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2010年1月25日 (月)

生まれ来る子供たちのために

 少し前になりますが、佐野元春さんと小田和正さんの対談をテレビで観ました。NHKの「THE SONGWRITERS」という番組で、私が観たのは再放送らしいです。

 私は、今だに小声で言う感じではありますが、オフコースが好きです。この感覚、もう若い人にはわからないかもしれませんね。オフコースが「さよなら」という曲でブレイクする前は、男性でオフコースファンと公言するのは、少し恥ずかしい感じがありました。よく軟弱と言われていましたね。

 そういう扱いを受けていたのは、アルバムで言えば「Three and Two」以前という感じでしょうか。それまでオフコースは、小田和正さんと鈴木康博さんのデュオなのか、それとも5人編成のバンドなのかは、あいまいな感じで、レコードでは多重録音によるかなり作り込まれていたサウンドでした。ライブはともかくレコードでは、ボーカルは、コーラスのパートを含めて、小田さん、鈴木さんだけではなかったでしょうか。アレンジは、これでもかというくらい緻密で、ファンの多くは、そんな音楽的な緻密さにも魅かれていた感じがありました。

 当時の所属レコード会社である東芝EMI的には、いいグループなんだけど、いまいち華がないし、セールスも振るわない、という感じだったのではないでしょうか。

 もともとオフコースは、PPMなんかのモダンフォークに影響を受けたコーラスグループでした。ライブ活動やレコーディングを重ねるにつれ、バンドサウンドになっていって、いよいよオフコースはバンドなんだと宣言したのが、この「Three and Two」というアルバムなんですね。でも、3人と2人という宣言の仕方は、今思えばなんだか煮え切らない感じもします。そういう「考え過ぎ」な感じはオフコースならではだなあ、と思いますが。

 セールス的には「愛を止めないで」のスマッシュヒットがあり、その後の「さよなら」の大ヒットで、オフコースは押しも押されぬビッグネームになっていきました。空前の大ヒットである「さよなら」の次のシングルが、表題の「生まれ来る子供たちのために」でした。

 この曲、とても美しい曲ですが、シングルカットの曲としてはとても地味です。大ヒットの次なので、レコード会社としては、「さよなら」第二弾的なキャッチーな曲を求めてくると思いますが、そのあたりは、小田さんはかなり意識的に、この地味な曲をシングルにしたと語っておられました。こういう時こそ、オフコースらしい曲を出すべきだ、みたいなことですね。趣旨はWikipediaの「生まれ来る子供たちのために」で引用されている発言とほぼ同じですね。孫引きですが引用しておきます。

「こういう曲をシングルにするっていうのはやっぱり、盛り上がったときにしかできないしょ? 普通のときに出していたら、良い曲だけど地味だ、っていわれるだけ。で、この時期にそういう曲を出して、次の活動につなげていきたいんだよね」

「これはオフコースのテーマ、というか、僕自身のテーマなんだよね。日本はどうなっちゃうんだろう、という危機感て前からあるでしょ? でも結局、公害どうのこうのっていっても、そんな騒ぎはすぐ下火になっちゃう。日本人って、そういう部分で飽きちゃうんだ。それを自分自身でも意識しているべきだと思う。そんな意味で出しかった」

 この曲、今では「言葉にできない」と同じように、今もなお多くの人に愛され続けています。もしかすると、大ヒットした「さよなら」や「Yes No」よりも愛されているかもしれません。たくさんのアーチストがカバーしていますし、それなりにヒットもしていますよね。

 「言葉にできない」の時も、社会現象にもなった「overコンサートツアー」の真っ最中のシングルとしてはとても地味で、そんな地味な2つのシングルが20年以上経った今、オフコースを知らない世代にも聴かれ続けているというのは、あの当時を知っているものとしては、ほんと不思議だなあと思います。

 だけど、小田さんにしてみれば、それは当然という感じでもあるのかもしれませんね。それだけの自信があるからこそ、レコード会社の反対を押し切ってシングルにしたわけですから。(あとは「ひとりで生きてゆければ」がリメイクでヒットすれば完璧なんでしょうけどね。このあたりは、古くからのオフコースファンの方ならわかりますよね。)

 「生まれ来る子供たちのために」は、小田さん流のメッセージソングだということですが、私は、最初の歌詞がずっと頭の中に残っていて、今もときどき、あれはどういう意味なんだろうな、と考えたりします。

多くの過ちを 僕もしたように
愛するこの国も 戻れない もう戻れない

 ここで言う戻れない「この国」っていうのは、どこなんだろう、と。「この国」に戻れない「僕」は小さな舟で大海原へと旅立つんですよね。この曲は、こういう歌詞で結ばれます。

真っ白な帆をあげて 旅立つ舟に乗り
力の続く限り ふたりでも漕いでゆく
その力を与えたまえ 勇気を与えたまえ

 きっと、海原は、今生きている時代であるとか社会でとかであるのだろうな、と思います。それは、先の小田さんの発言から紐解くと「日本」ということにもなるでしょう。であるならば、「この国」っていうのは何だろうな、と思うんです。過去と未来という考え方もできそうな気もしますが、少しつまらない解釈かな、とも思います。

 なんとなく思うのは、「この国」では共同体と個が溶け合っている場所なんだろうなということです。それは、イメージとしては子供時代と言ってもいいかもしれないし、もっと言えば、社会という言葉に対するコミュニティ的な場所、あるいは阿部謹也さんが言うところの「世間」なのかもしれないな、とも思います。

 その場所で、多くの過ちをするとは、すなわち「個」になることと同義であり、「個」となることは、その場所を出ることを意味し、だからこそ、海原としての「社会」が「その国」と対応するかたちで出てくるのではないだろうか、と。

 小田和正という人は、わりと西洋的な、あるいは近代的な「個」を心の中に持っている人だと思います。「個人主義」というアルバムも出していますし、その人が「相対性の彼方に」なんてへんな名前のアルバムをつくるのも、なんとなく、そういう軸で考えるとわかる気がします。なんとなく今になって、この曲を起点として、小田和正という人の考え方がわかったような気がしました。

 5人のオフコース時代の「Three and Two」という妙なアルバムタイトルの根拠は、きっとこのあたりにあるのかもしれません。そして、「We are」と宣言して、すぐに「over」で終わってしまったのも、鈴木さん脱退という出来事もあるにせよ、小田さんの考え方からすると必然に近いのかもなあ、とも思いました。で、その後、一人称で「I LOVE YOU」というのも、なんとなく納得。

 それで、あれこれ考えていて、この年になってわかることがありました。私は、どうしようもなく小田和正という人の考え方に影響を受けているんだなあ、と。まだ考えはまとまっていないけれど、今、考えている社会とかコミュニティまわりの考えは、よく考えると、小田さん的感覚と似ている気が。なんか、ちょっとなあ、まだ影響下にいるのかよ、とも思ったり。そりゃまあ、中学時代からさんざん聴き倒しているわけだから、しょうがないことでもあるけど。

 そう言えば、番組で曲を先につくり詞は後から、と語っていましたね。それは、言葉を直感で紡がないということでもあるのでしょう。あの、小田さんの歌にある、センチメンタリズムに隠れた、いい意味での論理性や理屈っぽさの理由は、そこらへんにあるんだろうな、と思いました。本人も、直感ではなく、修正を重ねて曲をつくると語っていて、そのあたりも、聴き込んで来た者としては、非常に合点がいきました。ある意味で、建築に似ているんですよね。

 とまあ、オフコースまわりは、いつまででも書いていられそうな感じなので、今日のところはこのへんで。それにしても、オフコースのことを書くの、久しぶり。なんか、書いている本人はすごく楽しいのですが、「生まれ来る子供たちのために」の発売が1980年だから30年以上前の話、今の若い人にはわかりにくいのかもなあ、と思ったり。

 ■「5人のオフコース」時代のCD・DVD

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コメント

こんにちは。
いつもはフィードで読ませていただいてますが、今回の記事は、ついったーで検索していて偶然見つけました。
佐野元春さんとの対談番組、去年の夏に教育テレビで放送されており、自ブログにも書きました。
http://members2ami-go.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/the-songwritter.html
「生まれ来る子供たちのために」初めて聴いたのは30年前、中学生になる寸前でしたね。当時は確かに地味だと思ったもの。出産を経て、改めて聴いてみると、じんわりとした感動があり、重みがあり。どっかに書いた記憶があるけど「イムジン河」の世界に似ているなぁ、と素人は思うのです。
当時も今も「日本はどうなっちゃうのだろう」という気持ちは変わりません。しかし、これまでよくぞ無事に生きてきたなぁ自分と、このごろ思うのです。ではでは。


投稿: あみーご長嶋 | 2010年1月25日 (月) 15:32

なるほど、「イムジン河」ですか。今もそこにあるけれど、すでに失われてしまった、帰ることができない故郷という部分なのかもしれませんね。
小田さんの歌は人の心の部分に触れる内面の部分というか、とても内向的な表現だと思うのですが、ときどき現状に対する提案がある歌詞がありますね。やはり、そのあたりは建築の素養があるのでしょうね。大学院の修士論文のタイトルはもともと「建築への決別」だったそうです。結局、そのタイトルでは受理されず「私的建築論」になるのですが、逆説的ですが、小田さんにとって音楽は建築と同等だったのだろうな、と思います。
若い頃の歌で「地球は狭くなりました」というのがありますが、少し青臭いけれど、時代を憂う建築人の気性が表れているなあ、と思いました。

投稿: mb101bold | 2010年1月25日 (月) 23:33

僕はオフコースをリアルタイムで聴いていた世代ではないのですが、去年の年末の「クリスマスの約束」は壮観でしたね。

一流のミュージシャンがひとつのステージに立って、それぞれの名曲をメドレーでつないでゆく、というシンプルなアイデアを実現するための複雑な裏舞台とかのドキュメントも相当カットされていたと思いますが素晴らしかったです。

番組スタッフにまで責められてる小田さんを見て、「あれ?小田さんってこんな弱そうな性格の人だったかな?」と感じました。年齢のせいでしょうか。それでも、ステージで見事に歌いきり、大きな拍手をもらって、感極まってる姿は、とても素敵でした。小田和正だからこそ実現できた偉業だったんじゃないかなあと思いました。多くのミュージシャンに慕われているのもわかります。

投稿: 荒井順平 | 2010年1月27日 (水) 01:54

「クリスマスの約束」は見逃していました。なんかいろいろたいへんなアイデアを試行錯誤を繰り返しながら実現していくのは、小田さんらしいですね。
そう言えば、Song is Love、JUNKTION、FAIRWAYの3つのアルバムは「試行錯誤の3枚」と呼んでました。

>番組スタッフにまで責められてる小田さんを見て、「あれ?小田さんってこんな弱そうな性格の人だったかな?」と感じました。年齢のせいでしょうか。それでも、ステージで見事に歌いきり、大きな拍手をもらって、感極まってる姿は、とても素敵でした。

それも小田さんらしいですね。レコードやDVDで残っているものでは、中野サンプラザのコンサートでも武道館でも小田さんは感極まって泣いたりしてます。変わらないなあ、と思いました。

投稿: mb101bold | 2010年1月27日 (水) 09:37

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