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2010年2月 1日 (月)

キャズムの超え方

 AppleからiPadが発表されました。

 新しもの好きのPCユーザーにとっては、なんとも複雑な製品ですね。だって、タブレットPCでしょ、今までにもあったでしょ、って涙目で愚痴りたくなりそうな感じです。確かに薄くなって、解像度も上がって、きっと稼働時間も長くなって、OSも使いやすくて、ソフトも豊富。だけど、タブレットPCじゃねえかよ、なんて思っている人も多いのではないでしょうか。

 iPhoneの時もそうでした。欧米ではBlackBerryがあって、日本ではW-ZERO3がすでにありました。それこそ、ケータイとPCの融合は、Windows CEが先行していたはずです。モバイルコンピューティングに限って言えば、Windows CEの果たして来た役割は大きいと思います。思いますが、キャズムを超えられなかったのは、やっぱり事実なんでしょうね。iPodもそうですよね。Appleが初めてのシリコンオーディオではないですものね。タブレットPCにしても、Windowsが先行していました。でも、やはりキャズムは超えられませんでした。

 私はかつて、外資系PCブランドのタブレットPCの広告を担当していたことがありました。今から5年ほど前。そのとき、正直言えば、これは売れないだろうなと思っていました。クライアントのマーケティング担当の方も同意見でした。アメリカの本社でも、法人向け以外ではそれほどの期待はなかったような気がします。ちょっと言い訳気味になるけれど、あの当時では、どうひねくりまわしても売れるコミュニケーションは作れなかったと思います。きっと、担当が私でなくても同じだろうと思います。

 この手のジャンルは、ここ数年、遅れてきたAppleが全部もっていくというような状況が続いています。少なくとも話題性に関しては、まったくもってそうですよね。このあたりの感覚、スティーブ・ジョブズという人は天才的なんだろうなと思います。機が熟したかどうかを判断するセンサーが優れているのでしょうね。

 iPadに関して言えば、その前提としてiPhoneがあり、iPhoneの前提としてiPodがあり、その前提としてiTunesとiTMSがあります。モバイルに特化したOSと、豊富なソフトウェア、気軽に買えるエンターテイメントソフト。また、世の中のクラウドコンピューティングのためのインフラの整備。それを融合させて、新しい生活の提案をしていくと、必然的に、あのiPadのカタチが生まれる。そんな物語が、あの製品に読み取れます。すべてを軸として見て、必然をつくる。そこが圧倒的。だからこそ、社会は、なんだ、新製品ってタブレットPCかよ、とは言わないのだろうと思います。

 今思えば、iMacの時もそうでした。かつて、「本質価値と付加価値についての覚え書き」というエントリでiMacのコミュニケーションを取り上げましたが、つまりは、今回のiPadも同じなんです。要するに、ジョブズという人の思考には本質価値と付加価値の転倒がないんです。

 これはコミュニケーションの問題でもあるけれど、コミュニケーションの問題だけではありません。それを支えるインフラやテクノロジーの問題でもあるからです。Appleという会社は、OSもつくり、ソフトもつくり、サービスもつくり、ハードもつくります。だからこそ、世の中のコンテクストを変えてしまうような製品の打ち出し方ができるのでしょう。そうではなければ、きっと、できないですよね。Appleの製品は、少なくともジョブズ復帰後に関しては、確かに新しいけれど、まだ夢物語だよね、というのが少ないんです。

 Appleの仕事のやり方を注意深く見ていると、ひとつ気付くことがあります。いつも、社会が先にあるんですね。製品は、その社会のニーズを体現するものとしての位置付け。すべて後追いなんです。これは、別に悪いことでもなんでもなく、製品が社会に先行すると、たぶんキャズムは超えられないような気がします。言い換えれば、それは社会というものを第一義に考えるということなんでしょう。これが、いい意味でのマーケティングなんでしょうね。

 まあ、ここで言うキャズムの使い方は不正確なので、そのへんを塩梅して読んでいただければと思うのですが。どのレベルをしてキャズムを超えるというか、という問題はありますし、Windows CEにしても、私のような人が愛用していたということでキャズムを超えた、と言ってもいいのかもしれませんが。でも、今、世の中的にはiPhoneであり、そういう意味では、私自身が少し涙目なので、テレビとか新聞や雑誌、世間話のレベルでこれだよねといった、世の中の感じを、キャズムを超えたと定義しております。

 そう言えば、Windows 95が爆発的に普及したときのMicrosoftは、まだ先行するMac OSを追っていた時代だったような気がします。つまり、先行するMac OSを通して社会を見ていたと言えるかもしれません。その時の社会のニーズは、ソフトの豊富さと汎用性、そして、ハードの多様性だったのでしょう。その当時のMicrosoftの感性は、今で言うApple的だったと思います。

 広告の分野でよく言われることがあります。時代の半歩後を行け、と。半歩先ではなく、半歩後。私はわりとその言い方が好きで、いつも心に留めてきました。まあ、私自身が高感度アンテナを張り巡らせた最先端人間でもなく、いたって地味な人間なので性に合っているのもありますけど。なんとなく逆説的な言い方ではあるから、いやいや先を行ってなくちゃ駄目でしょ、と言われそうだけど、半歩後を行くという言い方に一理あるとすれば、キャズムを超える、つまり、世の中に新しいコンテクストを提示するための方法論としてなんだろうと思います。

 それは、あえて言うと未来を見るための方法論なのかも、とも思います。先を行く者には、未来は遮るものが何一つなく見渡せるけれど、現在が見えにくいのだろうなと思ったりします。でも、未来と言うのは、過去と、現在が軸になって、はじめて未来ですよね。ほんとは、過去があって、現在がある。その続きにしか未来はないはずなんです。そんな未来を見るための場が、半歩後という場なのかもしれません。

 ジョブスのプレゼンテーションの中に、ネットブックについての言及もありましたね。「何もちゃんとできない」と言っていました。そのあたりに、半歩後から現在を見ている証拠がありそうです。ネットブックが流行っている理由をきちんと把握したうえで、その時代のニーズだけをきちんと汲み取り、そのうえで「何もちゃんとできない」と言っているように思えます。

 つまり、iPadは、ネットブックが象徴する現在と紐付けられた製品であるということなんですね。その現在を見るための場所は、やはり半歩後にしかないでしょう。きっと、ネットブックの流行を嫉妬まじりで見ていたんだろうなあ。どうして、こんな中途半端なものに人は惹き付けられるのか、なんて思いながら。そこを突き詰めると、たまたまタブレットPCのようなカタチになった、ということに過ぎないのでしょうね。

 ま、そこには、まだまだ世の中のキラーコンテンツのパッケージである、「テレビ」と「書籍」に変わるもの、ポスト「テレビ&書籍」というのもあるのでしょうけど。あと、「新聞」もあるのでしょうね。

 しかし、いよいよ世の中が大きく変わるなあ。ほんと、数年後、どうなるんでしょうね。私も、半歩後くらいの場所で、懸命に考えないとなあ。でも、半歩後とは言うけれど、それはそれで難しいことかもしれないなあ。なんだかんだ言って、三歩後くらいになってしまっているのが現実だからなあ。三歩後じゃ駄目なんだよなあ。

 追記:

 MSの開発者の人たちの気持ちはどんなものかなと思っていると、CNETにこんな記事が出ていましたね。なるほどなあ。価格とバッテリの壁というのが大きかったみたいですね。

 記事にも触れられていましたが。確かに、あの頃のタブレットPCは「手書き入力」がトピックでした。

「来年には、皆さんの多くがタブレットPCでメモをとるようになっていることを願う」。Gates氏はCOMDEXの聴衆に対し、こう語った。

 でも、それじゃ紙のほうが手軽で便利だものなあ。バッテリ切れもないし。このあたりの感覚は、ユーザーはこの数年ですごく学びましたよね。こういうガジェットは、逆に紙とペンが持つものすごいポテンシャルの高さを再認識するきっかけになるというか。パームサイズPCでメモをよくとっていたので、実感としてすごくあります。メモをとるためのガジェットとして見ると、ノートって便利だものなあ。

 そのあとが「Project Origami」なんですよね。ネーミングを見ると、やっぱり、紙にこだわりがありそうで、このあたりのコンセプト設計があれなんでしょうね。なんかいろいろ気付くことが多い記事でした。またあらためて書いてみようかな、と思っています。では。

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コメント

半歩後。すごく新鮮に響きます。
「半歩先」ということを言う人は多いので。

案外、世の中と接していたりすると「半歩後」のところを意識しないといけないのかもしれないですね。
私の職場は「1歩後」というポジショニングです。最初戸惑いましたが、それが今の職場に必要であれば、しっかり見つめないといけないな、と。
ただし、次の時代への適応とか、これからもマーケットの支持を得られるか、ということになると、今の立場が微妙だったりします。

目新しいサービスをしているわけではないのですが、「淘汰が向こうからやってくる」状況ですので、自分たちの立ち位置、過去と現在をしっかり見据えたいなと思います。

実はつい一昨日、ある方から「自分たちの歴史に答えがあるんではないですか」とアドバイスをもらったところです。
現場にいる人から同じような観点が示されたのは、やはり時代が成熟していて、かつ大きな変化の前夜にいるからなのでしょうか。

投稿: mistral | 2010年2月 2日 (火) 12:38

半歩とか、mistralさんの職場にある1歩とか、そういう微妙な感覚をつかむのは難しいですよね。
>自分たちの歴史に答えがあるんではないですか
そうなんですよね。ついつい終末論的な過去と切り離した未来を語りがちだし、それはすっきりしていて気持ちよかったりするんですが、でもそういう未来って、じつはないんでしょうね。
ほんとは未来って、いつも過去と現在との軸の上にしかないんですよね。

投稿: mb101bold | 2010年2月 3日 (水) 09:44

後出しジャンケンのAppleが話題性をさらっていくのは、OSがユーザーライクだからなのでは?と思います。WindowsCEもPalmも決して使い易いOSではなかったし、WindowsXP/Vista/7ベースでのタブレットPCは、高解像度化が進むにつれ、単純に文字が小さくなり使いにくくなるという悪循環でした。ネットブックブームに乗っかり、私も某大手PCメーカーのそれを購入しましたが、ブラウジングもデフォルトのボタンでは大きすぎて見づらい(カスタマイズで改善はするものの)というのが私の感想。世の中には、可能な限りPC(あるいはPCっぽいもの)を使いたくない人が、少なからずいるのです。しかし、開発者は得てして「オタク」なので(笑)、PCっぽいものを作りたがります。一般の人達が欲する、可能な限りPCっぽくない(けど必要最低限のことが出来る)インターフェイスを持つのがiPhoneでありiPadなんだなぁ、と改めて感じました。
Appleは決して狙って半歩後を行っているのではなく、先端技術に足りない「何か」を的確に分析し、自社商品にフィードバックしているのだと思います。そういう意味では、最も先進性があります。そして、それができるのはOSとハード(さらにはWebサービス)を一貫して設計出来る立場であり、徹底してユーザーライクなものを作ることができる(OSやハード面の足枷がない)からなのではないでしょうか。

投稿: | 2010年2月 4日 (木) 12:47

OSがユーザーライクなAppleが話題をさらっていくのは、後出しジャンケン、つまり半歩後からニーズやシーズを探しつかんでいるから、という感じです。先行者はどうしても自分がつくったルールに縛られがちで、それはYahoo!とGoogleにも言えそうです。
まあ、半歩後という言葉は語弊がありますが、そういう位置からしか未来をつくる先進性というのは生まれないのかもね、という趣旨のエントリでした。
OSやハードの足枷がないというのは、ここ最近はうまく作用してますよね。一時期はそれで自由になれなかった部分がありましたが。PCの成熟というのもあるのでしょうね。

投稿: mb101bold | 2010年2月 4日 (木) 23:06

「半歩後」というお話に見入ってしまいました。
例え話ですけど、囲碁でもオセロでもいいんですが、最初の一手より、次の一手が大切な感じです。最初の一手はきっかけに過ぎない。結果的に行動は常に後手で、思考は常に先手となります。
そういう意味で、一歩後でもない、一歩先でもない「半歩後」なのかと、勝手に理解しました(^^;
林檎は、キャズムの越え方が「超える」感じで、上手なんでしょうね。

投稿: たか | 2010年2月 5日 (金) 10:19

囲碁やオセロの話はおもしろいですねえ。なるほどー、と唸ってしまいました。
「結果的に行動は常に後手で、思考は常に先手となります。」というのは、すごく言えてますね。

投稿: mb101bold | 2010年2月 6日 (土) 00:57

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