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2010年7月22日 (木)

新しくできた回転寿司屋さんで自由と多様性についてぼんやり考えました

 回転寿司が好き。

 あまりほめられた嗜好ではないし、回転寿司が好きなんだよなあなんてことは人前ではあまり言わないけれど、まあ、好きなものはしょうがないよなあ。そんな感じの好きさ加減です。味もそこそこ、なにより手軽。ひとりものには、とてもありがたい存在だったりもします。あまりお腹がすいてないけど食事を済ませたいなあ、でも牛丼は重いしなあ、なんてとき、さくっと食べて出て行けるのも回転寿司屋さんのいいところ。それに、回転しててもお寿司なので、ちょっとした満足感や贅沢感も満たせますし。

 回転する寿司なんて本当の寿司じゃないよ、なんて意見もあるでしょうけど、ま、それでも回転寿司屋さんは多くの人に支持をされているわけで、回転寿司屋さんには回転寿司屋さんの挟持なんてものもあるのでしょう。

 回転しない寿司と回転する寿司の違いは何か。そこらへんに回転寿司が支持される理由がありそうです。と、もったいぶって書くまでもなく、回転寿司が支持される理由は、こんなとこですね。

  1. 半セルフサービスだから価格が安い
  2. 半セルフサービスだから板前さんとやりとりしなくていい
  3. 均一価格で明朗会計で安心

 お寿司屋さんは、料理店の中では敷居が高い。一見さんお断りな感じがある。寿司職人さんとのやりとりが前提。これはすべて寿司屋さんの魅力ではありますが、その一方で、そんな魅力がしんどいなあ、もっと気軽にお寿司をつまみたいなあ、というニーズがあったからこそ、街に、寿司屋さんの敷居を低くした回転寿司屋さんがあふれているのでしょう。

 回転寿司屋さんは、基本的には「脱コミュニケーションのセルフサービス」の方向性のサービスです。ならば、この方向性を追求すれば、もっともっと支持される回転寿司屋さんができるんじゃないか。そう考える人がいてもおかしくはありません。

 で、やっぱりそんな人(というか企業)がいて、とある繁華街に新しいスタイルの回転寿司屋さんができたんですね。で、行ってみました。

 そのお店のシステムは、こんな感じ。

  1. お客さんの席の少し上にタッチパネルのディスプレイ(チェーンの居酒屋さんにあるようなやつ)が1つずつ設置されている
  2. お寿司はマグロとか人気ネタの皿しか流れていない
  3. ディスプレイにはメニューが表示されていて、食べたいお寿司は板前さんや店員さんに注文しなくても画面のボタンを押すと自動で注文が入る
  4. 注文が完了すると席から離れた調理場で寿司が握られる
  5. 電車のカタチをした台にお寿司が乗せられて運ばれてくる
  6. 電車のカタチをした台は席の前できちんと止まる
  7. お客さんが皿を取ると電車のカタチをした台が去っていく

 ついでに言うと、お会計の時もボタンを押します。すると、店員さんがやってきて、その場でお会計ができます。回転寿司屋さんの「脱コミュニケーションのセルフサービス」の方向性の究極を具現化したようなお店でした。

 味は悪くなかった。むしろ、おいしかった。でも、まったくもって楽しくなかったんですよね。回転寿司屋さんが受け入れられる理由をつきつめると、台が電車のカタチをしている遊び心はともかくとして、まあこうなる。理論的には、これが究極。でも、楽しくなかった。

 感覚的には、簡単に、これは駄目だろうなとわかるんですが、あえて感覚ではなく、理詰めで理由を考えてみました。仕事じゃないのでぼんやりと、ではありますが。で、考えてみると、自分が回転寿司屋さんで振る舞う姿を振り返ってみることで、なんとなくわかることがありました。

 私は、回転寿司屋さんでは流れているお寿司を取る人です。でも、まわりを見渡すと、若いカップルなんかもいて、お店の人と楽しそうに話していたりもします。敷居が高いお寿司屋さんの、あの板前さんとのコミュニケーションを、お金をそんなに持っていない若者が楽しんでいるんですね。一方で、お年寄りもいて、その人は、回転しているお皿には目もくれず、注文をしながら、好きなネタを楽しんでいたりします。

 その姿を見てて、いやな気はしないし、ああ、楽しそうだなあ、とも思うんですね。だからといって、私は板前さんと話したりはしないし、注文もめったにしないんです。流れてきたお皿をとって、黙って食べるだけです。で、私が他のお客さんを見て不快な思いをしないのと同じように、私のような人がいることで、板前さんと話したり、注文をしたりするお客さんが不快な思いをするということもないと思うんですね。

 つまり、そこにあるのは、自由を認め多様性を許容する価値観なんです。一方で、先の新しいお店になかったものは、この価値観なんだろうと思います。

 お寿司屋さんは、敷居が高い。その敷居を低くして、もっと多くの人にお寿司を楽しんでほしい。そういう思いで、回転寿司屋さんという業態ははじまったはずです。であるならば、その中心には、やっぱり本来の寿司屋さんの文化があって、その核の部分を保持しつつ、そうじゃない人もここにいていいですよ、というものだと思うんですよね。

 私は回転寿司が好きな理由は、本当はこういう自由と多様性だったんだな、と思います。その新しいお店は、本来の寿司屋さんの価値のアンチテーゼである「脱コミュニケーションのセルフサービス」を、絶対の価値としてお客さんに提供してしまっていて、そうなると、私にとっては、その「脱コミュニケーションのセルフサービス」は受け入れられなかった。そんな極論、いらないよ、となった。きっと、そういうことなんだろうと思います。

 もちろん、私のニーズが世間のニーズではないので、そのお店はもしかすると成功するかもしれません。でも、やっぱり、回転寿司という合理性の固まりのようなサービスでも、そこに自由と多様性がないと駄目なんだよなあ、回転寿司屋さんに限らず、自由と多様性のない世界はしんどいなあ、息苦しいよなあ、というのは、少しばかりの真理を含んでいるんだろうとは思うんですけれどね。

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コメント

mb101boldさん、こんにちは。
このエントリーを読んで、ラーメン屋の「一蘭」(ここは固有名を書くしかない)を思い出しました。あの店は味は好みの範疇ではあるものの、コミュニケーション不在なので、個人的には行く気がしません。(ちょっと話がズレてる?)

投稿: tom-kuri | 2010年7月22日 (木) 16:53

「動いてるものは美味しく見える」って昔TVで見ました。

回転寿司って深堀りすると、色々ありそうな気がしますねー。

投稿: ちんねん | 2010年7月22日 (木) 21:27

>tom-kuriさん

「一蘭」は一度食べたことがあります。味集中カウンターですよね。私の場合は、逆に濃いコミュニケーション感がありました。真剣に作ったから真剣に食え、みたいなメッセージを感じるんですよね。まあ、ラーメン屋さんらしいなとは思うけど、個人的には苦手です。なんか店長が威張っている系はしんどいです。でも、この場合は、人気がでるのはわかるかなあ。

>ちんねんさん

なるほど、確かにそれはそうかもですね。
回転寿司について真剣に論議すると、すごく面白そう。文化って何とか、人間の心理って何とか、根本的な部分に触れられそうですね。そう言えば、回転寿司が時計回りなのも意味があるそうですね。これはわかりやすくて、右利きだと反時計回りはすごく取りにくいです。

投稿: mb101bold | 2010年7月23日 (金) 01:40

mb101boldさん、こんにちは。
このエントリーを読んで、思い出したのが、マクドとかカフェで勉強すると、周りは図書館や自習室よりもはるかにうるさいのに、逆に集中できることもある、みたいなことです。(僕はですが。)
常に図書館じゃ疲れるんですよね。
それは自由と多様性に欠けていたからなのかな、と感じます。

投稿: otikobore | 2010年8月18日 (水) 19:18

あっ、それは私も同じですねえ。マクドとかドトールは集中できます。あと、ルノワーとかも。図書館とか自主室は、よほどの目的がないと駄目ですねえ。なんというか、居心地悪いです。確かに、自由と多様性に欠けているから、かもですね。

投稿: mb101bold | 2010年8月19日 (木) 02:01

たいした仕事もしない、傲慢な板前が握った寿司を時価で請求される位なら、品質の高い回転寿司屋の方がいいかも!?女性客を愚弄する愚かな板前…何様!?って感じ!!不味いのに、お昼は千円のはずが十倍の一万円!ふざけるなでしょ?人を馬鹿にするにも程がある…!しかし酷い店!店員が睨み付けるし、コートもお土産もセルフ…何処までオオチャク者なんだ?とキレました♪

投稿: ひまわり | 2010年11月20日 (土) 01:17

>お昼は千円のはずが十倍の一万円!
すべてがこういうお店ではないでしょうけど、このあたりが、もろもろのことを象徴していますね。
(一部、ブログの編集方針で、店舗名とかを非表示にさせてもらいました。ご了承くださいませ。「一蘭」はOKなのに、というご意見もあるかもですが、こちらはまあ人それぞれとはいきにくそうなので。ちなみに、ひまわりさんのおっしゃっていたお寿司屋さんのようなお店って、よくありますね。私もごめんだなあ、と思います。)

投稿: mb101bold | 2010年11月20日 (土) 13:31

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