ソーシャルメディアとの距離の取り方
これからはネットの時代なんだよ。
そんなふうに語られていた頃は、じつはマスメディアとネットという構図をとりながら、その台詞を口にする人の頭の中では、じつは別の構図が描かれていたんだろうと思います。本当は、マス広告とネット広告という構図ではなく、純広告的アプローチと非純広告的アプローチの構図だったりします。純広告ではなく、タイアップ、コラボレーション、口コミなどなどでうまくやれないか、ということだろうな、と。うまくやれないか、という言葉の意味は、安くやれないか、ということなんでしょう。
マス広告とネット広告ということなら、わりと話は簡単で単純。不特定多数に広く伝えたいのなら、Yahoo! JAPANなどの大手ポータルサイトのバナー広告なんかは、もはやマス広告と言ってもいいだろうし、ターゲットセグメントで言えば、雑誌に出稿するのも、セグメントされたサイトに出稿するのも、手法的にはほぼ同じであって、それほど頭を悩ませることもないんだろうと思うんです。
でも、頭を悩ませる部分は、こういう部分ではなくて、ネットにはブログやSNS、Twitterなんかで積極的に情報発信し、コミュニケーションを活発に行う消費者がいて、このかつてなかった環境下で、うまくこれを使えないかな、どうすればいいんだろう、みたいな悩みだったと思うんですね。
この目の前の新しい環境を使って、タイアップやコラボ、口コミなんかでうまくやれないかな、と。うまくいけば、マスメディアの高い媒体費を節約できるし、そのうえ手法的には未来感もあるし、とてつもない可能性を秘めているはずだよなあ、という感じでしょうか。
一頃、そういう非純広告熱が高まった時期がありましたが、それなりの成功もあり、その一方で失敗もあり、なんとなく、非純広告手法のだいたいの効果がわかってきた時期が今なのではないでしょうか。ネットの側でも、ネットユーザーに金品を支払って、人為的に口コミを起こすような手法は、Googleのペナルティ措置なんかもあり(参照)、ずいぶん下火になってきました。その一方で、ネットをうまく使っている企業もたくさんありますし、ブログで情報発信して人気を得ている企業もあります。
その多くは、自らソーシャルメディアに普通の人と同じ目線で参加している企業です。参加しないで、ソーシャルメディアを広告にだけ使うというのは、なかなかうまくいかない、という、考えてみれば、論理的にきわめて当たり前のことが、ようやくわかりはじめてきた、というのが今なんだろうな、という印象を私は持っています。
ソーシャルメディアは、一方通行の従来メディアではなく、個人単位の発信者が双方向でつながり、集合的になって、はじめて括弧付きの「メディア」としてのボリュームを持ち得たのだから、その中で存在感を得るためには、そこから距離をとって、自らがネタになるか、もしくはその中で個人と同じ単位のひとつになるかしかないわけです。
つまり、少なくとも原理的には、やるか、やらないか、どちらかしかない。やらないで使う、というのはない。やらない、の場合は、ソーシャルメディアが持つ集合的な感性に適合した情報発信によっていいネタになるということが求められるし(まあ、言い方は身も蓋もないけど、それが私がよく言う表現の問題)、やる、の場合は、わかりやすく言えば、個人と同じように、ソーシャルメディアの住人になる、ということが求められます。
ローマは一日にしてならず、という言葉もありますが、特に企業ブログなんかは特にそうで、地味な更新の積み重ねが成功の秘訣だったりします。個人ブログだって、毎日おもしろいエントリを書くのは大変。企業ブログなら、なおさらです。おもしろいエントリもあれば、それほどでもないエントリもある。そんな淡々とした積み重ねしかないんですよね。それに、炎上とかもあるかもしれないし。それほど過敏になる必要はないかもしれませんし、普通にやればめったなことではトラブルはないし、トラブルがあっても早めの対処で大丈夫だけど、それでも心配する必要がない、というのは嘘だから。
これ、個人だったらなんでもないことですが、企業にとっては敷居が高いことかもしれないですね。そんなリスクをとれないですよ、というと、ネットでは、遅れた企業として嘲笑のネタになってしまうことが多いですが、でも組織が大きくなって来たら、気軽な発言は慎むべきだというのは、至極真っ当に理解できます。他の人はともかく、とりあえず私は理解します。
初期費用は限りなくゼロに近いけれど、そのぶん、じつは敷居は高い。しかも、販促情報の発信だけでは、よほどの人気企業でない限り人気が出ないので、メディア的な価値も持ちにくい。それが、企業におけるソーシャルメディアの活用だと思います。継続は力というけれど、そこには、広告表現のようなプロフェッショナルまかせではないコミュニケーションスキルがある程度は求められますし。
Twitterが盛り上がって、Twitterのビジネスでの活用が増えてきました。いわゆる企業アカウントですね。気軽にできるというのが、企業参加を即している部分もあるのでしょうね。でもね、ブログなんかよりもっともっとコミュニケーションが活発なTwitterは、企業にとっては、上記の理由から、さらに敷居が高いはずなんです。本気で考えれば、相当に高いはず。
その部分を理解した上で、ソーシャルメディアとの距離の取り方を考えることは、これからの企業活動では必須になるのではないかな、と私は思っています。みんながやっているから、遅れたくないから、やる、というのではなく、既存メディア(ネットメディア含む)に広告を出稿するよりも、コミュニケーションとしては敷居が高いことを理解して、そのうえで、どこまでやれるのかを考えて、その軸をぶらさずに継続していくことが大切なのではないかな、と思います。
で、そのことさえ明確にすれば、ソーシャルメディアでの情報発信はそれほど難しいことではないと思います。それは、いくつかの実務経験からも言えることです。もちろん、やらないという判断もありだと思いますし、やらないというスタンスでも、ネットにコミットする方法はいくらでもあるわけですし。その部分で工夫をしていけばいいと思うんです。恥じることはない。それが、ソーシャルメディアがある程度育って来た今の、あるべきスタンスだと私は考えます。
Twitterから、わりと厳し目の商業利用についてのガイドラインが発表されました。まだ未確定な部分もあることを含めて、「はてなブックマークニュース」がわかりやすかったです。
まだグレーな部分は多いものの、先のGoogleのPay Per Post(ユーザーに金品を支払い一般ユーザーにブログエントリを書いてもらうこと)へのペナルティと同様のベクトルにあるようです。これは、自社アカウントでの広告ツイートを禁止するものではありませんし、そもそも、販促オンリーのツイートは人気が出にくいだけのことですが、身のあるソーシャルメディアの活用をしようと考える企業の方は、ソーシャルメディアが広告に対して、このような認識を持っていることは知っておいてもいいとは思います。特に、敷居が比較的低い小さな企業は。
せっかくのソーシャルメディアへの参加です。初期費用はゼロに近くても、継続のもろもろを考えればゼロではありません。短期の成果を急ぐあまり、ソーシャルメディアで嫌がられては本末転倒です。マイナスのブランディングだけは避けたいですよね。そのためにも、どうソーシャルメディアと距離を保ちながら付き合っていくのかを考えることは大切です。めんどくさいけど、そのことをきちんやるのとやらないのとでは、2年後、3年後、ずいぶん違ってくるのだろうな、と思います。
これは、広告の専門家としてだけではなく、ある程度、ソーシャルメディアで情報発信をしてきた個人ブロガーとして思うことです。ちょっと説教臭いかなあと思いながらも、なにかの気付きになればいいな、と思っています。それに、世のTwitter本は、敷居が高いなんて言わないだろうし、そのあたりは、率直に書けるブログの良さでもあると思いますし。
ではでは。
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コメント
初めまして、とーみと申します。
佐々木さんのツイートから飛んで参りまして、ブログ拝見させて頂きました。
「初期費用は限りなくゼロに近いけれど、そのぶん、じつは敷居は高い。」
というご意見に、大変共感しました。
なるほど、確かにそうですね。考えさせられます。
普通のWebサイトさえも、安価に&気安く考えてらっしゃるクライアントさんが多いように感じています。
他の記事も含め、大変興味深いご意見ばかりでしたので、ツイッターでフォローさせて頂きました。
何卒よろしくお願い申し上げます。
勝手ながらお名前をネットで検索させて頂きましたが、池本さんが以前いらした会社は、どうやら私が現在所属する会社の兄弟会社のようです…(しかもそちらがお兄さん笑)。
私の会社では、「広告」というものに対してディスカッションの広がる社風があまりないので、池本さんのブログなどでいろいろと触発をいただきながら日々の業務を行っていきたいと思っています。
よろしくお願いいたします!
投稿: とーみ | 2010年5月31日 (月) 17:37
ソーシャルだけに街と同じかもしれません。その街に慣れた人ならなんともないことが、はじめての人は少しこわかったりするし。でも、わかってくればいろいろ知り合いもできるし、それほどこわくもないし、なじみの店もできる、みたいな感じですかね。
今後ともどうぞよろしくお願いします。
投稿: mb101bold | 2010年6月 1日 (火) 10:00
ぼーるどさん、こんにちわ(^O^)
お話参考になります。今回のまんべくんは、方向性として途中までは間違っていなかったんですよね。でも最初に根本的なものを詰めていなかったので、なんでもいいからうけりゃいいんだろうけりゃ。みたいなことになって失敗したのだろうと思います。このうえはまんべくんが反省して、ゆるキャラだって成長できるんだと証明したらどうだろうかと密かに思っていたのですが無理のようです。ゆるキャラとはいえ、ネットからまたひとり魅力的な人が消えたのだと思うと、あたらチャンスを逃した長万部の方々もさぞかし残念だろうと思います。
投稿: ggg123 | 2011年8月18日 (木) 12:27
まんべくんは、私はじつは騒動があるまで知らなかったんですが、報道を見るに、やっぱり無償でキャラクター管理をまかせていたのが問題のすべてなんだろうなと思います。無償のボランティアって、どうしてもやってやってるんだし、これくらいはやってもいいでしょ、みたいなことが出てくると思うんですよね。つまり、仕事ではない、ということ。
たぶん、ゆるキャラには罪はないかなあ。というか、ゆるキャラは、そのキャラを維持しようと思うと、逆説的にコントロールが繊細で難しいと思うんですよね。ボランティアのアマチュアでは無理だと思うんです。そこが、まんべくんにとっても長万部の人にとっても不幸だったかなあ。
まんべくんには罪はないんだから、復活できればいいんでしょうけどね。
投稿: mb101bold | 2011年8月19日 (金) 02:24