オフコース・カンパニー
杉田二郎さんのオフィスであるサブミュージックから独立して、オフコースは個人事務所をつくります。名前は、オフコース・カンパニー。1976年8月1日、今から35年も前のことです。
場所は、東京の神宮前。公団住宅の奥にある小さな公園の前にあるアパート。その頃は、まだオフコースはあまり売れてなくて、学園祭を回ったり、CMの歌を歌ったりしていたそうです。
もうそこにはオフコースはいないけれど、あの公団住宅も、あの小さな公園も、あの建物もまだあります。
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コメント
写真アップありがとうございます
今何度目かのオフコースブームが来ているので、嬉しいです
こんなとこだったんですね…
投稿: pamela | 2012年6月11日 (月) 00:26
このアパートには山下達郎さんのオフィスもあったそうです。大通りからはずれてますので、緑が多くてとても静かでいいところですよ。
投稿: mb101bold | 2012年6月12日 (火) 01:09
今夏のオフコースと小田和正ブームが自分の中でおさまらず、古本を手に彼らの歴史を遡っています。
「はじめの一歩」、「フェアウェイ」、「Three and Two」…
どれも中学時代以来の再読です。
オフコースの二人は、音楽で聴衆の手ごたえを感じてから早いうちにオフコース・カンパニーを立ち上げたのですね。
絶対にサラリーマンになりたくなかったのでしょうか(笑)
まず目についたのは、
この時点で、ヤスさんが共同代表にならなかった事。
同時に、一人代表になった小田さんが、常に経営者としての視点を欠くことができなくなった事。
そして二人の性質。三人との関わり。
「さよなら」前夜の彼らのビジョン・・・など
ヤスさんの脱退は即ちオフコースの崩壊だった。グループ名の所以からしても。
信念を曲げず、真摯に大切に育てたオフコースが結局は終わってしまったことが、一ファンとして今まで以上に哀しく切ないです。
随分前の本なのに示唆に富んでいました。
小田さんもヤスさんも、現在も変わりなく「頑固に」当時からの姿勢を貫いているからなのでしょうけれど。
二人とも頑張ってるなあ。
現在の自分は、中学生時より、彼らを(勝手に)うんと身近に感じています。
ただ、身近に感じる分、近年小田和正の肩にかかる荷が重量を増しているようにみえ、天に彼のご加護を祈りたくなる時があります。
大きな才能と特別な声を与えられた者には、相応の荷が伴うということでしょうか。
最新の内向するメディアの記事も興味深いです。
SNS登場時から、一部で
www(world wide web)時代の終焉か、と言われていました。
また、アプリを自分で選択しインストールすること自体、wideに対する内向の一部なのではないか、とも。
「マスコミ」に関しては・・・思うところが多々ありますが、その存在が揺れているように感じます。
投稿: mako | 2014年9月17日 (水) 12:11