスしよう。
いいかい、きみは毎日、もっと長い時間、漁をするべきだ。
それであまった魚は売る。
お金が貯まったら大きな漁船を買う。
そうすると漁獲高は上がり、儲けも増える。
その儲けで漁船を2隻、3隻と増やしていくんだ。
やがて大漁船団ができるまでね。
そうしたら仲介人に魚を売るのはやめだ。
自前の水産品加工工場を建てて、そこに魚を入れる。
その頃にはきみはこのちっぽけな村を出て
メキシコシティに引っ越し、
ロサンゼルス、ニューヨークへと進出していくだろう。
きみはマンハッタンのオフィスビルから
企業の指揮をとるんだ」

漁師は尋ねた。
「そうなるまでにどれくらいかかるのかね」
「二〇年、いやおそらく二五年でそこまでいくね」
「それからどうなるの」
「それから? そのときは本当にすごいことになるよ」
と旅行者はにんまりと笑い、
「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」
「それで?」
「そうしたら引退して、
海岸近くの小さな村に住んで、
日が高くなるまでゆっくり寝て、
日中は釣りをしたり、
子どもと遊んだり、奥さんとシエスタして過ごして、
夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、
歌をうたって過ごすんだ。
どうだい。すばらしいだろう」

 
 まあ、すべてがそうだとは言わないけれど、上記の派閥にありがちな無邪気な拡大・効率信仰に対しては、こういう、そもそもその事業の目的って何、その目的を果たすためには、拡大や効率化以外のやり方もあるでしょ的な話でもあるし、ある種の生き方論でもあるだろうから、この小話を読んで、そうだよねえ、そのとおりだよねえ、と言ってしまってもいい気もするけれど、この話の暗示する教訓めいたものに乗るのはちょっとなあ、とも思います。

 メキシコ人の漁師さんにしても、家族が病気になったりすることもあるだろうし、そうなれば、ある程度の蓄えがなければ駄目だろうし、不漁の年もあるだろうし、それだけいい魚がとれる場所なら、他の漁師が黙ってないだろうし。きっと、生活の詳細を見てみると、そんな牧歌的なことばかりではないはず。

 MBAの人も、それだけのアイデアがあれば、自分がビジネスにしようと思い立つだろうし。旅人としてその地を立ち去ってはいかないでしょう。MBAの人の論にそえば、目的は同じでも、その拡大によって、富が生まれ、たくさんの雇用を創出し、みたいなことも言えるわけだしね。意義あることだよ、みたいな。

 きっと、話が単純化されすぎているからなんでしょうね。だから、ちょっと構えてしまうんでしょう。

 で、ほんとは、そういう、あらゆる可能性を考えたうえで、そのメキシコ人の幸せな暮らしを維持するにはどうすればいいんだろう、という話が大切なんだろうと思うんですね。そのとき、もっともっと、と考えるやり方をするのか、それとも、これでいい、これを維持することがいいことなんだ、と考えるやり方にするのか。そこは、これからの社会が、というか、これから私がどういうふうに考えていくかにつながる問題のような気がします。けっこう難しいです。悩みます。

 これまで自分が培ってきたものが十分に活かせて、それなりに私の仕事をありがたがってくれる人がそれなりにいて、その仕事が世の中のためになっている、みたいな社会性がちいさくても感じられて、その仕事で、それなりにいい気分で暮らしていけるなら、別に天下をとるとかそんなことでなくてもいいと思うし、それは、まあメキシコ人の漁師と同じ気持ちではあるだろうけど、そのためには、MBAの人の考える何百分の一かのことは考えないと成り立たないのだろうな、と。

 つまり、今、私の考えるいい感じというのは、メキシコ人とMBAの人の中間くらいのところにあるような気が。まあ、そう考えると、毎度おなじみのバランス論になってしまうんですけどね。でも、このところ、バランスっていうのは、ほんと大事だよなあ、と思います。というか、どこらへんでバランスするか、っていうのが現実が求める思考なんだとも思うんですけどね。

 そんないいバランスで生きていけたらなあ、と最近はすごく思います。

 調べてみると、もともとは「なぜ、あなたはここにいるの?カフェ」という変わった名前の本に収録されていたようです。読んではいませんが、アマゾンのリンクを辿ってみると、自分らしい生き方とは何だろうと問いかける本のようです。

 いろいろと愚痴ってしまいましたが、でもまあ、ユーモアがあって、きちんとオチがあって、いい話ではありますね。いろいろ考えさせられるし。

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コメント

これはほんとに悩みますよね。でかい話です。

友達で、一人で美容院をやってるメキシコ人みたいな人がいます。
生活は苦しいけど、やりたい仕事をやりたいようにやり、ビールと音楽を愛する毎日。
自分にとっての豊かさが見えている感じ。

僕はアメリカ人タイプです。
もっと大きな場所でよい環境で、広告をつくりたい。
(以前外資を受けていると書いた者です。
3人にまで絞られて、結局落ちましたが…)
上昇志向と希望と野望。
その友達と会うと、いつも複雑な思いがします。

単純な対比のようでいて、いろんな因子がからんできて、
いつも途中で思考停止してしまいます。

ううむ。書いてるはしから考え始めてしまいました。
ここらで一度、本気で掘り下げた方がいいかもしれません、ほんとうに。

投稿: yunbo | 2009年11月11日 (水) 18:40

yunboさん、外資の代理店、惜しかったですね。でも、そこまで残れたのだったら実力がある証拠。前向きにがんばってください。陰ながら応援してます。
メキシコ人的な生き方とアメリカ人的な生き方は、人の中にどちらも住んでいるのが当たり前だと思うんですよね。若いときは、まだキャリアの途上だからアメリカ人的な部分が大きくなるのは当たり前だと思いますし、私も少し前までは強烈にアメリカ人でしたし、今だってその部分は強烈にあります。
ただ、私のキャリアも関係すると思いますが、絶対基準ではなく基準がかなり相対的になってきて、そのひとつの価値を占めたいという思いが強くなってきました。
美容室の彼だって、美容師になるまでの過程はきっとアメリカ人的部分で頑張ったはずで、またまたバランス論になりますが、どこでバランスするかということなんだろうなあ、と思うんですね。
もちろんどちらかに極端に振り切れたバランスだってあっていいし。でも、なんとなくこういう問題を考えてきて、どちらかに依拠して、その一方を否定することで、自己意識の理論を構築するっていうのは間違いなんじゃないかな、なんてことを最近は思っています。
それにしても、この手の問題は難しいですねえ。

投稿: mb101bold | 2009年11月11日 (水) 23:08

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