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2010年4月11日 (日)

新幹線の車窓から見る日本

 東京と新大阪間を往復することが多く、定期的に新幹線の車窓から東海道の街並を眺めています。ここ2、3年の変化で、少し気付いたことを書いてみたいと思います。

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 浜松あたりが特に顕著なのですが、夜、駅前が少し暗くなって、そのかわりに、駅から少し離れた場所に巨大な建物があり、そこだけが煌々と輝いていて、以前はこんな感じではなかったなあ、これは、今までなかった光景だなあ、と思いました。なんというか、これは今までに見たことがない日本だなあ、と。

 建物だけが輝いて、そのまわりが暗いという光景は、建物のまわりに街がないことを想像させます。これは、車窓からはそう見えるだけ、ということではなく、実際にそうなのだろうと思います。そしてまた、この光景は、私が気付くずっと前から進行していた光景でもあるのでしょう。

 知識としては、所謂「ファスト風土化」とか、浜松で言えば松菱百貨店の倒産だとか、駅前繁華街の空洞化だとか、ある程度はわかっていたはずなのですが、こうして俯瞰して見ると、その現実が確かなビジュアルとして生々しく立ち上がって来て、唖然として、そのあと、少しため息が出るような、そんな気持ちになりました。

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 私は大阪の市街地で育って、今、東京で働いています。その視点からは、こういう部分はとても見えにくいのだろうな、と思います。私の住む中野なんかでは、駅前はいつも人で賑わっているし、新しいお店が次々とあらわれて、ニュースでよく見るシャッター商店街も、知識としてはわかっているつもりでも、実感としてはまったくわかっていなかったことなのかもしれません。

 昔、地方都市のショッピングセンターの仕事をしていたことがあります。そのショッピングセンターは、JRの駅ビルでしたが、その都市の中心的な繁華街はJRの駅から少し離れた私鉄の駅周辺にありました。城下町の場合、そういうことはよくあります。新市街地陣営として、イベントや何やらを仕掛けて、積極的なお客さんの誘致をしてきましたが、なかなかうまく行かなかったことを覚えています。この新市街地は、文字通り、新興の市街地であり、だからこその苦戦で、つまりそれは、消費の場所が人の生活と紐づいていることを意味していました。

 かわりやすかったのです。このあたりはまだまだ人も商店も少ないからねえ、という理由がありましたし、いずれはこのあたりも栄えてくるだろうし、先行投資だよ、という野心もありました。それらは、すごく人間の感覚として納得できるものでしたし、商業施設が進出することは、将来的に、そこに街をつくっていくことと同義でもありました。

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 しかし、この車窓の光景から見えるショッピングセンターは、そんな少し昔の感覚とはまったく違うものに私には見えました。感覚的に、なんとも言えない違和感があったのです。

 その違和感は、消費の概念が違うことから来ているように思います。これまでの消費は、生活と紐づいていました。生活の場所が、そのまま消費の場所だったわけです。消費の場所が先行した場合でも、後々、その場所を生活の場所にしていこうという意図がありました。多くの鉄道会社が百貨店をつくってきたのも、生活と消費が不可分だったからです。

 しかし、このショッピングセンターが想定する消費は、場所としての生活とは切り離された消費のような気がするのです。

 わかりやすく言えば、生活から疎外された、記号としての消費。この新しい消費の概念は、これまでの消費とは違うものになるはずです。今、浜松や、その他の地方都市で起きていることは、従来の生活に紐づいた消費が、生活から疎外された、新しい消費に移り変わる姿なのだろうと思います。それを消費の祝祭化と呼ぶこともできるとは思うけれど、同時にそれは、お金というものを、物やサービスを買うという意味での消費から疎外して、お金という記号の交換を突き進めてきた金融資本主義と、ある部分で重なるような気がします。郊外型SCのスタイルが、アメリカで発展していることにも、疎外という補助線で理解できるのかもしれません。

 話が少し横道に逸れますが、この地方都市に起きている消費の現象と同じことは、東京や大阪などの大都市ではアウトレットモールとしてあらわれているのでしょうね。アウトレットというものが、旬を過ぎたり不備があったりで、日常の生活に出せなくなった商品である、つまり、非日常の商品であるという意味では、これもまた消費の祝祭化のひとつの現れでしょう。

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 あの煌々と輝く巨大な建物は、営業時間が終わると、電気が消えて車窓から見えなくなるはずです。なぜなら、その場所は、生活から疎外された消費の場であるがゆえに、消費の時間が終われば、見えなくなるのがものごとの道理だから。

 ただ、私の推論は間違っているのかもしれません。間違っているとすれば、やがて、あの車窓から見える建物のまわりに、明かりが灯るはず。そして、時間をかけて復興した市街地と共存していくはずです。けれども、残念ながら、その可能性は低いのでしょうね。そういう見立てが成り立つためには、永遠の成長が前提。けれども、もうあらゆるものが過剰な時代、その見立ては考えにくいと思います。

 5年後、新幹線の車窓から見える光景がどうなるかが、これからの社会や消費がどうなったのかを象徴するはずです。アメリカ型でいくのか、それともコンパクトシティを標榜するヨーロッパ型でいくのか、それとも、そのどちらでもない日本独自の道を模索するのか。

 なるだけ客観的に今の状況を自分なりに分析しようと思って書きすすめましたが、最後に私の考えを。これは、この問題に詳しいわけではないので、ほんと感覚的になってしまいますが、もうそろそろ、なんでもアメリカの真似、というのは無理なんじゃないかな、と思います。今、あらゆる分野でその曲がり角に来ているような気がしています。土地や文化、その他、いろいろなことが違う日本で、その国に住む人間の身体性からあまりにかけ離れている気がするんですよね。

 シャッターを下ろした商店が並ぶ商店街を、競争力がないからしょうがないよね、という切り捨てることは、資本主義社会に生きるものとして理屈では納得できても、やはり身体がついていかない気がするんです。もうすこし共生的なあり方があっていいと思うし、そのためには、地方においては、税制、法律、道路や駐車場の問題、あるいは、代替交通機関の模索など、いろいろ困難はあるでしょうが、時代を動かすのは、最後は身体性。そんなふうに思っています。

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都市」カテゴリの記事

コメント

地方も都会もどんどん、生活と消費、それぞれが別々の目的で区分わけされていった都市デザインになっていっていますね。

再開発などでそれに対抗しているのは、マンションと商業施設が一体となったスタイルでしょうけど、そればかりになってゆくのもさびしい限りかもしれませんね。

投稿: 荒井順平 | 2010年4月11日 (日) 17:38

生活と消費が分かれていったことも、従来の広告表現が届きにくくなったことのひとつの原因かもしれませんね。
大阪の2011年百貨店出店ラッシュなんかを見ていると、なんとなく生活実感とかけ離れているような感じがします。

投稿: mb101bold | 2010年4月11日 (日) 18:26

ニュアンスが違うのかもしれませんが...

私は1976年4月に立川市から引越して爾来(大阪転勤以外は)同じ街に住んでいます。立川は中央線特別快速の停車駅で、それ以外にも西多摩・南多摩への接続線を抱えた繁華街です。一方転居した街は繁華街から2駅ほど離れており、華やかさは微塵もありませんでした。近くに、1967年入居開始という高層住宅団地があったのですが、そこの商店街というのが、如何にも人工的で「街」という印象が無かったのです。団地の周辺に企業がなく、公園があってもいかにも作り付けみたいなもので、生活感が全くなくて、当時高校生だった自分ですら、居ても楽しくなく、そこで時間や¥を消費しようとは思えないところでした。
mb1_01_boldさんが感じた「地方都市のショッピングセンター」の感じってこれに似てるような気がしました。
ところで浜松の街を車で移動なさったこと、ありますか?私は1990年頃に一度行ったことがありまして、あの時点で「商業地域」が徒歩では回り切れないくらい広くて驚いたことがあります。例えば東京でいえば銀座とか新宿とか、みたいな感じ。でも銀座とか新宿とかは、点々と鉄道の駅があるので、そこで人の波が供給される(?)みたいなフシがあるのですが浜松はそれが無いのです。不思議な街です。

投稿: JI1V | 2010年4月11日 (日) 19:25

自然発生的な街の有機性を人工でつくるのは難しいんでしょうね。
浜松は、何度か行ったことがありますが、地方都市にありがちな、駅前がビルに直結する2階になっていて、その1階がバスのロータリーだったような記憶があります。ああいう構造だと、駅を降りてもビルの印象ばかりで街がわからないんですよね。浜松は、浜名湖があるものの、産業で見ると日本有数の工業都市でもあるので、どうしても人が分散的になるんでしょうね。また、行政の政策とともに、郊外に住んでいる人が多いので、どうしても移動は車になるし、その車でのアクセスを抱えるだけのインフラを浜松の中心街が持てなかったのが、郊外型CSが支持された理由ということみたいですよ。

投稿: mb101bold | 2010年4月12日 (月) 01:14

数年前に祖母が亡くなった際、大阪の堺市に駆けつけました。東京から新幹線で新大阪に着き、堺市に向かっていたとき、「あれ、以前より暗くなってないか?」と思いました。
東京の都心に慣れたせいかと思いましたが、地元で働く従兄によると、堺市でも郊外化&鉄道沿線の地盤沈下が激しいとのことでした。
地方都市郊外で育った私は堺市の祖母宅に行くたび「なんでこんな人がおるん?」「なんで電車がひっきりなしに来るん?」と父母に尋ねていたものです。
鉄道駅周辺に人が溢れていた頃を懐かしみますが、郊外モールはやはり快適なのです。
空虚かもしれないけど快適なのです。こればっかりはどうしようもなく「未来世紀ブラジル」みたいな風景になっていくのかなと思ってます。
60年ほど前に?海外で武者修行した小澤征爾さんが「日本の風景がアメリカ郊外みたいになっている」というようなことを憂慮してましたが残念ながら実現してしまったようです。

高度成長の頃、何かと言うことを聞かない(旧)国鉄よりも、車社会を推し進めた方が国はやりやすかったのでしょうし、何より道路(一桁の国道)は地方にお金が落ちるようです。いろいろ都合がよかったしメリットも大きかったけど、そろそろデメリットも見え始めた。

僕自身はコンパクトシティ派です。ただしそれが実現するのは、一般的な国民が「車ももてない社会」が到来してしまってから実現するのかなと思います。
なかなか「都合のよい未来」ってないですね。

投稿: mistral | 2010年4月12日 (月) 12:02

以前の感覚で言えば、堺は大阪市の郊外都市という感じだったんですよね。きっと、今の日本にはグラデーションがなくなってきていて、中央/郊外という二項しかなくなってきている気がします。中間としが苦戦していて、車によって郊外がパワーを持っている。そんな状況の象徴的な風景が、新幹線からの光景だったのかもしれません。
これは、広告コミュニケーションにも言えて、一流タレントを大勢使ったマスの大キャンペーンか、Twitterでプロモーション、というような両極が元気で、その中間がないような気がします。
一般的な国民が「車が持てない社会」が到来して、中間が見直されるという見立ては、少しさみしいけれど言えてますね。ほんと、なかなか「都合のよい未来」というものはないですね。

投稿: mb101bold | 2010年4月12日 (月) 22:07

『一般的な国民が「車が持てない社会」が到来して、中間が見直される』っていうのはすごい洞察力ですね。車が維持できなくなって、そして見えてくるものがある。ということですよね。車を持たなくなって見えてくる、じゃなくて、持てなくなって、というのがなんともハヤ。

投稿: JI1V | 2010年4月12日 (月) 23:52

ほんと、なんともですね。

投稿: mb101bold | 2010年4月13日 (火) 00:41

はじめまして。興味深く読ませて頂きました。
おっしゃる通りだと思います。共生的なあり方を模索した人々もいたはずでしょうが、短期的に利益を出したい会社の意思が優先させてしまった多数派の形なのでしょう。この状況を寂しく思う派の私達の責任でもあると思います。私は消費する側として便利と思いながら後ろめたく、必ずしも賛成ではありません。家からほぼ同じ距離に大型スーパーと昔からあるスーパ—があります。大型の方が安いですがどちらも利用するようにしています。細やかな日本人の特性を封じ込めてしまわずに、その意識から行動へつなげてほしいと思います。この状況に慣れてしまわないようにしたいです。

投稿: mocopitch | 2010年4月16日 (金) 14:08

都市の側にも、どこか永遠の成長という意識があったのだろうと思います。それは、ほとんど信仰のようなもので、この信仰はどうしようもなくなってから、それが信仰にすぎないことに気付くという感じなんでしょう。
吉本隆明さんではないですが、第二の敗戦という感じなのかもしれません。

投稿: mb101bold | 2010年4月17日 (土) 03:32

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