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2010年4月30日 (金)

クリエイティブってなんだろう

 学校を出て社会人になってから、ずっとクリエイティブと呼ばれる仕事をしてきました。私は美大を出ているわけでもないし、学生時代に、写真とか映画とか演劇とか、そんあクリエイティブな活動を続けてきたわけでもないし、見た目もかっこよくもないし、お洒落でもないし、牛丼とかきざみうどんとか好きだし、なじみのバーとかないし、ウィスキーの味もよくわからないし、お酒なんて楽しくしゃべれりゃいいし、魚民とかで平気だし、そんな私にとって、クリエイティブってなんだろう、みたいなことを、つらつらと書いてみようなんて思いました。

 なぜ思ったのか、というと、新幹線に乗ってるからなんですよね。鞄を開くと、よりによって本がない。でも、パソコンはある。まあ、そんなところです。

 クリエイティブって言葉、ほんとはちょっとおこがましいですよね。日本語に訳すと「創造的」とか「独創的」。クリエイターになると、一番目に出てくるのが「創造主」ですよ。神じゃないですか。でも、わりと当たり前に使う言葉なので、あまり抵抗はなくなってしまいました。妙な意味付けもしないし、これまでの職場では、制作局のことをクリエイティブ局と言っていたし、単純にそれだけのことで、「あっ、僕、制作やってます。」というのを「あっ、僕、クリエイターです。」は、ほぼ同じくらいの意味しかありません。少なくとも私にとっては、ね。

 一般的に、クリエイティブって言葉は、かっこよくて、ちょっと時代の先を行っていて、先進的で、洗練されてて、クールで、みたいなイメージですよね。そういう意味でのクリエイティブであれば、私はクリエイティブではないんでしょうね。そっち方面の競争は、はなから負けると思っているし、だから、まあねえ、負けるところにわざわざ飛び込むこともないという感じです。

 よくもまあ、そんなやつが、クリエイティブの世界で飯を食えて来たなあ、とも自分で思うけど、そういう思いとともに、私にとってのクリエイティブって、ちょっと違うのかもなあ、とも思うわけです。でもって、世の中には、私が思うようなクリエイティブをクリエイティブと呼んでいる人たちもいて、「ね、ね、そうでしょ。そうだよね。」という共感というか連帯みたいなものも、あるにはあります。

 人によって、表現は違うと思うけど、私にとっては、こんなことかな。

 「残りひとつのピースをピタッとはめて、パズルを完成させること。」

 これについては、異論もあるだろうし、「そうじゃないよ。」という人もたくさんいると思います。でも、少なくとも、今まで私にとっては、クリエイティブってそういうものだったような気がします。

 世の中のいろんなことって、途中までできたパズルのようなものな気がします。で、最後のひとつを、みんな探してて、探せなかったら、やっぱり気持ち悪いし、あわないピースを無理矢理はめると、パズルはバラバラになってしまいますよね。

 「あっ、これ、ピタッとはまるんじゃないですか。」って、はめると、見事にはまって、1枚の絵ができて、みんなが、「ああ、ほしかったのは、こういう絵なんだよねえ。」ってなって。ときには、はめた瞬間に、今までこうなんだろうなって思ってた絵が、まったく違う絵になっていたり、いいクリエイティブが生まれる瞬間って、そんな瞬間のような気が、いつもしてきました。

 ま、「お前、それできてるのか」というと、できていたような気もするし、できてないような気もします。でもって、もはや、そういう瞬間に立ち会うとドーパミンが出る体になっている感じもしてて、これはもう中毒に近いんでしょうね。こういう瞬間をどう生み出すか、というのは、いろいろあるんだろうな、と思います。人によっても、会社によっても違うし、この分野に限って言えば、絶対唯一の方法っていうのはないような気がします。

 そんなふうにクリエイティブを考えているので、私は、あまり人の先を行っていないのかもしれないな、と思うことがあります。広告の分野では、ソーシャルウェブの台頭で、次世代広告とは何か、ということが言われていて、次世代広告の人たちはどんどん先に行くし、その一方で、これまでの広告の人たちは、あまりこういう次世代広告については関心はないような気が。まあ、世の中、Twitterやら、Googleやら、iPadやら言っているから、関心を示しているような素振りは見せますけど、本気じゃないです。それは、しゃべればわかります。

 でもね、それでもいいとも言えるんですよね。だって、じり貧と言っても、逆に言えば、そうすることで専門特化している、とも言えるから。次世代広告の人たちが専門特化しているように。専門特化して、その可能性を追求している人たちは、すごいと思うんです。特に、次世代広告の人たちは、今まで見たことのない何かを生み出そうとしているわけだから。

 そういうすごみを私は真似ができません。でも、だからと言って、私の場合、もうかつての広告のスタイルに固執することもできずにいて、だからこそ、私なりに、その部分を体で理解したいなあ、とあれこれ考えるんですね。

 私は、ウェブにおけるソーシャルな場が広告を覆ってしまうとも思っていないし、だからと言って、これまで通りってわけにもいかない、とも思っています。そのどっち側にもいけないのは、もうこれは性格としかいいようがないのだろうな、と最近思います。

 これまでのもの。これからのもの。今は、新旧のピースが入り乱れている状態なんだろうな、と思います。これを、なんとかくみ上げて、最後の1枚をピタッとはめてみたいな、と思うんですよね。だからこそ、私は、どっちの味方にもなれないんです。そういう人がいてもいいし、そういう人は少なからずいるし、そうした人たちと、目に見えない連帯感を持って、新しい時代の絵をつくっていけたらなあ、と思っています。

 もうすぐ新大阪なんで、このへんで。ではでは。

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コメント

私は音楽人ですが、仰る通りだと思います。
音楽の世界のみならず100%新しい表現などというものは
存在しませんし、本当にそのような物があったとしたら
それは恐らくもう既に芸術という範疇ではないでしょう。

流行の最先端と言われるものの実態は、
その殆どが古典の劣化コピーです。
人類が宇宙で暮らすようになっても、
その世界には相変わらず愛や暴力の物語や音楽が
溢れ返っているでしょう。
結局ピースの絵柄が地球から宇宙に変わっただけです。

僕ら制作者は新しい事をやっているという
「フリ」をしているに過ぎません。
アートに関わる人間が先端を走っているというのは
誰かが勝手に作り上げた幻想に過ぎないです。

投稿: alpha | 2010年5月 2日 (日) 00:24

ほんとは、時代の最先端というのは次世代の普通だと思います。
だから、最先端というものは、どこかで普通(あるいは普遍と言っていいのかもしれないけれど)を内包しているはずなんですよね。
その普通、あるいは普遍の匂いに敏感でありたいとは思うんですね。それはすごく難しいですけど、なんとなく、私はそういうアンテナの張り方しかできんのだろうな、その部分での凄みみたいなもので勝負していくしかないかも、と思ったりしています。

投稿: mb101bold | 2010年5月 2日 (日) 01:50

もし広告会社に「アート局」ってのがあって、広告の仕事してる人が「アーティスト」って呼ばれていたら、おこがましくて申し訳ないだろうなあって思います。「クリエイティブ」っていうのは、表現の「職人さん」っていうのを広告屋得意のヨコモジで言ってるんだなって業界入った頃に思いました。「職人さん」は立派な仕事ですよ。

投稿: denkihanabi | 2010年5月 2日 (日) 11:32

こんばんは。

>今は、新旧のピースが入り乱れている状態なんだろうな、と思います。

確かにそんな感じですね。
なんか混沌としているというか。

次世代広告って、何か「次世代システム」みたいな感じになっているような気がしますねぇ(システムも嫌いではないのですが)

投稿: mt | 2010年5月 3日 (月) 02:42

>denkihanabiさん

お久しぶりです。職人という言葉がヒントになって思ったんですが、業界で言われるところの文脈でのクリエイティブっていうのは、まあ言わば職人技のようなものであって、であるがゆえにお金がとれるわけで、そういう文脈で言えば、当たり前や普通からかけ離れたところにあるものだと思うんですね。
このことを逆に言えば、クリエイティブとは普通を基準点にした、ある種の確信犯的な逸脱ということであって、クリエイティブであろうとすることは、普通とは何かを考えることと同義なような気がします。
もう少し整理するともっとすっきりと言えそうな気がしますが、とりあえず生なまま思考のログとして記しておきます。

>mtさん

次世代広告の潮流があってはじめて認識できたことだったのかもしれませんが、これまでの広告というのもじつはシステだったんだなあと思うんですよね。しかも、このシステムっていうのは相当によくできています。
で、これまでの広告をシステムとしてあらためて見て、次世代広告のシステムの構造的に変わらない部分を照らし合わせてみると、そこから次世代広告の潮流における危うさなんかも見えてくるんですよね。
ほんの一例で言えば、純広、記事広、ペイドパブみたいな旧来の用語は、そのまま次世代でもシステムの構造的には変わらないわけで、次世代だからといって、そのあたりが溶けても大丈夫っていうわけにはいかんのだろうな、と。そんなふうに思うんです。
だから私は手法ではなく表現の問題なんじゃないか、とこのブログで言ってきたんだろうな、と自分のことながら、あらためて思ったりします。

投稿: mb101bold | 2010年5月 3日 (月) 02:59

クリエイティブって何だろう?

ツィッター経由で  さんのblog拝見いたしました。
自分はクルマのデザインを生業としています。色々と共感するものがあり、一言コメントを残したくなりました。
個人的な見解(実感)ではありますが。

クリエイティブとは?
ヒトが生きていく上で、モノゴトをよりよくする行為。
そのために、様々な視点を見つけることであり、思考することであり、コトバなりカタチなりにしてアウトプットすることではないでしょうか?
手法はいくらでもあるし、時代時代で変化もすると思います。
そして、クリエイターですが、「創造主」と訳すと確かにおこがましい響き。
自分としては、その時々の最適解を見つけるために「もがく人」。

パズルのピースを見つけた時の喜び!良くわかります。。

投稿: daismile | 2010年5月 4日 (火) 18:16

mb101boldさん
すみません、先程送信したコメントに
「mb101boldさん」と書き足すのを忘れてしまいました、、
大変失礼いたしました。

投稿: daismile | 2010年5月 4日 (火) 18:23

daismileさん、はじめまして。私もよくやってしまいますので、お気になさらずに。

>自分としては、その時々の最適解を見つけるために「もがく人」。

そうですよね。その時々で最適解が違うから、この仕事はしんどいけど面白いんですよね。もしこの仕事に普遍的なひとつの解があるとすれば、私はそれが見つけられようが見つけられないでいようが、とっくにやめていると思うんですよね。
なんか元気がでてきました。ありがとうございます。

投稿: mb101bold | 2010年5月 4日 (火) 20:34

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Reference:クリエイティブってなんだろう: ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね) この人のブログって、仕事である広告業についての愛というか熱意が淡々と語られていてすごく好き。 広告業が好きなんだけど、一歩引いた覚めた視点を持っていて、下手すると 「それってコ... [続きを読む]

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