青空の美しさは雲の影がつくっている
撮影で、たまに雲待ちをすることがある。それはなぜかと言うと、たいがいの場合、曇り空が撮りたいからではなくて、いい青空を撮りたいから。雲のない青空は、メディアに通すと青空に見えにくい。
青空の美しさは雲の影がつくっている。ダイヤモンドが輝いてみえるのも、光の屈折でできる影の部分があるからだし、金色を平面で表現するのも単色では無理。
影の力は白黒にすればよくわかる。青空には雲がいるし、雲は濃淡があってはじめて雲に見える。逆に言えば、影さえしっかり表現できれば、ダイアモンドもゴールドも白黒でも線数が多少足りなくても、それなりに表現できてしまう。宝石のモノクロ写真を人は偽物だとは言わない。
今のメディア環境の変化から導かれる新しい広告コミュニケーションやブランディングは、つきつめると、影の部分が重要なんだ、ということでもあるのだと思う。それは、ことさら影を強調することではなくて、きっと、影を存在から消去してはいけないということ。
「ゆるさ」の中には影がある。入り込む。にじみ出る。「ゆるさ」をあらかじめ設計するという言葉は、きっと過渡期の言葉だ。なぜなら、「ゆるさ」を持ち合わせた姿は、普段の私たちと同じだから。
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コメント
一時期、なんだか雲や影を排除しようとするような時代なのかもと思っていましたが、やっぱりそれは窮屈なんでしょうね。ゆるキャラがはやったり、エコから自然を見直す動きがあったり。忙しい環境にいるとそれが当たり前だったりしますが、一歩離れてみるとなんて狭い世界にいたのだろうと感じたり。主流から離れてしまった小さな小川のようなところに今自分はいる気がしますが、それでもちゃんと自分の場所があったりするので、そこからでもできることをしていきたいなと今回のエントリーを読んで思いました。
投稿: しばはな | 2010年5月12日 (水) 21:30
そうですね。
できることから、少しずつ、自然体で。これはこれでなかなか難しいことですけどね。でも、最終的にはそれがいいんだろうな、と思っています。
投稿: mb101bold | 2010年5月12日 (水) 23:26