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2009年11月 9日 (月)

バランス。あるいは、動きつづけるということ。

 なぜ、いつもバランス論に行き着いてしまうのかな、ということを考えていて、もしかするとものごとを三つの項で考えるからなのかな、なんてことを思いました。三つの項で考える限り、そこには強烈な対立みたいなものは生まれにくく、最終的には、その三つの項のバランスを考えることになります。

 例えば、こういう感じです。はじめに、二項の例。

 プライベート
 ソーシャル

 この2の項は、対立関係にあるので、究極的にはそのどちらかを支持し、残る一方と敵対するということになります。それをバランスということもできるけど、加藤典洋さんの著書に「君と世界の戦いでは、世界に支援せよ」というのがありましたが、つまり、そのバランスには、そんな捻れ感があります。

 けれども、ものごとを二項ではなく三項で整理すると、こうなります。用語としては、もしかすると同列にはならないかもしれませんが、ま、そのへんはご愛嬌で。

 プライベート
 コミュニティ
 ソーシャル

 人の生活を考えたとき、プライベートとソーシャルの対立関係で考えるよりも、プライベート、コミュニティ、ソーシャルの三つのモードを行き来すると考えたほうが、私はよりすっきり世界が認識できるように思います。ネットなんかでも、このバランスの問題がいつも問われますよね。

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 話は少し飛びますが、私がなぜビル・エバンスというジャズピアニストに興味があるかというと、音楽というものを、三つの関係というか、三項の運動としてとらえたアーチストだからだと思います。

 ピアニスト
 ベーシスト
 ドラマー

 私はその三項が対等にインプロビゼーションを交換する円環運動を「永遠の三角形」と勝手に呼んでいるのですが、その円環運動を成立させるには、どこかが頂点になって二等辺三角形を形づくると、すぐさま二項対立関係になってしまうので、ある緊張感を持って、運動しつづけるしかないのですね。私は、ビル・エバンスという人を、その「永遠の三角形」というものを、一生かけて追い続けた芸術家であると考えています。

 この緊張感ある持続運動は、少し言葉のニュアンスが違うけれども、バランスとも言えなくもなく、その意味合いでバランスという言葉をとらえると、バランスというものは、とてつもなく困難な行為であるとも言えるかもしれません。

 で、ビル・エバンスが追い求めた「永遠の三角形」が完成したのかというと、これは私は少し疑問があって、もしかすると「永遠の三角形」というものは理念上のもので、本当は成り立たないのかもしれないな、というのが「永遠の三角形」のモチーフだったりもするのです。人は、第三項排除的なものから自由になれるのか、みたいな。

 だから、絶えず動きつづけることを求められるのですよね。ライブ、ライブ、またライブ。ビル・エバンスという人は、言ってしまえば、そんな人生だったような気がします。

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 ブランドメソッドにも、ブランドトライアングルという手法が多くみられるし、そこでのパワーブランドは、そのトライアングルが強度の高い正三角形であることを求めます。

 ミッション
 ビジョン
 ビリーフ

 ここにも、ある種の完璧さを定着させることへの嫌悪感みたいなものがどうしようもなく起るんですよね。現実に動いているブランドって、そんなに割り切れたものではないよ、というような。つまりは、そこで止まったら、すぐに第三項排除の魔の手がやってくる、みたいな感じがするんですね。

 きっと、それがCIというブランド手法の弱点の部分でもあるのだと思います。なんとなく、そこから離れて、もっと泥臭い広告という分野を選んだのは、今思えば、そんな理由だったのかもな、とも思います。

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