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2012年1月16日 (月)

ドラえもん、なんとかしてやってくれ。

 前回の書評エントリーでご紹介した『さいごの色街 飛田』の中で、著者であるフリーライターの井上理津子さんが飛田の菩提寺に取材をしたときのエピソードがありました。そのエピソード自体にそれほど重い意味もないし、本の主題とはまったく違うけれど、そのエピソードを新幹線の中で読んだときに、なぜか親鸞のことが前より少しだけわかった気になったんですね。自分としては、あっ、そうか、という感じ。新鮮でした。今回はそのことについて書きます。

 とは言っても、この本と親鸞はまったく関係ありませんし、このことを書こうと思ったのは、たまたま、twitterのタイムラインで親鸞関連のことが多かったというこだけなんですけどね。私は親鸞にも仏教にも詳しくはないので、間違っているところもあるかもしれませんが、そのあたりは、日々の考えることを書き記す、ライフログとしてのブログの気軽さで、ということでお読みいただければと思います。それと、タイトルは釣りじゃないけど本文にはあまり関係がありませんのであしからず。最後にわかるようになってます。お時間のある方は、最後までおつきあいくださいませ。

 エピソードはこんな感じです。

 飛田は江戸時代からある遊郭ではなく、大正時代に難波新地の焼失の代替地として誕生した、当時としては新興の遊郭で、そのためかどうかは書籍では触れられていませんでしたが、なぜか付近に飛田の人たちのための寺院や神社がありません。普通、遊郭にはあるんです。

 関心を持った井上さんは、飛田の料理組合の方々に取材をします。そこで、大阪から離れた場所に飛田で暮らす人たちの菩提寺があるという話を聞き、組合員がバスでお参りに出かけてお布施をしたという資料を見せてもらいます。そこで、そのお寺さんに取材すると、私たちは飛田とは何ら関係ありませんと答えるばかりだったそうです。

 私は、言おう言わまいか迷っていた、お坊さんの冷たい対応について話し、「お寺というのは本来オープンなところのはずなのに、招かれざる客だったとしても、あの対応はないと思う」とも言った。一緒に憤慨してくれるだろうと思っていたのだが、少し間をおいてから、
「気持ちは分かるけど、まあ、そういうこともあるやろ」
 と言った。表情をぴくりとも動かさず、淡々とした口調だった。最初、私は少し拍子抜けしたのだがやや切なくなってきた。

 たぶん、仏教というかお寺さんが必要とされるのは、それほど信仰の厚くない多くの人にとっては人が死んだときなのだと思います。もちろん、生きていくなかでの支えとして信仰するという役割もあるでしょうけれど、多くの人にとって生活でお寺さんが強く意識されてくるのは、死者をどう弔うか、生きていく人たちが死者とどう向き合うか、という中でのことだでしょう。

 親鸞が生きた鎌倉時代は、武家の世の中になったばかりの乱世でした。その中で、人を救済するためにある仏教が、人を選んでしまうことも多かったでしょう。今でさえこうなのですから。あいつの葬式はできない、お墓はつくれないなんてこともたくさんあったのだと思います。それに、今よりも、もっともっと生と死はひと続きだったとも思いますし、庶民としての「まあ、そういうこともあるだろう」という諦観もあるだろうけど、終末思想に染まる世の中、不安だったのだろうと思います。

 仏教は、その体系にどこかエリート主義的なものがあります。ブッダも出自は貴族でしたし。もともとは、いかに自分が悟りを開くか、つまり、自分の魂を救済するかのための体系で、だからこそ高度な教典と修行が仏教にはあるんですよね。仏教の場合、まずは自分を救済して、悟りを開き、そして、民衆を救済するという順序です。親鸞も、知の最高峰である比叡山で修行した仏教エリートのひとりです。

 そんなエリートの親鸞は、こう思ったのではないかなあ、と思ったんですんね。なんか、あっ、そうか、と思った時、頭の中で親鸞が現代語で話していたので、ちょっと失礼かなと思いつつそのまま書きますね。

 *    *

 多くのお寺さんから見放されてしまった人は、日々の信仰もそんなに厚くない。仮に、見放されなかったとしても、そんなに信仰の厚くない人には、多くのお寺さんは冷たかったりする。でも、それっておかしいことなんじゃないか。阿弥陀は救いたい人は、むしろそういう人だったりもすると思うし、日々信仰が厚く善行を積んでいる人は、むしろ阿弥陀の救いをあまり必要としないはずではないか。

 でも、いつのまにか、念仏の唱え方、修行の仕方、善行の積み方、お布施の多い少ないによって、阿弥陀救われ度ランキングみたいなものができてしまっている。それって、すごくおかしいことだよね。そんなのじゃ、救いの意味がないし、仏教の意味がないよね。阿弥陀って、そんなことを思っているわけないと思う。

 *    *

 現世、そして来世における自己の救済という仏教のメインストリームから親鸞の考え方を見た時、その論理はかなりアクロバティックな飛躍を含んだものになるし、今伝わる親鸞の考え方は、かなりの部分が弟子が体系化したもなので、なおさら難解です。しかし、身も蓋もないけれど、自分が死んだらどうなるんだろ、地獄に堕ちるのかな、ちゃんとお葬式があって、お墓が建つのかな、という生活の機能としての仏教の目線で考えると、親鸞がわかりやすくなるように思いました。

善人なおもて往生す、いわんや悪人をや

 つまり、「大丈夫ですよ。阿弥陀様は私もあなたも、そこのあなたも、みんな含めて救済してくださいます。安心してください。阿弥陀様にとっては、自力でも極楽に行ける善人なんかより、阿弥陀様の助けがなくては極楽に行けない悪人のほうが大仕事の救いなのだから、仮にあなたが悪人だとしても、阿弥陀様はなおさらすすんで救済してくださるはずです。念仏だって、お布施だって、大きな声では言えないけれど、本当は関係ないんです。阿弥陀様はそんなに小さい方じゃありません。当たり前じゃないですか。」ということなのでしょう。

 これもひとつの物語にすぎませんし、その親鸞理解はもしかすると浅い、間違っている、ということなのかもしれませんが、これまでの生活の機能としての仏教を根本的に否定し、かつ、その否定によって仏教の本質に迫ろうとした親鸞の考え方のベースには、こういうことがあったように思えたのです。そして、こういう流れであれば、私にもわかる気がします。親鸞がこう言ってくれるのは、きっと当時の民衆にとってはうれしかったことでしょう。

 ただ、この時代が要請した考え方は、当然、現世での善悪を他力によって否定することにもなります。その考え方は、単に救済における善悪の否定ではありますが、結果として、悪のほうが救われる契機は高いという結論を導き出せるし、また、他力を突き詰めると、論理的な帰結として絶対他力による悪を肯定することにもなり得ます。つまり、仏教の原初とは別のかたちで、危険な部分も含めた仏教という思想の本質的な部分に触れることにもなるんですね。そこに、親鸞の怖さというものがあるのだろうなあ、と思います。弟子たちが親鸞の思想を書き記した『歎異抄』が江戸中期まで秘密にされてきたのもなんとなくわかる気がします。

 でも、もともとの考え方のベースはこんな感じに日常に根ざしていたのではないかなあ、とも思ったりしています。考えてみると、この私の気づきは浄土真宗の信者の方の理解に近いのかもなあ。私の場合、信仰ではなく、書物から入っているから、こういうことになってしまうんでしょうねえ。どちらかというと、私にとって親鸞は思想家のイメージなんです。

 そういえば、昨日、宗教学者の島田裕巳さんのツイートにこんなのがありました。

親鸞に会いたい。ドラえもん、なんとかしてくれ。

 ああ、なんとなくわかります。弟子から見た親鸞だけではなく、あの時代、親鸞はどんな人だったのか、当時の人々からどんなふうに思われていたのか、私もすごく知りたいです。私は親鸞に会っても何も話せそうになさそうなので、このツイートでの願い通り島田さんに会ってもらって、島田さんから、親鸞はこんなこと言ってたよとか、こんなふうに思われていたよとかたっぷり聞いてみたいです。

 ドラえもん、なんとかしてやってくれ。

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