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2010年12月31日 (金)

伝える、つながる、かさなる

 あまりたいしたことがない年だったような気もするし、いろいろとあった気もする、そんな1年でした。何か書こうと思って、いろいろと自分が過去に書いた言葉を読みなおしてみたりしましたが、意外なほど今の自分の考えがぶれていないことに、少しばかり驚きがあります。

 何も変わっちゃいない。

 それは、いいことか悪いことかはわかりませんが、どちらにしても、それを決めるのは、他の誰でもなく私自身なんだろうと思うし、その決定を誰かにゆだねるというわけにはいかないだろうし、大人であるということは、そういうことを言うんだろう。そんな感じです。

 いつもは広告コミュニケーションまわりの今年の総括的なことを書いていますが、今年は、それは書かないでおこうと思いました。そういう意味では、2010年というのは、個人的には特別な年であったように思います。

 昨年の大晦日に、こんなことを書いていました。すこし長いですが、引用します。2010年の大晦日に伝えたいことは、基本的に、昨年書いたこの部分から超えるものでもないと思いますし、その部分では成長がないのかもしれませんが、自分自身が再確認する意味でも、もう一度考え直してみたいことでもありますので。

本当は、「リアル VS バーチャル」という対立構造というのは、この今のコミュニケーションの状況を説明するための補助線としては有効ではないと思うのです。

 ネットは、今までもあったけれど、世の中的には見えにくく、その見えにくさゆえに考えなくてもよかった人の生活の場、あるいはモードというものを可視化したということなのだろうと思います。

 これまで、広告は社会というものを想定してメッセージを発信すればよかった。しかし、ネットが可視化したのは、その社会に無数にあるコミュニティの姿でした。社会においてのメッセージ発信は、その共通の薄い約束ごと、つまり、社会性と言われるものを、規制として、また、公共性への意識として考慮すればよく、だからこそ、マスへのメッセージ発信が、それなりの時代のメッセージとして機能してきました。

 その社会に向けてメッセージを発信するという広告が成り立つ場が、中間的な社会であるコミュニティによって縮小されて、そのメッセージ発信の活路をコミュニティに求め始めたというのが、企業コミュニケーションの今なのだと思います。

 しかし、ここであまり語られていないけれど、じつは、その場をコミュニティに移すということは、広告というコミュニケーションのあり方にとっては、非常に難しい問題をはらんでいるのだと思うんですね。

 先日、とある人と話していた中での話ですが、広告とは「伝える、つながる、かなさる」というコミュニケーションの深度における「伝える」がミッションであり、「つながる」への移行は、その「伝える」の結果として認識されていました。

 けれども、コミュニティに向けるということは、じつは本質的に「つながる」をミッションとする行為なのだろうと思います。「伝える」で大事なこと、幹になる軸は、言葉に語弊があるけれど「センス」であり、その前提としての「プロポジション」「コンセプト」でした。けれども、コミュニティにおいて大事なこと、幹になる軸は、これも言葉に語弊があるかもしれませんが「ルール」なのだろうと思うのです。で、コミュニティの数だけ「ルール」は存在します。そこでは、広告が前提とする諸軸がわりと無効化され、より「ルール」を内面まで共有化した仲間であるかどうか、ということが問われてきます。

 そういうことが、企業コミュニケーションにできるのか、うまくやれるのか、企業コミュニケーションがその領域に踏み込むべきなのかどうか、ということが今、私が考えている核の部分なのですが、今のところ、私には少しわかりかねるところがあります。

 じつは、この「伝える、つながる、かさなる」というのは、一方向ではなく円環的になっていて、たとえば「かさなる」の次には「伝える」のフェイズが必ずやってきます。また、「伝える」のフェイズのモードは「社会」で、「つながる」のフェイズのモードは「中間集団」、そして、「かさなる」のフェイズのモードは「小集団」となります。

 つまりは、円が一周してふたたび「伝える」というフェイズに来たとき、ここで、コミュニケーションにおける大きな飛躍があるのだろうと思います。ちょっと違うかもしれませんが、かつて柄谷さんが言っていた「命がけの飛躍」は、こういうことに近いんだろうと思ったりもします。

 たぶん、私が、次世代広告的なことに言及しつつも、これまでの広告を否定するのではなく、わりあい従来の広告に対して肯定的なのは、この円が一周する次のサイクルを見ているからなのだろうと思うし、これからは「つながる、つたえる」だよ、と言えば、次世代広告的ないわゆる括弧付きの「新しい広告」になるかとは思うけれど、それがわかりやすく、時代をとらえる言葉としてキャッチーだとしても、私個人で言えば、正直あまり乗っかる気にはならないのです。そういう意味では、私の書く広告論というのは、わりと結論自体は普通で、あまり刺激的ではないんだろうと思うんですね。

 けれども、このサイクルが一周したうえでの「伝える」のフェイズは、いままでのやり方では「伝える」が「伝わる」になりにくいのではないか、というのが、このブログで繰り返し書いてきた私の考えでした。

 今年はあまり書けなかったですが、読んでくださったみなさま、どうもありがとうございました。書けないとき、書きたくないとき、それでも、書く場所がなくならずにある、という個人メディアというもののありがたさを実感した1年でした。もう少々で年が変わりますが、どうぞみなさまの新しい年がよい年でありますように。2011年も、どうぞよろしくお願いします。

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コメント

新年明けましておめでとうございます。

書き込みするのは随分久しぶりですが ちゃんとチェックはしておりました。

永らく更新が無かったので いささか心配しておりました。

今年も洞察力に富んだ文章を期待しております。

それでは良い1年をお送りください。

投稿: ククル | 2011年1月 5日 (水) 15:15

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

投稿: mb101bold | 2011年1月 5日 (水) 15:55

タイトルが、“かなさる”になってますね。

投稿: | 2011年2月23日 (水) 14:09

ありゃま、ほんとだ。ご指摘、ありがとうございます。助かりました。

投稿: mb101bold | 2011年2月23日 (水) 16:32

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