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2010年2月 7日 (日)

Kind of Blue

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 マイルスのアルバムでは、「Kind of Blue」がいちばん好き。私の場合、つまり、素直にエバンスが好きということになるのかな。

 エバンスは、1958年にマイルスバンドに参加している。まだラファロ、モチアンとのトリオ結成の前だから、若いエバンスにとっては、はじめてつかんだ大舞台だった。ドラッグ問題でマイルスバンドを退団したレッド・ガーランドに代わるピアニストを探していたときに、ジョージ・ラッセルがエバンスを紹介したそうだ。

 「紹介したいピアニストがいるんだけど。」
 「そいつは白人か。」
 「そうだ。」
 「そいつは眼鏡をかけているか。」
 「そうだ。」

 そんなやりとりがあったらしい。つまり、マイルスはエバンスのピアノを聴いて、あらかじめ目をつけていたということ。当時、マイルスが白人のプレイヤーを加入させることはタブーだった。マイルスは黒人の誇りだったし、何よりもジャズは黒人の音楽だった。ライブでも野次られ、エバンスにとっては相当きつい状況だったようだ。

 当時のエバンスは、白人であることに音楽的なコンプレックスもあった。白人にはSwingできない。それがジャズを取り巻く空気だった。

 マイルスは、このとき「いいプレイをする奴なら、肌の色が緑色の奴でも雇うぜ」 という言葉を吐いている。マイルスが期待した、いいプレイ。それは、エバンス独特のハーモニのセンスだった。マイルスにとっては、黒人とか白人とかに関係なく、ラッセルが追求していた、コードからの開放という方向性にある音を出せる奴ということ。マイルスも、ラッセルと同じ方向を向いていた。

 けれども、すぐにマイルスはエバンスを解雇してしまう。理由は、エバンスには知らされなかった。コルトレーンに宛てた手紙によると、エバンスは自分が白人だからだ、と思っていたようだ。エバンスという人は、そんなところがある人。どうしようもなく空気を読めない人だった。音楽では、あれだけ繊細に空気を感じることができるのに、実生活では、生涯を通して破滅的だった。

 原因はドラッグ。極度のヘロイン中毒だった。

 当時、マイルスも、コルトレーンも、ドラッグに関してはシロではなかった。それでもエバンスを解雇せざるを得ないということは、エバンスの依存が相当なものであったことを物語っている。

 解雇から1年後の1959年、マイルスは「Kind of Blue」というアルバムの録音のために、エバンスを呼び戻す。どうしても従来のコードワークから開放された、エバンスのハーモ二センスが必要だったからだ。けれども、マイルスはエバンスをレギュラーメンバーにするつもりは、はじめからなかった。このアルバムの、モードジャズ的なコンセプトからはかなり異質な、ハードバップ的なブルース曲を1曲、レギュラーメンバーであるウィントン・ケリーに弾かせている。

 このアルバムには、「Blue in Green」という美しい曲が収録されている。マイルスの作曲であるとクレジットされているが、批評家の間ではエバンス作だと言われている。聴いてみると、確かにエバンスらしい感覚がある。けれども、これは私見ではあるけれど、旋律がエバンスにしては完成されすぎているのではないかとも思う。エバンスがつくるメロディは、どれもどこかに破綻があるように思えるし、あの美しいメロディは、マイルスの感覚だと思う。作者が誰だとかに関係なく、50年以上、ジャズファンに愛され続けている今となっては、そんなことはどっちでもいいとも言えるけれど。

 マイルスにとって、エバンスはじめからレギュラーを想定していなかった。録音のためのメンバーだった。その後のライブ活動を考えると、それはかなりイレギュラーなこと。マイルスは、このアルバムで、エバンスと決別するつもりだったのではないか。それは、才能あふれる若きピアニストのためのことだったのか、それとも自身の芸術のためのことであったのかはわからないけれど。

 アルバム「Kind of Blue」には、同名の収録曲がない。日本語にすると、「なんとなく憂鬱」という感じになるらしい。アルバムの中には、かなり軽快な曲も含まれていて、かならずしもアルバム全体の雰囲気を示すものではない。それは、もしかすると、マイルス自身の気分を示しているのかもしれない。

 もしも、マイルスにそんな気分がなく、またエバンスをレギュラーメンバーとして迎えようと思ったとしたら、その後のエバンスのピアノトリオにおけるインタープレーもなかったのかもしれない。いや、それはない、とかつての私なら言ったかもしれないけれど、ドラッグのお金がほしくてたまらなかったエバンスにとって、大スターであるマイルスバンドのピアニストという地位は、2010年の極東の一ジャズファンが考えるよりも大きかったに違いない。

 その後、51歳で幕を閉じるまで、エバンスの人生すべてを賭けることになるピアノトリオという形式も、案外、彼自身が望みもしなかったマイルスとの決別、つまり、本人が意図することのない偶然というか、運命の気まぐれが選ばせたものかもしれないな、と「Blue in Green」を聴きながら思った。

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