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2010年5月10日 (月)

「春一番コンサート」と音楽の未来

 

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 毎年、ゴールデンウィーク中の1日は「春一番コンサート」に出かけています。今年は、5月2日に出かけました。もとともは、コピーライターの先輩(参照)に誘われたことがきっかけでした。「春一番コンサート」は、今年で25回目。コンサートの概要は、Wikipediaがわかりやすかったので、冒頭の部分を引用します。通称「春一(はるいち)」は、こんなコンサートです。

春一番 (コンサート)(はるいちばん)は、1971年から、福岡風太阿部登らが中心になって、関西を中心としたミュージシャンを集めて、大阪の天王寺公園野外音楽堂で5月のゴールデンウィークに開催した大規模な野外コンサート。フォークソング、ロック、ジャズなど、ジャンルにこだわらないコンサートとして親しまれている。

1979 年まで続き、裏方スタッフが業界人となり、一時中断となったが、阪神淡路大震災の起きた1995年から再開し、現在に至っている。コンサートを続ける理由を福岡風太は「死んだからや、渡が。それだけや」と語っている。

春一番(コンサート) - Wikipedia

 ここに書かれている「渡」というのは、高田渡さんのこと。高田渡さんの演奏を生ではじめて見たのもこのコンサートでした。それまで、福岡風太さんは毎年「今年で春一やめる。」とおっしゃっていて、毎年、ゴールデンウィークが近づくたびに今年はあるのかな、と思っていたことを思い出します。

 高田渡さんと言えば、いつも春一では出番が早かったです。大御所なのに、すごく早いんです。春一は午前11時開場で、午後7時前に終わるのですが、いつも出番が12時前後でした。なぜかというと、出番が遅いと酔いつぶれてしまうから。演奏が終わると、高田渡さんはビールが入った紙コップを片手に、客席や芝生席をふらふら歩いておられました。すごく機嫌が良さそうな顔で、いろんな人に声をかけられながら、楽しく飲んでおられました。

 高田渡さんが亡くなってから、もう5年になるんですね。時が経つのは早いです。若い時から長老のような風貌でしたが、56歳だったんですよね。若いです。若すぎます。

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 「春一番コンサート」には、スポンサーはまったくついていないんですね。普通、野外ロックフェスとかは冠がつきますが、この春一には、そんな冠がありません。ゴールデンウィークと言えど日中は暑いです。ビールが売れるし、清涼飲料水も売れますよね。だから、飲料メーカーの協賛とかありそうですよね。でも、協賛も一切なし。地元のテレビ局、ラジオ局も協賛してません。

 あえて協賛なしでやっているのか。詳しいことはわかりませんが、見たことろでは、あえて、という肩肘張った雰囲気はないようです。風太さんに聞いたわけではありませんが、きっと「協賛に頼っていたら、協賛がなくなったら終わってしまうやん。それに、いろいろじゃまくさいこともあるしなあ。」みたいなことなんじゃないでしょうか。

 そのかわり、この春一には、関西のライブハウスのマスターたちが大集合します。東京や名古屋のライブハウスのマスターも芝生席にちらほら。

 「おお、久しぶりやね。元気にしてた?」

 そんな言葉を掛け合って、芝生席でお手製のおつまみをつまみながらビールや焼酎、バーボン、日本酒などを飲んでおられます。まわりには、ライブハウスの常連さんたち。

 だったら、きっと排他的な雰囲気なんじゃないの?

 そう思った人も多いでしょう。でも、そんなことはまったくなくて、家族連れの人、恋人同士、友達、ご夫婦も方もたくさんいますし、ひとりの人もたくさんいます。ここ数年は、関西ではゴールデンウィークの恒例イベントになってきましたので、あっさりと音楽を楽しんでいる普通のお客さんも増えたように思いますし、ある意味、メジャー系の野外ロックフェスやフォークフェスよりも自由な感じがあるかもしれません。

 それは、登場するアーチストによるものもあるかもしれません。天王寺野音時代からの、これぞ春一という方々はもちろん、若手ミュージシャンもたくさん出ますし、ブルースあり、フォークあり、カントリーあり、ロックあり、ジャズあり、お笑いあり、民謡あり、なんでもありのコンサートです。だから、特定のコアなファンだけが盛り上がるなんてこともありません。

 それに、ベテランが早めに出てきたり、演奏の順番も、わりと順不同。これがまたいいんですよね。

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 今回、よかったなあと思ったのは、「桜川唯丸一座」という河内音頭のグループ。ドラム、ベース、ギター、ブラス&ホーンという、ソウル風の編成での演奏で盛り上がりました。バックの「スターダスト河内」という若いダンスグループもパワフルでとってもよかったです。河内音頭は、こういう機会でもないとなかなか生で聴けないですよね。お祭りなんかでは聴けるかもしれませんが、そういう場ではなく、ブルースやフォーク、ロックと一緒のステージで演奏することはとても意味があることだと思います。

 若い人が、踊りながら盛り上がっていました。ほんと、それは素晴らしい光景でした。

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 写真を見ていただいたらわかると思うんですが(クリックで拡大)、ステージがとても簡素なんですね。写真は、遠藤ミチロウさん演奏の時のものですが、アンプも置きっぱなしで、ステージがある、遠藤さんが歌う、お客さんが聴く、ただそれだけ。でも、こういうコンサートを見たからこそ思うんですが、それ以外に何がいるんだとも思うんですよね。それでいいじゃないか、と。

 こういう簡素なステージだから、ステージチェンジがとても早いんです。多くのアーチストはギター1本、ピアノ1台の弾き語りですし、バンドであっても、アンプにつないで音出して、すぐに演奏。ドラムは2台あって、それをみんなで使います。日本を代表するスーパードラマーも、若手のドラマーも、同じドラムを使います。こういうところも、素敵だなあと思うんですね。多くのアーチストが演奏できるということは、若手にチャンスが回ってくるということでもあります。こういうことは、ほんと大事だと思うんです。

 お客さんも自由にうろうろ歩き回っています。私もうろうろ歩きました。お気に入りのアーチストが登場すると、客席を立って、前に繰り出す人も。だからといって、騒いでわやくちゃになるわけでもなく、大人の分別もきちんとあって、会場全体が音楽に対するリスペクトにあふれているというか。

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 そうでした。音楽の未来です。

 ここ最近、CDが売れなかったりするそうです。これは日本だけでなく世界的な傾向みたいで、相当な大物アーチストでも苦戦しているようです。これは、構造的な要因もありますし、ここ最近の不況のせいでもあります。

 レコードが生まれ、歌謡曲の時代からニューミュージックへ。そして、ジャンルがどんどん細分化されていって、ついにCDが売れない時代になってしまいました。これは、あらゆる消費についての傾向と同じ構造です。

 でも、今回、「春一番コンサート」を見て、そこに未来を見たような気がしたんですね。これまでは、どちらかというと、天王寺野音時代の「春一」や伝説のウッドストック的なノスタルジーだったのが正直なところだったんですが、今回は未来が見えました。きっと、時代が春一に追いついたのでしょう。

 春一に出ているアーチストたちの多くは、メジャーレーベルからCDは出していないけれど、小さなライブハウスでコアなファンに支えられています。そのひとつひとつの集合は、音楽の細分化そのものです。それは、コアであるけれど、コアであるがゆえにマスにはならない。あえてマスという言葉を使いましたが、音楽にもよりますが、ひとつの音楽が前提とするマスのサイズは、ライブという条件で縛れば、本当は5000人前後なのだろうと思います。

 細分化して、コアなファンに支えられること。きっとそれは、それぞれのアーチストの音楽活動におけるベースなのだろうと思います。でも、それだけでは閉じてしまうし、開くためには、やはり5000人規模のマスが必要になります。

 「春一番コンサート」は、そんな、それぞれのコアな音楽シーンを結びつけるマスになっているのだと思うんですね。しかも、もっともプリミティブな「ライブ」というかたちで、マスに提示している。ノンジャンルで5日間ぶっ通しで聴かせるシステムは、今、最も未来に近い音楽流通の姿を見せてくれている気がします。ブルースもロックもフォークもソウルもジャズも、垣根なくフラットにつなげてしまうノンジャンルであれば、マスになるんです。できるんです。

 このかたちは、福岡風太さんは嫌がるかもしれないけれど、ある意味でウェブ的なんですよね。音楽が広がる、という一点において、古典的であるけれど未来的な音楽流通の姿。点としてのブログやTwitterがあり、それをつなぐ、はてなブックマークのようなCGMサイトがある。そんなイメージ。

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 そう言えば、第一期の「春一番コンサート」が終わったのが1979年。あの80年代の消費の狂乱に春一はなかった。そして、1995年、春一復活。それは、これからの音楽流通が進む道を暗示しているようにさえ思えます。

 空白の15年に福岡風太さんは、様々なノウハウやアーチストとのつながりをたくさん蓄えて、今、「春一番コンサート」として、音楽を愛する人たちに示してくれている。それは、本当にありがたいことだと思います。このノウハウが若い人に引き継がれ、広がって、大阪だけでなく全国で「春一番コンサート」のようなノンジャンル音楽イベントができてくれればいいと思うんですよね。そういう動きは、今、確かにあるし、そこは本当に希望なんだと思います。

 それは、あえて言えば、既存のマーケティングからの決別でもあると思うんですね。既存のマーケティングが得意としていた、精密なターゲティングと囲い込みの否定とも言えます。

 閉じるのではなく、つなげる、開く。そこが、ほんと未来だと、そんなふうに思うんです。そして、これは音楽だけの話ではないような気も、私はしています。

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コメント

ナイスエントリー!!
力作やね。

投稿: BRUCE | 2010年5月10日 (月) 12:37

どうもです。
これは自分でも多くの人に読んでほしいなあと思いました。

投稿: mb101bold | 2010年5月10日 (月) 21:59

「春一番コンサート」読んであぁ、とても行きたいなぁと思いました。これだけ何でもありのコンサートって存在するのですね。自分の好きな音楽以外も気軽に聴けて。シンプルがゆえに、一番伝わったりするのかも。オープンスタンスで、ほんといいですね。

投稿: しばはな | 2010年5月10日 (月) 22:45

ほんといいんですよ。遠方遥々、毎年すべての日程に参加されている方もいらっしゃいます。
春一2010の「桜川唯丸一座」です。
http://www.youtube.com/watch?v=pBL2devCWcQ

投稿: mb101bold | 2010年5月10日 (月) 23:55

音楽畑で仕事をスタートして、
現在、メーカー相手のマーケティング会社に勤めている
私にとって、とても考えさせられるエントリーでした。

親友がドラムを叩く「夕凪」が毎年出演していますし。。。

私が音楽業界を離れた一番の理由は、
「業界の内側からは変えられない。」と感じたからです。
「一旦外側から見てみよう。」と。
(自分でやってた事業は結構うまく行っていました)

実際に参加していないので、「春一番に音楽の未来を見た。」
というのはなかなか実感しにくいのですが、
「商品をプロモーションする」というマスメディアからの音楽紹介ではなく、
「好きな音楽を集めたで。どうや?」という風太さんの姿勢は、
確かにWEB的というか今の気分に合っているかもしれませんね。

今回のエントリーを読ませていただいて、
「音楽業界に戻るのも良いかもしれないなぁ。」
とぼんやり思いました。

投稿: オスギ | 2010年5月11日 (火) 15:13

私は2日に行きましたので、「夕凪」見ましたよ。「イメージの木」という曲はいいなあ、と思いました。ちょっと90年代の匂いがしますね。
服部緑地の野音でいろんなことを考えました。広告のこととか、仕事のこととか、これからのこととか、ここには書けないこととかも。なんかそのとき、そうか、これもひとつの未来なのかもしれないな、と思ったりしました。少し元気がでました。
いろいろあるけど、がんばらないとなあ、できることからやらないとなあ、自分に嘘をつかずにやりたいなあ、と思いました。少し踏み出してみよう。そんなふうに、今、思っています。

投稿: mb101bold | 2010年5月11日 (火) 22:45

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