« 2010年3月 | トップページ | 2010年5月 »

2010年4月の8件の記事

2010年4月30日 (金)

クリエイティブってなんだろう

 学校を出て社会人になってから、ずっとクリエイティブと呼ばれる仕事をしてきました。私は美大を出ているわけでもないし、学生時代に、写真とか映画とか演劇とか、そんあクリエイティブな活動を続けてきたわけでもないし、見た目もかっこよくもないし、お洒落でもないし、牛丼とかきざみうどんとか好きだし、なじみのバーとかないし、ウィスキーの味もよくわからないし、お酒なんて楽しくしゃべれりゃいいし、魚民とかで平気だし、そんな私にとって、クリエイティブってなんだろう、みたいなことを、つらつらと書いてみようなんて思いました。

 なぜ思ったのか、というと、新幹線に乗ってるからなんですよね。鞄を開くと、よりによって本がない。でも、パソコンはある。まあ、そんなところです。

 クリエイティブって言葉、ほんとはちょっとおこがましいですよね。日本語に訳すと「創造的」とか「独創的」。クリエイターになると、一番目に出てくるのが「創造主」ですよ。神じゃないですか。でも、わりと当たり前に使う言葉なので、あまり抵抗はなくなってしまいました。妙な意味付けもしないし、これまでの職場では、制作局のことをクリエイティブ局と言っていたし、単純にそれだけのことで、「あっ、僕、制作やってます。」というのを「あっ、僕、クリエイターです。」は、ほぼ同じくらいの意味しかありません。少なくとも私にとっては、ね。

 一般的に、クリエイティブって言葉は、かっこよくて、ちょっと時代の先を行っていて、先進的で、洗練されてて、クールで、みたいなイメージですよね。そういう意味でのクリエイティブであれば、私はクリエイティブではないんでしょうね。そっち方面の競争は、はなから負けると思っているし、だから、まあねえ、負けるところにわざわざ飛び込むこともないという感じです。

 よくもまあ、そんなやつが、クリエイティブの世界で飯を食えて来たなあ、とも自分で思うけど、そういう思いとともに、私にとってのクリエイティブって、ちょっと違うのかもなあ、とも思うわけです。でもって、世の中には、私が思うようなクリエイティブをクリエイティブと呼んでいる人たちもいて、「ね、ね、そうでしょ。そうだよね。」という共感というか連帯みたいなものも、あるにはあります。

 人によって、表現は違うと思うけど、私にとっては、こんなことかな。

 「残りひとつのピースをピタッとはめて、パズルを完成させること。」

 これについては、異論もあるだろうし、「そうじゃないよ。」という人もたくさんいると思います。でも、少なくとも、今まで私にとっては、クリエイティブってそういうものだったような気がします。

 世の中のいろんなことって、途中までできたパズルのようなものな気がします。で、最後のひとつを、みんな探してて、探せなかったら、やっぱり気持ち悪いし、あわないピースを無理矢理はめると、パズルはバラバラになってしまいますよね。

 「あっ、これ、ピタッとはまるんじゃないですか。」って、はめると、見事にはまって、1枚の絵ができて、みんなが、「ああ、ほしかったのは、こういう絵なんだよねえ。」ってなって。ときには、はめた瞬間に、今までこうなんだろうなって思ってた絵が、まったく違う絵になっていたり、いいクリエイティブが生まれる瞬間って、そんな瞬間のような気が、いつもしてきました。

 ま、「お前、それできてるのか」というと、できていたような気もするし、できてないような気もします。でもって、もはや、そういう瞬間に立ち会うとドーパミンが出る体になっている感じもしてて、これはもう中毒に近いんでしょうね。こういう瞬間をどう生み出すか、というのは、いろいろあるんだろうな、と思います。人によっても、会社によっても違うし、この分野に限って言えば、絶対唯一の方法っていうのはないような気がします。

 そんなふうにクリエイティブを考えているので、私は、あまり人の先を行っていないのかもしれないな、と思うことがあります。広告の分野では、ソーシャルウェブの台頭で、次世代広告とは何か、ということが言われていて、次世代広告の人たちはどんどん先に行くし、その一方で、これまでの広告の人たちは、あまりこういう次世代広告については関心はないような気が。まあ、世の中、Twitterやら、Googleやら、iPadやら言っているから、関心を示しているような素振りは見せますけど、本気じゃないです。それは、しゃべればわかります。

 でもね、それでもいいとも言えるんですよね。だって、じり貧と言っても、逆に言えば、そうすることで専門特化している、とも言えるから。次世代広告の人たちが専門特化しているように。専門特化して、その可能性を追求している人たちは、すごいと思うんです。特に、次世代広告の人たちは、今まで見たことのない何かを生み出そうとしているわけだから。

 そういうすごみを私は真似ができません。でも、だからと言って、私の場合、もうかつての広告のスタイルに固執することもできずにいて、だからこそ、私なりに、その部分を体で理解したいなあ、とあれこれ考えるんですね。

 私は、ウェブにおけるソーシャルな場が広告を覆ってしまうとも思っていないし、だからと言って、これまで通りってわけにもいかない、とも思っています。そのどっち側にもいけないのは、もうこれは性格としかいいようがないのだろうな、と最近思います。

 これまでのもの。これからのもの。今は、新旧のピースが入り乱れている状態なんだろうな、と思います。これを、なんとかくみ上げて、最後の1枚をピタッとはめてみたいな、と思うんですよね。だからこそ、私は、どっちの味方にもなれないんです。そういう人がいてもいいし、そういう人は少なからずいるし、そうした人たちと、目に見えない連帯感を持って、新しい時代の絵をつくっていけたらなあ、と思っています。

 もうすぐ新大阪なんで、このへんで。ではでは。

| | コメント (8) | トラックバック (1)

2010年4月28日 (水)

DAVIS-EVANS

 1958年、エバンスはマイルスのバンドに参加して、エバンスのドラッグ癖とかなんだかんだあってバンドを離れ、翌59年に『Kind of Blue』というアルバムをつくるためにマイルスに呼び戻される。そのアルバムには、「Blue in Green」という美しい曲が収録されていて、そのクレジットは「DAVIS-EVANS」となっている。

 共作であるけれど、一般的にはエバンスが作ったと言われている。エバンス本人はライブでマイルスの曲と紹介したりしていて、真偽はわからない。ジャズもショービズの世界ではあるので、いろいろあるのだろうとは思う。もうエバンスもマイルスもこの世にいなくて、「Blue in Green」という、美しい曲はまだこの世にある。事実は、それだけ。

 なぜマイルスがエバンスを呼んだのか。それは、ハードバップ的な古典的なコード進行に基づくジャズから、モード的な旋法中心のジャズをやりたかったから。当時としては革新的だった、新しい音楽を奏でられるピアニストはエバンスしかいなかった。少なくとも、マイルスはそう思った。

 けれども、「Blue in Green」は典型的なモードジャズではない。DドリアンとE♭ドリアンを繰り返す「So What」のような楽曲ではなく、複雑なコード進行がある曲だ。所謂、モード的解釈というやつ。マイルスは、きっとこれがほしかったのだろうと思う。モードだけだと、いつかきっと飽きる。飽きずにいるためには、宗教になるしかない。事実、モードのもとになったものは、宗教音楽。そういう先見性がマイルスにはあったのだろうと思う。

 その後、エバンスとマイルスは二度と共演しなかった。

 マイルスは変わり続けた。民族音楽を取り入れ、エレクトリックに走り、ポピュラーミュージックに近づいた。エレクトリックになってからは、クール時代のアコースティックはやらなかった。それを望むファンはいただろうけれど、かつての自分の再演は、マイルスの美学に反した。生涯、変わり続けることを選んだ。

 一方のエバンスは、変わらなかった。例外は多いものの、ほぼ生涯を通してアコースティックのピアノトリオという形式にこだわり続けた、と言ってもいいと思う。演奏は、スタンダード曲中心で、既存のコード進行の上に、モード的な解釈を取り入れ、三者対等のインタープレイを、死の直前まで追求した。

 どちらの生き方が正しいわけでも賢いわけでもないし、それを必然という言葉で済ませようとも僕は思わない。そこには、変わり続けなければならない、あるいは、変わらなくていい、という意志があるはずだから。

 あらゆるその後の関係を拒絶する意志。それは、「DAVIS-EVANS」という関係によって作られた。その絶対的な関係には、意志が介在する余地がないように見えてしまうのは、なぜだろう。僕にはまだわからない。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年4月24日 (土)

Bill Evans sings?

 これ、ビル・エバンスなんでしょうか。だとしたら、はじめて聴くけど、どうなんでしょうね。動画の元ページにはこうあります。

emiversen  —  2009年12月04日  — Audio only. Came across this old piece of audio tape. Have no idea of where or when this recording was done. Rare occation....enjoy!

 どこでいつレコーディングされたのはわかりません、と。で、コメント欄を見ると、こうありました。

musicissopretty   This was recorded in Stockholm in August of 1964 when Bill was making a recording with Monica Zetterlund for broadcast later in the year on Swedish radio.

 1964年にストックホルムのラジオでモニカ・ゼタールンドと録音、とのこと。モニカさんはスウェーデンの女優さんなので、この情報は、すごく辻褄が合います。1964年は、ビル・エバンスとの共演でアルバム『Waltz for Debby』を出していますので(参照:この映像は後に共演したもので、ベースがエディ・ゴメス)、そのプロモーションとしてビル・エバンスがストックホルムのラジオ番組に出演、というのは自然です。

 また、1964年はビル・エバンスが『Trio '64』を出しています。このアルバム、エバンスの中では地味なんですが、ベースが、若き日のゲイリー・ピーコック、ドラムがポール・モチアン。その中に「Santa Claus Is Coming to Town」の演奏が収録(参照)されていています。サンタが街にやってきた、ですね。

 となると、番組内で「Santa Claus Is Coming to Town」を演奏というのは、これまた自然。ということは、この音源は、まあビル・エバンスのものと考えていいじゃないかな、と思いますが(ベースがゲーリーでドラムがモチアン?)、となると残る問題はこの声の主。

 ところどころの照れ笑いがあって、ビル・エバンスだと思えば、ああなるほどとも思えますが、ほんと、どうなんでしょうね。個人的には、最後に「With Bill Evans!」と言っているように聴こえるので、ちょっと微妙なんですが。でもなあ、声は確かにエバンスなんだよなあ。うーん。仮に歌声が本人だとすると、モニカ登場前に、ちょっと歌ってみるか、ということろなんでしょうか。それにしても、陽気ですねえ。アレンジもバップ調だし。まあ、emiversenさんもenjoy!と書いておられるので、エバンスだと思って楽しむことにしましょうかね。

 ●   ●

Trio64

 ところで、『Trio '64』というアルバム。

 初期トリオのベーシストであるスコット・ラファロを失って、公私ともに落ち込んでいた時期を経て、レーベルをRIVERSIDEからVerveに移籍し、心機一転という感じの頃。1963年には『Conversations With Myself』という、自分のピアノの多重録音という意欲作を発表した後、さあ、そろそろピアノトリオという形式をもう一回はじめてみよう、という時のものです。

 ドラムが、ラファロとともに初期トリオを支えたポール・モチアンで、たぶんモチアンとの共演はこれが最後。当時のエバンスは、ラファロを失った後、相当に荒れた生活を送っていて、モチアンは、エバンスの音楽生活を支援していたとのこと。音楽生活を支援するということは、イコール、生活を支援するということでもあって、「Little LuLu」や「Sleeping Bee」、そして、「Santa Claus Is Coming to Town」なんかのポピュラーソングがたくさんあるのは、その影響なんだろうと思います。

 「Santa Claus Is Coming to Town」(参照)は、リズムも典型的なバップのスィングだし、ベースラインも4ビートのランニング。エンディングにツーファイブの繰り返しがあったり、エバンスの演奏では珍しいテイスト。わかりやすいです。でも、このエバンスという人、こういうレコード会社の方針というか、自分の意に添わない演奏でも素晴らしいプレイをするのですが、よく聴くと、ちゃんと「俺は気に入ってないよ」というサインを必ず残しているんですよね。それは、この演奏では、曲のエンディングの「ゴン!」という低いシングルノート。

 でも、エバンスの録音では、こういうわかりやすいのが後々も聴かれることになるんですよね。お店の有線でも、クリスマスの時期には、このチューンをよく聴きます。エバンス本人が熱心だった、アコースティックピアノと電子ピアノの同時演奏なんかは、エバンスの黒歴史として語られてしまって、今や相当のエバンスマニアでないと聴かないのに、この演奏は全世界で今も愛されているというのは、皮肉というか、不思議というか。でも、音楽ってそういうところがあるんでしょうね。

 ベースのゲーリー・ピーコックは、きっとオーディションで選ばれたんだろうと思いますが、まだ演奏が若いというか、荒いです。走り気味で、饒舌すぎる嫌いがありますね。この後、ゲーリー・ピーコックはフリームーブメントへ合流し、禅に興味を持って京都の東山に住んでいた時期もありました。

 今では、キース・ジャレット、ジャック・ディジョネットとのSTANDARSで、ジャズ界を代表する巨匠ですが、ディジョネットを含めて、エバンスとは少し苦い出会い(エバンスが苦いというのも含むですが)をしていて、人の出会いというのは面白いものだなあ、と思いますね。エバンスの遺伝子を引き継いでいるのは、まぎれもなくSTANDARDSですから。

 ●    ●

 エバンスが亡くなってから、もうすぐ30年になります。51歳で没。若いですよね。『Torio '64』、そしてこのラジオ録音が35歳。

 ウィキペディアを見ていたら、ビル・エヴァンス (6007 Billevans) という小惑星があるそうです。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年4月23日 (金)

140字の憂鬱

 とまあ、憂鬱なタイトルをつけてみましたが、内容はそうでもないです。ごくごく軽い話。Twitterを自発的に使ってみて、ああ、なるほど140字制限というのは発言の敷居がすごく低くて、これは気軽だなあ、と。こういう感想は、私が言わなくても、今までたくさんの人が言っていることだから、まあ、その追認という感じです。

 でも、その逆のことも少し感じたりもしました。

 ダイレクトメッセージというショートメール機能があるのですが、その際、140字制限は、逆に作用することもありますね。個人宛のメッセージに対する返答ですから、それなりにきちんとこちらの思いを言葉で伝えたいと思うのですが、それが140字だと、ちょっと辛いです。頭の中で感じたいろんな思いや、伝えたいことを、無理矢理140字に凝縮してしまおうとするんですよね。

 これは、文字数の限られた紙媒体や電波媒体の広告をつくってきた職業病かもしれないですが、どうしても、140字の原稿用紙のマス目に見えてしまうんです。で、本当に言いたいことは何か、だとか、仕事で書いているような感じになるんですね。

 あの事実があって、こう思って、だからこうしたい、というようなものごとも順序みたいなものを丁寧に伝えるには、140字はあまりにも少なすぎて、だけど、一対一の会話だから、そのあたりはきちんと伝えたい。で、結果、文章が濃密だけど、濃密すぎて、感情のゆらぎやあいまいな部分が全部そがれてしまって、私の場合、あまりうまくいきません。逆に、文章に「ゆるさ」がなくなってしまうんです。

 ちょっと、気持ちが伝わらなかったなあ、なんて思うこともたまにありました。

 これは、ダイレクトメッセージだけでなく、それに似たようなシチュエーションでも同じような感じになります。140字は、ほんの少しだけですけど、ウェブなのに字数制限があるのかあ、なんだかなあ、と思ってしまいます。でも、これはほんと個人的な嗜好の問題なんでしょうね。

 やはり、私の場合は、ウェブだけでなく日常でも、おしゃべりに対しては少ししなやかになれないところがあって、どうにもこうにも140字というシステムに身をまかせにくいところがあるようです。書き言葉がしゃべり言葉に近づいていく、その現時点における極北のひとつが、Twitterなんでしょうね。それが字数の制限という、ある種のシステムが要求する制約から出現しているのは、なんとも興味深いことだなあ、と感じました。

 日本語の芸術的な洗練で言えば、あまりよくはわかりませんが、字数制限による芸術形式である短歌や俳句が果たしてきた役割は、きっと大きいんだと思います。一方で、字数制限のない小説は、書き言葉がしゃべり言葉に迫っていくことで発展してきた部分もあると思います。

 Twitterって、その両側面を併せ持っているんですよね。この部分は、今までのウェブサービスではあまりなかったんじゃないでしょうか。

 ブログが始まったとき、テキストサイトをつくっていた人たちが、ブログに移行していきました。基本的に、ブログは、コミュニケーションツールではなくパブリッシングツールだと思うので、それはある意味、当然だったりもします。要は、書き言葉文化圏の人たちが、ブログを牽引してきたわけですよね。

 一方で、しゃべり言葉派の人は、代表的には2ちゃんねる文化圏の人たちだったりして(いちおう書いておきますが、2ちゃんねるも様々です)、Twitterは、そういうしゃべり言葉派の人たちも、惹き付けているんじゃないかな、と思います。あと、ケータイメール文化圏の人たちも。

 私はどっちか。そりゃもう、真性の書き言葉文化圏の住人でしょうね。だって、Twitより、Twitして思ったことばかり書いているんですもの。ま、いつもバランス、バランス言っているような気がしますが、そのへんはバランス悪いです。

 ということで、まあ、熱心につぶやくとグダグダになりそうなので、Twitterではゆるゆると自分のペースでやっております。それはそれで、なかなか楽しいです。

 本日は、このへんで。ではでは。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年4月18日 (日)

交差点的

 繁華街の交差点で信号が青になるのを待っている。まわりには様々な人。サラリーマン、学生、おっちゃん、おばちゃん、おじいさん、おばあさん。おしゃべりしている人もいれば、黙っている人もいる。家電量販店の店員さんがメガホンでセールを広告している。ティッシュを配っている人もいる。

 私は、天下一品で昼飯を食った後。胃に血液が集まって、ぼんやりとした頭の中で、ラーメンについて考える。

 「それにしても、最近のラーメンってのは、変わり種ばっかりだよなあ。でも、普通のラーメンでは、今やビジネス的に成り立たないのかもなあ。差別化って何だろ。」

 隣にいるサラリーマンの人は黙っている。でも、きっと彼も何かを考えているのだろう。彼から見ると、私もまた、黙っているただの人にすぎない。

 「でもまあ、天下一品って、月に1回は食べたくなるよなあ。」

 そんなくだらないことをぼんやりと考える。隣のサラリーマンが、こっちを向く。少し笑っている。目が合う。

 「そうですよね。わかります。私は週1かな。」
 「えっ…」

 一瞬戸惑う。でも、まあ話は通じているようだ。恐る恐る話しかけてみる。

 「あの、あれ、クセになりますよね。そう言えば、関西ではハーフ&ハーフがあるんですよ。」
 「それ、何です?」
 「こってりとあっさりのハーフ&ハーフ。」
 「旨そうですね。」

 信号が青に変わる。

 「じゃあ、また。」

 私は、軽く会釈をして、歩き始める。

 ●    ●

 みんながやっているし、最近はやたらすすめられたりもするので、まあ、これを機会に、と思ってはじめてみたTwitterですが、私にとってのTwitterは、今のところそんな感じです。目的が違えばまた違った風景に見えるだろうし、フォローする人によっても違ったものに見えるんだろうな、とは思うけど、どっちにしても、Twitterって、わりと交差点的なコミュニケーションなのではないかな、と思います。

 Twitterは、ソーシャルに開いていく部分と、コミュニティ的に閉じていく部分の塩梅が絶妙だと思いました。たった140字ですが、個別にURLが発行されていて、確かにブログ的ではありますし、純粋に技術的には、不特定多数に発信された発言ということには変わらないのですが、ブログのように不特定多数に発信しているという感覚は、少し薄くなる傾向はありますね。

 それは、フォローされている人の画面にしか即時的には表示されないという、Twitする側のインターフェイスがそう感じさせているのでしょうね。例えば、100人のフォローをしていたら、仮想的に100人がそれぞれ独り言を言っている交差点をつくることができて、1000人いれば、その交差点はもっと大きくなります。芸能人をフォローすれば、その交差点は芸能人がよく通る赤坂とか六本木の交差点になるし、近所の仲間をフォローすれば、中野の新井交差点もつくることができて、そのカスタマイズ性がTwitterの魅力なんでしょうね。

 ●    ●

 どんなウェブサービスでもそうなんでしょうが、特にTwitterは、これが魅力だよと言いにくい気がします。フォローというユーザーが自由に塩梅できる機能によって、コミュニケーションの場を自分好みに設定できるし、場が違えば、コミュニケーションのモードも当然違ってくるので、つまるところ、その楽しさは人それぞれと言えそうです。

 今のところ、TwitterはITリテラシーが高めの人が使っているように思いますし、SNSとは違って、意識的にも無意識的にもソーシャルなモードの延長線上にあるだろうし、そうした部分が、交差点的な、あっさりとした親密さを作っているのだろうと思います。

 ただ、この感想は、観測範囲をもっと広めにとればまた違ってくるでしょうし、あくまで今の私の経験値と観測範囲での感想ではあるのですが。

 ●    ●

 交差点というメタファで考えたとき、問われてくるのは、やっぱりある種の公共性なんでしょうね。公共性が堅苦しければ、ソーシャルな意識というか。それほど大げさなものではないけれど、交差点での振る舞いで問われる公共性は問われるのではないかな、と思います。

 その部分では、Twitterは、やはりほんの少しの怖さはあります。今のところ、しくみ的には、元URLに書かれたTweetを削除はできても、修正、訂正、弁明ができないという意味で、交差点での独り言のような音声に近い感じになっていて、それがリツイートという機能によって、様々な交差点に伝搬して、本人の責任範囲を超えて広がってしまう怖さ。

 その伝搬力は、Twitterの大きな可能性のひとつにもなっていて、コインの裏表なんだろうとは思うものの、やはり、どうしても私としては「つぶやきを気軽には残せんよなあ」という気持ちがどこかにありますね。ちょっと頭が固いのかもしれないけれど。

 でもまあ、「What are you doing?」的なコミュニケーションの楽しさは、しなやかにつぶやく人たちを眺めながら、うらやましいなあと思いつつ、ほんの少しはわかるようになりました。

 ●    ●

 最後に、Twitterって、フォローする人の種類と数でまったく違ったものになりますし、非公開にもできますし、非公開でも公開ユーザーをフォローしたり、フォローしたユーザーが公開ユーザーでも、その人だけに公開することもできるので、ひっそりと静かなコミュニケーションを楽しむこともできます。そういう部分は、Twitterは懐が深いです。

 私のアカウントは、こちらです。あまりつぶやいていないですが、ぼちぼちとやっています。よろしかったらどうぞ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年4月13日 (火)

グラデーション

 いちばんはじめに入った会社は、ベーシックデザインが得意な会社でした。その会社の8割がグラフィックデザイナーで、彼ら彼女らがデザインというとき、それはロゴだったり、ピクトグラムだったり、展覧会のポスターだったりしました。広告デザインは低くみられていて、どちらかと言えばベタで泥臭く見られていました。

 大学や専門学校を出たばかりの若いデザイナーは、しきりにグラデーションをやりたがっていました。今みたいに、グラフィックソフトで簡単にグラデーションを表現できる時代ではありませんでした。白い紙にロットリングという極細の線が精巧に書けるペンを器用に使ってスミ(黒色のことです)1色で書いて、そこにトレーシングペーパーをかけて、色チップを貼ったり赤ペンで書いたりして、色やグラデーションの指示をするんですね。それが版下と言われるもので、それを印刷会社の人に渡します。で、2、3日待つと、色校正が上がってきます。そこで、デザイナーははじめて色のついたデザインを目にできるのですね。

 デザイナーにとっては、当時、色をつけるということが大変なことだったんですよね。なにせ、印刷会社に頼まないとできないわけだから。これは、もう少し前の世代なら、いろんな色のポスターカラーを練って好みの色を出したりしていました。その時代から比べると、色チップや特色の指示で簡単にできるようになってお前らの時代はいいよなあ、なんて話なんですが、そんな少し前の世代の人でもなかなか出せなかったのがグラデーションだったのです。つまり、グラデーションという表現は、ビバ!印刷技術な新時代の表現だったんですね。

 だからこそ、若いデザイナーは、グラデーションを試したがったのです。で、世の中にグラデを多用したポスターがあふれ、それは少し陳腐な感じもしました。私はグラフィックデザイナーではなく、当時はプランナーだったので、ちぇっ、またグラデかよ、という感じで見ていました。

 例があったほうがわかりやすいですよね。グラデーションというのは、こんな表現のことです。

1

 これは、マイクロソフトのパワーポイントでつくりました。世の中便利になったものですねえ。そんな世の中だから、最近はめっきり単純なグラデーションというのは見かけなくなりました。ウェブでは、基本ディスプレーが発光で色を見せているので、グラデーションによって立体的に見せるのが印刷よりも生きることから、まだまださりげない部分では多用されていますし、このブログだって、グラデが使われていますが、それでも、上の図のような単純なグラデはあまり見かけなくなっているようです。

 今や、グラデーションって、ありがたいものではなくなってきているようです。それは、ある部分で世の中の流れに同期しているような部分もあるのかな、なんて思いました。

 なんか、両極端しかないんですよね。白か黒か。赤か黄色か。そんな感じ。中間の部分が世の中からどんどんなくなってきているように思います。前回のエントリーで、郊外型SCの話を書きました。地方都市で、駅前からどんどん商店が消えて、郊外型SCにお客さんが流れている、という話。コメントをいただいたりして、ああ、そうだよなあ、グラデーションがなくなってきてるんだよなあ、なんて。

 地方都市の場合、中核都市と言えども、東京や大阪ほどのにぎわいは期待できません。まあ、そこそこなわけです。人々は、どんどん郊外に住むようになって、車では行きにくい駅前には行かなくなってきています。駐車場も少ないですし。そんなニーズをうまくすくいとったのが、アメリカ的な郊外型SC。

 要するに、大都市か郊外か、それしかない、みたいな状況が生まれつつあるということなんですよね。大都市と郊外の中間にある、中堅都市の価値がどんどんなくなってきている、ということ。中堅都市に住む人も、車で郊外型SCに行くみたいな流れもあるようです。そりゃそうですよね。人とお店が集まっているところのほうが楽しいもの。

 いま、時代を表す言葉に「中抜き」っていうのがありますよね。意味合いは少し違うけど、ああなるほどなあ、中がごっそりと抜かれているんだよなあ、と思いました。ほんとは、中のどこかに、いろんな人が、私はここが居心地がいいのよ、という場所があるはずなんだけど、なんかお前はどっちなの、って迫られているような。いえいえ、私は中がいいんです、なんてこと言えない迫力ですごまれている、みたいな。

 過渡期なんだろうと思うんです。月並みだけど。

 現実を見ると、人がどう思おうと、中がどんどん抜かれていくのが今の流れ。世の中は、中をどんどん抜きたがっているし、中を抜くことで生まれるものは、たぶん、今までになかった価値でもあるし、その価値っていうのは、これから先、とっても大切になってくる価値だとも思うし。行くとこまで行かないと、やっぱり中もほしいです、みたいなことにはならないんだと思います。

 構造が変わると、中も変わる。新しいグラデーションが生まれる。今、中がどんどん抜かれている状況に希望を見いだすとすれば、そこしかない。私のようなバランス、バランス言っている人は、なんとも居心地悪い感じではあるけれど、まあそれはそれで希望を見いだしていこうじゃないか、なんて思いました。沈黙はしないでおこうと。

 ところで、やらない、やらないと言っていたTwitter。アカウントを作りました。まだ、何をつぶやいていいのかわからない状態ではありますし、見ているほうがわかりやすかったなあ、とも思いますし、やっぱり私ってブログ向き?なんてことも思いますが、でもまあ、いいかな、と。というわけで、みなさま、よろしくです。というか、何がよろしくなんだか、という感じかもですが、まあ、ほんとにね、ブログともども、よろしくお願いしますです。ではでは。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2010年4月11日 (日)

新幹線の車窓から見る日本

 東京と新大阪間を往復することが多く、定期的に新幹線の車窓から東海道の街並を眺めています。ここ2、3年の変化で、少し気付いたことを書いてみたいと思います。

 ●    ●

 浜松あたりが特に顕著なのですが、夜、駅前が少し暗くなって、そのかわりに、駅から少し離れた場所に巨大な建物があり、そこだけが煌々と輝いていて、以前はこんな感じではなかったなあ、これは、今までなかった光景だなあ、と思いました。なんというか、これは今までに見たことがない日本だなあ、と。

 建物だけが輝いて、そのまわりが暗いという光景は、建物のまわりに街がないことを想像させます。これは、車窓からはそう見えるだけ、ということではなく、実際にそうなのだろうと思います。そしてまた、この光景は、私が気付くずっと前から進行していた光景でもあるのでしょう。

 知識としては、所謂「ファスト風土化」とか、浜松で言えば松菱百貨店の倒産だとか、駅前繁華街の空洞化だとか、ある程度はわかっていたはずなのですが、こうして俯瞰して見ると、その現実が確かなビジュアルとして生々しく立ち上がって来て、唖然として、そのあと、少しため息が出るような、そんな気持ちになりました。

 ●    ●

 私は大阪の市街地で育って、今、東京で働いています。その視点からは、こういう部分はとても見えにくいのだろうな、と思います。私の住む中野なんかでは、駅前はいつも人で賑わっているし、新しいお店が次々とあらわれて、ニュースでよく見るシャッター商店街も、知識としてはわかっているつもりでも、実感としてはまったくわかっていなかったことなのかもしれません。

 昔、地方都市のショッピングセンターの仕事をしていたことがあります。そのショッピングセンターは、JRの駅ビルでしたが、その都市の中心的な繁華街はJRの駅から少し離れた私鉄の駅周辺にありました。城下町の場合、そういうことはよくあります。新市街地陣営として、イベントや何やらを仕掛けて、積極的なお客さんの誘致をしてきましたが、なかなかうまく行かなかったことを覚えています。この新市街地は、文字通り、新興の市街地であり、だからこその苦戦で、つまりそれは、消費の場所が人の生活と紐づいていることを意味していました。

 かわりやすかったのです。このあたりはまだまだ人も商店も少ないからねえ、という理由がありましたし、いずれはこのあたりも栄えてくるだろうし、先行投資だよ、という野心もありました。それらは、すごく人間の感覚として納得できるものでしたし、商業施設が進出することは、将来的に、そこに街をつくっていくことと同義でもありました。

 ●    ●

 しかし、この車窓の光景から見えるショッピングセンターは、そんな少し昔の感覚とはまったく違うものに私には見えました。感覚的に、なんとも言えない違和感があったのです。

 その違和感は、消費の概念が違うことから来ているように思います。これまでの消費は、生活と紐づいていました。生活の場所が、そのまま消費の場所だったわけです。消費の場所が先行した場合でも、後々、その場所を生活の場所にしていこうという意図がありました。多くの鉄道会社が百貨店をつくってきたのも、生活と消費が不可分だったからです。

 しかし、このショッピングセンターが想定する消費は、場所としての生活とは切り離された消費のような気がするのです。

 わかりやすく言えば、生活から疎外された、記号としての消費。この新しい消費の概念は、これまでの消費とは違うものになるはずです。今、浜松や、その他の地方都市で起きていることは、従来の生活に紐づいた消費が、生活から疎外された、新しい消費に移り変わる姿なのだろうと思います。それを消費の祝祭化と呼ぶこともできるとは思うけれど、同時にそれは、お金というものを、物やサービスを買うという意味での消費から疎外して、お金という記号の交換を突き進めてきた金融資本主義と、ある部分で重なるような気がします。郊外型SCのスタイルが、アメリカで発展していることにも、疎外という補助線で理解できるのかもしれません。

 話が少し横道に逸れますが、この地方都市に起きている消費の現象と同じことは、東京や大阪などの大都市ではアウトレットモールとしてあらわれているのでしょうね。アウトレットというものが、旬を過ぎたり不備があったりで、日常の生活に出せなくなった商品である、つまり、非日常の商品であるという意味では、これもまた消費の祝祭化のひとつの現れでしょう。

 ●    ●

 あの煌々と輝く巨大な建物は、営業時間が終わると、電気が消えて車窓から見えなくなるはずです。なぜなら、その場所は、生活から疎外された消費の場であるがゆえに、消費の時間が終われば、見えなくなるのがものごとの道理だから。

 ただ、私の推論は間違っているのかもしれません。間違っているとすれば、やがて、あの車窓から見える建物のまわりに、明かりが灯るはず。そして、時間をかけて復興した市街地と共存していくはずです。けれども、残念ながら、その可能性は低いのでしょうね。そういう見立てが成り立つためには、永遠の成長が前提。けれども、もうあらゆるものが過剰な時代、その見立ては考えにくいと思います。

 5年後、新幹線の車窓から見える光景がどうなるかが、これからの社会や消費がどうなったのかを象徴するはずです。アメリカ型でいくのか、それともコンパクトシティを標榜するヨーロッパ型でいくのか、それとも、そのどちらでもない日本独自の道を模索するのか。

 なるだけ客観的に今の状況を自分なりに分析しようと思って書きすすめましたが、最後に私の考えを。これは、この問題に詳しいわけではないので、ほんと感覚的になってしまいますが、もうそろそろ、なんでもアメリカの真似、というのは無理なんじゃないかな、と思います。今、あらゆる分野でその曲がり角に来ているような気がしています。土地や文化、その他、いろいろなことが違う日本で、その国に住む人間の身体性からあまりにかけ離れている気がするんですよね。

 シャッターを下ろした商店が並ぶ商店街を、競争力がないからしょうがないよね、という切り捨てることは、資本主義社会に生きるものとして理屈では納得できても、やはり身体がついていかない気がするんです。もうすこし共生的なあり方があっていいと思うし、そのためには、地方においては、税制、法律、道路や駐車場の問題、あるいは、代替交通機関の模索など、いろいろ困難はあるでしょうが、時代を動かすのは、最後は身体性。そんなふうに思っています。

| | コメント (10) | トラックバック (0)

2010年4月 7日 (水)

痛くないはずはないんだけどなあ

 大阪にいる母が股関節を折りました。入院先の病院で転んで尻餅をついたらしいです。高齢者の場合、転んだりすることをきっかけに寝たきりになったりすることもあるので、入院先の病院では、これでもかというほど転倒に気を付けているようでしたが、それでもやっぱり転ぶんですよね。まあ、しゃあないです。

 夜中に父と一緒に病院に行き、母と会いました。骨折した足は紐で引っ張られていて、見た目、かなり痛々しかったのですが、母はまったく痛そうな素振りを見せずにケロッとしていて、転んだのは自分のせいじゃない、みたいなことをしきりに言っていました。骨折していない方の足をバタバタさせて、ほらこんなに動くし、とか言ったりして、こっちが拍子抜けする感じ。

 担当の先生に呼ばれて、ほな行ってくるわな、なんて言いながら、別室に。手術についての丁寧な説明を受けました。レントゲンを見せてもらうと、股関節にある大腿骨頭の根元が完全に折れていました。すぐに手術をして、金属製の人工骨頭を入れることに。全身麻酔、輸血で、太ももを開き、大腿骨の骨髄を掘り出し、ノミで穴をあけて、そこに人工骨頭を挿入するとのこと。

 最近は、インフォームドコンセントの普及からか、データを交えながらリスクを含めて説明してくれます。これは、聞いている方は、かなりきついです。細かい数字は忘れてしまいましたが、この方法は20年前から行われている信頼性のある方法ですが、これまでの20万人の症例の中で、1名の方がショックで亡くなっています、とか言われると、理屈でわかっていても、ああ、なんだか大変なことになっちゃったなあ、なんて思ってしまいます。でも、それでも、こういうことは言ってもらったほうがいいんでしょうけどね。

 先生から質問はありませんか、と言われて、なぜ母は痛がらないんでしょうね、と質問。ちょっとずれた質問だったらしく、先生は妙な表情をしていましたが、先生曰く、麻酔も打っていないし、少しは痛いはずですが、足を紐で引っ張っていて神経に触らないからじゃないですかね、と。でもまあ、我慢もあるんだろうな、なんて思いました。母は母なりに、心配をかけないように、みたいな。

 説明が終わって、もう一度母に会いにいくと、今度は、ほらこんなに元気やし、手術せんでもええな、みたいなことを言うので、手術せな歩かれへんからな、ちょっと我慢してな、と返すと、ちょっと神妙な顔になって、わかった我慢する、と。お茶飲むか、とコップを口もとにもっていくと、手術前は飲んだらあかんから、なんてことを言うんですよね。外科手術だからお茶は飲めるんだけどね。

 病院を後にしたのが、夜の10時を回っていて、地下鉄乗って帰ろうとしたら、父が、ちょっとコーヒーでも飲んでいこか、と珍しく言うので、駅前のファミレスに。父とファミレスに行くとは思わなんだ。で、メニューを広げると、いきなりビールを頼むから、やめとけ、と言うと、今日はええやろ、みたいなことを言うので、しょうがないなあ、今日だけやで、ということで、生中を二杯注文。東京から電話したときは、たいしたことがないので大阪には帰らんでええ、と言ってたくせに、夫婦揃って素直じゃないんだから、なんてことを思いました。

 後日、手術があり、なんの問題もなく成功。父に聞くと、手術直後もまったく痛そうな素振りを見せなかったらしいです。痛いはずなんだけどなあ。今は、足を伸ばしたり動かしたりするリハビリをはじめていて、もうすぐ加重をかけるリハビリがはじまるとのことです。

 まあ、個人的なことでもあるけれど、同じような状況になる方もたくさんいるでしょうから、何かの参考に、ということで、記録として書いてみました。この手の話は、いつもそうしているのですが、今回のエントリも同様に、コメント、トラックバックは閉じておきますね。ご心配なく。事実の間違い等があれば、ご面倒ですがメールにてお知らせくださいませ。メールは、プロフィールにあります。ではでは。

 参考:股関節の骨折(メルクマニュアル医学百科)

|

« 2010年3月 | トップページ | 2010年5月 »