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2010年5月14日 (金)

Thoughts on Flash vs Freedom of choice

 どっちが正しいのかはよくわかりませんが、久しぶりに興奮しました。広告が届きにくくなったとか言うけどね、極限まで突き詰められたメッセージであれば届くんですよ。やっぱりね、広告っていうのはメッセージなんですよ。

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 まずは、Appleのスティーブ・ジョブズが署名入りでウェブサイト上で表明。

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http://www.apple.com/hotnews/thoughts-on-flash/

 これを広告かと言えば、少し微妙なところがあるけれど、でもまあ、広告を「広告主が管理可能なメディアを通して広く社会にメッセージを伝える行為である」と定義すれば、これはまぎれもなく広告。というか、こういうのこそが広告。日本語訳はこちら("Thoughts on Flash"(日本語訳) - Kenichi Maehashi's Blog)。

 で、このジョブズの表明に対してAdobeが反応。wired.comなどのIT系ニュースサイトのバナー広告でこんな広告を出稿しました。今、クリックするとバナー広告が掲載されています。(2011年5月11日現在)

Weloveapple_3

 同内容の新聞広告も出稿されたそうです(シリコンバレー地方版 - Adobeが新聞に一面広告「WE LOVE APPLE」)。そのコピーには、こうあります。

WE LOVE APPLE

We love creativity
We love innovation
We love apps
We love the web
We love Flash
We love our 3 million developers
We love healthy competition
We love touch screens
We love our Open Screen Project partners
We love HTML5
We love authoring code only once
We love all devices
We love all platforms

What we don't love is anybody taking away your freedom to choose what you create, how you create it, and what you experience on the web.

Adobe

 ウェブサイトでは、「Freedom of choice」と題したページが。ブラウザ上には「Flash and Creative  Freedom | Adobe」とあります。

2_2

http://www.adobe.com/choice/

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 日本で言えば、こんな事例があります。ニッカがサントリーのイメージ広告戦略を批判するような文脈で、自身のウィスキーの製法について新聞全面を使って滔々と語る「ウィスキーは、ノンフィクションで語りたい。」という広告を掲載。対して、サントリーが中上健次さんの掌編小説を掲載した「イメージのない酒は、退屈だ。」という広告を出稿するんですね。

 いいでしょ。こういう喧嘩、いいですよね。オンタイムで見ていて、いいなあ、こんな応酬、やってみたいなあと思いました。もっとやれやれ、という感じで見てました。で、同業者として、少し嫉妬もしました。

 AppleとAdobeのケースは、これだけメディアが多様化して、情報がかたちを変えながら拡散していく今の時代においても、広告的手法がまだまだ有効であることを示しているんでしょうね。但し、逆に言えば、ここまで切迫しないと、パブリシティや口コミだけでなく、広告さらに限定して言えばAdvertisingが得意とするところの「コントーラブルなメッセージの伝達」の必要に迫られない、ということでもあるんでしょうね。

 Flashに関する件では、もはや、情報が変質しやすいパブリティや口コミにまかせるだけでは駄目だ、という危機感というか動機がきっと両者にあったのだと思います。

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 広告的手法が有効である領域は、今の時代は、かなり限定的になってきていると思います。ニッカとサントリーの例は、かれこれ20年近く前の事例ですが、もうそんな牧歌的な時代はやってこないと思います。だけどそれは、あの頃にはなかった新しい広告コミュニケーションを生み出すことができる、ということでもありますし、限定的と言えども、こうした事例を目の当たりにすると、へばってばかりはいられないな、と。

 しかし、AppleとAdobeはどっちの言い分が正しいんでしょうね。両者のメッセージを読むと、どちらも説得力がありますし。この問題、ほんとよくわからないです。それに、私、WILLCOME 03使ってて、Windows Mobileだったりするしなあ。完全に蚊帳の外。時代に取り残されてしまった感がありますね。ちょっと前までは最先端だったのになあ。

 嗚呼、ドッグイヤー。

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 追記:

 この問題は、わりと専門外の事柄なので、ほんとのところはよくわかっていないんですが、これまで、ニュースやブログなんかで見聞きした時は、最近のAppleって少し横暴だよなあ、という印象を持っていましたが、今回のジョブズの「Thoughts on Flash」とAdbeの「Freedom of choice」を読み比べると、Appleのほうが説得力が少しあるかな、とも思いました。

 やはり、Adobeのキャンペーンって、ジョブズというかAppleの質問にきちんと応えずに、話をずらしている気がしました。所謂、情に訴える、というか。モバイルデバイスの消費電力の問題や、HTML5やH.264に関しする事項については、華麗にスルーという感じ。

 まあ、こういうやり取りは、反論ではなく、当方の言い分(ここで言えば、Flashがリッチかつ圧倒的なユーザーを持っていること)とを述べればいい、ということはあるのでしょうけど、そうなると、相当のシェアを持ってるiPhoneや話題のiPadと言えど、一メーカーの製品にすぎないわけで、単純に言えば、Flashを搭載しなければ、あなた不利ですよ、市場競争に勝てませんよ、ということに過ぎないような気が。

 でも、そういう一メーカーの単なる一製品の問題にすぎないとは言えないということなのかもしれません。Appleは、モバイル分野でMSやGoogleのような存在になりつつある、というか、ほとんどなっているということかも。

 ま、それは、とりあえず置いておいて。

 構図的には、Appleの真正面からの批判に対して、Adobeがレトリックで返している感じにどうしても見えてしまいます。その意味では、Adobeは、メッセージの突き詰め方が、Appleより甘いというか、メッセージのクリエイティブにおいて、少し劣るような気が。その足りない部分を「I LOVE APPLE」というレトリックのクリエイティブに追わせている感じに思えます。

 それは、広告に対する考え方の新旧という構図、つまり、メッセージ vs レトリックの構図にも見えてきて、いろいろと考えさせられます。

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コメント

いつもこっそり拝見しております。

文中、「Adbe」という綴りになっていますが、正しくは「Adobe」でございます(笑)。

(公開不要。お読みになったら削除してください。)

投稿: 竹千代55 | 2010年5月14日 (金) 12:16

http://www.adobe.com/choice/からリンクされている、"The truth about Flash"
http://www.adobe.com/choice/flash.htmlというページで技術的な開設もしていますがご覧になってますか?

投稿: torpedo | 2010年5月14日 (金) 12:28

>華麗にスルー
果たしてそうでしょうか
http://journal.mycom.co.jp/articles/2010/03/19/flash_html5/index.html

投稿: | 2010年5月14日 (金) 13:51

「華麗にスルー」の表現は少し言葉が足りなかったかも、とは思っていましたが、まあ、技術系ではない人が読むと、あまり触れたくないんだろうなと読めるというふうにご理解いただければと思います。

Adobeのリンク先は読んではいました。まあ、英語力が乏しいのはありますが、対応はしてるよ、というふうな感じには読めましたが、正直、それ以上の突っ込んだ回答ではないのかなという印象でした。階層も深いし、できればそういうことを数値を示しているヘッダの画像で表現してほしかったなとは思いました。

データ結果については、Safariだけがジョブスが言ったとおりのデータになっているのが皮肉ですね。これをどう考えるのかはいろいろあるでしょうね。

いくつかの技術者のブログを読んでみて、ジョブズが指摘する問題というのはデマとは言い難く、そう考えるとAdobeが言えるのは「I LOVE CHOICE」に尽きるのかもしれませんね。その意味ではこのメッセージは正しいし、今のところそれ以上のメッセージは打ち出せないということかもしれません。

またメールもいくつかいただきました。それは、Flash排除によってアプリ制作者が大きな負担を負うというものでした。iPhoneやiPadのために、違う言語で一から書き直さないといけないという不便をしいてしまうということは、大きな問題なのでしょうね。特に教育用途とか、そういう公共性を帯びた分野では、なにをするんだよAppleという気持ちにもなるのはすごくわかります。

ただ、やはり、それでもAppleという一企業のデバイスの問題ではあるので、代替としてはWindowsなどのタブレットPCもあるし、原則的には市場原理にまかせる事柄かなとも思います。ただ、iPhoneやiPadは、もはやデバイスとして公共性を担っているよ、という見方も成り立ちます。今のところは保留という感じです。特にAppleは昔からそうでしたから。Winにある便利なソフトがMacにはない、というのは昔からの話です。それは、Appleの弱みとしてずっとあることですし、あまりiPhoneやiPadに思い入れのない私としては、あいかわらずだよなあ、なんて思います。

Flashに関しては、今のところ、最先端の技術かつ、その最先端機能においては代替できないし、その技術の根本思想はOSに依存しないクロスプラットフォームであるということは理解しています。いろいろあるにしても、リッチコンテンツ普及にFlash、もっと言えば、Adobe Airとかも含めて、Adobeが果たしている役割は大きいと思います。また、逆に、プログラムとかも書けない素人ウェブユーザーである私にはそのくらいの理解しかないとも言えるかと思います。

あと、この先5年10年を見据えての、各陣営の思惑や戦略というのもあるんでしょうね。結構、高度な政治がからんでいるようにも見えるけれども、それはあまり詳しくないので踏み込んで言えないところがもどかしいですけど。

非公開希望のコメントで誤植のご指摘をいただきました。ご指摘の箇所(Adbe→Adobe)を修正しました。ありがとうございました。あわせて、御礼申し上げます。

投稿: mb101bold | 2010年5月15日 (土) 00:58

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