« 「そうは問屋が卸さない」考 | トップページ | E-MOBILEが「予期しない理由で終了」でネットにつながらなかったけど、Googleで調べてすぐに解決、いう一連の流れで思ったこと »

2010年3月 2日 (火)

人が介在することの意義

 とあるブログを見ていて、少し気になったこと。

 そのブログにはGoogleのAdWordsが貼られていて、見ると、ブログの主張とは真逆の広告が表示されていたんですね。それ自体はとりたてて珍しい現象でもなく、ウェブの商業メディアでさえよく見かけることではあるのですが、でもやっぱり、AdWordsを表示しているそのブログを、広告モデルで運営されているひとつのウェブメディアと考えると、きつい現象ではあるなあ、とは思いました。ブログ主さんも嫌だろうなあ。がっかりだろうなあ。

 例えば、ホメオパシーについて批判的な主張のエントリにホメオパシーの広告が表示されていたり。それはいくらなんでもなあ、と少し考え込んでしまいました。

 読者である私は、そんな困った広告が配信されてしまうしくみを知っているから何とも思わないということはあるんです。でも、それは比較的ウェブについての知識があるから、というだけなんですよね。要は、慣らされてしまっているということ。何の知識もなく見れば、やっぱり相当に変。

 紙媒体の雑誌ではあり得ないと思うんですよね。

 広告を選別するプログラムはテキストのワードを認識しているだけで、その内容まで認識しているわけではないのでそういうことが容易に起るわけです。その文章が、その単語が示す題材を肯定しているのか否定しているのかといった価値判断は、コンピューターには荷が重いのかもしれません。当然、その分野の研究開発は今も続いているのでしょうけどね。

 これは、自動化の最大の弱点なのかもしれません。人が介在していれば、そういう広告は、ありえないでしょの一言で拒絶するだろうし、そもそも広告主だって、そんなメディアには出稿はしないはず。人が簡単にやってしまえることが、コンピュータにはかなり難しいことになっていて、なんとなく二足歩行ロボットを連想してしまいました。

 もちろん、ほとんどのケースではうまくいっているとは思うんですね。上手いなあ、その内容でこの広告か、と思う広告もたくさんありますし。でも、広告モデルでのメディア運営を考えたときに、たったひとつのミステイクでも、本来はメディアの存亡にかかわることではあるはずなんです。

 個人メディアであるブログの場合は、個人が手弁当で運営しているということもあるし、個人運営メディアを収益で支えるウェブ広告のテクノロジーが発展途上であることも読み手は十分にわかっているから、まあ今のところしょうがないし、なんかへんな広告が表示されているよなあ、ブログ主さん災難だよなあ、という感じで、メディアとしての信頼が揺らぐというわけではないのですけどね。

 それに私自身、ブログにAmazonのバナーを貼っていて、エントリの内容に関係ない、もしくは矛盾する書籍やCD・DVDがたまに表示されていることもあるから、人のことを言えた立場ではないしね。

 こういう価値判断を含む領域では、どこまでいっても人が介在することに意義があるのでしょう。この先、テクノロジーがどれだけ進んでも、コンピュータには代替できないような気がします。ウェブがもっと一般化して、商業的な部分も含めて、現状の紙メディアとほぼ同等の見られ方をするようになったとき、案外大きな問題となって表れてくるかもしれません。

|

« 「そうは問屋が卸さない」考 | トップページ | E-MOBILEが「予期しない理由で終了」でネットにつながらなかったけど、Googleで調べてすぐに解決、いう一連の流れで思ったこと »

広告のしくみ」カテゴリの記事

コメント

どうも。いつも各エントリを楽しませてもらっています。
今は全然畑違いのことをしてますが、89~98の10年間、大阪で新聞社の広告局で働いていたのもあって、2つ前の百貨店の10段広告の話は妙に懐かしく感じました。

紙媒体はいろんな仕来りとか、工夫がされてますからね。記事とのバッティングは勿論、車と酒は見開きにさせないとか、パンツと食品とかも気を遣いますしね。仰るように自動じゃここまでは無理でしょう。これは日本だけなのかという気もしますけど。

映像でもぎょっという組合せがありますよね。公共広告機構の飢餓救済のスポットを流したと思うと、次にマックのジャンキーなハンバーガーが流れたり。職人気質なところが段々喪われていっているのか、あんまり気にしないんでしょうかねぇ。

投稿: | 2010年3月 3日 (水) 00:59

とかくオールドメディアとか言われがちな紙媒体ですが、いろいろな創意工夫というか、システムでは、自動車と酒を見開きにしないとか心遣いの部分では新メディアであるウェブよりも格段に熟れていてきめ細かいんですよね。
ウェブがリアルに近づいてくるうちに、自動化のテクノロジーは当然進化し続けるでしょうが、きっと人が介在する部分も再びクローズアップされてくると思うんですよね。

投稿: mb101bold | 2010年3月 4日 (木) 09:39

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/214429/47702371

この記事へのトラックバック一覧です: 人が介在することの意義:

« 「そうは問屋が卸さない」考 | トップページ | E-MOBILEが「予期しない理由で終了」でネットにつながらなかったけど、Googleで調べてすぐに解決、いう一連の流れで思ったこと »