「やまない雨はない」というメッセージ
テレビドラマ「やまない雨はない」を見ました。
このドラマは、昭和60年頃に「お天気おじさん」として人気を博したお天気キャスター倉嶋厚さんと妻・泰子さんの夫婦愛、泰子さんが癌で他界することをきっかけに発症したうつ病の闘病を描いた同名の実話エッセイをドラマ化したものです。倉嶋さんは、現在86歳でホームページも運営していらっしゃいます。
倉嶋厚さんを渡瀬恒彦さん、泰子さんを黒木瞳さんが演じていました。新聞のテレビ欄にもヒューマンドラマと題されているだけあって、全編、人間愛に貫かれていて、ドラマとしても見事だと思いましたが、私がとくに感心したというか、リアルだなあと思ったのは、ドラマ後半のうつ病を発症した倉嶋さんを描いた部分でした。
うつで抑うつ状態になって歩く渡瀬さんの姿(すごく説明が難しいけれど、ただ落ち込んでいる状態の歩き方ではなく、うつ病や躁鬱病のうつ状態特有の歩き方の特徴がありました。あえて言えば、脳の指令がそこに介在している感じ)や、精神科の入院病棟の様子から、役者さんを含めたスタッフさんたちの、心の病を正しく理解しようとする姿勢が伝わってきました。相当、きめ細かく観察し、いろいろな意見を咀嚼し、考え尽くして演出されたものだろうなと思いました。もちろん、テレビドラマですから限界はあるでしょうし、人によってはこんなものではないという意見もあるかもしれませんが、それでも、なるだけ脚色をしないで伝えようとする意志が画面に表れていたと思いました。
私はまだ原作のエッセイを読んでいませんが、それは倉嶋さんが伝えたいことのひとつであったと思いますし、その意図をテレビドラマのスタッフさんたちはきちんと受け止めていたように思います。
渡瀬さん演じる倉嶋さんは、心の病を「心に雨が降る状態」であると言います。そして、精神科の入院病棟を「雨宿り」の場所であると言います。また、少し元気になった岩嶋さんのお見舞いに訪れたテレビプロデューサーが「傷ついた人たちとこれ以上一緒にいることは岩嶋さんにとっていいことではないと思うな」とも言っていて、それを岩嶋さんが「もう少しここにいます」と拒み、立ち去るテレビプロデューサーは「もうあの人は駄目かもしれないな」とつぶやきます。
結果として、入院しているある女子高生の言葉をきっかけに、発症後、岩嶋さんがはじめて笑い、寛解へと向かうシーンは、いろいろな意味で考えさせられました。(実際は、寛解に向かった後、仕事に復帰し、忙しく日々を過ごしていくうちに、自分の判断で薬を少なくしたり飲まなくなって再発してしまったということです。参照)
ドラマでは、どちらが正しいのかは提示していませんでしたし、きっとどちらも正解なのだろうと思います。でもひとつだけ言えることは、うつ病にしても躁うつ病にしても統合失調症にしても、「心に雨が降る」のが見えるのは本人だけであり、その雨宿りの場所として精神科があるということ。それは心が晴れている状態の人が、晴れている状態を根拠にして、どうこう言えることではないのだろうな、ということです。これは励ましたい当人にとっては無力感があるのですが、でもその原則を無視することから、すべての無理解がはじまるのでしょう。それは、自戒を込めてそう思います。
「心に雨が降る」という状態は、降る雨を傘をさしながら、もしくは窓から外を見ながら憂鬱になるという状態とは違います。躁うつ病だった中島らもさんは、自身の心の状態を「心が雨漏りする」と表現していました。心の病の多くは、そのきっかけがたとえストレスや悲しい出来事であったとしても、そのことをきっかけにして起る脳内の神経伝達物質の働きの異常によるもので、そこから先は医療の領域です。
予防に関しても、風邪にならない生活という意味では有効だとは思うけれど、風邪になってしまったら、そこから先は気の持ちようとは言えないし、風邪になったらすぐに病院に行くように、単なる憂鬱ではないなと思ったときにすぐに精神科に行ける状況を作ることは大切だと思います。「心に雨が降る」という表現は、そこのことが感覚的に理解できる言葉ですし、抑うつ状態とうつ病、躁うつ病の違いを知る手がかりにもなります。この感覚は、心の病になっている人を支えるときも、心の病になる可能性を持つ私たち自身に向き合うときにも、大切な感覚だと思っています。
風邪やインフルエンザと同じくらいには心の病についても知っておくべきなんでしょうね。もちろん、知ったその先には、薬のこととか、精神論や思想・哲学を含めたいろいろな考えが錯綜し、ややこしい党派性があって、それはそれで、学者ではない一般人としてはわけがわからなくはなってしまうんですが。それでも、教養として、知れるだけ知ったほうがいいとは思います。
とことん知った上での偏見は、それはもう悪意でもあるからしょうがないけど、知らないがゆえの無邪気さは、いちいち指摘はしないけれども、無邪気な明るさがあるだけに、なおさら悲しいなあとも思うし。今回のドラマだって、エンディングがあるドラマだからこそ気付きにくいけれど、その時々でいろいろとあったのだろうなと思います。倉嶋さんもこんなふうにおっしゃっています。明るい感じの言葉ですが、そこには壮絶な葛藤があったのでしょう。
自分でも、とてもこれではどうしようもないなというところまで落ちてしまっていても、やはり精神科に入院するということは、精神的な病であると認めることになるわけで、仕事的にもなにか偏見をもたれたりして支障がでるのではと、その時はそんな不安が広がったのだと思うんです。
UTU-NET 「うつ」を克服した人々 倉嶋 厚さんの体験談
このドラマが伝えたかったメッセージは、タイトルである「やまない雨はない」が、様々な人たちの支援と、この最後の精神科の入院というエピソードがあって、はじめて言える「やまない雨はない」であるということなのではないかな、と思います。
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コメント
「止まない雨」を詮索していて
ここに辿り着きました
雨はずー と降り続いていて欲しい
なにもせずとも妙に落ち着ける
至福の時..
空っぽの頭
体中の力が抜けていく
しかし 徐々に雨足が穏やかになり
空から引いていく
「止まない雨はない」
その間の安らぎを大事にしたい
投稿: maeda | 2010年5月12日 (水) 12:27
このテレビドラマの言うところの「やまない雨」というのは、落ち着く感じではなくて、もっと壮絶なんですよね。
再放送かなにかがあれば、ぜひ見てみてください。
投稿: mb101bold | 2010年5月12日 (水) 23:23