« 北米でがんばるSony Reader | トップページ | 「タイプ別性格判断」というものをやってみたのですが »

2010年2月18日 (木)

広告は検索結果を腐敗させる

 マイコミ新書「Googleの正体」(牧野武文著)より。

 そもそも創業当時のグーグルは、広告を悪とみなしていた。創業時のグーグルにとってもっとも重要だったのは「正確な検索結果を提供する」ことだった。
 当時、サーゲイは論文の中で「広告は検索結果を腐敗させる」とすら言い切っていた。これは理にかなった考え方だった。(P141〜142)

 サーゲイというのは、Googleの創業者の一人である、Sergey Brin技術部門担当社長のこと。

 そんな広告嫌いのGoogleが、今や日本におけるテレビ広告費の総額を超える2兆円を売り上げる会社になっています。そのGoogleの売り上げのほとんどは広告収入。そんな事実を「言ってることとやってることが違うじゃねえか」言うこともできそうですが、でもまあ、ある程度Googleの広告のしくみや成り立ちをわかっている人から見れば、当然の結果だなあ、という感じでもあると思います。

 たぶん、当時のネット検索は広告に汚染されていたという事実もあったのでしょうが、きっとGoogleは、それまでのテレビや新聞、雑誌などの従来メディアが辿って来た歴史から学んでいたのでしょうね。少なくとも、従来メディアの現状を、広告による検索結果の汚染のアナロジーとして見ていたんだろうな、とは思います。

 新しい広告というとき、Googleがもたらした広告テクノロジーによる新しさと、比較的新しいWebという場における、ある種の幼さや甘さゆえの自由さによる新しさが混在することがあって、そのことは混同すると話がとってもややこしくなるような気がします。この2つは分けて考えるべき。

 私がGoogleの広告テクノロジーを新しいと思うのは、そこに、本来、広告が広告として健全に存在し続けるための「あるべき倫理」を強く持っているということがあるからで、そういう意味では、Googleの広告は、これまでの広告と方法論としては何ら違いはなく、むしろ、Webという新しい場が生んだ、広告というコミュニケーションの本来あるべきまっとうな姿として認識すべきなんだろうと思います。

 だからこそ、GoogleはPay Per Postをはじめとする「新しい広告」を敵視するし(参照)、その批評性は、そのまま、広告業界が推進する「新しい広告」にも突き刺ささるはずです。その「新しい広告」は、不況でなければ「禁じ手」であったはずだから。それはちっとも新しくなくて、そのときは良くても、長期的には、自ら畑を駄目にしてしまうようなものだから。

 もちろん、だからといって今までのアプローチでいい、というわけではなく、考えるべきは、Webをはじめとするメディアの多様化と、個人メディアの台頭による、コミュニケーションフィールドの磁場の変容と多層化であって、場が変容しているときに、従来の表現作法やスタンスは通用しない、ということなのだろうな、と思っています。

 ついでに言えば、広告の終焉というのは、じつは広告媒体の多様化のことだろうと思います。ひとつひとつのパイが減るのは、多様化の宿命で、ある限界で、パイの縮小は止まるはず。だけど、そのパイの縮小に耐えられるかどうか、というのは別の問題ではありますが、もし耐えられなかったとしても、それは再編成というカタチで落ち着くのだろうと思うんですね。それはそれで、渦中にいる個別の人生としては悲喜交々はあるけれども。

 どちらにしても、広告の問題というのは、まっとうに考えれば、最終的には表現の問題に行き着くはずで、これまでの表現作法に社会が合わせてくれるっていうことは原理的に言っても絶対にないので、表現が柔軟に変わっていくしかないのだろうな、とも思います。

|

« 北米でがんばるSony Reader | トップページ | 「タイプ別性格判断」というものをやってみたのですが »

広告のしくみ」カテゴリの記事

コメント

はじめまして。
現在アメリカの大学に通い、
アメリカの広告会社でインターンを狙っている物です。面白くて一気読みしてしまいました。
社長が英語でなにいってるかわからないけど、相づちをうっていたら抱きしめられたってのがつぼにはまり大うけしてしまいました。

アメブロのほうでブログをしてるのですが、
リンク頂いていってもよろしいですか?

投稿: kana | 2010年2月18日 (木) 13:56

アメリカからはるばる、はじめまして。
リンクはご自由にどうぞ。
社長に抱きしめられた話、そういえば書きましたね。ほんと困ってしまいました。まあ、その後、何事もなかったので話は辻褄があっていたのかな、なんて思っていますが。
インターン、実現するといいですね。今後ともよろしくお願いします。

投稿: mb101bold | 2010年2月18日 (木) 23:38

就職活動中の学生です。はじめまして。

私たち大衆も広告の裏側を薄々感じています。
感じた所で…少し警戒して疑る時はあってもだいたいは結局逆らいはしないんですが

そんな「なんとなく嫌な感じの広告」ですが、私は本来の広告の良さは今や社会には必須だと思います。
その良さとは広告のシステムがもたらす社会のバラエディというよりは、もっと単純に伝える事の大事さ、必要性だと思います。

勉強不足がにじみ出てる文章です、すいません(笑)

投稿: sin | 2010年2月19日 (金) 01:57

はじめまして。
これまでは外にいるときの私、テレビを見ているときの私、新聞を見ている時の私、くらいのことを想定しておけばよかったんですが、そこにネットで検索している私、SNSのコミュニティを楽しむ私、ブログを書いている私、Twitterでつぶやいている私、ケータイでひまつぶししている私など、生活のモードがどんどん細分化されていくに従って、広告も単純ではいかなくなってきたこともあるんでしょうね。
そんなクロスした多数のモードの中で、人に噂される場合も想定しながらブランドや製品のメッセージを伝えなくちゃいけない、というのが今の広告が考えなくちゃいけないことなんだと思います。
>もっと単純に伝える事の大事さ、必要性だと思います。
まさにそのために、いろいろ複雑に考えるということなんでしょうね。しんどい時代ですけど。

投稿: mb101bold | 2010年2月19日 (金) 09:00

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 広告は検索結果を腐敗させる:

« 北米でがんばるSony Reader | トップページ | 「タイプ別性格判断」というものをやってみたのですが »