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2010年7月18日 (日)

NHKアーカイブス「極楽家族」を見ました

 32年前に制作されたドラマで、今は亡きミヤコ蝶々さん、若き日の国広富之さん、大竹しのぶさんが出演されています。 第33回芸術祭優秀賞受賞、第19回モンテカルロ・テレビ祭UNDA賞受賞とのことです。かなりドラマの内容に踏み込む部分がありますので、これから何らかの形でご覧になる方は、後でお読みになることをおすすめします。

■ドラマ「極楽家族」
80分/1978年(昭和53年)

舞台は、浪速の人情が溢れる下町・大阪の通天閣界隈。事故で次男を失い悲しみに暮れる老夫婦と、その次男に瓜二つの若者が偶然出会い、一緒に暮らすことになる。若者は、やがておばあちゃんのことを「お母ちゃん」と呼び、三人はまるで本当の家族のように振る舞い始める。
それまでは親をかえりみることのなかった長男が、それを知り若者に嫉妬。そして、老夫婦の遺産相続へと話が及んでいく──。
赤の他人同士が、家族を演じることから巻き起こる、珍騒動を描いたドラマ。
仲の悪い本物の家族と仲の良い偽の家族…どちらが本当に幸せなのかとドラマは問い掛けている。

NHKアーカイブス」より引用

 上のあらすじではよくわからない部分を少し補足しておくと、老夫婦のおじいさんが脳梗塞の後遺症と認知症。この老夫婦は、少し前に事故で次男を亡くしています。レッツゴー長作さん演じる長男夫婦が、おじいさん、つまり父を精神病院に入院させようと提案するのですが、それを拒否。で、ミヤコ蝶々さん演じるおばあさんがひとりで面倒を見ているんですね。そこに偶然、亡くなった次男にそっくりな若者が現れ、三人で、偽の家族として一緒に暮らすようになる、という筋立てです。

 この亡くなった次男にそっくりな若者を演じるのが、国広富之さん。で、近所の食堂で働く娘さんを演じるのが大竹しのぶさんで、亡くなった次男と恋人同士だったという設定です。

 昭和53年という時代背景を考えると、やっぱり精神病院という言葉には拒否感が強かったんでしょうし、おばあさんが、「おじいさんを精神病院に入れる」と言われて、長男や長男の嫁さんを憎んでしまうのはしょうがないことなんだろうと思いながら見ていました。実際、自分でも抵抗感がなかったというと嘘になるし。

 でも、このドラマでは、介護の実際の部分にも少し踏み込んでいました。長男の嫁さんが「だって、精神病院しか受け入れてくれなかったんだもの」と言っていて、このひとつの台詞で、誰一人として単純な悪者にはしていないことがわかります。いろいろな人間模様が凝縮された優れたドラマになっているように思えました。この台詞の意味は、分かる人にはわかる言葉です。

 本当は、精神病院しか受け入れてくれなかった、ということではなくて、介護サービスではなく医療サービスが必要な場合(しかも当時は今のような介護制度もなかったはずだし)、認知症を専門とし、いろいろなケアの体制が整っているのが精神科であることに過ぎないんですよね。この長男の嫁さんも精神病院に入れてしまうという後ろめたさを持っていて、そのあたりの諸々は、感覚的には、今もあまり変わらないのかもしれませんね。

 個人的には、このあたりの偏見や先入観は、もっと取り払われたほうがいいとも思うし、精神病院で行われている認知症に対する医療ケアの実際なんかももっと知られたほうがいいと思うんですけどね。ドラマやファンタジーではなく、もっとドライに知られてほしいと思っています。ま、これはドラマに関係ない話ですが。

 かつて次男と付き合っていた娘さんと若者が恋に落ち、その娘さんは、若者に、なぜ赤の他人である老夫婦と一緒に暮らすのかを問いかけるんですね。若者は、自分の過去に少し触れながら、こう言います。

「それは、わしの義務なんや。わしにはその義務があるんや。」

 若者は前科があり、その償いの意味での義務。その義務を果たすことで、彼は、働くことに意味を見いだし、生きることの張り合いを見つけていきます。この偽家族のつかのまの生活は、何よりも楽しそうで、血のつながりはあるけれど、関わりが希薄な長男夫婦との関係と対比されていきます。

 このドラマは、じつは「義務」って何だろうということが隠れたテーマだったのかもしれません。義務のコインの裏側には権利があって、このドラマではそれは「おじいさんの面倒を見ること」と「遺産を相続できること」が対応しています。義務と権利が、このつかの間の楽しい生活の成立要件だとすれば、若者には、前科への償いという時点で、「義務」しか残っていなくて、奇跡的に「権利」を主張することなく成立要件を満たしてしまっていています。

 だからこそ、このつかのまの偽家族は、家族以上に結ばれ合っていて、このドラマをレッツゴー長作さん演じる長男の目線から見たとき、それは、この奇跡的に成立してしまった家族に嫉妬し、それを必死に取り戻す物語とも言えるのでしょう。

 この偽家族は、あっけなく終焉を迎えます。ドラマが終わったあとに脚本の中島丈博さんがインタビューの中でおっしゃっていましたが、この長男こそが、本当の主人公なのかもしれません。

「まあ、遺産も入るし、おまえには苦労をかけるけど、しんぼうしてや。」
「そんな悲しいこと言わんといてよ。私、そんなつもりでやってるんやないわよ。家族じゃない。家族だからじゃない。」
「そうか。家族か。家族やもんな。」
「当たり前やんか。家族なんやもん。」

 ここで、長男の義務は、若者と同じ義務になるんですよね。このエンディングは、人情劇にありがちなエンディングに見えて、きっとまったく別のものなんだろうな、と思いました。あらかじめ権利を主張しない義務。たぶん、中島さんは、家族というものはそういうものだよ、と言いたかったのではないかと思いました。

 それが家族であり、その条件さえ満たせば血のつながりなく家族であり得る。家族とはそういうもので、若者は義務と呼んだけれど、ほんとうはもっと別のものだったりもするのでしょう。さらに言えば、会社と同格ではなく、家族って本来は別の原理でできていて、権利と義務みたいなものではできていない別のものじゃないか、ということを作者は言いたかったのだろうと思います。

 最後に若者と娘さんが、こんな会話をします。

「楽しかったなあ。ほんとうの家族みたいに楽しかったなあ。」
「なに言うてるのん。あんたもこれから親になるんやで。」

 このエントリには書きませんでしたが、ミヤコ蝶々さん、言葉に表せないほどよかったです。こういう人を天才と言うんでしょうね。関西育ちの私は子供の頃からずっと見ていて、空気のようにその芸に触れてきましたが、あらためてじっくり見て、その演技に圧倒されました。いいドラマでした。おすすめです。

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