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2010年5月22日 (土)

Twitterをはじめて思うこと

 普段からおしゃべりはあまり得意ではないので、あまりつぶやいたりはしていないのですが、それなりに機嫌よくやっています。タイムラインをながめているだけでも楽しいです。なんとなくおだやかな感じ。その感覚は、今までのどのウェブにもなかったもののような気がします。それは、ソーシャルウェブというものの、ひとつの理想のかたちでもあるんでしょうね。

 なぜそうなるか、というと、きっとそれはフォローというシステムのなせる技なのでしょう。私は、はじめた段階から、Twitterで最新情報を入手しようとか、あの人のつぶやきを眺めてみたいとか、あの人と話してみたい、というような感じではなかったので、基本的にはフォローしていただいた方をフォローしてみる、というだけなんですが、だからこそ、なんとなくおだやかな感じがつくられているんだろうな、と思うんですね。

 これは、フォローの仕方によって違う場をつくることもできるということでもあって、たぶん私がフォローしている方々には、また違ったタイムラインが見えているのだろうと思いますし、私のタイムラインから見えるつぶやき以外のTwitterの世界は、それこそ多種多様で、そこには炎上もあるし、論争もあるけれども、それでも、とりあえずはフォローというシステムによって、その人にとって居心地のいい交差点をつくることができる、というのが、Twitterがここまで流行した理由でもあるのでしょう。普通の人が、それなりに心地いいという部分では、今のTwitterは、ちいさなキャズムは超えたのだろうと思います。

 だからといって、タイムラインが、コミュニティ特有の息苦しさを感じさせないのは、140字の制限ということもあるだろうけど、それよりも大きいのは、ひとつひとつのつぶやきに固定リンクが発行されていて、その発言の責任をきっちりと発言者に担保することで、ウェブに開かれているからだなのでしょうね。

 前に、私が『交差点的』というTwitterについての考察を書いたとき、同じタイミングでさとなおさんが『ツイッター「ホコテン」論』という考察を書かれていて、なんか恐縮しながら同じようなことを同じタイミングで考えていたんだなあ、なんて、ちょっとうれしかったのですが、交差点とホコテン、喩えは違えど、どちらも同じなのは、見上げると空があるということ。

 今いる足下はホコ天だったり交差点だったりするけれども、見上げると、そこには天井はなく、同じ空がある。それは、ほんとに社会というものの優れたメタファーになっていると思います。そういう意味では、Twitterは、今のところ、仮想的に社会をつくるというソーシャルウェブとして、最も成功しているウェブサービスのひとつではある、と思うんですね。

 息づかいや表情、体温は、140字のつぶやきから想像するしかないけれども、Twitterにはリアルにはない、場所を飛び越えて人と人をつなぐ、ウェブならではのよさがあって、この新しいコミュニケーション環境は、きっと人のコミュニケーションのあり方を少なからず変えてしまうんでしょうね。

 正直言えば、私は広告人であるけれども、広告人であるがゆえに考えはするけれど、Twitterを広告に活用するということには、ほんとはあまり興味はなくて、それよりも、こうした新しい環境において、広告コミュニケーションはどうあるべきかということに、ずっとずっと興味があります。つまり、手法ではなく、表現の問題です。その意味では、いわゆる次世代広告人ではないのでしょうね。

 私のタイムラインに流れてきたleoponmuraさんのつぶやきに、こんな言葉がありました。

世の中では、身近なとこでもいろんなことが行われてて、いろんな人がいろんなとこでつながってるんだなぁ、とTLを見てて思う。素晴らしいなぁ。
http://twitter.com/leoponmura/status/14441259238

 そうですよね。ほんとそう思います。夜中に、Twitterのタイムラインを眺めて、ほんの少しのやりとりをし、そこで思ったことを、こうしてブログに書き記す。そのすべては、固定リンクによって、そのすべてが、世の中に開かれ、つながっている。そんな新しい社会は、人の心をどう変えていくのでしょうか。その中で、変わらないものは何なのでしょうか。

 愚直ではあるけれど、そのことを考え続けるしかないのだろうと思います。これまでうまくいったことが、そう簡単にうまくいかなくなる、ということは、それに気付きつつあった数年前とは違って、もうすでに現象としてあらわれていて、もう、気付かないふりはできないんだろうな、と思います。

 それは、とってもきついなあ、と最近思います。そんなこと考えなけれなよかったなあ、と思うこともあります。でもまあ、心の奥では、世の中、そんなに甘くはないし、原理的には絶対に逃げ切れないだろうという思いもありますけどね。まあ、こんなブログを始めた時点で、考えるに決まっていたわけで、一度考えてしまったからには、考え続けないといけないんでしょうね。因果なものだなあ、とは思うけれど。

 と同時に、最近は、ま、なんとかなるでしょ、とも思ったりもするんですけどね。

 
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コメント

この気分、わかります。
>一度考えてしまったからには、考え続けないといけないんでしょうね。因果なものだなあ
という部分に特に共感します。そうだよな、なくても全然不自由じゃないし、でも、だからといって、なくてもいいではないか!と開き直るほど老成していないし(苦笑)。
ほんと、なるように生きるしかないんでしょうかね。

投稿: KIKUyan | 2010年5月22日 (土) 12:45

私の世代もKIKUyanさんの世代もデジタルネイティブではないですしね。だからといって、世代的にはあまり抵抗感がなくて。でも、写植や版下をまだ現役で知っている世代で、テクノロジーの移り変わりによるさみしさも知っていて。
私は、既存のメディアの良さも肉体のある言葉でかろうじて語れる最後の世代かなと思っていて、とりあえずはいいつなぎめになれたら、と思っています。まあ、そういうスタンスで先の方は走りたいとは思いますが、とりあえずはいいつなぎめではありたい。そんな感じです。がんばらなくちゃ、ですね。

投稿: mb101bold | 2010年5月22日 (土) 16:23

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