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2010年4月18日 (日)

交差点的

 繁華街の交差点で信号が青になるのを待っている。まわりには様々な人。サラリーマン、学生、おっちゃん、おばちゃん、おじいさん、おばあさん。おしゃべりしている人もいれば、黙っている人もいる。家電量販店の店員さんがメガホンでセールを広告している。ティッシュを配っている人もいる。

 私は、天下一品で昼飯を食った後。胃に血液が集まって、ぼんやりとした頭の中で、ラーメンについて考える。

 「それにしても、最近のラーメンってのは、変わり種ばっかりだよなあ。でも、普通のラーメンでは、今やビジネス的に成り立たないのかもなあ。差別化って何だろ。」

 隣にいるサラリーマンの人は黙っている。でも、きっと彼も何かを考えているのだろう。彼から見ると、私もまた、黙っているただの人にすぎない。

 「でもまあ、天下一品って、月に1回は食べたくなるよなあ。」

 そんなくだらないことをぼんやりと考える。隣のサラリーマンが、こっちを向く。少し笑っている。目が合う。

 「そうですよね。わかります。私は週1かな。」
 「えっ…」

 一瞬戸惑う。でも、まあ話は通じているようだ。恐る恐る話しかけてみる。

 「あの、あれ、クセになりますよね。そう言えば、関西ではハーフ&ハーフがあるんですよ。」
 「それ、何です?」
 「こってりとあっさりのハーフ&ハーフ。」
 「旨そうですね。」

 信号が青に変わる。

 「じゃあ、また。」

 私は、軽く会釈をして、歩き始める。

 ●    ●

 みんながやっているし、最近はやたらすすめられたりもするので、まあ、これを機会に、と思ってはじめてみたTwitterですが、私にとってのTwitterは、今のところそんな感じです。目的が違えばまた違った風景に見えるだろうし、フォローする人によっても違ったものに見えるんだろうな、とは思うけど、どっちにしても、Twitterって、わりと交差点的なコミュニケーションなのではないかな、と思います。

 Twitterは、ソーシャルに開いていく部分と、コミュニティ的に閉じていく部分の塩梅が絶妙だと思いました。たった140字ですが、個別にURLが発行されていて、確かにブログ的ではありますし、純粋に技術的には、不特定多数に発信された発言ということには変わらないのですが、ブログのように不特定多数に発信しているという感覚は、少し薄くなる傾向はありますね。

 それは、フォローされている人の画面にしか即時的には表示されないという、Twitする側のインターフェイスがそう感じさせているのでしょうね。例えば、100人のフォローをしていたら、仮想的に100人がそれぞれ独り言を言っている交差点をつくることができて、1000人いれば、その交差点はもっと大きくなります。芸能人をフォローすれば、その交差点は芸能人がよく通る赤坂とか六本木の交差点になるし、近所の仲間をフォローすれば、中野の新井交差点もつくることができて、そのカスタマイズ性がTwitterの魅力なんでしょうね。

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 どんなウェブサービスでもそうなんでしょうが、特にTwitterは、これが魅力だよと言いにくい気がします。フォローというユーザーが自由に塩梅できる機能によって、コミュニケーションの場を自分好みに設定できるし、場が違えば、コミュニケーションのモードも当然違ってくるので、つまるところ、その楽しさは人それぞれと言えそうです。

 今のところ、TwitterはITリテラシーが高めの人が使っているように思いますし、SNSとは違って、意識的にも無意識的にもソーシャルなモードの延長線上にあるだろうし、そうした部分が、交差点的な、あっさりとした親密さを作っているのだろうと思います。

 ただ、この感想は、観測範囲をもっと広めにとればまた違ってくるでしょうし、あくまで今の私の経験値と観測範囲での感想ではあるのですが。

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 交差点というメタファで考えたとき、問われてくるのは、やっぱりある種の公共性なんでしょうね。公共性が堅苦しければ、ソーシャルな意識というか。それほど大げさなものではないけれど、交差点での振る舞いで問われる公共性は問われるのではないかな、と思います。

 その部分では、Twitterは、やはりほんの少しの怖さはあります。今のところ、しくみ的には、元URLに書かれたTweetを削除はできても、修正、訂正、弁明ができないという意味で、交差点での独り言のような音声に近い感じになっていて、それがリツイートという機能によって、様々な交差点に伝搬して、本人の責任範囲を超えて広がってしまう怖さ。

 その伝搬力は、Twitterの大きな可能性のひとつにもなっていて、コインの裏表なんだろうとは思うものの、やはり、どうしても私としては「つぶやきを気軽には残せんよなあ」という気持ちがどこかにありますね。ちょっと頭が固いのかもしれないけれど。

 でもまあ、「What are you doing?」的なコミュニケーションの楽しさは、しなやかにつぶやく人たちを眺めながら、うらやましいなあと思いつつ、ほんの少しはわかるようになりました。

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 最後に、Twitterって、フォローする人の種類と数でまったく違ったものになりますし、非公開にもできますし、非公開でも公開ユーザーをフォローしたり、フォローしたユーザーが公開ユーザーでも、その人だけに公開することもできるので、ひっそりと静かなコミュニケーションを楽しむこともできます。そういう部分は、Twitterは懐が深いです。

 私のアカウントは、こちらです。あまりつぶやいていないですが、ぼちぼちとやっています。よろしかったらどうぞ。

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