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2009年12月の11件の記事

2009年12月31日 (木)

2009年の広告業界を振り返って。

 今年は書かないでおこうと思ったけど、やっぱり書きます。書きにくいけど、今いる場所から見えることもあるだろうし、その中には去年の私には見えなかったことでもあるし、自分の思考の整理のためにも、2009年の最後の日の記録としてとりあえず書き始めることにします。こんなブログでも、時代の一記録という意味合いはあるだろうし。

 昨年の「2008年の広告業界を振り返って。」というエントリーで私はこう書きました。

2008年の前半戦は、昨年度の継続という感じだったと思いますが、後半は違いました。サブプライムの破綻に端を発するアメリカの金融危機の影響を大きく受けた感じになってきました。ただ、これは、今のところ「気分」の問題であって、その影響を実際に受け始めるのは来年からだと思います。

 ま、そのとおりに推移したということは、大雑把な概況としては言えるのかなと思います。でも、こういうことは「言われなくてもわかってるわい」ということかもしれないし、なんかことさら一大事みたいに言うのは下品なような気もします。大手を含めて広告会社、軒並み減益。あまり話題にはなっていませんが、大阪では中堅代理店が清算という話もありました。状況を知るには、こうした事実を並べるだけで十分です。

 こういう状況に対して、個々人の気分というのは必ずしも連動はしていないのが現在だろうと思います。清算される代理店で働く方々の意識と、広告代理店や制作会社、フリーランスでリアルタイムでクライアント作業をしている人、競合コンペの作業で忙しい人、企業内で広告業務を推進する人は当然違っていて、また個々人のキャリアや専門領域の違いによっても異なるでしょう。一般社員と経営者ではまるで違うだろうとも思います。また、広告についての考え方ひとつで、今後の時代の行方についての感覚は異なるのでしょう。

 その個々人の意識を決定付ける条件の中で、私自身はなるだけ冷静に、フラットに、バランスを持って今の状況を把握したいとは思っています。ただ、それができるだけの強さと冷静な心が今の私にあるかどうかははなはだ疑問ではありますし、その混乱した思いは強くなるばかりですし、それに、どうしても私という個の条件からは逃れられなくて、その個の信条をベースに世の中を見るというふうになってしまいます。

 基本的に私の場合は、どうしようもなくこうなります。

 1)広告の仕事が好きだ
 2)私が好きだと思う広告ってどういうものか
 3)その広告は時代とともにどう変化するのか
 4)またどう変化すればいいのか

 という感じです。この前提から導き出される方向性からは逃れようがありません。ただ、私はこの前提から導き出される方向性に従って、明らかにそれは違うだろうということに対して理屈で固めていくことだけはしないでおこうと思いながら、このブログを書いてきました。

 ネットという場にいると、どうしてもネットを使った広告に対して好意的なことを考えてしまいがちだし、現にそういう言説も多いです。それを生業にしているからそうなるのでしょうが、その言説をある種の普遍化をしてしまう段階で違ってくることは多いように思います。マス広告側で言えば、かつてのセカンドライフへの期待がそれだし、ネット広告側で言えば、最近ではそれほど過剰な言説はなくなってきましたが、PPPをはじめとする個人をターゲットにしたペイパブへの期待がそれ。

 2009年という今を言えば、そうした過剰な期待がことごとく現実側に裏切られ、ある意味でこなれてきたということでもあるのでしょう。気分としては、私としてはこれが一番かも。アメリカでは薬事法を中心に様々な新しい広告への規制が強化されてきました。

 こうした傾向は、これまでわりと牧歌的に語られてきた「リアル VS バーチャル」という枠組みの無効化を意味しているような気がしています。本当は、「リアル VS バーチャル」という対立構造というのは、この今のコミュニケーションの状況を説明するための補助線としては有効ではないと思うのです。

 ネットは、今までもあったけれど、世の中的には見えにくく、その見えにくさゆえに考えなくてもよかった人の生活の場、あるいはモードというものを可視化したということなのだろうと思います。

 これまで、広告は社会というものを想定してメッセージを発信すればよかった。しかし、ネットが可視化したのは、その社会に無数にあるコミュニティの姿でした。社会においてのメッセージ発信は、その共通の薄い約束ごと、つまり、社会性と言われるものを、規制として、また、公共性への意識として考慮すればよく、だからこそ、マスへのメッセージ発信が、それなりの時代のメッセージとして機能してきました。

 その社会に向けてメッセージを発信するという広告が成り立つ場が、中間的な社会であるコミュニティによって縮小されて、そのメッセージ発信の活路をコミュニティに求め始めたというのが、企業コミュニケーションの今なのだと思います。

 しかし、ここであまり語られていないけれど、じつは、その場をコミュニティに移すということは、広告というコミュニケーションのあり方にとっては、非常に難しい問題をはらんでいるのだと思うんですね。

 先日、とある人と話していた中での話ですが、広告とは「伝える、つながる、かなさる」というコミュニケーションの深度における「伝える」がミッションであり、「つながる」への移行は、その「伝える」の結果として認識されていました。

 けれども、コミュニティに向けるということは、じつは本質的に「つながる」をミッションとする行為なのだろうと思います。「伝える」で大事なこと、幹になる軸は、言葉に語弊があるけれど「センス」であり、その前提としての「プロポジション」「コンセプト」でした。けれども、コミュニティにおいて大事なこと、幹になる軸は、これも言葉に語弊があるかもしれませんが「ルール」なのだろうと思うのです。で、コミュニティの数だけ「ルール」は存在します。そこでは、広告が前提とする諸軸がわりと無効化され、より「ルール」を内面まで共有化した仲間であるかどうか、ということが問われてきます。

 そういうことが、企業コミュニケーションにできるのか、うまくやれるのか、企業コミュニケーションがその領域に踏み込むべきなのかどうか、ということが今、私が考えている核の部分なのですが、今のところ、私には少しわかりかねるところがあります。実際、いくつかの広告実務では、コミュニティを意識しながら表現をつくってはきましたが、それは、ある社会的存在としての企業が、そのコミュニティに対して理解というか敬意を持ってコミュニケーションするという段階にとどまっていた、あるいは、とどめるようにしていた、ということだったような気がします。でも、それでも、そのことを頭に入れるかどうかでコミュニケーションはまったく違ってくるとは思いますけどね。

 企業自身がコミュニティをつくっていくということで言えば、所謂PPPの騒動がその限界を示していたような気もしています。噂をお金で買うという部分に企業コミュニケーションの限界が露骨なほど表れています。さらに言えば、コミュニティを持っている企業が次の段階に進むときには、逆にコミュニティの独自の価値系ではなく、社会一般という価値系に飛び込んで「伝える」をやらなくちゃいけないという、逆のベクトルもあります。それはそれで、ネット時代においては、いろいろと困難なプロセスを経ることになるのだろうなと思います。

 ま、そうして考えると、今の状況は新旧メディアあるいは新旧広告テクノロジーの問題だけではないということがわかるかと思います。思えば、私はこういうことをずっと「表現の問題」と言ってきたように思うんですよね。まあ、それがわかっただけでも、2009年は良しとしなきゃですね。

 なんとなく「2009年の広告業界を振り返って。」というよりも、「2009年大晦日に広告を想う。」みたいなエントリになりましたが、これで本年ブログ納めです。1年間、どうもありがとうございました。みなさまよいお年をお迎えください。2010年もどうぞよろしくお願いします。

 関連エントリ:
 2008年の広告業界を振り返って。
 2007年の広告業界を振り返って。

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2009年12月29日 (火)

近くて遠いところ

 

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 ちょっとした用事があって、京都まで。バスで大阪の京橋まで行って、京阪電車で約50分ほどで三条。写真は、三条大橋近くの鴨川べり。WILLCOM 03で撮影しました。

 リコーのGR DIGITALと比べるのはかわいそうだし、逆光で、そのうえ撮影者の腕もよくないというのもあるけれど、それを差し引いても発色も悪いし、カメラが変わるとこうも変わるもんだんだなあと思いました。でも、こういう感じって、なんな私には合っているような気がします。GR DIGITALでは個人的にいろいろ撮影したりして楽しんでいますが、さすが高価なカメラだけあって、シャッターを押すだけでもなかなかいい感じに撮影できるんですよね。

 GR DIGITALでは、あまりにいい感じすぎて「こんなつもりで撮ったんじゃなかったんですけど、すみません」という感じの写真になることも。語弊はありそうですが、写真が頭良さそうな感じになりがちなんですね。狙っていないのに頭良さそうというのは、きっとカメラを使いきれていないからなんでしょう。カメラに負けちゃっているというか。

 そういう意味では、このWILLCOM 03に付いているヘナチョコカメラで撮影した写真って、私の目で見た感覚に近いのかもしれないなあ、なんてことも思います。この写真、色補正も何もしていないんですが、時間が経過して色あせた感じがありますね。2009年っぽくないというか、記憶の中の映像って、こんな感じかもしれないな、と思ったりします。

 東京住まいですが、生まれ育ちは大阪ですので、京都はときどき行きますが、たいがいはJRの新快速を使います。約30分で京都です。大阪で仕事をしていた時にも京都に行くこともたまにありましたが、それは、例えば三宮に行く、尼崎に行く、堺に行く、というのと同じであって、とりたてて京都に、という感覚ではないんですよね。

 東京で暮らすようになって、ああ、京都っていうのは、多くの人にとって特別な場所なんだな、とあらためて思うようになりました。多くの関西人にとっては、子供のときの気軽なお出かけという感じか、もしくは、京都のおばちゃんの家、といった親戚知人の住んでる場所という意味以上はないからなあ。生活の場としての京都なんですよね。他の地方の人よりも、関西の人は、京都に対する思い入れはきっと薄いのだろうな、と思います。

 今回は、待ち合わせが三条の橋のたもとにあるスターバックスでということもあって、乗り換えなしで行ける京阪に乗りました。京阪は何年ぶりだろう。京阪だと、京都って結構時間がかかるんですよね。50分。新幹線だと新大阪から名古屋まで行けてしまいますね。

 そう言えば、久しぶりにテレビカーに乗りたいなあと思ったのですが、残念ながら乗れませんでした。2011年までにすべて廃止されるそうです。時代の役割を終えたのでしょうね。快速急行の3000系に乗りました。中之島線開業と同時にデビューした新型車両だそうです。色も落ち着いた紺が基調で、内装もモダンでした。新しいCIもスマートな感じだし、京阪の印象がずいぶん変わりますね。

 京阪と言えば、広告がとても上手な印象があります。「おけいはん」なんかは、今や多くの人たちに愛され続けるCMになっていますよね。楠葉けい子さん(日向千歩さん)は4代目だそうです。こういうCMって、いいですよね。今、広く社会にメッセージを投げかけるという意味でのマス広告のひとつの理想型だと思います。

 京橋で乗って、しばらくして空いてきたので席に座ることができました。間にある寝屋川や枚方、伏見桃山の街並を車窓から眺めながら、距離的には近い場所だけど、もしかすると、用事がなければ、この一度も行かないこともあるのかもなあ、と思いました。こういう近くて遠いところというのは、人生においてはたくさんありそうです。だからといって、わざわざ用もないのに出かけるというのも違うと思うし、人は、数少ない必然の中で右往左往するものなのかもしれないですね。

 京都の街の空気は、大阪とは少し違います。どことなく街に落ち着きがあるというか。大通りから少し奥に入ると、もう町家の風景で、銭湯がまだたくさん残っていました。地域コミュニティということで言えば、東京や大阪なんかより濃密で、だけど、大学も多く、たくさんの若い人たちが新しく入ってくる土壌もあるし、閉じられていることと開かれていることが、いい感じに均衡している感じがしました。もちろん、住んでいるわけでもなく、ストレンジャーとしての見方なので、京都の地場の人から見ると、そないにええもんやおまへん、てな感じなのかもしれませんが。

 近くて遠いところ。

 ふとした偶然で、それは、私がいるところにもなったりして、そういうものを必然と言うのだろうけど、私が今までいたところと私がいるところが、うまくつながって、新しい場所への道筋になってくれたらいいのだけれど、そうなるためには、もっともっと自分自身が豊かにならないといけないのだろうな、と思ったりします。

 最近、自分でも思うけど、だんだんとなんかつまらない奴になってきたな、なんてね、思うんですね。まあ、これは時期というものもあるだろうし、いつもこうした時期を通過してきたよなあ、なんて経験則もあるのだけれど、どうしようもなくもがいてしまいますね。愚かだなあとは思いますが、そういう愚かさというのは、一生治んないんでしょうね。

 明日は、親父と一緒に、母のいる病院に行きます。少し間があいてしまって、話では聞いているのですが、元気で機嫌良くしていてくれたらいいなあ、と思っています。まあ、そのときどきの体調や気分もあるし、不思議なもので、そうした感情の起伏みたいなものを自分に引き寄せてしまうことはなくなりました。本人にとっていちばんいいように、という言葉の内実っていうのは、本に書いあるようなきれい事ではないのは、ここ数年、記憶を失いつつある母から学んだことでもあります。

 本人にとっていちばん、というのは、自分の感情をできるだけ無にして相手の状況にあわせていくということだし、その状況にはいろいろな専門家の意見というのもあるし、国や行政の都合だってあります。それは、えらくしんどいよなあ、と思います。どうしても我があるものなあ、人間には。

 でも、なんとなく、そういう考え方は、少し広告の仕事に似ているところがあるのかも、なんて思います。で、私は、広告の仕事のそういうところが大好きです。これは、誰がどう言おうと、好きなものはしょうがないよなあ、と思います。好きは、変えられないです。

 親父がこのところ酒を控え出していて、聞いてみると、弱りつつある肝臓が肝硬変に移行しはじめているらしい。まあ、肝硬変という病名はショッキングではあるのですが、お医者さん曰く、体を大切にしていけば、何の問題もないことらしいです。

 「ワシはまだ死なれへんからなあ。」

 なんてことを言う親父は、今、すごく生きているということなんだろうな。ここ数年、母の病状にあわてふためいて、しっちゃかめっちゃかだったけれど、今、ようやく、その渦中にあった、母の焦りや苦しみなんかがよくわかるようになってきて、あのとき、いちばん辛かったのは母自身だったんだよなあ、なんて話したりしています。人間は、どうして後から分かるんだろう。せつないですね。

 まあ、そんなこんなで、最近、ブログも更新が滞りがちですし、ブログタイトルに偽りあり、みたいな状況でもあるし、それを、やっぱり私は広告人と世間様に自信を持ってもう一度言えるためには、少しばかりの痛みとがんばりがいりそうです。ま、がんばれ、俺、という感じです。気にかけていただいている親しい方々、しばらく懸命にがんばってみます。どうぞみなさま、よいお年を。

 なんか書いているうちに長くなっちゃいましたね。ほんとは、近くて遠い場所ってありますね、って短いエッセイを書こうと思っていたんですが、どうも久々に書くと長くなっちゃいました。でもねえ、この自由な感じが、個人がメディアを気軽に持つということだと思うんですよね。顔を見たこともない人のこういうだらだらとした文章を、私も読むことがありますし、それを読んで、ああ、この時代にいろいろ抱えながらともに生きているんだな、なんて思うこともあります。

 私は使っていないけれど、その自由さを短くして即時性を加えればTwitterということにもなるだろうし、リアル、バーチャルを含めた様々なコミュニティ的な空間や束縛から自由な個の表出が可能になったという、この部分こそ、私はインターネットの最も大きな可能性だと思っています。もちろん、コミュニティのあたたかさの良さもわかるけれど、やはり私にとっては、なんだかんだありながらも、それでも個が鱗として屹立できるしくみこそがインターネットなんです。

 この可能性を否定することは、今や、こうして社会で飯を食っている私自身を否定することにもなるんですよね。更新頻度が下がり気味の今の状況を含めて、このブログは、もうひとりの私です。なんか格好つけた言い方ですが、やっぱりそう思うし、今、ブログを書いている多くの人もそう思っていると思うんですよね。ね、そう思うでしょ。

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2009年12月23日 (水)

静かに年が暮れていく

 

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 こんな写真を載せているからではないですが、なんとなく今年の年の瀬は、いつもの年よりも静かな気がします。それは私だけの感覚なのか、世間でもそうなのかはわからないけれど。

 このところ少し更新が途絶え気味になってしまっています。いろいろと考えていることはあるのですが、どうにもこうにも言葉にならなくて、沈黙だけが積み重なっていくような気がします。頭の中で考えていて、あっ、そういうことかと思うと、スルッと答えが遠くに逃げていく感じ。

 こういう感覚は前にも何度か経験していて、いつかはまた普段どおりの感覚に戻るんだろうけど、やっぱり、その渦中にいると先が見えない感というのがじんわりとまとわりついて、この状態がずっと続く気がしてしまいます。

 少し前に風邪をひいてしまって、休みの日に熱が出てずっと寝てすごしたりしていました。風邪をひくと体がだるいし、熱が出ると、もう何も考えられなくなります。ちょっとした体の変化だけど、健康なときとは感覚がまったく違います。でも、その感覚の違いは健康な時には想像することすらしないんですよね。たかが風邪だろ、薬飲んであたたかくして寝れば治るさ、みたいな感覚。

 なんとなくそのあたりの想像力を、忘れることなくつねに持っていたいと思いました。窓から見える街並の、いくつもの屋根の下には、いろいろな人が住んでいて、それぞれの思いを抱えながら生きている、という単純な事実を忘れてしまうときがあります。

 でも、そんなそれぞれの思いを抱えたいろいろな人たちに向けてメッセージを投げかけるということが広告だと思うし、その様々な思いをひとつひとつ知ることはできないけれど、思いはそれぞれで、それが大前提なのだと思うことなしには成り立たない仕事ではあるんだと思います。

 当たり前の話ではあるし、今さらわかってどうするの、ということでもありますが、最近、販促と広告の違いについて、自分の頭の中ですごく整理されてきました。きっと販促のほうが概念が大きいですよね。その中に広告という手法があって、広告がなくても販促は成り立つということだな、と。販促の一手法としての広告。これが正しい認識なんだろうな、と。もちろん、そう言い切るためには、より狭義の広告を定義しなきゃいけないのだけれど。

 きっと、様々な販促の手法は、それぞれ対象とする場というかモードというものがあり、それは最終的には個としての人にたどり着くにしても、その人が今ある場あるいはモードが違うと、その思考も感受性も違うわけで、広告は、よりソーシャルな、公共性のある場あるいはモードにおけるコミュニケーションであるのだろうと思います。

 今までは、企業コミュニケーションにおいては、ソーシャルな公共性のある場でしか成り立たなかったから、こういうことは考える必要がなかったとも言えるかもしれません。

 まあ、そんなこんなを考えながら、あっ、そういうことかもと思って、具体的に書こうとすると、スルッと逃げていくわけなんで、この話題は来年に持ち越しでしょうね。ではでは。

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2009年12月17日 (木)

「がんばっとるか」

 なぜか年の瀬になると思い出すことがある。大学時代の友だちのこと。生きてれば、同い年だから42になるはず。同じ関西出身で、卒業して関西に戻って、何度か会ったりもした。ヤツは司法試験に受かったばかり。私は、西梅田のデザイン会社で新米プランナーをやっていた。

 神戸の元町で昼から飲んで、冷やかしで楽器屋さんに入って、大学時代に欲しくてたまらなかったスタインバーガーという名のベースギターを見つけた。素人ベーシストが持て余すような高価なベースギターだった。

 「がんばっとるんやから、買うたらええがな。」

 そんなヤツの口車に乗せられて買ってしまった。あれから、そのベースはあまり活躍しなかったけれど、まだ家にある。

 2年前にもこんなこと書いていたんだよな。確か、ヤツのことを尊敬する若い弁護士さんのブログをたまたま見つけて、たまらなくなって書いたもの。2007年の年の瀬の記事。

 

吉田という男の話。

 その男は、大学時代の同級生で、弁護士を目指していた。同じ関西出身ということもあり、すぐに気があう仲になった。
 吉田は弁護士になり、私は広告屋になった。
 私が再び仕事で東京に出るときに、東京での住まいが決まるまで、当時、司法修習生だった吉田のアパートに一週間ほど居候をさせてもらった。それが、吉田との最後になってしまった。
 あれから、お互い仕事が忙しくなって、連絡もとらなくなった。便りがないのは元気な証拠なんて気取っていた。吉田が亡くなったのを知ったのはネットだった。毎日新聞神戸版のニュースになっていた。
 あのニュースを見てから二年が経って、弁護士時代の吉田を知る弁護士さんのブログを見つけた。吉田を、人間として、弁護士として敬愛し、哀悼する言葉がそこに綴られていた。
 吉田の口癖は、いつも、「がんばっとるか」だった。大学時代、ふさぎこんで六畳一間アパートにしばらく引きこもってると、深夜、なんの連絡もなく、酒と食べ物を持ってアパートに来てくれた。第一声は「がんばっとるか」だった。そんなことを思い出した。
 おう、吉田、がんばっとるよ。そっちはどう。こっちは、いろいろあるけど、それなりに元気にやっとるから、心配すなよ。風の噂じゃ、あれから一生懸命がんばったみたいだから、しばらくゆっくり休めよな。じゃあ、またな。
2007年12月14日

 

 2009年がもうすぐ終わる。

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2009年12月13日 (日)

出版不況に関するニュースを読んで思ったこと

 朝日新聞に出ていた記事。冒頭はこんな言葉ではじまっています。

 今年の書籍・雑誌の推定販売金額が2兆円を割り込むことが確実になった。出版科学研究所の分析で明らかになった。1989年から20年間にわたって「2兆円産業」といわれてきたが、最終的には1兆9300億円台に落ち込む可能性がある。

本の販売2兆円割れ 170誌休刊・書籍少ないヒット作 - asahi.com(12月13日)

 リンク先のニュースでは、1988年からの売り上げの棒グラフが掲載されていますので、それを見るとわかりやすいのですが、書籍・雑誌の売り上げのピークが96年の2兆6563億円なんですね。

 一般的にはバブル景気というのは「概ね、1986年12月から1991年2月までの4年3か月(51ヶ月)間を指すのが通説」とのことですから、ピークはバブル崩壊後ということになります。

 グラフの曲線の推移を眺めると、なんとなく88年以前のバブル期もしくはバブル期以前の売り上げにゆっくりと戻っているいうふうにも見えなくもなく、バブル景気というものが、平常時の経済ではなく、ある種の熱狂状態だったととらえるならば、その熱が冷めて平常に戻っていくというふうに理解することもできるかもしれません。

 それと、もうひとつ感じるのは、産業の成長は、リアルな社会状況から数年遅れるのではないかな、ということ。まあ、これは社会の空気に反応して経済行動が起こされ、そのシステムが完成されうまく回るには、さらにタイムラグがあるることを考えると納得はできるのですが、バブル景気のピークが89年か90年だとすると、そこから4年のタイムラグがあることになり、4年というのは、専門家からみて理論的に納得できるタイムラグなのか、それとも、このデータ自体は、もっといろいろな状況を精査しないといけないものなのか、ちょっと私にはわかりかねる部分もあります。

 それにしても、もう完全に無限の成長幻想というものが幻想にすぎないんだというのが実感されますね。ここにはもちろん多様化があり、多様化によって旧来のカテゴリーに吸収され数値化されないものがたくさんあるということも頭に入れとかなきゃいけないんでしょうけど。

 とはいいつつ、仮にマクロレベルで理解できたとしても、その渦中にある出版やその周辺の広告などにかかわる人の生活や人生があって、理解できた、そういうことだね、と言ってばかりはいられない現実もあり、私自身もけっしてプールサイドで見ているだけではなく、プールで泳ぐ人だったりもするので、なんとか考えていかないといけないな、と思います。

 その部分で言えば、状況を見るより、自分がどうしてもやらなきゃいけないこと、やりたいこと、つまり、自分側の動機が上回ることなんでしょう。私たちの世代で言えば、その自分の動機みたいなものを世の中の空気が後押ししてくれる体験がかなり少ないのが特徴ではあるんでしょうね。バブルというものを体験していない世代というか。私より下の世代はもっとそうでしょうね。

 最近、プライベートで私より一回り若い人と話す機会がわりと多く、私より若い世代の人たちの世の中の見方というのが面白いというか、なんか言い方はうまくないけれど、さめた熱みたいなものを感じます。その妙な情熱は、私を勇気付けてくれたりもして、がんばってやっていかないといけないな、と、淡々とさめながら思ったりしています。

 では、引き続き、よい休日を。

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2009年12月12日 (土)

内田裕也さんの広告戦略がRock'n Rollだった件

 まずこう来ました。

 行政刷新会議の事業仕分け。

 「もっと丁々発止かと思ったが、意外とちょっとなれ合いっぽいところがあったな」。27日、会場にロック歌手の内田裕也さんが現れた。

 91年の東京都知事選に立候補した内田さん。「今も政治にひそかに関心を持っている。(事業仕分けは)民主主義として画期的なことだから」と事務所に内緒で来たという。「ロック代表として俺(おれ)みたいなのがここに来ることで、社会的な関心がもっと広がればいいな、とちらっと考えました」

内田裕也さん「ロック代表として」事業仕分けをチェック(11月27日23時12分) - asahi.com

 そんでもって、12月8日発売のSPA!の連載「文壇アウトローズの世相放談 これでいいのだ!」にて、坪内祐三さんと福田和也さんの対談でこう来ました。

坪内 でさ、例の仕分けね。蓮舫には、まあいろいろと思うこともあるけれど、あの仕分け会場になんと内田裕也先生が、ちゃんと8時半から並んで見学に行ったでしょう。(後略)

福田 しかし、なんでいきなり内田裕也は、仕分け会場に行ったんでしょうね。ロケン&ロールあるいは……本のプロモーション?

坪内 うん、プロモーションでしょう。個人プロモーション。そこがまたカッコいいんだよ。今あの内田裕也が、話題の「仕分け」に現れれば、必ずテレビに映るもん。でも、新刊が2冊出たことと、裕也さんが現れたことが、全然メディア的に連動してなくて、何のプロモーションにもなっていない。スポーツ新聞にも、裕也さんがあの場に来たことは書いてあったけど、2冊同時に本を出したってことが書いてないんだよ。

 で、今日。渋谷駅に「俺は最低な奴さ」のクールな広告ポスターが。オフィシャルサイトを見ると、こんな掲出スケジュールらしいです。

渋谷ハチ公前ポスター展示
12月7日—13日 「俺は最低な奴さ」

 完璧です。Rock'n Rollです。

 坪内さんに、「何のプロモーションにもなっていない。」と言わせてしまうところが、この一連の流れの最大の見せ場。よくやりがちなプロモーション目的でのテレビ番組ゲスト出演といったあざとさがまったくないのが、とってもよいですねえ。で、そのタイミングで、しらっと渋谷に広告ポスター掲出。手だれのプロでも、なかなかこうはできません。内田裕也さんの完勝です。

 時間軸でこういうコミュニケーションを設計することは、まあ、今どき誰でもできるけど、その綿密な組み合わせを設計するという部分では、プロモーションする側の作為も一緒に届けてしまうことになるのも、また今という時代。そこを、さりげなくクリアするなんて、いやはや。なんか突き抜けてますよね。

 で、今夜、どこぞのブロガーが、こうしてちゃんと言及して、ブログでamazonのリンクを貼るわけですよね。この流れ、普通はとってもはめられた感があって、私なんかは、職業柄、そんな戦略に絶対に乗ってやるかって思うんですが、今回はすごく気持ちいいです。参りました。

 内田裕也さん、やるなあ。

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2009年12月11日 (金)

おばちゃんたちの会話。

 とある繁華街。ショーウィンドウのクリスマスツリー。そこには、手のひらくらいの小さな手編みのセーターがオーナメントのようにいくつも飾られていました。色とりどりのちいさなセーターはかわいらしくて、いい感じ。

 見た感じ、60歳後半から70歳前半ぐらいの、仲良さそうなおばちゃんふたりが足を止め、クリスマスツリーを眺めました。服装は、いたってふつうな感じでしたので、まあふつうのおばちゃんたちなんでしょうね。

 「これ、いいわねえ。」
 「そうねえ、なかなかのアイデアだわねえ。」

 今どきの感想だなあ、と思いました。なんというか、今、みんなこんな感じなんですよね。さりげない言葉だけど、感想に、アイデア、という言葉が出てくるんですよね。おばちゃんの口から。

 つまり、いろんなことの中のしくみが、みんな見えちゃっているんです。これは、きっとネットとかそういうものの影響っていうわけじゃなくて、ネットなんかが成り立っている社会の空気がそうさせているように思います。

 うちのおやじなんかも、ネットはまったくやらないけれど、CMや新聞広告なんかをそういう見方をします。ま、息子の職業が広告制作だからという部分もあるでしょうけど、見方が批評的なんです。

 だからだめだ、とは私は思わなくて、ある意味で健全だな、とも思うんですね。というか、それがリアルなのだから、それはそれで現実なんですよね。私はそんなふうに考えます。広告わかれ、まっすぐに理解しろ、とはおこがましくて言えません。

 消費者が賢くなった、とも思いません。昔も今も、メンタリティとしてそんなに変わらないのは、自分という消費者を見続けていてわかります。今も昔も、その手のスキルやリテラシーは層に分かれています。アドプターとかマジョリティとか、そういう層の割合は、ロジャースが提唱した頃から、そんなに変わらない気がしますし、その割合が劇的に変化しているという話も聞きません。

 人間、ふつうの生活をしていれば、そんなに簡単に変わるもんではないんです。全体がマジョリティからアドプターや、ましてやイノベーターに変化するなんてこと、絶対にないんです。最先端系の広告話を聞いていると、どこかでそんな人間の意識の変化を勝手に期待しているところが見えて、それは、要は、自分に都合よく人間を変えたいってことだよなあ、傲慢な考え方だなあ、と思ったりします。

 じゃあ、なぜ感想が批評的になってしまったのか。

 それは、きっと世の中の変化のほうが、作り手の変化よりも早かったからです。いわゆる、作り手がついていけてない状態。私が意識的に見てきた80年代から今にかけての表現の流れを見ても、定期的にそういう時期があったように思います。

 あっ、今までのものが終わるな、という時期があって、それは、過渡期と言われたりするんでしょうね。今が、きっとそのとき。いつも過渡期と言われてはきたけれど、今は、わかりやすすぎるくらい過渡期だと思います。

 広告が終わったなんてことでもなく、そもそも、広告の成立要件である不特定多数に受動的にメッセージを伝えるという行為が、これだけ長い間行われてきている中で、作り手のつらい気分だけで終わるわけはないんです。要は、終わったというと自分が楽になるからなんでしょう。こういう気持ちは、私にもちょっとあって、そのたびに違うよな、そんな都合のよいことではないな、と思っています。要は力がないだけ。自分自身が、もっと力をつけなくちゃってこと。

 作り手が変わらなきゃ、なんです。

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2009年12月 8日 (火)

Yahoo!とGoogleはよく比較されるけど

 ほんとは、Yahoo!Googleは目指すところが違う気がするんですよね。だから、シェアの比較という意味では、前提が違うのであまり正確な比較とは言えないというか、もっと違う指標で判断したいというか。

 たぶん、ウェブの最前線でビジネスをやっている人は、そんなことを思ってるんじゃないかなと想像するのですが、どうなんでしょう。

 で、Microsoftで言えば、MSNがYahoo!型でbingがGoogle型。MSNの検索エンジンもbingになっていますが、MSNのポータルを捨てずにそのどちらの可能性も追求しているのは、さすがMicrosoftというか、なんというか。

 Yahoo!は、トップページで言えば、今や完全にマス媒体ですよね。その圧倒的なメディア力を前提にリスティングアドも成り立っている感じで、Googleはそもそもメディアであることをまったく前提にぜずにリスティングアドを成立させている感じ。Googleはメディアであることより、まずインフラであることを目指し、インフラ化によって、リスティングアドをインターネットの端々に行き渡らせたいということなんでしょう。

 だから、やり方次第でYahoo!のトップページのようにできるiGoogleにさえもバナー広告は表示されないんでしょうね。こういうビジネスの筋の通し方は、すごいもんだよなあと思います。徹底していますよねえ。

 このところ、GoogleがテレビCMを流していますよね。

 Googleというブランドは、案外テレビとか新聞とかの、いわゆるマス媒体とは親和性が高いように思います。なぜなら、Googleはマス媒体をお手本にはしていないし、まったく別の方法論で広告ビジネスをやろうとしているから。テレビ側は、オレたちがしんどいのはお前のせいだと思っても、Googleの側には負い目はまったくないでしょうね。たぶん、自分の持っている広告媒体にはできないことがあるから使う、それだけです、という感じでしょうね。

 その点ではYahoo!はテレビや新聞などを大いにお手本にしていますよね。まあネットビジネスとしてはGoogleよりもお兄さんだから、そのお兄さんであるテレビや新聞をお手本にしますよね。オークションやら知恵袋やら、そんなバラエティに富んだサービス、つまり番組は、テレビそっくりだし、ほんとはテレビになりたかったインターネットの巨大メディアという感じがします。

 Googleのお兄さんは、じつはMicrosoftなんでしょうね。Wintelのやり方をお手本にしたということなんでしょう。基本を押さえれば、ハードはいいですっていうやり方。きっとMicrosoftもハードをつくる気質はあると思うんですよね。今だにマウスをつくっていますし。そう見ると、Microsoftもある意味で潔い筋の通し方をしているんですよね。

 その流れで見れば、なぜGoogleがOSをつくったり、IMEを配布したりするのかが理解できますよね。まあ、ここに書いてあるようなことは、ネットの最前線の人には当たり前の話だとは思うけど、あらためて、なるほどなあ、すごいもんだよなあ、と感心した次第でございます。

 しかしまあ、たいへんなことを考えるものですよね。世の中にはすごい人たちがいるものだなあ。

 関連エントリ:

 Googleの素っ気なさ
 ソフトのアップグレードを重ねるたびに、Googleにしたくなる
 NHKオンデマンドの苦戦に思う

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2009年12月 7日 (月)

マルちゃんの涙

 プロスポーツは残酷な世界なんだろうと思います。

 私は大阪市で育ちました。小学校、中学校は公立に通っていました。市内の公立なので、いわゆるマンモス校です。学区は、大企業の本社工場がある地域で、人口も多く、たくさんの生徒が学校に通っていました。そのたくさんの生徒の中で、群を抜いて運動神経の優れた男の子がいました。圧倒的でした。体格もよく、陸上競技も、ソフトボールも、サッカーも、何でも一番でした。

 その彼は、甲子園で何度もの優勝経験を持つ野球部がある高校に進学しました。その高校が甲子園に出場することになって、テレビ中継を観ると、その彼は、3塁側のベンチに座っていました。補欠だったんですね。大都会のマンモス校でいちばんだった彼をしても補欠なんです。高校野球でもそうなのですから、その高校球児から選抜されるプロの選手のレベルというのは、どんなものなのだろう、とテレビを観ながら思ったことを覚えています。

 ゴルフの国内男子ツアー最終戦で、マルちゃんこと丸山茂樹さんが優勝しました。石川遼さんが19位で、18歳での史上最年少賞金王を決めたツアーでもありました。マルちゃん、40歳。国内ツアー10年ぶり、日米含めてでは6年ぶりの優勝だそうです。

 やはり、プロスポーツの世界はすごいところだな、と思います。18歳で賞金王。かつて世界で大活躍したベテランが、6年ぶりの優勝。

 マルちゃん、優勝インタビューで泣いていましたよね。おしゃべりが上手で明るくて、テレビでもよく見かける人ですから、ついつい、いつでも大活躍と思ってしまうんですよね。私はゴルフは詳しくないですし、いつもマルちゃんの戦績を意識しているわけでもないですから。アメリカから帰ってきたことさえ、そんなに知らなかったし。

 6年なんですよね。あれだけ勝ってきた人が、6年勝てなかった。

 自分の6年を考えると、それは長過ぎるくらいの歳月なんですよね。なんて残酷なんだろうと思ってしまいます。優勝できるのは、全国から選ばれた、ほんのわずかのプロの中でも、一握り。かつてその頂点を走っていた人が、ある時から6年勝てなくなっていた、ということなんですよね。もし私がその立場だったら、そんな残酷な事実に耐えられないかもしれないな、と思います。

 プロスポーツに生きるということは、他の分野よりも何倍も何十倍も年齢というものを意識するということでもあるのでしょう。若い時のようにパワーで勝てることも少なくなってくるでしょうし。勝ち方を変えなくてはいけなくなりますし、そのことだけでも、相当な精神的なきつさはあるのだろうと思います。

「今回勝ったからって、賞金王(を目指す)とはまだ言えないが、高いところに目標は持って行きたい。来年は若手に“丸山さんが来た、イヤだな〜”と思われるいやらしいゴルフをしていきたいね」
最終戦で存在感を見せつけた!丸山茂樹10年ぶり10度目の勝利! - asahi.com

 とってもマルちゃんらしいコメントですよね。そうそう。18歳には18歳、40歳には40歳の戦い方があるということですよね。元気が出ました。若い人は、石川さんの賞金王に共感した人が多いでしょうけど、42歳の私は、だんぜんマルちゃんに共感してしまいましたです。マルちゃん、6年ぶりの優勝おめでとう。めげずに、前向きに、がんばっていかなくちゃだなあ。ではでは。

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2009年12月 4日 (金)

伝えたいことがある人が伝えることができるということ

 私は、なんだかんだ言っても、やっぱりウェブに恩恵を受けている人間だと思います。私が生きている時代にウェブがあってよかったという思いがあります。こうしてブログを書けること。それは、本当にありがたいことだと思っています。

 今日も、どこかの某市長がとんでもないことをブログに書き散らしていたというニュースがあったし(まあ、そこに書いてあることは論外だと思うし、気分が悪いのでリンクも貼りません)、ブロガーというなんだかわからない新しい人種に対しては、自己顕示欲だよね、誹謗中傷メディアになっているよね、衆愚化だよね、と、いろいろと皮肉を言えると思うけれど、それでも、何かを伝えたいと思う人が、経済的な負担があまりなく、少なくとも理論上はネットを使うすべての人に伝えられるという可能性を手にしたことは、何度も言われ尽くして陳腐化した言い方になってしまうけれど、グーテンベルクの活版印刷発明以来の革命だったんだと思います。

 それでも、例えば、私がプロバイダー料を払えなくなって、生活のために時間の余裕も失ってしまったら、このブログを維持することは難しいと思います。つまり、ものを伝えるという行為は、決してただではないということです。私の場合は、伝える手段がテキストだし、基本的に生活の中での考えをもとにしているし、取材もないし、だからこそ成り立っているだけの話で、伝えるたいと思うことが、ある程度の経済的犠牲が伴うものである場合、その伝えたいことと、伝えることを天秤にかけなければならなくなります。

 アマチュア領域の表現の敷居は下がりました。けれども、そのことで、表現で飯を食っているという意味におけるプロフェッショナル領域での表現の敷居はむしろ上がったような気もします。雑誌の廃刊が続いています。テレビ局も新聞社も経営が苦しいです。まあ、商売でやっているわけだから知ったこっちゃないと言えばそうかもしれません。けれども、その傾向は、例えば、商売を全面に押し出さずとも、何かを伝えたいと思う人が、経済的な理由で、伝えようとすることに躊躇してしまう環境があるといういうことでもあります。

 これは、いつの時代でもあることだとは思うけれど、ここ最近起きたメディアの分散化と、経済の停滞によって、急速に進んでしまった環境であるとは言えるのではないかな、とも思います。

 広告をひとつとっても、今の世の中では、そう簡単には出稿してもらえない状況がありますし、それはそのまま、伝えたいことがあるけれど伝えられないということを意味します。ネットがあるじゃないか、と言っても、もはや、ネットだって同じですよね。ネットメディアだって、構造は同じ。メディアですから、持続できなければ成り立ちません。

 メディアを成り立たせる最大の発明だった広告モデルが、今、弱体化しています。広告、もう駄目だよね、と簡単に切り捨てることもできます。

 けれども、切り捨てられるのかな、とも思うんです。じゃあ、何があるの、という気もしないではないです。収益の多様化も必要だとは思います。そのひとつとして、NHKオンデマンドがこれからどうなっていくのかも気になりますし(参照)。余談ですが、とりあえずは「料金値下げを検討」とのことらしいですね。

 いろいろ答えはありそうな気もするし、もう出ている答えもあります。私は、もうひとつの答えが知りたいと思うのです。それは、広告側が変わることで、今ある広告モデルを再生する方法論です。つまり、表現の問題として考える方法論です。

 ま、実例をここに示すわけではないので、勝手に言っているだけとも言えるけど、自分なりの成功例もあります。大きなテーマを提示し、常にキープしながら、キャンペーンのはじめと終わりを意識してメッセージ展開を設計し、時系列で適切なメッセージをコントロールして出していって、より大きなひとつの像を形づくる方法です。これは、かなり意識的に緻密にやりました。簡単に言えば、物語。だけど、ひとつひとつでも楽しくて伝わるし、物語性(私的にはing感)が感じられるのが、物語とは異なるのだけれど。

 メディアニュートラルに様々なメディアを相乗効果を生むように意識して使用することで、例えば、今、効果が落ちていると言われる新聞広告でもかなり高い効果が出せましたし、直接的な効果が見えにくい交通広告においても、最終的なDMなどの川下メディアの効果が上がるように計算しながら出稿しましたので、費用対効果も良かったような気もするし、次にも、その次にもつながるものを残せた気もします。

 もしかすると、それはコミュニケーション・デザインの一種かもしれませんが、少し違う気もします。そして、そのやり方は、広告の基本から言えば、わりとオーソドックスな手法だったような気もしています。ただ、オーソドックスであるがゆえに、今どき新しいという自負はありますけどね。まあ、自分がやったことなんで、定義の必要もありませんが。

 もうひとつ、いや、あとふたつくらい。それが知りたい。思いつきたい。しかも、大規模じゃなく普段着感覚のやつで。その方法さえ思いつくことができれば、少なくとも私自身の視界の前にある霧が、一気に晴れるような気がするんですけどね。

 伝えたいことがある人が、ある程度の覚悟さえあれば伝えられるということは、これからの世の中でも大事なことだと思うし、今、私の専門性の中で悪戦苦闘していることが、そうした社会性みたいなものを帯びた問題意識であるとも思うし。それぞれの人が、それぞれの分野で知恵を出し合えば、きっと世の中がよく変わる。私は、ブロガーとして、それに1票を投じたいと思っているんですけどね。私は、設計を含めた大きな意味合いでの広告表現の分野でコツコツやっていこうと思っています。

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2009年12月 1日 (火)

走りながら考える

 たいがいの人の場合、考えるということは、走りながら考えるということになりますよね。立ち止まってゆっくり考えるなんて悠長なことは、孤高の哲学者でもなければなかなかできることではないですし、立ち止まることは、それはそれで勇気がいることだから、ま、走る。そして、走りながら考える。

 自分の過去ログを読んでみると、去年の12月1日もそんなことを書いていました。成長がないというか、なんというか、人間はそんなに急激に変わるものではないという証なのかもしれません。

 年を重ねることは、経験を深めることでもあるけれど、その経験の深さはこれからの可能性の狭さを意味する部分もあって、もう若い学生さんのように、自分の中に無限の可能性は見つけられなかったりもするのです。だからといって、もう変われないのかというと、そうでもなくて、今だに新しい経験だらけの毎日だけど、それは、いつのまにか自分の経験に照らし合わせたりしていて、それは、いいことでもあり、邪魔になることでもあるということでもあるんだろうなあ。ものごとは、いつも両義的だよなあ、と最近思います。

 去年の今頃のエントリを読み進めると、その時点で456あると書いてありました。これが701回目の投稿だから、1年で245のエントリを書いてきたことになります。よく書くことがあるよな、なんてことも思いますが、結局は、ひとつのことを手をかえ品をかえ書いてきているような気もするので、そんなにたいしたことではないような気もします。つうか、思いつくままつらつらと書くのは楽しいしね。こういうのを慰みって言うんでしょうね。

 とにかく走る。走りながら考える。

 きっと、それは、どんなかたちであるにせよ走っていなければ考えられなくなる、ということでもあるんだろうなあ。リアルに走ると、最近はちょっとゼイゼイと息を切らすようになってきましたが、ま、師走なんで、走ります。そういうことで、12月。さあ、2009年のラストスパート。明るく元気にいきましょう。

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