走りながら考える
たいがいの人の場合、考えるということは、走りながら考えるということになりますよね。立ち止まってゆっくり考えるなんて悠長なことは、孤高の哲学者でもなければなかなかできることではないですし、立ち止まることは、それはそれで勇気がいることだから、ま、走る。そして、走りながら考える。
自分の過去ログを読んでみると、去年の12月1日もそんなことを書いていました。成長がないというか、なんというか、人間はそんなに急激に変わるものではないという証なのかもしれません。
年を重ねることは、経験を深めることでもあるけれど、その経験の深さはこれからの可能性の狭さを意味する部分もあって、もう若い学生さんのように、自分の中に無限の可能性は見つけられなかったりもするのです。だからといって、もう変われないのかというと、そうでもなくて、今だに新しい経験だらけの毎日だけど、それは、いつのまにか自分の経験に照らし合わせたりしていて、それは、いいことでもあり、邪魔になることでもあるということでもあるんだろうなあ。ものごとは、いつも両義的だよなあ、と最近思います。
去年の今頃のエントリを読み進めると、その時点で456あると書いてありました。これが701回目の投稿だから、1年で245のエントリを書いてきたことになります。よく書くことがあるよな、なんてことも思いますが、結局は、ひとつのことを手をかえ品をかえ書いてきているような気もするので、そんなにたいしたことではないような気もします。つうか、思いつくままつらつらと書くのは楽しいしね。こういうのを慰みって言うんでしょうね。
とにかく走る。走りながら考える。
きっと、それは、どんなかたちであるにせよ走っていなければ考えられなくなる、ということでもあるんだろうなあ。リアルに走ると、最近はちょっとゼイゼイと息を切らすようになってきましたが、ま、師走なんで、走ります。そういうことで、12月。さあ、2009年のラストスパート。明るく元気にいきましょう。
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