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2009年12月 4日 (金)

伝えたいことがある人が伝えることができるということ

 私は、なんだかんだ言っても、やっぱりウェブに恩恵を受けている人間だと思います。私が生きている時代にウェブがあってよかったという思いがあります。こうしてブログを書けること。それは、本当にありがたいことだと思っています。

 今日も、どこかの某市長がとんでもないことをブログに書き散らしていたというニュースがあったし(まあ、そこに書いてあることは論外だと思うし、気分が悪いのでリンクも貼りません)、ブロガーというなんだかわからない新しい人種に対しては、自己顕示欲だよね、誹謗中傷メディアになっているよね、衆愚化だよね、と、いろいろと皮肉を言えると思うけれど、それでも、何かを伝えたいと思う人が、経済的な負担があまりなく、少なくとも理論上はネットを使うすべての人に伝えられるという可能性を手にしたことは、何度も言われ尽くして陳腐化した言い方になってしまうけれど、グーテンベルクの活版印刷発明以来の革命だったんだと思います。

 それでも、例えば、私がプロバイダー料を払えなくなって、生活のために時間の余裕も失ってしまったら、このブログを維持することは難しいと思います。つまり、ものを伝えるという行為は、決してただではないということです。私の場合は、伝える手段がテキストだし、基本的に生活の中での考えをもとにしているし、取材もないし、だからこそ成り立っているだけの話で、伝えるたいと思うことが、ある程度の経済的犠牲が伴うものである場合、その伝えたいことと、伝えることを天秤にかけなければならなくなります。

 アマチュア領域の表現の敷居は下がりました。けれども、そのことで、表現で飯を食っているという意味におけるプロフェッショナル領域での表現の敷居はむしろ上がったような気もします。雑誌の廃刊が続いています。テレビ局も新聞社も経営が苦しいです。まあ、商売でやっているわけだから知ったこっちゃないと言えばそうかもしれません。けれども、その傾向は、例えば、商売を全面に押し出さずとも、何かを伝えたいと思う人が、経済的な理由で、伝えようとすることに躊躇してしまう環境があるといういうことでもあります。

 これは、いつの時代でもあることだとは思うけれど、ここ最近起きたメディアの分散化と、経済の停滞によって、急速に進んでしまった環境であるとは言えるのではないかな、とも思います。

 広告をひとつとっても、今の世の中では、そう簡単には出稿してもらえない状況がありますし、それはそのまま、伝えたいことがあるけれど伝えられないということを意味します。ネットがあるじゃないか、と言っても、もはや、ネットだって同じですよね。ネットメディアだって、構造は同じ。メディアですから、持続できなければ成り立ちません。

 メディアを成り立たせる最大の発明だった広告モデルが、今、弱体化しています。広告、もう駄目だよね、と簡単に切り捨てることもできます。

 けれども、切り捨てられるのかな、とも思うんです。じゃあ、何があるの、という気もしないではないです。収益の多様化も必要だとは思います。そのひとつとして、NHKオンデマンドがこれからどうなっていくのかも気になりますし(参照)。余談ですが、とりあえずは「料金値下げを検討」とのことらしいですね。

 いろいろ答えはありそうな気もするし、もう出ている答えもあります。私は、もうひとつの答えが知りたいと思うのです。それは、広告側が変わることで、今ある広告モデルを再生する方法論です。つまり、表現の問題として考える方法論です。

 ま、実例をここに示すわけではないので、勝手に言っているだけとも言えるけど、自分なりの成功例もあります。大きなテーマを提示し、常にキープしながら、キャンペーンのはじめと終わりを意識してメッセージ展開を設計し、時系列で適切なメッセージをコントロールして出していって、より大きなひとつの像を形づくる方法です。これは、かなり意識的に緻密にやりました。簡単に言えば、物語。だけど、ひとつひとつでも楽しくて伝わるし、物語性(私的にはing感)が感じられるのが、物語とは異なるのだけれど。

 メディアニュートラルに様々なメディアを相乗効果を生むように意識して使用することで、例えば、今、効果が落ちていると言われる新聞広告でもかなり高い効果が出せましたし、直接的な効果が見えにくい交通広告においても、最終的なDMなどの川下メディアの効果が上がるように計算しながら出稿しましたので、費用対効果も良かったような気もするし、次にも、その次にもつながるものを残せた気もします。

 もしかすると、それはコミュニケーション・デザインの一種かもしれませんが、少し違う気もします。そして、そのやり方は、広告の基本から言えば、わりとオーソドックスな手法だったような気もしています。ただ、オーソドックスであるがゆえに、今どき新しいという自負はありますけどね。まあ、自分がやったことなんで、定義の必要もありませんが。

 もうひとつ、いや、あとふたつくらい。それが知りたい。思いつきたい。しかも、大規模じゃなく普段着感覚のやつで。その方法さえ思いつくことができれば、少なくとも私自身の視界の前にある霧が、一気に晴れるような気がするんですけどね。

 伝えたいことがある人が、ある程度の覚悟さえあれば伝えられるということは、これからの世の中でも大事なことだと思うし、今、私の専門性の中で悪戦苦闘していることが、そうした社会性みたいなものを帯びた問題意識であるとも思うし。それぞれの人が、それぞれの分野で知恵を出し合えば、きっと世の中がよく変わる。私は、ブロガーとして、それに1票を投じたいと思っているんですけどね。私は、設計を含めた大きな意味合いでの広告表現の分野でコツコツやっていこうと思っています。

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コメント

こんにちは。
アマチュアには自己表現のハードルが下がる。
プロとしてのハードルが上がる。

同じことを、デザイン雑誌の編集者さんがイベント座談会でおっしゃってました。雑誌が生き残るのは編集機能で、とはいえそれにお金を出してくれる人は減ってしまうから、評価されるだけのレベルが要る、と。

アマチュアとしてあれこれ書き始めた僕にはありがたい環境ですが、どこか「プロフェッショナルと本当は接点持ちたかった」という気持ちはつきまとっています。
今は気楽にやってます、と言いながら、もしかしたら、「あなたは永遠にアマチュアです」と断言されたら、モチベーションを失ってしまうかもしれません。奇妙な感覚だと思いつつ、何事もフラットになっている今、案外必要な考え方なのかな、と思ったりもしています。

とりあえず、mb101boldさんの温かな語り口に接することができて、自分の頭の中ではぼんやりとしか感じていないことにヒントを与えてくださること、やっぱり僕にとってはラッキーなことだな、と思っています。
ついでに、こちら経由で僕のブログに来ていただいた方もいて、嬉しかったです。こういうの、紙の本の上では難しいですものね。

昨日、ある場所で初めて(!)電子ブックなるものを手に取りまして、「これからは論文なんかはこれでチェックなんだ...」なんて自分に言い聞かせてました。アメリカでは普及しているけど日本ではまだまだ、と解説されたのですけど、文化の違いなのか、アメリカ人が使い分けが上手なのか、一時的なことなのか、僕にはわかりません。
どっちかというと戸惑いが多い側の人間ですから、今回の記事についてはあれこれ考えさせられました。

投稿: mistral | 2009年12月 4日 (金) 12:21

ブログは確かに敷居が低くなりました。私自身もほんの気ままにやっていますが。実生活では知り合うことが難しい人でも、心の交流が出来たりしますし。(*^-^)
ウェブだからこそ自らアウトプットすることが出来て、レスポンスで気づくことがあったりしますし。情報過多の中で、より心に残ることの難しさがあり、ウェブ上での社会性の自覚、マナーが改めて個々に問われている気がします。

投稿: しばはな | 2009年12月 4日 (金) 17:10

>mistralさん

プロフェッショナル領域では、今、地味だけどあってほしいというようなコンテンツが成り立ちにくくなってきているような気がします。手弁当にも限界がありますし、継続が深さをつくる部分もありますから。まずは親しい人の試みが成功するように、暇をみつけて知恵を絞っているところです。
ブログブームは静まってきたような気がしますが、ゆっくり続けていきましょう。ひとりが自分の場所を持って発信して、ひとりひとりが、個人としてある。だけど、ひとりぼっちではなく、つながっている。そんな感じがいいと思うんですね。
今の時代、続けることが意味を持つと思うのです。飽きるプロより、続けるアマチュアだと思いますし。

>しばはなさん

実生活では知り合うことが難しい人とも交流ができるのは、ブログのいいところですよね。ほんと、いろいろな気づきをいただきますし。
きっとウェブは社会に近づくと思うんですよね。リアルとバーチャルみたいな区別が溶けていくような気がします。その中で、ブログは、パーソナルな部分がソーシャルにつながっていく感じがありますね。そのあたりが、私にはあっているような。
今後とどうぞもよろしくお願いします。

投稿: mb101bold | 2009年12月 4日 (金) 23:22

いつも楽しみに読んでいます。地方の広告業界の人間としても、問題意識は共有できるかなと感じています。アマチュアの台頭とそれにともなう制作費のデフレが地方では露骨に進行中です。どこも似たような状況でしょうが、だからこそプロはこれからその真価を厳しく問われるのでしょうね。
ともあれ、今回とちょっと前のNHKのエントリーは、地方在住ブログの書き手としても触発される内容でした。また寄らせてもらいますね。

投稿: KIKUyan | 2009年12月 5日 (土) 01:15

>アマチュアの台頭とそれにともなう制作費のデフレ

この傾向は、望む望まないにかかわらず非可逆性なんだろうなと思います。たぶん、こうしたことで生まれた状況が私たちのリアルで、広告のプロは、そのリアルの中で考えなくちゃいけないんでしょうね。広告はリアルありきの表現行為だから。
ほんと難しい局面です。なんとか踏ん張って霧を晴らしたいです。

投稿: mb101bold | 2009年12月 5日 (土) 10:19

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