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2010年7月 9日 (金)

結局、僕らはテキストデータが欲しいんだ、と思う

 KindleやiPadにはじまる電子書籍の動向で、根本的な違和感がひとつだけありました。それは、どうしてそんなに紙の本の形式にこだわるんだろう、ということでした。だって、今や新聞の記事もPCでたくさん読んでいるし、学術論文だって、ウェブでは書籍の形式にこだわらず読んでいるじゃないですか。

 このブログだって、横書きでフォントもPCに依存しているからって、こんなもん読めるかよってことではないだろうと思うし。それに、ケータイ小説だって読む人は熱心に読んでいるでしょ。有料のメールマガジンだって、数は多くはないけれどちゃんと成立しているし、メールであるがゆえに極端に読みにくいってことはないですし。読みたい内容なら、読者は読みます。

 もちろん紙の本のように読みやすくデザインされているに越したことはないと思うし、紙の本のような読書のしやすいデバイスがあればなお良しだとは思うけれど、それが必須でもないとも思うし、結局、今のブックリーダーと独自フォーマット争いというのは、心のどこかで、テキストコンテンツは紙を模倣しなければお金を払ってはくれない、より紙に近づけた方が勝ち、という気持ちがあるんだろうと思います。

 でも、有料メールマガジンの例をあげるまでもなく、テキストコンテンツは紙を模倣しなければお金にならないというのは間違いだと思いますし、究極言えば、本当は、読者としてはテキストデータが欲しいんだろうと思うんですよね。それが、特にコアなネットユーザーの本当のインサイトなんだと思います。

 その内容がお金を払うだけの価値があれば、払うと思うんですよね。PCで読みたい人はPCで読めばいいし、軽いブックリーダーで読みたい人は、それで読めばいい。

 読みやすさは、読者側でなんとかするからさ。今は、ハードもソフトもいいの揃ってるし。電子書籍のニーズって、そんな感じだと思います。

 もちろん、紙の本は、パッケージングで商品として、ある意味、すごく歴史があって成熟もしているし、読書という行為においては完璧だったりするので、テキストコンテンツに同じお金を出すようにはならないと思います。でも、それと同じように、紙の本を模倣した、特定のブックリーダーによる電子書籍が代替するとも私には思えないんですよね。

 そんなふうに思っていたら、「Googleエディション」。

電子書籍販売「Googleエディション」、日本で年明けスタート - ITmedia

 なるほど。これは、はじめてしっくり来ました。さすがに、スキャンしたテキストデータ、もしくはそれに近いかたちのデータの販売みたいなラディカルなものではないけれど、端末に依存しないというか、するつもりがないという部分で、考え方はすごく現実的でGoogleらしいですね。先ほどのITmediaの記事からの引用ですが、そういうことだなと思います。

 書籍のデジタル化を進めるGoogleだが、「電子書籍が紙の書籍に置き換わっていくという強いイメージはもっていない」(佐藤マネージャー)という。「その時々で便利な方を使いながら、書籍のマーケットが大きくなっていけば」と佐藤マネージャーは話している。

 たぶん、この考え方の先には、テキストコンテンツの中身だけをなにかしらのデータで販売して、特定デバイスではなく、ケータイを含めたそれぞれの端末側で読み手が好きずきに表示するという未来があるんだろうと思います。それがEPUBになるかもしれませんし、もっとプレーンな別の形式になるかはわかりませんが。(じつは、AmazonもAppleも本音ではそうなると考えているのかもしれません。)

 ユーザーのインサイトにサービスや商品が近づいていくのが世の中の常。つまりは、パッケージングされたコンテンツとコンテナの分離だけでなく、コンテンツとパッケージングの分離が、電子書籍では大きく進むような気がします。きっとそれは、紙の本とも、パッケージングされた電子書籍とも、それぞれ販売価格の3層レイヤーとして共存していくんでしょうね。

 電子書籍のニーズを考えると、コンテンツとパッケージングの完全な分離という未来が最も描きやすいんですよね。私には紙の本が、パッケージされた電子書籍と完全に置き換わる未来は想像しにくいし、読書体験におけるパッケージング対決だと紙の圧勝だと思うし。なんとなく、電子書籍の未来って、華麗で豪華絢爛な電子書籍の未来じゃなくて、ちょっぴりチープで、だけどとっても気軽な、ちょっぴり「青空文庫」っぽい、そんな方向の未来なのだろうな、と勝手に思っております。

 それは、かつて見た景色ではあるけれど、ハードとソフト、それを支えるインフラが成熟した今だから確実に描けるようになった景色でもあって、どこか、これまで何度も各社がチャレンジしてきたスマートフォンやタブレットPCが、iPhoneやiPadという優れたハードによって、いとも簡単に普及してしまった、あの、あっけにとられた感じに似たことになるんだろうな、と思います。これは、まだ実現していない未来の姿ではあるけれども。

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コメント

こんにちは。

自分自身、本をよく購入するのでとても考えさせられます。

今、「自炊」というのが流行ってきていますが、自分の持っている本でも「自炊」したい本と、したくない本があるんですが、その差は何だろうかとよく考えます。
その辺がパッケージと関わっているのかなぁと思ったりしています(違うかな)

私自身は紙の本に対しての愛着がありますし、今回のブログで書いてあるように、全てが電子書籍に移行というのは無いと思っています。
ただ、自分たちよりもかなり下の世代(今の小中学生、もしくはもっと下の世代)が大人になった時にどうなのかなぁと思ったりしますね。
「えっ、まだ紙の本読んでるの?」みたいな会話があったりするのかなと(大げさですけど)

投稿: mt | 2010年7月 9日 (金) 09:58

パッケージされたテキストコンテンツとされてないテキストコンテンツで言えば、パッケージされたテキストコンテンツのほうがいいに決まってるんですよね。電子化が紙の本より勝っているのは、きっとパッケージングの柔軟性というかカスタマイズ性かな、と思いました。
音楽や動画なんかは電子化のメリットはコンテナの柔軟性だったりしたんですが、コンテナで言えば本はよくできてて、「えっ、レコード聴いてるの?」みたいに「えっ、まだ紙の本読んでるの?」とはならなくて、レイヤーとして規模を縮小しながら残るんじゃないかなというのが私の見立てですね。

投稿: mb101bold | 2010年7月 9日 (金) 10:38

そもそも、SGML、HTMLって文書の論理構造を記述しただけでしたよね。どう見えるかは、別の事でしたよね。デバイスとしては自分が解釈できないタグは飛ばしちゃえば。最もシンプルなのは、plane text表示になるんでしょうね、、、、

投稿: はっし | 2010年7月 9日 (金) 13:59

こんにちは。いつも読ませていただいています。

テキストデータとして欲しい文章と、そうではない文章があるように思えます。ほとんどの映画はDVD化されるけど、やっぱり映画館で観たい映画ってある。電子書籍と紙の本の関係って、何かいまはそんな感じかと。

投稿: FOOTAPAPA | 2010年7月 9日 (金) 17:24

>はっしさん

究極を言えば、紙の本のユーザビリティに電子書籍が優位性を持てないのであれば、plane textで、こっちの自由に読ませてよっていう感じです。最も、これは比喩的な表現ではあるんですけどね。

>FOOTAPAPAさん

お久しぶりです。新書とかはテキストデータで欲しいなあと思う時があります。ああ、買って損したなあ、みたいな。じゃあ買わなきゃいいんですが、買って読まなきゃわからないですしねえ。テレビができてビデオやDVDができたけれど、映画はちゃんと生き残って共存している。そのあたりのことを、出版社は考えるべきなんでしょうね。

投稿: mb101bold | 2010年7月10日 (土) 01:07

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