DAVIS-EVANS
1958年、エバンスはマイルスのバンドに参加して、エバンスのドラッグ癖とかなんだかんだあってバンドを離れ、翌59年に『Kind of Blue』というアルバムをつくるためにマイルスに呼び戻される。そのアルバムには、「Blue in Green」という美しい曲が収録されていて、そのクレジットは「DAVIS-EVANS」となっている。
共作であるけれど、一般的にはエバンスが作ったと言われている。エバンス本人はライブでマイルスの曲と紹介したりしていて、真偽はわからない。ジャズもショービズの世界ではあるので、いろいろあるのだろうとは思う。もうエバンスもマイルスもこの世にいなくて、「Blue in Green」という、美しい曲はまだこの世にある。事実は、それだけ。
なぜマイルスがエバンスを呼んだのか。それは、ハードバップ的な古典的なコード進行に基づくジャズから、モード的な旋法中心のジャズをやりたかったから。当時としては革新的だった、新しい音楽を奏でられるピアニストはエバンスしかいなかった。少なくとも、マイルスはそう思った。
けれども、「Blue in Green」は典型的なモードジャズではない。DドリアンとE♭ドリアンを繰り返す「So What」のような楽曲ではなく、複雑なコード進行がある曲だ。所謂、モード的解釈というやつ。マイルスは、きっとこれがほしかったのだろうと思う。モードだけだと、いつかきっと飽きる。飽きずにいるためには、宗教になるしかない。事実、モードのもとになったものは、宗教音楽。そういう先見性がマイルスにはあったのだろうと思う。
その後、エバンスとマイルスは二度と共演しなかった。
マイルスは変わり続けた。民族音楽を取り入れ、エレクトリックに走り、ポピュラーミュージックに近づいた。エレクトリックになってからは、クール時代のアコースティックはやらなかった。それを望むファンはいただろうけれど、かつての自分の再演は、マイルスの美学に反した。生涯、変わり続けることを選んだ。
一方のエバンスは、変わらなかった。例外は多いものの、ほぼ生涯を通してアコースティックのピアノトリオという形式にこだわり続けた、と言ってもいいと思う。演奏は、スタンダード曲中心で、既存のコード進行の上に、モード的な解釈を取り入れ、三者対等のインタープレイを、死の直前まで追求した。
どちらの生き方が正しいわけでも賢いわけでもないし、それを必然という言葉で済ませようとも僕は思わない。そこには、変わり続けなければならない、あるいは、変わらなくていい、という意志があるはずだから。
あらゆるその後の関係を拒絶する意志。それは、「DAVIS-EVANS」という関係によって作られた。その絶対的な関係には、意志が介在する余地がないように見えてしまうのは、なぜだろう。僕にはまだわからない。
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コメント
ごぶさたです!
改めて Kind of Blue を聴くと
Kind of Blue という音楽ですね。
あんまりJAZZを聴いているようには感じません。
その極め付きが Blue In Green
それ以来 マイルス-エバンスがなかったのも
分かるような気がします。
2人で何かを「成し遂げてしまった」から。
私には、その後マイルスは自分自身は何も変わらず
周りの景色だけ変えて生き延びたようにも感じます。
その点、エバンスは
「ピアノという完璧な楽器の呪縛(ハーモニーの呪縛)」から逃れられず、
景色を変えられずに、最後まで苦しみ抜いたように思えてしまいます。
Flamenco Sketches !
こんな美しいモノを創造したら
2人とも命削ってしまいますよね。
投稿: オスギ | 2010年4月29日 (木) 09:07
Flamenco SketchesもBlue in Greenと同じように、作者は誰?というような曲ですよね。エバンスのPeace Pieceがまずあって、そのモチーフがマイルスのFlamenco Sketchesに使われ、またそのモチーフがバーンスタインのSome Other Timeのエバンストリオの演奏に。ともあれ、この美しい曲にかかわった人々はもうこの世になく、美しい曲だけがあり、その曲について今も話されている、ということなんでしょうね。なんとなく。
投稿: mb101bold | 2010年4月29日 (木) 13:05