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2011年6月 3日 (金)

「小さな肯定、小さな支持」を積み重ねる時代へ

 少し前に「不支持が力を持つ時代」というエントリを書きました。昨年7月の参院選のときに書いたものです。私は、こんなことを言ってました。

 代案のない否定。

 確かに。代案のない否定が集まっても、とりあえずそれ、やめとこ、ということしか決まりません。それでも時間は流れるので、じゃあどうする、と瀬戸際まで追いつめられて、時間切れというカタチでものごとが決まっていく。その積み重ねの総体が時代というものだとすると、こんな不確実なものはないですよね。

 多かれ少なかれ、我々を覆っている時代の気分って、そんな感じかな、とも思ったりします。とりあえず今はやめとこ、という気分が、今の停滞をつくっているのかも。

 今回の内閣不信任案の件でも、そんなことを思いました。私はあまり政治に言及するタイプではありませんし、政治に詳しくもありません。けれども、なんとなく今回の件が嫌で嫌でしょうがなかったのは、そんな「不支持が力を持つ時代」を象徴する出来事だったからかもしれません。被災地復旧への継続的な支援が必要で、復興のフェイズにさえ入っていない今も状況においてもなお「不支持こそが力」と考える、その信の絶望的な深さを感じました。

 宮城県の被災者からも、疑問の声があがる。仙台市若林区の荒浜地区から若林体育館に避難している農業、安達嘉博さん(77)は「政争によって、被災者支援や復興に向けた政策の策定が進まなくなる。津波で家を流され、塩害で農業もできなくなった。震災前のように暮らせるよう政府に期待したいのに、またごたごたが始まるのか」とうんざりした表情で話した。
内閣不信任案:「被災地に目向けて」怒りとあきらめの声 - 毎日新聞

 もちろん、このような声がすべてとは言いません。ただ、ほとんどの人は、これに近い気持ちをいだいたのではないかとは思います。感覚的に、としか言えませんが、少なくとも過半数は超える人たちはそう思っているでしょう。なぜ有権者のそんなインサイトを読めないかというと、要するに内向きだからでしょうね。自分たちが属するコミュニティの外の人たちの気持ちが見えてないんです。

 たぶん、「不支持が力を持つ」の裏側には、「圧倒的な支持」への願望があるのだと思います。属するコミュニティから見える人たちの気持ちこそが民意である。そんな確信が、ある程度はあったのでしょう。けれども、今はそんな時代ではないです。そこから見える人たちは、マスではない。

 昨年の7月に書いたエントリは、こう続いています。

 今の時代に、大きな肯定は似合わないのでしょう。大きな肯定は、些細な否定でいとも簡単に否定に変わります。小さな代案をひとつひとつ提示して、小さな肯定、小さな支持を積み重ねていくこと。小さな。それは、具体的に、ということでもあります。

 小さくあれ。具体的であれ。積み重ねろ。

 政治に限らず、なんでもそうだと思うのですが、時代はそんなふうに変わって来ていると思います。だからこそ、これまでのマスが見えやすかった時代のやり方では駄目だと思うんですね。これは、自分にも言い聞かせたいことでもありますが、時代の変わり目は、やっぱりインターネットだと思います。もっと言えば、それはきっと、ブログでしょう。

 twitter、Facebookの時代にブログかよ、と思われるかもしれませんが、やっぱり変わり目は、ブログにあったと思うんですね。ブログが一般化して、時代は変わった。そう思います。

 以前からあった2ちゃんねると個人サイトではなく、ブログ。その意味するところは、独立した個の発信が簡単になったという、その1点。それぞれの独立した個が、発信する個に変わったということ。個の発信が特権ではなくなったということ。

 このことは、小さなことのように見えて、とてつもなく大きなことだったのだろうと思うんですね。このことは、ブログをやっているやっていないに関わらず、社会が、簡単に個が発信できるシステムを構築した、ということです。今から思えば、この社会システムの変化は、相当なものだったのだと思うのです。

 小さくあれ。具体的であれ。積み重ねろ。

 その支持のプロセスの変化は、ブログをやっている人は実感できると思います。そういうことからでしか支持は生まれない、そんな時代であることは、ブログをやっていれば、体感できるはず。その意味合いにおいては、twitterはミニブログという位置付けができるし、Facebookはフレキシブルで高機能なブログとも言えます。

 ブログがはじまって10年。その社会の変化は、より確定的な変化として、インターネットの外の世界にも、よりわかりやすいカタチで現れてくるはずです。もちろん、小さな視点では、ブログがもたらしてきた変化への感受性は、ある閉じられたコミュニティにおける感受性である、とも言えなくはないないですし、その強い感受性とこれまでのやり方との間に葛藤がないと言えば嘘になりますが、でも、どちらに賭けるかと問われれば、やはり、変化に賭けるしかないだろう、と私は思います。

 いろいろ悩みは多いとは思うけれど、時代は、「小さな肯定、小さな支持」を積み重ねる時代へと、より激しく動き始めるはず。今、あらためて、そう思います。

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コメント

>小さくあれ。具体的であれ。積み重ねろ。
これは本当にそうかもね。なにしろ本来は「俺はこうするべきだと思う。でもお前にはできない。だからお前、俺と替われ」って言うべきなのに、最初の「こうするべき」を誰も言わないまま「不支持」とか「不信任」とか言うやつばっかなのには、正直みんなうんざりしていると思います。
具体的じゃなきゃね。
政党じゃなくて政策に投票するっていうシステムにならないのかな。具体的な活動ごとに担当する政党が違うという。政党なんか別にどこだっていいじゃん。って思いますね。

投稿: denkihanabi | 2011年6月 3日 (金) 23:30

ヱニスと申します。エントリ拝読しました。
このWebの時代に個人がある地点に立ち続けることは、時として非常に難しいと思います。ブログに限らずネット上の発信の場って手軽な方向へと普及した一方、嫌なときや面倒なときも結構あって、すぐ投げ出す事が出来るんですもの。特に煙の立ちやすい事柄を扱うときには。
なので池本様のブログに対する在り方と立ち位置に尊敬の念を抱かずにはいられないです(そういうスタンスで活動している方々が他にも少なからずいることは存じてます)。
尊敬なんて書くとせっかくの場が対等でなくなってしまうし、感じたり考えさせられた事は色々あるのですが、平素な文章で表現することがなかなか難しいので……とりあえず、このエントリに小さな支持を込めて。

投稿: ヱニス | 2011年6月 4日 (土) 11:31

>denkihanabiさん

今回の不信任案提出のもろもろについては、もうひとつ不愉快な感じもあるんですよね。なんというか、小学校のいじめなんかに近いメンタリティ。具体性のなさ、代案のない否認なんかは、まさにいじめそのものな感じがして、なんだかなあと思ってしまいます。
“実際、「リーダーシップがない」などという抽象的な批判ばかりが横行しているのは、今のところ菅政権に、これといった重大な失策がないことを証明しているにすぎない。”
http://d.hatena.ne.jp/dongfang99/20110531
原発の対応を含めた一連の流れを見るに、私はこのブログの方の感想にわりと近いです。今、やめる時期がいつか、とか話してるのを見て、ほんとうんざりです。

>ヱニスさん

“嫌なときや面倒なときも結構あって、すぐ投げ出す事が出来るんですもの。特に煙の立ちやすい事柄を扱うときには。”
これは、ほんとにそうですねえ。でも、考えてみると、書く書かないも本人の自由意志にゆだねられるのも、ブログをはじめとする個人メディアのいいところかもしれません。自分のペースで発信できるのは個人メディアのよさだと思います。
震災があって、やがて原発のことが自分の中で顕在化してきて、私もなかなか気軽には書けない気持ちになってきて、正直、逃げることもできるし、問題が自分の能力の範囲を超えてしまっている気もするけれど、広告論を含めて、今まで私が気分よく書いてきたものは、そことつながるものだと思っているので、やっぱり書かないという選択はできないなあ、私の場合はそのあたりの問題と切り離しては考えてこなかったしなあ、そんな感じです。
でも、まだなかなか気軽には書けないんですけどね、だけど、書けないことも含めて受け止めてくれる、このブログという場があるのは、私にとってはよかったなあと思っています。

投稿: mb101bold | 2011年6月 5日 (日) 15:17

はじめまして。
ひょんなところから(中江有里さんを検索していて)、こちらのブログにやってきました。
数行読み、目を倍に開き、次から次へと読み進めていきました。
「個が発信する特権」を最大限に感じる「個」のブログだと思いました。多くの一般の人の考え方・在るべき姿が、これだと思います。
私の「読んでいるブログ」に載せさせていただきます。今後とも、宜しくお願いします。

投稿: かよ湖 | 2011年6月 6日 (月) 23:35

どうぞよろしくお願いします。

投稿: mb101bold | 2011年6月 7日 (火) 23:31

共感しました。
いつも思うのですが、なんとなく僕がぼやぼやと思ってることをここに来たら、バシッと明文化されているので驚きます。ツイッターでも共感する部分が多いです。基本的スタンスが似ているのでしょうか。
おっと、生意気な感想、失礼しました。

投稿: KOORI | 2011年6月14日 (火) 12:51

これまでは、過渡期だなあという感覚でしたが、あっ、もう入ったな、という感覚が今はありますね。

投稿: mb101bold | 2011年6月14日 (火) 17:08

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