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2010年2月 9日 (火)

書籍というパッケージングの完成度

 KindleiPadの登場によって、電子書籍についてあれこれ考えているうちに、逆に、あらためて書籍というパッケージングのすごさや巧みさを再認識しました。いやはや、書籍ってすごい。かつて、日本でもパナソニックのシグマブックやらソニーのLIBRIEなどの電子書籍専用端末が販売されましたが、その苦戦は、時代が熟していなかったということもあるけれど、その幾分かは書籍というパッケージングの完成度の高さに負っているのではないかな、と思ったりします。

 例えば、電子化が比較的普及している音楽に関しては、古くはLPやEP、現在のCDというパッケージングは、あくまで販売時に限定されたパッケージングです。当たり前ですが、CD盤に耳をあてても音楽は聴こえません。観賞するときは、CDプレイヤーに挿入して、ステレオセットやCDラジカセ、PCなどで聴きます。また、iTunesなどに圧縮ファイルを格納してPCやiPodなどのシリコンオーディオで聴いたりもします。

 この状況は、パソコンが普及する前も変わりません。レコードプレイヤーにかけることもできましたが、それは観賞の選択肢のひとつに過ぎません。カセットテープやMDに録音して、テレコやウォークマンなどの携帯オーディオなど、思い思いに音楽を楽しんでいましたよね。

 でも、書籍は違うんですよね。販売されるときのパッケージングと観賞するときのパッケージングが同じ。書籍を販売して、それをコピーしたりして自分の好みのカタチで楽しむ人なんかいませんよね。人に貸す時も、そのまま書籍を貸すし。それに電車の中でもトイレの中でも読めますし、どこにいても、どんな状況で読んでも、クオリティが基本的に変わらないというのも書籍の特徴です。

 音楽ではそうはいきません。高級オーディオで再生するのと、PCにPCスピーカーをつないで再生するのでは、まるでクオリティが違います。

 よくよく考えてみると、そういうコンテンツのクオリティがいかなる状態においても保持できるパッケージングは、書籍以外ではなかなか見つからないんですよね。ハイパーリンクができたり、電子書籍専用端末に大量にコンテンツを詰め込めたり、そんな付加価値だけでは、この書籍というパッケージングの本質価値を凌駕することはなかなかできなさそうです。

 パソコンなんかじゃ、文学は読めないよ、というようなことではなく、これまでの書籍は案外パッケージングとしての完成度が高いということなのだと思います。文字を読むということで言えば、ブログだって実際問題として結構読まれているわけですし、だいたいインターネットって、たいはんはテキスト情報なわけで、基本的には、文字情報は、パソコンやケータイなんかで代替できるってことです。だけど、文字を読むということについての書籍というパッケージングがうまくいき過ぎているんです。完成度が高すぎるんです。

 よく、グーテンベルグの活版印刷発明とIT革命が対比されて、古い技術が一気に新しい技術に変わると言われますが、それはちょっとロマンティックに過ぎるんでしょうね。商業コンテンツとしての書籍に限って言えば、革命度は格段に違います。グーテンベルグがもたらしたものは、文字コンテンツの大量生産と低価格化だと思いますが、その効果も、グーテンベルグとIT革命は比較になりません。IT革命の貢献は、このブログのように、非商業コンテンツに対してなんでしょうね。

 また、アナログレコードがCDになり、ダウンロードへ移行するプロセスとは、似ているように見えて、じつは似て非なるものなのだと思います。次元が違う気がします。音楽コンテンツの場合は、本質価値での凌駕がありました。でも、書籍から電子書籍への移行には、この本質価値の凌駕が見いだせないんです。何か秘策があるのかもな、と考えてみるものの、なかなか思いつきません。ということは、電子書籍の普及は、これだけパソコンの性能が上がって、インフラも整った現在においても、なかなか難しいんじゃないか、と思います。音楽コンテンツの比ではないな、と思います。

 私はというと、Willcom03青空文庫とかを読むことはあるけど、まあ、その度に書籍って読みやすいなあ、便利だなあ、なんて思う次第です。iPodで音楽を聴いている時は、そんなこと思わないのにね。じゃあ、なんでブログは読むのって疑問も自分でも出てくるけど、それはブログでしか読めないから、ということなんだろうなあ。その理屈で言えば、価格とか印税比率で、書籍というパッケージングを駆逐するという手もあるにはあるけれど、それはまあ、所詮は理屈なんでしょうね。

 この分野は、もしかすると電子書籍陣営の多様化を包容する戦略が必要になってくるんじゃないかな、と思うんですよね。共生戦略。多様化のひとつとしての電子書籍。これを機会に電子書籍が一気に普及するとすれば、それしかないでしょうね。

 なんとなく、そんなことを考えてみたけど、AmazonやGoogleの戦略を見ていると、そうじゃない感じもしますね。でも、音楽コンテンツで描くような未来は、きっと描けないだろうな、と思いますが、どうなんでしょうね。

 

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コメント

本=ハードカバーの書籍
と捉えてしまうとあれですが、書籍がマッチしているもの
電子書籍がマッチしているものはコンテンツによって微妙に
違ってくるんじゃないかと思います。

例えばコミックのようにさくっと読んだら、すぐにたんすの肥やし的な
ものになってしまうようなもの(しかも何巻もあるのですごく場所をとる)は
書籍より電子書籍に適したコンテンツだと思っています。

投稿: | 2010年2月 9日 (火) 10:23

パッケージングの話から少しズレるかもしれませんが、iPadによって電子書籍の需要拡大は、音楽よりも凄いことだと思います。
 単純に読むということでは、音楽を聞くと同じで大した意味はありませんが、電子書籍が一般化することで新たな価値が生まれると思います。その一つがバリアフリーなのかと。
 読み手が、文字の表示サイズを変更できたり、難しい漢字にはルビを不可する機能とか。音声機能が付けば、目が不自由な方でも本が読める(聞ける)など、今までの書籍にあった問題が少しずつ解決されるのかなぁっと思います。
 学校なんかでは、めっちゃ重たい教科書がなくなって、机に内蔵された端末で教科書が表示され、教科書忘れた率が減るとか(笑)
 これは新しい時代の始まりだとも思います。ただ、この流れによって、本屋さん、そして印刷会社は大きな影響を受けるでしょうし、書籍の宝庫である図書館には本が並ばず、ライセンス購入でストックされた電子書籍をダウンロードして、貸し出し期限が過ぎると消去されるような、そんな時代がくるかもしれません。
 きっと、林檎は商品を売るのではなく、未来の生活を創り出しているのだと思います。それにより淘汰される文明も必然と出てくるでしょうね・・・。
 パッケージングは、先般コメントさせて頂いたような、少し奇麗ごとですが心遣いというのもありますけど、正直なところは、競合に対する差別化としての役割が強いでしょうね(^^;電子化されることで、こうした役割がどのうなカタチで表現されていくのか。これは、パッケージングの未来でもありますが、広告の未来なのかとも思います。
 長文・乱文、すみませんm(..)m

投稿: たか | 2010年2月 9日 (火) 20:38

あっ!すみません、先ほどのコメントで
iPadをiPodと間違えた気がします・・・。
すみません(><)訂正いたします。

投稿: たか | 2010年2月 9日 (火) 20:50

>10:23のコメントさん

それは、ハードカバーも同じですよね。結構、収納は困ったりします。だから、収納とか、もうひとつエコロジーという観点では電子書籍の勝ち。でも、それは観賞という本質価値ではなく付加価値なんですよね。コミックでも同じだと思いますが、観賞するという観点で見れば、書籍というパッケージングは非常に完成度が高いと思うんですね。別に私は紙の本絶対主義ではなくて、論理的にはそうだなあ、書籍の電子化は結構難しいよ、ということなんですけどね。

>たかさん

書籍の電子化にはいろんなメリットもありますよね。文字をベースにしているから、txtをもとにいろいろなことができますし、技術的にはパソコンができたときから技術可能でもあります。でも、論理で言えば、商用という観点ではまだまだ電子書籍は難しいんだろうな、ということで、だからこそ、AmazonやApple、Googleといった時代をつくっている企業が乗り出したという部分に現代的な意味があるんですよね。
従来側の業界は、いくら論理的には難しいといっても、これはもうそういう趨勢を受け入れるしか手はなくて、共生戦略でうまく取り入れていくしか未来はないとは思うんです。未来が明らかに自分たちに不利になるので、しんどいことですが、やっぱり間違いはないでしょう。それは、広告やデザインの分野も同じです。
これは、早く気付いた人ほど苦しい思いをするわけで、でもまあ、人がつくった未来に生きるより、自分で考えて、いい未来をつくりたいもんだよなあ、ねえ、みなさん、という感じではありますねえ。心遣いが本質である、と言い切るためにもね。

投稿: mb101bold | 2010年2月 9日 (火) 23:18

いつも興味深く拝読しております。

音楽と書籍、どちらも作り手が試みたのは便利化。
ですが確かにパッケージングに注目すると、別の話題になりますね。

そういった意味では、書籍の優れたパッケージングが使い手の弊害になり、電子ならばそれを解消できる、といった場合にデジタルコンテンツとしての価値がうまれる、と考えられるのでしょうか?
(ここは個人的な前情報とのつじつま合わせかもしれません…)

ちなみに私も書籍は音楽ほど鮮やかにシフトしない気がしています。
アップルが作った仕組みも大きいと思いますが、もうひとつ、情報を処理(色気のない言い方ですが、便宜上)する際の能動性も絡むのでは?と。

諸々、なかなか詰めきれませんで、お気づきの点がございましたらヒントをいただけますと…。

投稿: canolga | 2010年2月11日 (木) 03:56

電子書籍が普及するとすれば、紙の書籍では手に入らないレアなコンテンツが電子書籍でなら手に入る、みたいなことかもしれません。パピルスとかもサブカル方面でそうやってきてますよね。だからAppleもAmazonもGoogleも著者をおさえようよするんでしょう。
でも、これも苦戦はすると思います。あの「FREE」という本がすごくいい例になっていると思うんです。デジタルの場合は文字通りFREEだったわけで、商用になったとき、同じものが紙の書籍になるんです。これはなんか暗示的。
>情報を処理(色気のない言い方ですが、便宜上)する際の能動性も絡むのでは?と。
そこも関係するように思います。これは、広告とも関係する話ですが、やっぱり書籍というパッケージングに代わるものをユーザーがPCや電子書籍専用端末というカタチで自前で持っている電子書籍というジャンルは、情報に対して能動的なんですよね。
広告が機能する場は、情報に対して受動的な場においてなんですよね。それと同じことが電子書籍にも言えるように思います。
であれば、リアルの市場と共生関係を持ちながら、受動性がある程度持てるカタログ的な市場をデジタルでつくらないといけないんでしょうね。amazonみたいな感じで。
ちょっとこんがらがってきて、いろいろ思考を整理しなきゃならないみたいなので、このへんで。また、引き続き考えてみたいと思います。

投稿: mb101bold | 2010年2月11日 (木) 11:42

「検索」機能が欲しい書籍はありますね。辞書が最も成功している電子書籍といえるかもしれません。
ipadだったら拡大・動画などが欲しい一部の書籍でも取って代わっていけるかもしれません。図録とか。

投稿: 安田 | 2010年2月12日 (金) 23:48

辞書のことは気になっておりました。エントリに起こそうかななんて考えていたところです。電子辞書はソフト+ハードで一定の市場を形成した一方で、Microsoftのエンカルタは販売終了になり、フリーのWikipediaが普及しています。「検索」機能が生かされ電子化がわりと成功しているのは研究論文の分野がありますね。このあたり、考察していくと面白いような気がします。

投稿: mb101bold | 2010年2月13日 (土) 00:00

はじめまして。いつも楽しく読ませて頂いております。

一般において紙媒体が優れているのは表現力よりも純粋に支払うコスト面ではないでしょうか?
比較的場所もお金も掛からなかったから淘汰されずに生き残った。

しかしそのメリットも無くなって来つつある印象があります。

辞書なんかそうですよね。当初大手は電子辞書に乗り気でなかったと聞きます。低価格、もちろん場所はとらないという電子版は紙の辞書とシェアが違ったように記憶しています。

マニアには再生装置の良し悪しも影響するのでしょうが、多くの人たちはもっとラフにコンテンツ消費をしているような…。そんな気がします。

個人的にはkindleやらipadやらハードの方が囲い込みやってる限りうまく行かないかなと思います。消費側から見ればDSやら携帯電話で見られた方がコストかかりませんしね。場所も然り。
ポータブルってことは鞄に何でも入れるわけにはいきませんしねえ…。

投稿: あず | 2010年2月15日 (月) 17:39

グーテンベルクの活版印刷発明がなぜ革命と呼ばれるかと言えば、コスト面なんでしょうね。ただ、それ以前にも書籍というパッケージングはあって、その歴史が脈々と続いてきたのは、やはり文字コンテンツを観賞するという本質価値における完成度があったように思います。
辞書は電子化にはなじみやすかったんでしょうね。辞書に関して言えば、やっぱり電子辞書のほうが便利だもの。こういう本質価値の凌駕があれば、業界が拒んだとしても、最終的にはパッケージは入れ替わるのでしょう。
書籍の電子化は確かに消費者にとってはコスト面でのメリットがありますが、観賞においての優位性がなければ、完全に入れ替わるということは結構困難なのではないかなあ、と。
これは、ラフにコンテンツを消費するというスタイルが後押しする普及を否定するものではないんです。きっと、紙の書籍と共生的に普及するしかないというのは、今のところの私の結論ですね。
ハードの囲い込みは、しばらくはしょうがないのではないでしょうかね。やはり、歴史は段階を経ながら進みますし。
DSや携帯電話でも、書籍リーダーのソフトが出ていて、かなりきれいな表示で本が読めるし、青空文庫なんかでは著作権切れの名作が無料で読めるにもかかわらず、まだまだ文庫が売れているでしょう。太宰治なんてほぼ全作読めるんですよね。だけど、表紙を現代風にして文庫が売れる。それは、何も業界が押し付けているのではなく、消費者の選択なんですよね。

投稿: mb101bold | 2010年2月15日 (月) 23:22

音楽に関しては、1970年代くらいからカセットテープに録音して利用する方法がありましたよね。オリジナルとコピーとの差異はジャケットを所有できるか否か、という程度の違いとも思えるわけで、流通コストの排除が出来る電子配信は必然性を感じます。
書籍も、読んだあとにブックオフにすぐ売却するようなものは電子化されても問題ないような気がします。
系統だてて勉強したいときに、アンダーラインを引きながら考えたり前後の関連性を見直したり、メモを付記するときは紙媒体の書籍のほうがいいか、と。でもそういうものよりは読み散らす本や雑誌のほうが多そうな気がしまして、特に週刊漫画雑誌はこれにピッタリと思ってしまいます。

投稿: JI1V | 2010年4月11日 (日) 01:20

でも、ユーザー視点で言えば、音楽と違って、書籍の場合、そこに価格の優位性が相当ないと、実際の購買行動に結びつくのは難しいのではないかな、というのが私の見立てですね。書籍というパッケージングっていうのは、思っているよりも手強いもんじゃないか、と思うんですよね。音楽のように一気に、という感じにはいかないような気がします。
これは、あの「FREE」という本が書籍というパッケージで販売さていることからも、ある程度当たっているんじゃないかな、と思うんですよね。あの主張から言えば、絶対電子書籍であるはずが、やっぱり書籍だったんです。しかも、FREEでPCで読めるようにしているにもかかわらず。このあたりは、まさに書籍というパッケージングの、意外な完成度を示しているように思えます。

投稿: mb101bold | 2010年4月11日 (日) 02:26

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