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2010年6月21日 (月)

「街」を考える。「街」として考える。

 
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 あじさいがいよいよ満開になってきました。あいかわらずへたくそな写真で失礼。Willcom03のカメラには「接写モード」がありましたので、思い出したように使ってみた次第です。ちなみに、このあじさいは私のものではありません。近所のおうちの駐車場に咲いているものです。わりと見事なあじさいなので、通る人が足を止めて眺めていきます。

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 考えてみると、街というものは不思議なもので、よく街並と言いますが、街並を構成するひとつひとつは、誰かの家だったりビルだっりして、その「誰かのもの」が集まって、互いにゆるやかに関係することで、ひとつの「街」という像をつくっているんですよね。

 きっと、この「誰かのもの」が大事なんだと思います。「街」というものの、活気だったり、安らぎだったり、そんなこんなの「街」的ななんだかんだは、この「誰かのもの」が集まることでできている。そんな気がします。

 逆に言えば、ぜんぶ自分のもので「街」を構成したとしても、「街」的ななんだかんだは、きっとつくれないのでしょうね。そこに決定的に欠落しているのは、関係なんだろうと思います。構成と関係は、似ているようで違います。関係は摩擦を生むけれど、構成は摩擦を生まない。これが大きな違いかもしれません。

 そう考えると「街」というものは、ひとつの主体の肥大化した姿ではなくて、様々な主体が関係することでできる、あるひとつの像のことであって、「街」というものは、実体ではなくイメージなのかもしれません。さらに言えば、ひとつの主体は「街」を偽装することはできない。それは、いくつかの都市開発の失敗でも言えることだろうと思います。このあたりに都市開発プランニングのジレンマがあるんでしょうね。

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 これからの広告コミュニケーションでは、「街」をいかにイメージできるかということが重要になってくるのだろうと思います。少し前は、そういうイメージはあまり必要ではありませんでした。新聞やテレビという閉じられた枠の中で、コミュニケーションの効率を高めるだけでよかったけれど、これからは、「街」を意識せざるを得なくなってきます。マスだけを使うにしても、ソーシャルメディアは意識せざるを得ないですしね。

 これまでのソーシャルメディアにおけるプロモーションの失敗は、ある程度は、ソーシャルメディアという場における「街」のイメージの欠落によるものだと言えるのではないでしょうか。

 場を「街」とイメージすることは、じつはひとつの逆説を生み出します。必要になってくるのは、マスメディアでの広告コミュニケーションで求められた「公共」の意識です。ソーシャルメディアでのコミュニケーションを、これまでの文脈におけるBTL(Below the line)と捉えるとダメなんでしょうね。

 ソーシャルメディアは同じウェブでも、自社サイトやバナー広告、リスティング広告とはまったく違っていて、コミュニケーションの「場」が、主体の延長線ではなく(純広告は他人の場所をお金で購入しているという点で主体の延長)、明らかに大勢の人が住む場所に積極的に踏み込んでいくという点で大きな違いがあります。つまり、「街」に出かける感じでしょうか。もしくは、自らが「街」の一部になるということでしょうか。

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 満開のあじさいを見ながら、なんとなく、ああ、こういうことなんだよなあ、と思いました。とともに、こういうことがいちばん難しいんだよなあ、とも思いました。ともあれ、そろそろウェブやソーシャルメディアの特別視というのもなくなってきて、こういう夢のないウェブ広告の話も聞いてもらえるようになってきたという感じはしてきています。

 あと、ソーシャルメディアへの参入を口コミ醸成とからめて論じている傾向があるけれど、口コミを起こすなら、やっぱりマス広告とか自社サイトでのコンテンツが最適だと思うんですけどね。そこが、ここ最近の論調への違和感です。だって、ソーシャルメディアはBuzz発生の「場」にしか過ぎないんですから。口コミサイトだって、もとネタは店舗での読者の体験だったり、試用体験だったりするわけだし。

 Twitterだってブログだって、基本は情報発信。どれだけメディアがインタラクティブになっても、変わるわけはないです。情報発信があって反応がある。その逆はないです。そのあたりは、まだまだ論調が夢見がちというか、整理されていない過渡期な感じはまだまだします。

 「ソーシャルメディアとの距離の取り方」というエントリで書いた問題意識の延長として読んでいただければと思います。お時間があれば、あわせてお読みください。

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コメント

ああそうか。
僕はどこどこホームや○○不動産が
建て売り住宅エリアや都市開発を「街」と呼ぶのに
無理があるというか、すごく違和感があったんですが、
「お前のもんかよ」ってことなんですね。
ポーアイやお台場の人工島がうすら寒いのも、
同じところに根っこがあるのかなあ。

ところで、AB型ですか?(笑)

投稿: yunbo | 2010年6月21日 (月) 15:13

こんにちは。

>明らかに大勢の人が住む場所に積極的に踏み込んでいくという点で大きな違いがあります。

確かにそうですね。

純広のように枠を買って流し込むというものとは、また別なものと思います。

以前にも書かれていましたが、ソーシャルメディアでの展開は手間がかかりますし、私が思うに変に踏み込んでも拒否される可能性もあるだろうし、今は本当に過度期なんだと感じます。

間違っていたらすいません(汗)

しかし、広告はこの先どうなっていくのでしょうかね(それがわかれば苦労しないですけど)

投稿: mt | 2010年6月21日 (月) 15:35

>yunboさん

街づくりはほんと難しいと思うんですよね。人が関係して街がいい感じに成長していくための「のりしろ」や「ゆるさ」をどう設計するかということなんでしょうかねえ。広告の設計にも少し似ているような気もします。

>ところで、AB型ですか?(笑)

さあ、どうでしょう(笑)
楽しみにしててください。

>mtさん

ほんとどうなるんでしょうね。
過渡期としてのやり方としては、Twitterに限れば、ひたすら淡々と情報発信を続ける+淡々とお礼、みたいなことはあるんだろうなとは思います。Dellや無印みたいに。
でも、普通の企業はそんなにはうまくいかないとも思います。かなり地道な努力が必要だし、なんかしらのアイデアも必要だと思います。でも、行き過ぎるとリスクもありますし、難しいところですよね。
こういうやり方がDellや無印でなぜ成功しているかというと、お得と速報性があるからなんですよね。つまり、お得と速報性が情報価値になる有名企業はソーシャルメディアは導入しやすいのでしょうね。導入の時点でかなりのアドバンテージがありますし。
このあたりの企業は、すでに過渡期ではなく、新しい広告の段階になってきているんだろうな、とは思います。

投稿: mb101bold | 2010年6月21日 (月) 22:37

はじめまして。
>情報発信があって反応がある。その逆はないです。
まさにそう思います。ほんとにそう思います。
純広の価値は決して低くなっていないと思います。
あ、ボクは代理店のヒトじゃありません。
広告主側のヒトです。

投稿: tmtm811tm | 2010年6月23日 (水) 12:42

はじめまして。
純広の価値は変わらないと思います。メディアの変化でかたちは変わりますが。
一頃、「新しい広告=非純広」という流れがありましたよね。ブランデッドエンターテイメントとかWOMとか。でもそれは別の話だし枝葉の話なんですよね。

投稿: mb101bold | 2010年6月24日 (木) 00:44

自称街好きとしては、下記のような感じでしょうか。
・ルールやエチケットは相手と調整する必要がある。自分本位の仕切りで押し切るのは野暮。付け届けが必要な場合もあれば、それが「違法だ」となる場合もある。
・相手がいるから、最初はちょっといざこざや誤解があるかもしれない。でも、一緒にメシ食ってなんとなくわかりあったり、お互い緊張感を保ちながら、長期に関係を築いていく。
・言葉遣いは相手に合わせる。広告そのままの言葉遣いでOKの場合もあるし、同じメッセージでも「担当者として伝えたいこと」にカスタマイズが必要かもしれないし。キャッチコピーを競わないと「芸がない」と言われるかもしれないし。
・カスタマイズの繰り返しによってすりあわせをしていく間柄。短期で回収というビジネスにはそぐわない。
・自分も街の一員だから、コミュニティに参加した方がいい。「お金儲けだけしたいです」というのは時にルール違反。

そう思うと、言葉の力量が要求されますよね。

投稿: mistral | 2010年6月24日 (木) 11:59

ソーシャルメディアでは、コピーライターではなく、「中の人」の言葉の力、人間の力がいりますよね。といっても、そんなにたいそうなものでもないし、肩に力が入るとろくなことがないのは、ほんとの街もソーシャルメディアという街も同じ。とりたてて「いい人」である必要はないけど、みんなから「悪い人じゃない」と思われることは大切になってくるんでしょうね。

投稿: mb101bold | 2010年6月24日 (木) 22:59

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