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2010年9月12日 (日)

プライドの話

 土曜日に、ある人と話していたときに出た話。

 プライドっていうのは、やっかいなもんで、ないとどうしようもないし、プライドをなくせっていっても、どうしようもなく芽生えてくるものではあるけれど、妙なプライドっていうのは、人の成長とか可能性を閉ざしてしまうもんなんだよなあ、困ったもんだよなあ、もしかすると、妙なプライドっていうのがいちばん駄目なものなかのかも、と。

 妙なプライドってどんなものかというと、「私は専門家だから、私のやっていることに口を出さないでね。」というような、外部からのコミットメントを閉ざしてしまう方向のプライド。

 私はもともとコピーベースですから、そういうコピーライターさんをよく見てきました。

 「私は言葉の専門家なんだから、素人が口出ししないで。」

 コピーの場合は、わかりやすいんですよね。だって、誰でも言葉は書けるし、つっこみやすいんです。それに、コピーは誰にでもわかりやすく書く表現の最たるものだから、口出しされる時点で、もうね、コピーが駄目ってことで。その人は、コピーライターの職能の最低条件である「言葉を書く」ということがプライドになっちゃってるんですよね。

 じゃ、デザインの場合はどうか。これも、どんどんつっこみやすくなっていますよね。DTPが主流になってずいぶんたって、デザインの敷居がどんどん低くなってきています。写真の場合も、そうですよね。

 でもまあ、このレベルの話っていうのは、あまりおもしろいものでもないし、結局、その人、力がないよなあ、っていうことで終わってしまうし、つきつめると、「責任と自由」ではなく「義務と権利」のモードに行ってしまうので、不毛な話になりがち。ガタガタ言わずに、言われたことをやれよ、と。実際には、このレベルの話で困ってしまう状況はたくさんありますけどね。

 問題は、もうひとつ上のレベルの妙なプライド。「私は、この作風で勝負をしていますから、それはやれません。」的なプライド。作風を方法論と言い換えてもいいですが。これは、難しいんです。これも、外部からのコミットメントを閉ざしてしまうプライドのあり方なんですが、こちらは、まわりの人も少し困るけど、いちばん困るのは、自分自身だったりします。

 今、広告を含めたあらゆる制作稼業というのは、時代の変わり目にあります。つまり、時代が安定していないんです。そのとき、このプライドは、話を聞く分には、自分を変えない姿勢的ないい話にはなるんですが、でも、その結果、活躍の場がなくなっちゃうのは本末転倒だと思うし、あいつは自分を変えないまっすぐな奴ってほめる人が、その結果までケツを持ってくれるかといえば、そんなことはあるわけなくて、私は、この手の話では、苦言を呈してくれる人のほうが信用できると思っています。だって、人ごとだから、あいつはいいね、とほめられるんですもの。

 ざらっとした、身も蓋もない言い方をすれば、要するに市場原理なんですけどね。「私はこの作風」って言ったときに、買い手がなければ、それは市場に求められていないっていうことで、買い手を求めるという目的であるならば、どうしようもなくて、やがて求められる時代が来るまで待つしかないんです。

 このプライドは、ほめる人も多いと思いますし、私自身もわかるし、持っていたりもするんです。ある程度は必要なことのような気もするし。でも、自分の作風や方法論とは違うことをやることを、自分を捨てることではなく、たとえば、こういうふうに考えられないかな。

 相手がそれなりに力のある人であったとして、その人が、自分にないものを求めている、それは、自分の成長や可能性を広げる絶好のチャンスである、と。

 せっかく、多くの人から評価される作風を身につけたわけだから、それは、違う方法論であっても、一からはじめる人よりもアドバンテージがあるはずなんです。そのバックボーンをうまく使えれば、新しい作風が生まれるかもしれないし、人の可能性なんて、そんな異物が入り込んでくることによる反応でしか生まれないと思うんですよね。私自身も、振り返るとそうでしたし。

 それに、古典芸能ではないんだし、そうそう違うことやったところで、自分が大切にしている作風や方法論なんてなくなったりはしないし、逆に言えば、なくそうと思っても、なくならないわけだし。なくそうとするほうが難しいくらいだし。

 私は、時代が時代なんだから、もっと柔軟に、世渡りうまく、みたいなことをアドバイスはしたくないので、ちょっとまわりくどい書き方になってしまいましたが、これもやっぱり、時代が時代なんだから、と一緒のことなのかなあ。うーん。

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コメント

プライド…というのは、やっかいなものだなあと思います。

今の自分に自信を持つことは大事ですけれど、今のままでいる自分でいることに「これでいい」と安心していては成長することは難しくなりますよね。

他人のプライドなんて、ちっぽけなこだわりにしか見えない時もあるし(こだわりは必要ですが)、なにより、他人は謙遜する人間を信頼し傲慢な人間を嫌うのは自然な感情だとも思うのですよね。

要領よくとか、世渡りとかでなく、プライドを保ちながらも素直にものを受け止められる許容の力が必要なのではないかな…と思います。

と言いつつ、私もちっぽけなプライドを胸に保ち続けておりますが(笑)
それは、志と呼びたいな…と思います。

志を貫徹するために、ちっぽけなプライドは時に忘れることも大切かも…と。

投稿: 小幡万里子 | 2010年9月12日 (日) 17:45

おっしゃるように、素直な心が大切なんでしょうね。これがまた難しくて、私なんかは、愚痴りながら、もがきながら、いつもそこで右往左往してしまいます。
なんとなく私自身を振り返ると、ある一線というのがいつもあって、その一線を超えることを要求されたり、受け入れられなかったりしない限りは、自分なりにやり抜く、みたいな部分があるようです。まずは受け入れる。だけど、すべてを受け入れる、もしくは、他人の意向にまかせるというわけではなく、最後の最後は自分という感じです。
この最後の最後の自分が、志ということなのかもしれません。それにしても、この手の話って難しいですねえ。

投稿: mb101bold | 2010年9月12日 (日) 22:31

プライド「俺はこうなんだから、そこはゆずれねえ!」も役に立つことがありますが。
発見「これ、俺にはできねえなあ、すげー。一緒にやろ」も、面白いですよ。

投稿: denkihanabi | 2010年9月14日 (火) 00:18

そうなんですよねえ。「一緒にやろ」はものすごくたのしいんですよね。

投稿: mb101bold | 2010年9月14日 (火) 01:00

私は仕事に対するときはプライドもその仕事に最適化されるべきなんじゃないかと思います。志とか人が持つべきプライドって、それをやるかやらないかの2択を迫るものだし。プライドが許さないなら、はじめからやらないのがプライドなんではないかと。

投稿: ggg123 | 2010年9月19日 (日) 22:23

白か黒か、というか、まあ、それができれば問題はないんでしょうけど、まだできあがっていない人は、そのプライドによって成長を阻害してしまう、もっと言えば、その仕事で食えなくなってしまうというのが問題なんでしょうね。
結局、俺は食えなくて結構、という覚悟があるかどうか、ということなんですけど、まあ、「自分の作風を活かせるジョブがない」と悩んでいる人は、たいがいはその覚悟はあまりないわけだし、どこかで私の価値をわかってほしいっていう思いというか「自己への配慮」を求める気持ちがあって、その堂々巡りで思い悩むと思うんですよね。自分にもありましたし、これからもあるんでしょけど。
その堂々巡りを抜ける突破口みたいなことが書ければなあと。しかし、この問題は難しいです。

投稿: mb101bold | 2010年9月19日 (日) 23:16

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