« 静かに年が暮れていく | トップページ | 2009年の広告業界を振り返って。 »

2009年12月29日 (火)

近くて遠いところ

 

091227153951

 
 ちょっとした用事があって、京都まで。バスで大阪の京橋まで行って、京阪電車で約50分ほどで三条。写真は、三条大橋近くの鴨川べり。WILLCOM 03で撮影しました。

 リコーのGR DIGITALと比べるのはかわいそうだし、逆光で、そのうえ撮影者の腕もよくないというのもあるけれど、それを差し引いても発色も悪いし、カメラが変わるとこうも変わるもんだんだなあと思いました。でも、こういう感じって、なんな私には合っているような気がします。GR DIGITALでは個人的にいろいろ撮影したりして楽しんでいますが、さすが高価なカメラだけあって、シャッターを押すだけでもなかなかいい感じに撮影できるんですよね。

 GR DIGITALでは、あまりにいい感じすぎて「こんなつもりで撮ったんじゃなかったんですけど、すみません」という感じの写真になることも。語弊はありそうですが、写真が頭良さそうな感じになりがちなんですね。狙っていないのに頭良さそうというのは、きっとカメラを使いきれていないからなんでしょう。カメラに負けちゃっているというか。

 そういう意味では、このWILLCOM 03に付いているヘナチョコカメラで撮影した写真って、私の目で見た感覚に近いのかもしれないなあ、なんてことも思います。この写真、色補正も何もしていないんですが、時間が経過して色あせた感じがありますね。2009年っぽくないというか、記憶の中の映像って、こんな感じかもしれないな、と思ったりします。

 東京住まいですが、生まれ育ちは大阪ですので、京都はときどき行きますが、たいがいはJRの新快速を使います。約30分で京都です。大阪で仕事をしていた時にも京都に行くこともたまにありましたが、それは、例えば三宮に行く、尼崎に行く、堺に行く、というのと同じであって、とりたてて京都に、という感覚ではないんですよね。

 東京で暮らすようになって、ああ、京都っていうのは、多くの人にとって特別な場所なんだな、とあらためて思うようになりました。多くの関西人にとっては、子供のときの気軽なお出かけという感じか、もしくは、京都のおばちゃんの家、といった親戚知人の住んでる場所という意味以上はないからなあ。生活の場としての京都なんですよね。他の地方の人よりも、関西の人は、京都に対する思い入れはきっと薄いのだろうな、と思います。

 今回は、待ち合わせが三条の橋のたもとにあるスターバックスでということもあって、乗り換えなしで行ける京阪に乗りました。京阪は何年ぶりだろう。京阪だと、京都って結構時間がかかるんですよね。50分。新幹線だと新大阪から名古屋まで行けてしまいますね。

 そう言えば、久しぶりにテレビカーに乗りたいなあと思ったのですが、残念ながら乗れませんでした。2011年までにすべて廃止されるそうです。時代の役割を終えたのでしょうね。快速急行の3000系に乗りました。中之島線開業と同時にデビューした新型車両だそうです。色も落ち着いた紺が基調で、内装もモダンでした。新しいCIもスマートな感じだし、京阪の印象がずいぶん変わりますね。

 京阪と言えば、広告がとても上手な印象があります。「おけいはん」なんかは、今や多くの人たちに愛され続けるCMになっていますよね。楠葉けい子さん(日向千歩さん)は4代目だそうです。こういうCMって、いいですよね。今、広く社会にメッセージを投げかけるという意味でのマス広告のひとつの理想型だと思います。

 京橋で乗って、しばらくして空いてきたので席に座ることができました。間にある寝屋川や枚方、伏見桃山の街並を車窓から眺めながら、距離的には近い場所だけど、もしかすると、用事がなければ、この一度も行かないこともあるのかもなあ、と思いました。こういう近くて遠いところというのは、人生においてはたくさんありそうです。だからといって、わざわざ用もないのに出かけるというのも違うと思うし、人は、数少ない必然の中で右往左往するものなのかもしれないですね。

 京都の街の空気は、大阪とは少し違います。どことなく街に落ち着きがあるというか。大通りから少し奥に入ると、もう町家の風景で、銭湯がまだたくさん残っていました。地域コミュニティということで言えば、東京や大阪なんかより濃密で、だけど、大学も多く、たくさんの若い人たちが新しく入ってくる土壌もあるし、閉じられていることと開かれていることが、いい感じに均衡している感じがしました。もちろん、住んでいるわけでもなく、ストレンジャーとしての見方なので、京都の地場の人から見ると、そないにええもんやおまへん、てな感じなのかもしれませんが。

 近くて遠いところ。

 ふとした偶然で、それは、私がいるところにもなったりして、そういうものを必然と言うのだろうけど、私が今までいたところと私がいるところが、うまくつながって、新しい場所への道筋になってくれたらいいのだけれど、そうなるためには、もっともっと自分自身が豊かにならないといけないのだろうな、と思ったりします。

 最近、自分でも思うけど、だんだんとなんかつまらない奴になってきたな、なんてね、思うんですね。まあ、これは時期というものもあるだろうし、いつもこうした時期を通過してきたよなあ、なんて経験則もあるのだけれど、どうしようもなくもがいてしまいますね。愚かだなあとは思いますが、そういう愚かさというのは、一生治んないんでしょうね。

 明日は、親父と一緒に、母のいる病院に行きます。少し間があいてしまって、話では聞いているのですが、元気で機嫌良くしていてくれたらいいなあ、と思っています。まあ、そのときどきの体調や気分もあるし、不思議なもので、そうした感情の起伏みたいなものを自分に引き寄せてしまうことはなくなりました。本人にとっていちばんいいように、という言葉の内実っていうのは、本に書いあるようなきれい事ではないのは、ここ数年、記憶を失いつつある母から学んだことでもあります。

 本人にとっていちばん、というのは、自分の感情をできるだけ無にして相手の状況にあわせていくということだし、その状況にはいろいろな専門家の意見というのもあるし、国や行政の都合だってあります。それは、えらくしんどいよなあ、と思います。どうしても我があるものなあ、人間には。

 でも、なんとなく、そういう考え方は、少し広告の仕事に似ているところがあるのかも、なんて思います。で、私は、広告の仕事のそういうところが大好きです。これは、誰がどう言おうと、好きなものはしょうがないよなあ、と思います。好きは、変えられないです。

 親父がこのところ酒を控え出していて、聞いてみると、弱りつつある肝臓が肝硬変に移行しはじめているらしい。まあ、肝硬変という病名はショッキングではあるのですが、お医者さん曰く、体を大切にしていけば、何の問題もないことらしいです。

 「ワシはまだ死なれへんからなあ。」

 なんてことを言う親父は、今、すごく生きているということなんだろうな。ここ数年、母の病状にあわてふためいて、しっちゃかめっちゃかだったけれど、今、ようやく、その渦中にあった、母の焦りや苦しみなんかがよくわかるようになってきて、あのとき、いちばん辛かったのは母自身だったんだよなあ、なんて話したりしています。人間は、どうして後から分かるんだろう。せつないですね。

 まあ、そんなこんなで、最近、ブログも更新が滞りがちですし、ブログタイトルに偽りあり、みたいな状況でもあるし、それを、やっぱり私は広告人と世間様に自信を持ってもう一度言えるためには、少しばかりの痛みとがんばりがいりそうです。ま、がんばれ、俺、という感じです。気にかけていただいている親しい方々、しばらく懸命にがんばってみます。どうぞみなさま、よいお年を。

 なんか書いているうちに長くなっちゃいましたね。ほんとは、近くて遠い場所ってありますね、って短いエッセイを書こうと思っていたんですが、どうも久々に書くと長くなっちゃいました。でもねえ、この自由な感じが、個人がメディアを気軽に持つということだと思うんですよね。顔を見たこともない人のこういうだらだらとした文章を、私も読むことがありますし、それを読んで、ああ、この時代にいろいろ抱えながらともに生きているんだな、なんて思うこともあります。

 私は使っていないけれど、その自由さを短くして即時性を加えればTwitterということにもなるだろうし、リアル、バーチャルを含めた様々なコミュニティ的な空間や束縛から自由な個の表出が可能になったという、この部分こそ、私はインターネットの最も大きな可能性だと思っています。もちろん、コミュニティのあたたかさの良さもわかるけれど、やはり私にとっては、なんだかんだありながらも、それでも個が鱗として屹立できるしくみこそがインターネットなんです。

 この可能性を否定することは、今や、こうして社会で飯を食っている私自身を否定することにもなるんですよね。更新頻度が下がり気味の今の状況を含めて、このブログは、もうひとりの私です。なんか格好つけた言い方ですが、やっぱりそう思うし、今、ブログを書いている多くの人もそう思っていると思うんですよね。ね、そう思うでしょ。

|

« 静かに年が暮れていく | トップページ | 2009年の広告業界を振り返って。 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

等身大の「がんばれ、俺」を読んで、私も頑張ろうかなーと思いました。冒頭の写真、スゴく好きです。知らない場所だけど、何処かで見た風景のような...そんな感じです。

投稿: jell_jell | 2009年12月29日 (火) 01:38

「何処かで見た風景」というのは、私も撮影するときに感じました。四条河原町は何度か訪れていますが、三条ははじめてなはずので、なんだか不思議です。
お互いがんばりましょう。よいお年を。

投稿: mb101bold | 2009年12月29日 (火) 04:10

mb101boldさん、こんにちわ(^^)
私も近くて遠い中野の住人。(^0^)
それはさておき、私はどうしてもぼーるどさんに伝えたいことがあるのですが、なにを伝えればいいのかがわかりません。私には伝えたいことがあるのでしょうか?ないのでしょうか?でも、ぼーるどさんはこれを読むと、私がなにを思ったかはすこしくらいわかるのではないかと。私はそういうのが人間関係じゃないかなと思います。がんばれぼーるどさん。良いお年を。

投稿: ggg123 | 2009年12月29日 (火) 16:23

そういうのが人間関係なのかもですね。何かはわからないけれどなんとなくわかる、きっとわかってくれている、みたいな。きっとそれは今流行の「友愛」なんてことばを使ってしまうと、何か違ってくるような、そんなものなのでしょうね。gggさんも、良いお年を。

投稿: mb101bold | 2009年12月29日 (火) 20:33

お母様の体調はいかがでしたか。家族の誰かが病気になると一大事ですが、そのことで家族関係自体も変化していきますよね。お父様の体調管理もお母様の今があってされているのでしょうし。
mb101boldさんは今は内面に向き合って待っている時期なんでしょうね。人生に無駄なことは何もないといいますから、このしんどさもきっと糧になると私は思います。
いろいろとお世話になりました。よいお年を。

投稿: しばはな | 2009年12月30日 (水) 21:42

こちらこそ、いろいろとお気遣いありがとうございます。ほんと親父ともよく話すようになりましたし、母を中心につながっている感じがします。
しばはなさんも、どうぞ良いお年を。

投稿: mb101bold | 2009年12月30日 (水) 22:19

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 近くて遠いところ:

« 静かに年が暮れていく | トップページ | 2009年の広告業界を振り返って。 »