2009年の広告業界を振り返って。
今年は書かないでおこうと思ったけど、やっぱり書きます。書きにくいけど、今いる場所から見えることもあるだろうし、その中には去年の私には見えなかったことでもあるし、自分の思考の整理のためにも、2009年の最後の日の記録としてとりあえず書き始めることにします。こんなブログでも、時代の一記録という意味合いはあるだろうし。
昨年の「2008年の広告業界を振り返って。」というエントリーで私はこう書きました。
2008年の前半戦は、昨年度の継続という感じだったと思いますが、後半は違いました。サブプライムの破綻に端を発するアメリカの金融危機の影響を大きく受けた感じになってきました。ただ、これは、今のところ「気分」の問題であって、その影響を実際に受け始めるのは来年からだと思います。
ま、そのとおりに推移したということは、大雑把な概況としては言えるのかなと思います。でも、こういうことは「言われなくてもわかってるわい」ということかもしれないし、なんかことさら一大事みたいに言うのは下品なような気もします。大手を含めて広告会社、軒並み減益。あまり話題にはなっていませんが、大阪では中堅代理店が清算という話もありました。状況を知るには、こうした事実を並べるだけで十分です。
こういう状況に対して、個々人の気分というのは必ずしも連動はしていないのが現在だろうと思います。清算される代理店で働く方々の意識と、広告代理店や制作会社、フリーランスでリアルタイムでクライアント作業をしている人、競合コンペの作業で忙しい人、企業内で広告業務を推進する人は当然違っていて、また個々人のキャリアや専門領域の違いによっても異なるでしょう。一般社員と経営者ではまるで違うだろうとも思います。また、広告についての考え方ひとつで、今後の時代の行方についての感覚は異なるのでしょう。
その個々人の意識を決定付ける条件の中で、私自身はなるだけ冷静に、フラットに、バランスを持って今の状況を把握したいとは思っています。ただ、それができるだけの強さと冷静な心が今の私にあるかどうかははなはだ疑問ではありますし、その混乱した思いは強くなるばかりですし、それに、どうしても私という個の条件からは逃れられなくて、その個の信条をベースに世の中を見るというふうになってしまいます。
基本的に私の場合は、どうしようもなくこうなります。
1)広告の仕事が好きだ
2)私が好きだと思う広告ってどういうものか
3)その広告は時代とともにどう変化するのか
4)またどう変化すればいいのか
という感じです。この前提から導き出される方向性からは逃れようがありません。ただ、私はこの前提から導き出される方向性に従って、明らかにそれは違うだろうということに対して理屈で固めていくことだけはしないでおこうと思いながら、このブログを書いてきました。
ネットという場にいると、どうしてもネットを使った広告に対して好意的なことを考えてしまいがちだし、現にそういう言説も多いです。それを生業にしているからそうなるのでしょうが、その言説をある種の普遍化をしてしまう段階で違ってくることは多いように思います。マス広告側で言えば、かつてのセカンドライフへの期待がそれだし、ネット広告側で言えば、最近ではそれほど過剰な言説はなくなってきましたが、PPPをはじめとする個人をターゲットにしたペイパブへの期待がそれ。
2009年という今を言えば、そうした過剰な期待がことごとく現実側に裏切られ、ある意味でこなれてきたということでもあるのでしょう。気分としては、私としてはこれが一番かも。アメリカでは薬事法を中心に様々な新しい広告への規制が強化されてきました。
こうした傾向は、これまでわりと牧歌的に語られてきた「リアル VS バーチャル」という枠組みの無効化を意味しているような気がしています。本当は、「リアル VS バーチャル」という対立構造というのは、この今のコミュニケーションの状況を説明するための補助線としては有効ではないと思うのです。
ネットは、今までもあったけれど、世の中的には見えにくく、その見えにくさゆえに考えなくてもよかった人の生活の場、あるいはモードというものを可視化したということなのだろうと思います。
これまで、広告は社会というものを想定してメッセージを発信すればよかった。しかし、ネットが可視化したのは、その社会に無数にあるコミュニティの姿でした。社会においてのメッセージ発信は、その共通の薄い約束ごと、つまり、社会性と言われるものを、規制として、また、公共性への意識として考慮すればよく、だからこそ、マスへのメッセージ発信が、それなりの時代のメッセージとして機能してきました。
その社会に向けてメッセージを発信するという広告が成り立つ場が、中間的な社会であるコミュニティによって縮小されて、そのメッセージ発信の活路をコミュニティに求め始めたというのが、企業コミュニケーションの今なのだと思います。
しかし、ここであまり語られていないけれど、じつは、その場をコミュニティに移すということは、広告というコミュニケーションのあり方にとっては、非常に難しい問題をはらんでいるのだと思うんですね。
先日、とある人と話していた中での話ですが、広告とは「伝える、つながる、かなさる」というコミュニケーションの深度における「伝える」がミッションであり、「つながる」への移行は、その「伝える」の結果として認識されていました。
けれども、コミュニティに向けるということは、じつは本質的に「つながる」をミッションとする行為なのだろうと思います。「伝える」で大事なこと、幹になる軸は、言葉に語弊があるけれど「センス」であり、その前提としての「プロポジション」「コンセプト」でした。けれども、コミュニティにおいて大事なこと、幹になる軸は、これも言葉に語弊があるかもしれませんが「ルール」なのだろうと思うのです。で、コミュニティの数だけ「ルール」は存在します。そこでは、広告が前提とする諸軸がわりと無効化され、より「ルール」を内面まで共有化した仲間であるかどうか、ということが問われてきます。
そういうことが、企業コミュニケーションにできるのか、うまくやれるのか、企業コミュニケーションがその領域に踏み込むべきなのかどうか、ということが今、私が考えている核の部分なのですが、今のところ、私には少しわかりかねるところがあります。実際、いくつかの広告実務では、コミュニティを意識しながら表現をつくってはきましたが、それは、ある社会的存在としての企業が、そのコミュニティに対して理解というか敬意を持ってコミュニケーションするという段階にとどまっていた、あるいは、とどめるようにしていた、ということだったような気がします。でも、それでも、そのことを頭に入れるかどうかでコミュニケーションはまったく違ってくるとは思いますけどね。
企業自身がコミュニティをつくっていくということで言えば、所謂PPPの騒動がその限界を示していたような気もしています。噂をお金で買うという部分に企業コミュニケーションの限界が露骨なほど表れています。さらに言えば、コミュニティを持っている企業が次の段階に進むときには、逆にコミュニティの独自の価値系ではなく、社会一般という価値系に飛び込んで「伝える」をやらなくちゃいけないという、逆のベクトルもあります。それはそれで、ネット時代においては、いろいろと困難なプロセスを経ることになるのだろうなと思います。
ま、そうして考えると、今の状況は新旧メディアあるいは新旧広告テクノロジーの問題だけではないということがわかるかと思います。思えば、私はこういうことをずっと「表現の問題」と言ってきたように思うんですよね。まあ、それがわかっただけでも、2009年は良しとしなきゃですね。
なんとなく「2009年の広告業界を振り返って。」というよりも、「2009年大晦日に広告を想う。」みたいなエントリになりましたが、これで本年ブログ納めです。1年間、どうもありがとうございました。みなさまよいお年をお迎えください。2010年もどうぞよろしくお願いします。
関連エントリ:
2008年の広告業界を振り返って。
2007年の広告業界を振り返って。
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コメント
あなたの言葉と存在に、ずいぶんと助けられた一年でした。
ありがとうございました。
新年が良い年でありますように。
投稿: takupe | 2009年12月31日 (木) 23:23
こちらこそ、ありがとうございます。お互いがんばりましょう。新しい年もどうぞよろしくお願いします。よいお年を。
投稿: mb101bold | 2009年12月31日 (木) 23:36
ブログRSSで拝読しています。
自分にぴたってくる言葉が多く、とても楽しく、そして有意義に、更新を楽しみにしてます。
2009年もありがとうございました。
そして2010年もよろしくお願いします。
投稿: naraken1 | 2010年1月 1日 (金) 18:04
ありがとうございます。本年もどうぞよろしくお願いします。
投稿: mb101bold | 2010年1月 1日 (金) 19:23
昨年はいろいろと教えていただきありがとうございました。
広告が変わると同時に、企業のあり方や利益の確保の仕方も変わるのでしょうね。
企業が変わる→広告が変わるものだと思っていましたが、社会の中にある関係性みたいなものが一気に変容していくのかな、なんて思ったりしています。
投稿: mistral | 2010年1月 4日 (月) 15:05
こちらこそありがとうございました。本年もよろしくお願いします。
確かに、いろんなものが同時に一気に変わっていく感じはしますね。ただ、こういうふうにも思います。
昔から、やっぱり、このエントリで言うところの「広告」つまり、特定のコミュニティではなく広く社会にコミットするというメッセージ伝達の方法を使う必然はそれほど多くはなかったと。
で、今、広告は減っているけれども、弁護士、司法書士の広告が増えているんですね。それは、良くも悪くもそういう社会だからで、そのサービスは広告が効いているということでもあります。社会が変わればまたかわるんでしょうね。
そのあたりの道理の部分は忘れずに、浮き足立つことなく少し先を考えていければな、と思います。
投稿: mb101bold | 2010年1月 4日 (月) 15:52