« もしもし | トップページ | 定着という言葉が意味すること »

2009年11月 2日 (月)

広告屋としてのらもさん

 今思うと、時代の先を行き過ぎていたようにも思います。時代がやっと追いついてきたかもな、とも思います。

 広告屋としての中島らもさんの代表作である「啓蒙かまぼこ新聞」と「微笑家族」。前者は宝島、後者は今はなきプレイガイドジャーナルに掲載されていました。クライアントは、かねてつ食品(現カネテツデリカフーズ)。これを許したクライアントも度量があると思うし、得意先、広告制作者、媒体社、そして読者が一緒になって楽しんでいる感じが出ていて、ほんといい仕事だなあと思います。

 まずは、若い世代は広告なんて真面目に見ないよ、裏もわかってるよ、という前提があって、広告なんて見てもらえないんだから広告じゃない広告にして、とにかく楽しんでもらいましょう、ということなんだろうと思います。カタチは普通の広告とはまったく違うけど、目的は同じ。企業やブランドに好感や関心を持ってもらいましょう、ということ。そういう意味では、きわめてまっとうな広告なんだと私は思います。

 私は、手法的には、ど真ん中ストレートが好き。それが得意だと自分で思うし。だから、まっとうな広告だとは思うけど、手法が反広告的ならもさんのつくった広告のようなものはあまりつくってきませんでした。つくってきた広告は、どれも、もっともっと広告らしい広告。けれども、広告らしい広告をつくるときに、いつも頭にあったのは、このらもさんの広告でした。直球を投げるなら、これを超えないといけない、みたいな。

 中島らもさんとは違って、私は、広告というものは、手法も含めて普遍的なものとして考えています。だから、こういう反広告的な広告を自分の手法にはしていません。きっと、性格がどうしようもなく真面目なんだろうな、私は。ある意味、不真面目とも言えるかもですが。まあ、しゃあないです。

 でも、だからこそ、反広告的な広告がもたらす効果を、広告らしい広告は超えなければいけない、とも思ってきたんですけどね。広告が効かない時代。そんな言い方が単なる言い訳になるような、今の時代でも、ああ広告っていいよなあ、と思ってもらえるような広告をつくりたい。みんなが広告だとわかって、それでも親しまれ、好感を持たれたり、納得してもらえたりする広告をつくりたい。

 それと、広告に求める役割がある程度の大きさを超えると、社会性みたいなものが求められると思うし、その社会性というものは、脱構築的な広告というか、広告の解体みたいなものでは応えられないような気がします。解体しきった環境の中になお残る、広告のプリミティブな力こそが必要で、それは、わりと時代に影響されない普遍性を持った形式だとも思います。このあたりが、このブログでずっと書き続けてきた、私の変わらないこだわりです。このへん、もっとわかりたい。

 だから、ブログでなんだかんだ言っているわりには、私のつくってきた広告は、わりとヒットした広告にしても、新しい手法を求める広告関係者が見れば、ちっとも新しく見えないだろうし、でもまあ、それはそれでいいのかな、とも思います。つくった本人は、ここが新しいねん、みたいなことは思うけど、でもそれはキャッチーな新しさではないし、ほめられにくいので、ほんの少しさみしくはあるけれど。

 これから、いくつの広告をつくれるかはわからないけれど、こういう広告はきっとこれからもつくらないと思います。それは、私がやらなくてもいいだろう、とも思うし、他の誰かがもっとうまくやるだろうし、こんなメディア多様化の時代だからこそ、やれるとも思うんですよね。どんどんやってください。こういう流れは、今の広告の停滞を変えると思うし。コミュニケーションデザインやバズマーケティング、行動ターゲティングだけが新しい広告ではないとも思うしね。

 それにしても、ちょっと前までは、こういうことは思わなかったですね。昔は、あっ、いいな、つくりたい、になってたんですけどね。キャリアを重ねて、自分のことが、いいも悪いもわかってきた、ということなのかな。それに、自分とは手法が違っても否定はしないようにもなってきました。大人になったってことかも。

 でも、あんまりこういうことは言わないほうがいいかも、なんてことも思います。もしかすると、気がかわってつくるかもしれないし。でもまあ、このやり方だと、らもさんみたいにうまくはつくれないだろうなあ。結局、負けるとわかっている試合はすすんではやりたくないっていう、せこい心情なのかもしれないなあ。まあ、人間なんだし、いろんな人がいるわけだし、それでいいとも思ってますけどね。

 最後にどうでもいいけど、2年前、こんなエントリを書いてました。私にとってらもさんは、そんな感じの人です。リリパットも見たことないし、小説もあまり読んでないし、あまりいい読者ではなかったかもなあ、です。

|

« もしもし | トップページ | 定着という言葉が意味すること »

広告の話」カテゴリの記事

コメント

中高生の頃「宝島」で「啓蒙かまぼこ新聞」に啓蒙されてました。
ナンセンスな漫画の横に脳の話とか灘高校の思い出とか、奇妙な空間でした。
でも、やはりあれは「蜘蛛の糸」のような、他の人が模倣したらすぐ陳腐化されてしまう、ギリギリ成立していたメディアだったように思います。
関西のテレビ番組で奇妙なライブやったり、大学教授(森毅センセ)に本気でキレたり、
中島らもさんでなければ成立しないアートな活動の一部に広告があったのかな、と思っています。

投稿: mistral | 2009年11月 5日 (木) 12:21

確かにらもさんの残したものって、独特でギリギリのことばかりでしたね。私は比較的落ち着いていた頃のらもさんが書いていた「明るい悩み相談室」あたりが好きでした。
「啓蒙かまぼこ新聞」は奔放なことろと真面目なことろのバランスが絶妙で、そういう意味でもいい広告だったですね。

投稿: mb101bold | 2009年11月 6日 (金) 01:31

再コメント失礼します。
「明るい悩み相談室」は私も愛読していました。朝日新聞がまだ役に立っていた時代(失礼!)の、秀逸なコラムだったように思います。

いまだに覚えているのは、らもさんのところにある「切手舐め機」のお話です。
リース料が一月40万円するからえらい高いなあと思っていたら、中に人が入っていて切手を舐めてくれていた(のでらもさんは納得した)、というお話。
当時、「この話、笑えないかも」と思ったのですが、付加価値とか労務費とか物の値段が定まらなくなっている今、やっぱり笑えないなあと思いました。
もしも、と言ってもせんないですが、らもさんが存命だったら、ここ最近の「ディスオーガナイゼーション」な世の中、どう思われたでしょうか。

投稿: mistral | 2009年11月10日 (火) 12:06

なるほど、らもさんらしいですね。
なんとなくでしか言えないけれど、今の世の中は、もしらもさんが存命だったとしたら、とっても生きにくいんだろうなと思います。らもさんが亡くなったのは、2004年だから、もうそのときには生きにくかったのかもしれませんが。

投稿: mb101bold | 2009年11月10日 (火) 22:57

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 広告屋としてのらもさん:

» 我、ひきこもりとして、休日を過ごす [七回転んで八回目も転ぶ]
 この間何人かで飲んでいたとき、大学生の子が居て、彼女は広告に行きたいなんて話をしていた。もう一週間ぐらい?前の話なのだが、今ふとそのことを思い出した。  その時僕は、中島らもを読んでみると、参考にはならないかもしれないけれど、面白いと思うよという話をし... [続きを読む]

受信: 2010年8月15日 (日) 14:29

« もしもし | トップページ | 定着という言葉が意味すること »