消費と自由意志、そして、広告
いやまあ、予想通りでましたね。11インチのMacBook Air。今使っている、MacBookのブラックの充電池が膨張してしまって、モバイルではちょっと難しくなってきて、バッテリを変えるか、新しいのを買うか迷ってたところでした。ちょうどよかった。買います。
CPUが一世代前だったりして、ちょっと迷いもあるけれど、今あるMacBookよりもコンパクトだし、重さも半分だし、MacBookを家専用にして、Airをモバイル専用にすることで、もったいない感もないし、モバイルだと、まあブラウザが使えて、テキストが打てればいいので、実際は問題ないんですよね。それに、一昔前のモバイルにくらべりゃ、格段に性能いいし。昔、リブレットL2を買った時のような残念感はもうないでしょう。やっぱり、Crusoeはきつかったです。
とまあ、今回は、わりとあっさり「買い!」と決めてしまったわけですが、そのとき、ああ、これが消費のたのしさだったりするんだよなあ、とあらためて思いました。
つまり、思いっきり、誰にもじゃまされずに「自由意志」を行使できる行為なんですよね、消費って。どれを買うかも自由だし、やっぱり買わないのも自由だし、今回はまだ見合わせるのも自由だし、別のものを買うのも自由。それは、お金払ってものを手に入れる瞬間まで自由。この自由は、Libertyじゃなくて、Freedom。犬井ヒロシさんが叫ぶ「自由だ!」ってやつ。でもって、こういうFreedomを満喫できることって、あまりないんですよね、こんなに便利な世の中になってもね。
だから、Twitterでも、ブログでも、お買い物について語りたくなるんですよね。だって、そこにまぎれもない、私の意志があるんだもの。これが私だっていうことを、消費で表現できるんですよね。
広告は、たぶん、この自由意志にひとつの選択の理由を提示するものだと思います。ここで言う広告は、狭義の広告で、SPやPRではない、いわゆるAdvertisingのことですが、Advertisingは、きっとこの自由意志を阻害しちゃいけないんでしょうね。
他社を選ぶという選択肢を消去しようとする比較広告がいまいち効かない、少なくとも、長期視点において続かない理由がわかった気がします。比較広告に対しておおらかな欧米でも、ずっと比較広告を打ち続けるブランドは見たことがないし、それは、たぶん、このあたりに理由があるんでしょうね。
なんか、「自由意志」という補助線を引くと、とたんに消費がわかりやすくなったなあ。まあ、気のせいかもしれませんが、とりあえず、今回はメモがてらに。ではでは。
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コメント
買い物って人の心を癒すようですね。9.11の直後にブッシュ大統領が「買い物をすべきだ」と言ったとか言わなかったとか...。
本当はちょっと閉塞気味な今、何か大いにお買い物をして「Freedom」を味わうべきなんでしょうね。「ええじゃないか」みたいな。
投稿: mistral | 2010年10月28日 (木) 12:06
蕩尽としての消費っていうのは、そういう心理機制なんでしょうね。
投稿: mb101bold | 2010年10月30日 (土) 14:33