想像力と寛容、そして公共
外苑前のLIBROで本を買って、交差点で信号待ちをしていたとき、ある方が私に近づいてきました。たくさんの荷物を持ち、黒いスーツを着た落ち着いた上品な感じの女性で、年で言えば50くらい、日本人っぽい顔立ちの方だったから安心していたら、
—— HowなんちゃらかんちゃらRoppongi?
と聞いてきたのでした。
あっ、英語かあ、と一瞬、たじろいでしまったけど、なんとなく「六本木に行くにはどうしたらいい?」みたいなことはわかったので、とりあえずでたらめ英語とボディランゲージで質問に応じる覚悟を決めました。まあ、覚悟ってほどのことではないけど。
東京のこのあたりで仕事している人はわかると思いますが、表参道とか外苑前とか、いわゆる青山界隈は、六本木までのアクセスはタクシーが多いんですね。距離がそこそこ近い割には、地下鉄の便が悪いイメージがあって(とはいえ、浅草線から大江戸線で10分くらいなんですけど)、でたらめ英語とボディランゲージで「タクシーに乗った方がいいよ」と言ったのでした。
すると、その方は、首を振り、タクシーは使わない、使いたくない、と。ならば、「Subwayでしょ」と、まっすぐ歩いていけばGaien-mae Subway Stationがあるから、このままGo Straight! みたいな感じで答えると、それも首を振るんですね。
なぜに?とは思ったものの、Why?みたいな強い語調の単語も使えず、なんとなく困った表情をして時間稼ぎをしていて、そうか、ここから歩くと、えらく時間がかかりますよ、ということを言えばいいんだと気付いて、
—— Walking to Roppongi, so far!
みたいなことを言うと、How much timeみたいなことが聞き取れたので、Over 30 minutesと答えると、Wow!なんてことになって、ああ、これで地下鉄に乗ってくれるかな、と思うと、今度は、交差点の四方を指を指して、六本木はどっちに行けば着くの?みたいなことを聞いてきました。
そこまで歩くことにこだわりますか、と逆にちょっと楽しい気分になってしまって、はるか向こうにそびえる六本木ヒルズの巨大なビルを指差して、こう答えたのでした。
—— Walking foward there! This building is Roppongi.
要するに、とにかくあのでかいビルに向かって歩け、あれが六本木だよ、そのうち着くよ、ということです。我ながらずいぶん乱暴な答えだよなあ、と自分でもあきれてしまったけれど、その方は満足だったらしく、
—— Thank you!
と明るく答えて、颯爽と歩いていかれました。
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なんだろうなあ、なぜそこまで歩くことにこだわるかなあ、でも、満足そうだったからいいや、とやり過ごしていたのですが、夜、会社が終わって、山手線に乗っているときに、ああ、そういうことかと気付いたんですね。
きっと、その外国の方は、どうしても車や電車に乗りたくなかったんですよね。ましてや地下鉄なんて、もってのほかだったんです。理由はもうわかりますよね。
地震です。
質問に応じていたときには、慣れない英語で答えるのに必死だったからわからなかったけど、きっとそうなんです。でも、もし私が英語が流暢で、すらすらと答えられたとしても、そのことに気付いていたかどうかはちょっと自信はないです。
それほど、自分は、自分の環境と、自分の性向、自分の信念なんかにとらわれすぎてしまっているんだなあ、と思いました。この地震で、私はどちらかと言えば落ち着いているほうです。それは、私がお気楽な独り者の男性ということもあるだろうし、阪神・淡路大震災のときに大阪にいたということもあります。規模が違っても、大規模な震災を一度間近で見ている経験は、違うと思います。それと、やはり自分の性格というのも影響しているでしょう。
そんな私には、外国の方が、地震で車や電車には出来る限り乗りたくないという気持ちは、やはりすぐには想像できなかったんです。想像力が足りなかったな、と思いました。みんなが自分と同じ気持ちであるはずはない。特に今回の場合は、その方が外国の方であったわけだから。
自分と他人とは違う。だからこそ、想像して理解すること。違う考え方に寛容であること。それが、前提であったはずなのに、やはり、そこには確実に自分という限界が、どうしようもなくあるんですよね。
その方は、会話の中でEarthshakerとか、地震に関する言葉をまったく話していませんでした。つまり、その方は、自分の感情や価値観を押しつけず、しかし、自分の責任でできる行動については、自分の感情に忠実であった、ということなんですね。その行動の妥当性はともかくとして。
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たとえば、その方が、こう言ったらどうなっていたのでしょう。
—— 私はタクシーや電車には乗りたくない。だって、地震があるじゃないか。こんなときにタクシーや電車に乗る日本人は私には信じられない。
きっと反発すると思うんですね。もしかすると、小一時間くらい説教してしまうかもしれません。その論拠とするものは何だろうかと考えると、科学とか、公共性とか、そういったことなんだろうと思います。科学的に見て、乗っても大丈夫である、とか、公的な機関が運行中止にしていないんだから、信じられないと言うのはあれか、我々が馬鹿だってことか、だとか。最後は、そんなに言うなら勝手にすればいいじゃない、知らんがな、みたいなことになるんでしょうね。
想像しただけでうんざりします。そこに、個人の感情が入り込む隙間はありません。言った方にも、言われた方にも。じつは、この仮定の話の中に、寛容というもののあり方とその限界についての、ある重要な要素が含まれています。
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この前に「0.02%の嘘」というエッセイを読みました。そのエッセイは、水に含まれる放射性物質というシビアな問題についての公共と感情の問題について書かれていました。
心を動かされたけど、なんとなくぼんやりとした違和感も残るエッセイでした。その違和感は何なんだろうと考えていたとき、ああ、なるほど、そういうことなのだろう、という答えをfinalventさんが書かれていました。引用します。
水の場合は平時は10Bq/lというのが公共の規制。
今は非常時なので300Bq/lという規制になる。
そして、その公共の規制をどう考えるかということ。それを支える科学をどう評価すること。評価できる・信頼するというなら、「少しだけ良心の呵責を覚える」という心理の回路はない。
この言葉にはほんの少しだけ嘘が混じっている。1mSvで0.02%。いや、ただ単に嘘と呼んでしまうにはあまりに希薄で、かといって知らないふりができるほど小さくはない何か。僕はこの感情とうまく折り合いをつける方法をまだ見つけられずにいる。
それは、市民と公共というものをきちんと考えてこなかったから。
そしてその嘘の知覚は、本人の内面においては真正でも、他者との関係では、偽の良心となるという典型的な事例。
まず、社会から考えよう。他者とどう共存していくかというふうに良心を発動しよう。
コメント欄でも書かれていましたが、公共と個人の感情という異なるフレームを意図的に混ぜたところに元記事のエッセイにはあって、それがfinalventさんに「ちと、これもまいったかな」と思わせたのでしょう。
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このエントリーを書き始めたとき、私はタイトルを「想像力が足りない」というふうにしていました。外苑前での出来事をきっかけにして、異なる考え方の人の思いやバックボーンを想像する力が足りなかった。様々な人の思いを想像することが、寛容を支えるベースになる、みたいな啓蒙的な短いエッセイを書くつもりでした。
けれども、やはりそれだけでは語りきれないものがあるな、と書いているうちに気付きました。というか、そういう甘いことを書けなかった、書いちゃいけないんだろう、というのが正直なところ。そんなのは、他に書く人がたくさんいるし、もっとうまく書ける人はいくらでもいるでしょう。
先の外国人は、しばらく日本で過ごすことがあるとすれば、タクシーや電車を使うようになるんだろうか。それとも、他の人には意思表示はせずに、淡々と徒歩での移動を続けるのだろうか。
それはそれとして、その方の振る舞いは、その時点の振る舞いとして、とても立派だったと思います。いい意味で、個人主義の理想のようなものを感じました。思想、信条の自由は、そういうふうにしか成り立たないのだろう、とさえ思いました。
このところ、雑誌をよく読みます。公共、市民としての正しい振る舞いというものはあるけれど、その一方で、個人としての揺れ動く感情もあって、普段はたのしい連載を続けている書き手の人たちが、震災発生直後の自身の慌てぶりを告白している読み物をよく目にするようになりました。
週刊文春で「人生モグラたたき」という漫画エッセイを連載しておられる池田暁子さんも、4月28日号で率直にそのときの不安を書いておられました。そこには「私、買いだめに走りました。」と告白し、グッと手を握って涙を流している池田さんのイラストとともに、こうありました。
イキモノとして
自然な反応やと
思います!まず
自分の身を
守らないと…何ミリシーベルトで
影響がどうかとか
知らなかったし!
正直だと思います。こういう気持ちの人もきっと多かったのだろうと思うし、その感情にはきっと嘘はありません。なんということもない、いつもと同じ軽い感じの連載だったけど、これを読んだ人は「そうなの、私もそんな気持ちだったの。とっても不安だったの。」と共感した人もきっとたくさんいるはず。
この回では、こんな言葉で結ばれています。
被害の大きさから考えて
復興には長い時間が
かかるとは思うのですが報道が
減るにつれて
だんだん忘れてまたもと通りボンヤリ
暮らしてしまいそうで怖いさしあたって、「募金箱を
見るたびに必ず小銭を入れる」
というきまりにして報道が減って来ても覚えて
いられるように備えています
こういう感情を、ある種の公共的な、であるべき論にからめることなく、率直に表現した言葉が週刊誌に掲載されていることが、大げさかもしれませんが、一筋の光のような気さえします。
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このエントリのタイトルを「想像力が足りない」から「想像力と寛容、そして公共」と変えました。少しずつ書き足して、前者のキャッチーなタイトルよりもいくぶんか地味な後者のタイトルの方がふさわしいと思えました。
少し分かりにくくはなるけれど、寛容を考えていくと、どうしても公共を考えざるを得ないのです。そこを捨象した寛容なんてものは意味はないと思えたから。話はややこしくなるし、消化不良気味になってはしまいますが、でもそれは寛容を考えるときに、どうしても避けて通れないことのような気もしますし。
話を続けます。
震災直後からのNHK_PRさんの奮闘についてのエントリー「がんばれ、NHK_PRさん。応援してます。」を書いた頃から、寛容について考えています。
寛容とは、他者への想像力がベースになっています。知らない相手のことを出来る限り想像し、理解し、許容していくことです。
と同時に、究極的には、寛容は、自分の考えとは相容れない考え方をどう許容していくか、自分の考えが他者との考えと決定的に違うとき、私はどう振る舞うべきかという判断を含む概念でもあります。
寛容とは、そんなギリギリの状況を包括する概念です。語感が示すような寛容さは、じつは「寛容」という概念には本質的にはありません。
寛容であろうとすることは、自分とは違う他者のことを想像することでもあり、自分がこの社会で生かされることと同じように、自分とは違う他者も生かされるべきである、という考え方で行動するということだろうと思います。この考え方は、自分と同じような考え方の人だけが生きればいい、そういう社会を望む、という考え方を否定することからしかはじまりません。
つまり、逆説的ではあるけれど、多様性の許容、つまり寛容の限界は「公共」ということになるのでしょう。ある特的の個人の思いが、個人の領域を超えて、公共と結びつき、現在の公共の概念を破壊する新しい公共として、人々に対して強制力を発揮することを指向するとき、それは、寛容が唯一戦うべき相手、つまり「不寛容」である、と言えるのかもしれません。
その意味で、寛容の対立概念は、きっと革命なのだと思います。
私は寛容と革命では、今の社会においては寛容を支持します。つきつめると、今回の出来事は、私の心の深い部分で、そういう決断を迫る出来事であったのだろうと思います。震災と、さらには原発事故で公共が揺らぎ、傷ついてしまっている今、このことは、なおさら問われることなんだろうと思います。
私は寛容を支持します。
でも、これは私はそう思うだけであって、今、広い意味で革命を支持する人もけっこう多いんだろうな、という印象でもあるんですけどね。そういう意味では、やっぱり1995年と同じような雰囲気ではあるなあ、とも思います。あのとき、きちんと総括できなかったことのつけは、これから払わなければならないのかもなあ、とも少し思うんですね。
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不寛容は、個人の不安を閉じ込めるんですよね。理屈にならない不安なんて誰にでもあるのに。それをなかったことにしてしまうんです。心をひとつに、の名の下に。社会に存在できなくなった不安は、自らの不安が存在できる新しい社会をこの社会を壊してでもつくろうとしますよね。だって、存在がかかっているんだもの。当然です。
寛容は難しいし、厳しい決断を人に強いるんです。あなたのことを理解するし、許容する。けれど、私は、あなたと同じようには行動はしない。なぜなら、私はあなたの考えよりも私の考えを信じる、さらに言えば、あなたの考えよりも今ある公共を信じる、ということだから。
寛容は共感とは別のものだし、立場を逆に考えたとき、えらく残酷。でも、その残酷さこそが、いろんな考えの人たちがこの社会でともに生きるということだし、その残酷さから逃げて、違う考え方を閉じ込める残酷さよりもずっとましだと思います。それに、全国民がある考えに共感するだなんてことは、あるわけはないわけだし。
人は、自分とは違う考えを出来る限り見たくないと思っていて、寛容みたいなじゃまくさいことが叫ばれるときは、その違う考えが見えやすくなったときなんですね。違う考えを閉じ込めようとしたり、その違う考えをすくい上げて新しい世界をつくろうとする動きの反動として、寛容が叫ばれる。だから、寛容は、本質的に、革命に対する反動なんです。
それでも寛容は必要だと私は思います。まだまだ私には想像力が足りないと思うし、自分の考えを表現していくことについても、その度ごとに共感されたり反発されたり批判されたりしながら、もっともっと許容されたいとも思います。そのために、革命に対して反動的であろうと思います。
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今、ずいぶんこんがらがったことを書いてしまったな、と思っています。本当は、あの方の気持ちが想像できなかったな、もう少し想像できたらよかったな、いつも寛容なんて言ってるのに、というような自戒エントリーにしときゃよかったのに、ちょっと消化不良気味なものになってしまって、もう少しまとまってから書けよなんて声が聞こえてきそうです。
余談ですが、先のエントリーで取り上げさせてもらったNHK_PRさんとお会いしたとき、NHK_PRさんが語った寛容は、とても強い語調でした。中の人はいないから、詳しくは書けないけど、その強さの意味が分かった気がします。
また、私がであった外国の方、「人生モグラたたき」という漫画エッセイを連載しておられる池田暁子さんも、寛容という観点では、どちらも見事だったと思うのです。それは、この文章をややこしくもしてしまったけれど、ある寛容の本質を指し示てもいました。幸運でした。でなければ、寛容とは、消極的な儀礼的無関心である、という結論以上は導き出せなかったんだろうと思います。
また、寛容という観点で言えば、どこまでを公共とするかということも重要なのですが、これはこれでかなりの論議が必要なので触れませんでした。蓮舫さんではないですが、出来る限り少ない方がいい、ということは言えるとは思いますし、私もそう思っています。確実に言えることは法律や規制として表れるものが公共で、それをどこまで拡張してもいいのか、ということだろうと思いますが、そのグラデーションは人によってそれぞれで、かなり幅広いでしょうね。
で、今、その確実に公共と言える部分の揺らぎが感じられるからこそ、個人の思いが逆説的に公共と結びつけられるようになっていて、その公共が公共として認知されない状況は、もはや革命の前段階であって、でも、現実的にはまだそうじゃないという現状認識があって、そのうえで、その公共を信じないと公言するってのはけっこう大ごとだし、それはもう革命を公言することと同じでしょ、寛容が寛容するものの範囲を超えているでしょ、というのが私の意見です。
それは耳ざわりのいい啓蒙なんかでも同じで、私は、表層である言い方よりも、その言説の構造自体を見ていきたいという立場。広告でもなんでもそうだけど、今は、メタメッセージを含めてメッセージと感受される時代になっていると思います。これについては、また別の機会に。
長い文章なのに最後まで読んでいただいた方、すみません。そして、ありがとうございます。それにしても、寛容って、考え出したら難しいですね。結構、難問かもしれないなあ、と思いました。その語感とは違って、生半可には寛容は語れないですね。これからも考え続ける課題でもあるんだろうな、と思っています。
※初出時、1行目「外苑前のブックファーストで」と書きましたが、私の勘違いでした。正しくはLIBROです。本文、修正しました。失礼いたしました。
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コメント
すごくよくわかりますよ。
私も寛容を支持します。
なぜそう思うかって、
また飲みながらでも話しましょう。
投稿: koori | 2011年4月26日 (火) 01:13
でも、飲んだら、なぜそう思うか、なんか忘れちゃったりして。それもまたよし、ですけどね。近いうちに、ぜひ。
投稿: mb101bold | 2011年4月26日 (火) 02:04