そもそもの話として
政治家がTwitterを使うようになって、大手新聞がいろいろとTwitterについて言及しています。その中でも3月6日付けの「よみうり寸評」が話題になっていて、はてなブックマークでも多くのコメントが書かれていて、そのほとんどが批判的なようです。Twitterでも批判的な意見が多いようですね。
1)なぜ、こんなものが流行(はや)るのか。
↓
2)そう首を傾(かし)げている人は多かろう
↓
3)今週話題になったのが原口総務相だ
↓
4)1週間前のチリ地震で自ら津波情報をつぶやいて発信。
↓
5)水曜日は国会予算委に遅刻したが、
その間もつぶやいていた
↓
6)発言を取り消せない。
流言飛語が怖い災害時も使えるか。
↓
7)気軽につぶやいてもらっては困る時もある。
という流れの文章です。
1)2)の導入部分と、6)7)の結論部分の関係を見ると、確かに、Twitterユーザーを中心とする、割合リテラシーが高めのネットユーザーにはイラッとくる文章ではありますが、6)7)の結論だけ見ると、まあそういう考え方もあるかな、というような意見でもありますし、もう少し冷静な文体で、じっくり語れば、ひとつの新しいメディアの可能性とその限界、そして、限界を超えるためにどうすればいいかを考えるきっかけにもなったのだろうな、と思いました。
「よみうり寸評」は、いささか堅苦しすぎる嫌いがありますが、そういう堅苦しい提言も含めて、いろいろ論議をしたり考えたりする土壌は、Twitterユーザーを中心とした、コアユーザーにはあると思いますし。発言を取り消せない、流言飛語が怖い、というのはTwitterもブログも同じことでしょう。厳密に言えば、それを防ぐすべは、即時性の高いネットメディアの方があるとも言えます。広がる速度も速いけれど。
本当は、特に公的な人が活用する時に、活用するべきかの是非を含めて、どうバランスをとっていくかが、6)7)の提言が持つ本質的な意味だったのに、なんとなくそれは伝わってこない感じがします。やはり、1)2)の部分が決定的に考えが浅かったのでしょう。さらに言えば、冒頭がもう少し肯定的もしくは中立的に書かれていればなあ、とも思いました。こういう提言は、それこそネットのコアユーザーにこそ問われるべきだとも思うし。
たぶん、この文章は、きっと紙の新聞を読んでくれる従来の読者を想定にして書かれたものだろうと思うんですね。そこまで限定していなくても、ネットユーザーでTwitterが流行ることに違和感がある、もしくはTwitterというものが何だかわからない層。きっとそこ止まり。
でも、そもそもの話として、この文章は、Yomiuri Onlineを通して、ネットに即日無料配信されているわけです。その文章を読む対象にTwitterユーザーもいるし、当のYomiuri Online自身もユーザーだったりもします。
もしネット配信をしない紙限定のメディアであれば、こういう文章展開はありだと思いますし、メディアの存立構造とあまり矛盾もしなかったのだろうと思うんですね。それでも、ネットユーザーから批判はされるかもしれませんが、それはひとつの集団が持つ考えに対して、もうひとつの集団が持つ考えが対立するだけのことです。
でも、自身が、ネットに無料ニュースサイトを持ち、多くの読者を持ち、さらにそのニュースの告知媒体として「利用者100万人以上」のプラットフォームであるTwitterを活用している。つまり、すでに足を踏み入れている存在なんですね。やはり、この文章は、自己矛盾があるように思えるのです。
私は、新聞をはじめとするマスメディアなんていらない、とは思いません。むしろ、これからの社会にとっても必要だと思っていますし、どちらかと言うと、6)7)のような、今の流れとは少し違う提言ができるメディアがこれからも世の中にあり続けていくことを望んでいます。
要は、今、マスメディアが置かれている状況がこういうことだということなんです。それは、マスコミ人が望んだことではないかもしれないし、ビジネス上の要請でそうさせられているのかもしれないけれど、そうであるならば、なおさら、それが社会の必然だとも言えるし、その条件の中で、その自身の社会的意義を維持しつつ、いかにして存続していくのか、ということがマスメディアの今の課題だと思うんですね。
もちろん、Twitterという新しいプラトフォームに可能性を見いだしている人たちも世の中なら、「なぜこんなものが流行るのか」に「首を傾げている」人たちも世の中で、後者の世の中を取りこぼさないことがマスメディアの使命のひとつだと思います。であるならば、自身の矛盾にも率直に言及することが、後者の人たちに対しての誠実だとも思いました。
で、「よみうり寸評」がTwitterを取り上げ、Twitterの影響力の大きさを証明してしまったように、こうして、ネットで目にした「よみうり寸評」の短い文章について長々と考えて、ブログに記したりしている私をはじめとする、多くのネットユーザーがマスメディアの力を証明してしまっているわけです。個人的には、その事実をふまえたうえでないと、なにもはじまらないような気がしています。
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コメント
twitter是非論を読んでいつも思うのは
否定的なことを言う人って
まず”使い倒してない”んですよね…。
要するに食わず嫌い。
「よくわかんないけど、なんとなくイヤ」
という感情論で書いてるから説得力に欠ける。
評者は自己矛盾に気づいてなかったら
もっと激しい否定文だったんじゃないでしょーか。
まあでも「よみうり寸評」に載るということは
啓蒙には一役買ってると思うので
twitter的には結果オーライなのかも。
投稿: @ | 2010年3月 8日 (月) 11:49
読売新聞自身がツイッターのアカウントを持っていることをどう考えているのか。
そして読売は災害時にツイッターでほとんど情報発信しなかったことをどう考えているのか。
聞いてみたいです。
投稿: | 2010年3月 8日 (月) 13:38
>@さん
ま、評者さんは使い倒してはいないけれど、見てはいるような気はします。政治家が活用して影響が出ているわけだし、レビューでもないから、ある程度サービスを把握していれば、その是非を語ってもいいとは思うんです。新聞記者なんだし。
ただ、自社がTwitterの利便性や影響力を考えて使っているにもかかわらず、「なぜ、こんなものが」と考える一般大衆を声を借りて、本音を述べてしまったのが問題なのかなと思います。他者の声を借りれば、自己矛盾を感じずに済むんですよね。「首を傾げる人」もたくさんいることに触れることが駄目だ、とは言わないけれど、こんな短い文章だと、冒頭の文章が一般論だとしても、やっぱり評者の単純かつ感情的な嫌悪を、大衆に代弁させて断罪しているよね、と思われてしまいますよね。
私は、それなら単純に私はTwitterが嫌いだ、と言えばよかったのに、と思います。
>13:38のコメントさん
アカウントを持っているのはともかく、災害時に情報発信しなかったのは、この寸評の提言から言えば矛盾はないんじゃないでしょうか。で、災害時には新聞社のような公共性の高い報道機関が慎重になるのは、まあ理解はできるかな、とも思っています。
投稿: mb101bold | 2010年3月 8日 (月) 23:40
「なぜ、こんなものが」と考える一般大衆の声を借りて遠まわしに本音を述べることで記者はなるべく中立的に書こうとした(と同時に自分の意見じゃないという逃げ道を作っておいた)のだと思いますが、twitter上の反応は自分には過剰反応のように思えました。「読売は糞」とまで言ってる人もいて、そこまで目の敵にするほどのものかと。
ただ、どうしてこの発言を読売オンラインでという根本的な問題はありますが、twitterという自分たちのテリトリーを理解不足の大マスコミのおっさんに侵されれたくないという気持ちと、なんだかんだ言ってみんなまだマスメディアに期待している裏返しなのかもしれません。
投稿: o | 2010年3月 9日 (火) 02:00
言い方のスタイルやニュアンスは違うけど、概ねそういうことですね。これはまた、Twitterユーザー視点でのいい方も成り立ちます。わかりあおうぜ、とは言わないけれど、お互い歩み寄ろうぜ、みたいな気持ちは私にはありますね。意固地になって敵味方、勝った負けたのコンテキストにわざわざ乗せなくてもいいのになあ、と思います。
投稿: mb101bold | 2010年3月 9日 (火) 09:54
> 自社がTwitterの利便性や影響力を考えて使っているにもかかわらず、
> 「なぜ、こんなものが」と考える一般大衆を声を借りて、
> 本音を述べてしまったのが問題
ああ、なーる…。
確かにそれはちょっとセコいですね。
やっぱり実名記事じゃないからそうなっちゃうんでしょうか。
ちなみに寸評を書く人は、現場に取材に出てる
新聞記者とはちょっと違うみたいです。
デスクになれなかった年配の人用のポスト、
出世コースではないけど、亜流でもない
そこそこプライドを満たすことはできる微妙なポジション、
と当の元読売新聞記者が言ってました。
まあ”所詮”寸評なんだし、そんなに大騒ぎすることも
ないかもですね。
投稿: @ | 2010年3月 9日 (火) 12:13
今回の「よみうり寸評」の件は、Twitterと新聞の双方のメディアとしての影響力を証明するかたちになりましたね。Twitterもそうだけど、新聞もまだまだ力があるよなあ、なんて思いました。
投稿: mb101bold | 2010年3月 9日 (火) 22:29
こんにちは。
僕もTwitter、よくわからなくて使ってなかったのですが、この記事をきっかけに始めてみました。
数年前に一度ブログを始めたときの「へえ、面白いもんだ」というのが感想です。
1.5人称というか。ブログより更に自分のことをあけすけに語っている人が多い気がします。
編集もなければ、意味もない言葉。(僕も文法間違えてたりする)ある意味、大手メディアの対極ですよね。
だから大手メディアの方が「わかったフリする」より、ケンカ売ってみた方がマシなのかな、とも思います。
「結局たくさんの人が参加した方が勝ち」という、ネットの面白さとコワさを体言しているなあ、と書きながら、ちょっとつぶやいてみたくなりました。
ところで提案なのですが。
5・7・5・7・7でしかつぶやけない設定にすると、源氏物語みたいで、年配の人にも受け入れられるのでしょうかね。季語が入らないとハジかれてしまうとか。
(短歌って、あれ、つぶやきですよね??)
投稿: mistral | 2010年3月11日 (木) 12:06
それにTwitterは実名が多いですよね。ネットでこういう感じは、今までなかったような気がします。
はてなのミニブログは「Hatena Haiku」なんですよね。
http://h.hatena.ne.jp/
もちろん俳句形式でなくても投稿できます。
エイプリルフール企画で、「Hatena Haikuは「はてな俳句」にリニューアル。5・7・5でしか投稿できなくなりました」みたいなことをやったことがありました。「季語チェッカー機能」を搭載とのことですよ。
http://d.hatena.ne.jp/hatenahaiku/20080401/1206997353
言われてみると、短歌や俳句は「つぶやき」かもですね。Twitterは日本人に合っているのかもですね。
投稿: mb101bold | 2010年3月11日 (木) 22:10
ホリエモンのブログに引用されて、批判されちゃってますよ、このエントリー
http://ameblo.jp/takapon-jp/entry-10476608409.html
投稿: domodomo | 2010年3月12日 (金) 11:27
ええ。読みましたよ。
理解力の欠如したブログとか問題とか言われちゃってますねえ。でも、少し批判の論点が違うかなあ。
Twitterの有用性を説明するとかは、別の記者が別のときにやればいいのだろうし。それに、そもそもの話、このエントリでは、今、マスコミがやっていることは論じてないし。マスコミ憎しの気持ちはわかるし、いろいろ問題は確かにあるとは思うけど、だけどそれは別の問題。
あと、黒船メタファはわかりますよ。それこそ身にしみて。でもね、だからと言って、論旨を超えて、別の領域におよんでまでマスコミに否定的になる必要もないでしょう。
投稿: mb101bold | 2010年3月12日 (金) 23:01