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2012年1月 5日 (木)

「ええがな、ええがな、やれ!やれ!」

 NHKの連続テレビ小説『カーネーション』で印象的なシーンがありました。終戦直後の大阪・岸和田。戦争中に禁じられた「だんじり」ですが、戦争が終わってもまだ禁じられたままでした。

 岸和田の人たちは、大げさな話ではなく命の次に「だんじり」が大好き。私は、岸和田市に近い高石市にある高校に通っていたので、よくわかります。私立高校で規則が厳しい学校でしたが、その学校で生徒指導をしていた体育の先生が岸和田市出身でした。普段はどんなことがあっても学校を休まない人でした。けれども、毎年「だんじり祭」が近づくとそわそわしだして時々休みをとるようになります。それは、毎年のことで、その先生が休むようになると、生徒たちは、ああ、そうか、そろそろ「だんじり」の季節かあ、となるんですよね。

 戦争が終わって、警察からは「だんじり」はまだやるなとお達しが出ているものの、岸和田の人たちはいてもたってもいられず、納屋に眠る「だんじり」の前に集まります。その中に、ヒロインである糸子と、その娘の直子。まだ小さな直子は、男たちがひく「だんじり」をひきたくてたまりません。でも、岸和田の「だんじり」に使われているケヤキには女神がやどっているとされ、それまでは女性がひくことはできませんでした。

 「だんじりひきたいねん!」
 「女の子やろ。あかん。」
 「いやや、ひきたい!」
 「あかんて!がまんしなさい!」

 すると、久しぶりに「だんじり」をひくよろこびに満ちた男たちがから、こんな声がかかります。

 「ええがな、ええがな。ひけ!ひけ!」

 大人の男たちにまじって、つなを握る直子。あこがれの「だんじり」をひけて、とてもうれしそうな顔をします。それを見て「えっ、あっ、ほんまにええの?」といった戸惑う表情を見せる糸子。文字に起こしてみると、これだけのシーンですが、戦争が終わって、女性が社会にどんどん出ていく時代がはじまる瞬間を見事にとらえていました。

 このシーンを見て、私が新人の頃を思い出しました。今考えると、大学が出たばかりの駆け出しのプランナーに、よくあんなことをまかせてくれていたなあ、と思うことがあります。ビル開発や日本酒の新商品開発の仕事とか。はじまりは、いつもこんな感じでした。

 「それ、おもしろそうですねえ。」
 「そうか。おもしろそうか。やってみるか。」
 「え、いいんですか。」
 「ええがな、ええがな。やれ!やれ!」

 日本酒の企画では、調子に乗って企画を勝手に考えて企画書にしていました。その企画を当時のチーフデザイナーに見せると、じゃ、持って行こう、とお得意とつないでくれたりもしました。そのお得意の担当の方にプレゼンすると、いつもこてんぱんにやられてしまいしまたが、その方は、帰り際にこう言ってくれました。

 「また考えたら、持ってきて。おもろかったわ。」

 プランナーをやっていたとき、隣の部署のコピーライターの先輩に同じように言うと、

 「書いてみるか?」
 「いいんですか。でも‥‥」
 「ええがな、ええがな。書け!書け!」

 思えば、あの一言がなかったら、きっと私は、今、広告の仕事をやってなかったし、「ある広告人の告白」なんてブログも書いてなかったりするんでしょうね。

 人生が動いたり、時代が動いたり、そんな瞬間って、そんな大人たちの「ええがな、やれ!やれ!」があるんでしょうね。その「ええがな、やれ!やれ!」の言葉の裏には、なんかあったら責任とったるから、ということもあるでしょうし、この「ええがな。」という言葉はいいもんだなあ、と思いました。

 もちろん、20年前といえども今とは時代が違うし、社会も、経済も、業界も、今よりももっともっと信じられていたけれども、こういう大人であることのよい部分も忘れてはいけないなあ、と思います。昨日からか今日からかに仕事はじめの方も多いですし、最後にこの言葉を送ります。自分に向けてでもありますし、若い方へのエールの言葉としても、ね。

 「ええがな、ええがな。やれ!やれ!」

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コメント

あけましておめでとうございます。

私事ですが、実は一年ちょっと前に携帯持ったばかりで、実際、たいして使ってないのですが(事情があって持っただけ)ただパソコンも持って無いので、携帯の検索でいろいろ調べたいなと思っていて。でも、電話としてもろくに使ってないのに、何か調べると金額がいってしまうのがイヤで・・ケチくさい話しですいません。
12月は、ちょっと調べなければならない事があって、使うと決めていたので、それで今まで調べたいと思っていた事をいろいろ調べていました。
それで、「銀河・・」を調べて、ここに来てしまいました。
そして12月も終わりという事で・・本当はもう何もしないつもりでしたが、こちらに来て正直ちょっと面白かったので、気になって見てみたら、またブログをはじめられたと・・。面白いと言うのは失礼?かもしれませんが、面白いと思います。
いつまで見れるか分かりませんが、しばらくは、ちょこちょこ見てると思います。困ったな・・。
それでは、良い年にして下さい!
また長くなってすいません。

投稿: オリーヴ | 2012年1月 7日 (土) 00:55

ぼちぼちとマイペースでなにかしら書いてますので、ちょくちょくとマイペースで、困らない程度にまたどうぞ(笑)よい年にしましょう。どうぞよろしくお願いします。

投稿: mb101bold | 2012年1月 7日 (土) 15:33

最近、気のなってるのが、「責任追及」
って事なんです、事故が起きる、すると
原因の究明と再発防止の前に、犯人探し
と責任追及が始まる。
その結果、上司が部下に「やりなはれ」
で自由にやらせ、何かあったら、責任を
被るってのが、恐くて出来なくなっ
ちゃう。
我が国に昔から有った、責任は個人で
何か有ったら切腹して詫びるってのが、
拡大解釈され、普遍化され要求されて
いる見たい。

交通事故に関して、海難だったら、
海上保安庁と海難審判、鉄道と航空機
の場合は、鉄道航空事故調査委員会、
この辺の組織が、原因の究明と再発防止
に動く筈なんだけど、先に警察が動いて
証拠と関係者の拘束をしたりする。
原因の究明より犯人、責任者探しが
優先されちゃう。

こんな風潮が、「ええがな。やれ!やれ!」
の精神を阻害して閉塞感を生み出してる。
最近、こんな事を考えています。

投稿: ををつか(をたくな講師) | 2012年1月10日 (火) 10:24

日本社会固有の問題でもありそうですが、『カーネーション』の話になぞらえて考えると、今の社会が精神構造的に「戦時的」になっているからかも、と思うことがあります。あの話でも、戦争が終わって、社会や未来に希望が持てるようになったときに「ええがな!」が出てきましたよね。

>我が国に昔から有った、責任は個人で
>何か有ったら切腹して詫びる

この切腹も要するに武士の流儀ですよね。要するに「戦時」の流儀。戦争のときって、相手をやらないと滅ぼされるかもしれないという前提を持つ集団の中の個人ですから、集団の統一性を過剰に維持しようとするあまり個々の結びつきが過剰に強くなりますよね。で、集団の中に問題がある場合、いわゆる第三項排除が働き、集団が崩壊することを避けようとします。それが、過剰な責任追及の根源ではないかなと思ったりします。

これはいじめとかスケープゴードの定義を参照すると、すごく納得がいくんです。内藤朝雄さん曰く、集団にとってのいじめとは「人間関係が濃厚すぎる集団内において生じる欠如を埋めようとする偽りの全能感」であり、また、これは内藤さんの定義ではなく一般的な定義ですが、スケープゴードとは「集団自体が抱える問題が集団内の個人に身代わりとして押しつけられ、結果として根本的な解決が先延ばしにされること」です。

このブログでも何度か言っているのですが、震災後、少し怖いのは、ひとつになることが肯定されすぎるあまり、社会が全体主義について甘くなるとこなんです。それは、日本社会が全体主義的になってしまうというよりも、中間集団、小集団に全体主義的な傾向が強まることのほうが怖いなあと思ったりしています。

投稿: mb101bold | 2012年1月10日 (火) 23:19

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