捨てる決断
iPod Touchを紛失しました。ジャケットの胸ポケットに入れていて、ジャケットを脱いで椅子の背にかけたときに落としたのだと思います。その後、残念ながらiPod Touchは出てきませんでした。8Gなので、16,800円。ちょっと痛い。でも、思ったよりも落胆はなく、そのことに自分ごとながら少し驚いています。
パスコードをかけているので、まあ第三者に使われることもないでしょうし、フラッシュメモリに記録されている写真データなんかもiCloudを通してMacBookに保存されているし、iPod Touchだけに保存されている情報も特になく、あえていえば、ちょっと退屈だなあ、とか、メールとかtwitterとか、いろんなものが外でもサクサク見られたのに、それができなくなっちゃったなあ、ということくらい。まあ、今までなかったものだし、それ以外は特に不自由もありません。
逆に、主に自宅で使っているMacBookや、出先で使っているMacBook Airが盗難されたり紛失したりしたら大変なことになっていただろうな、と思います。クラウドサービスを使い出してから、紛失・盗難時の衝撃度は低くなったものの、それでも大切な情報をたくさん保存していますし、なによりも、毎日のいろいろな活動に支障がでてしまいます。ブログだって書けませんし、コピーも企画書もつくれなくなってしまいます。それでも私のベースは言葉だから、紙とペンがあればなんとかなりますが、アートベースや映像ベースの人は、もっと大変でしょうね。また、営業や経理の方なんかは、もう目も当てられない状況になるかもしれません。
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個人にとってのコンピュータが、クリエイションツールとビューアに二極化しているということを、今回の紛失であらためて実感しました。ちょっと前までは、個人にとってのコンピュータはクリエイションツールとビューアが一緒になったものでした。あえて言えば、そのつくれる、見られるコンピュータを、少し性能を犠牲にして外に持ち出せるようにしたモバイルというジャンルがもうひとつあったというくらいのものでした。
もちろん、iPhone、iPod Touch、iPadでもクリエイション用途に使えなくはありませんし、Mac Bookはビューアとしても、もちろん使えます。しかし、普通の人たちがクリエイションのためのコンピュータと、もっぱらコンテンツを楽しむためにつくられたビューアとしてのコンピュータを当たり前のように使い分けている今の状況は、少し前の個人向けコンピュータの常識からは考えられない状況なのではないでしょうか。
この状況をつくったのは、まぎれもなくAppleだと私は思っています。それも、かなり意識的に。そして、相当大きなリスクをとって。たぶん、今、私たちが当たり前のようにiPhoneやAndroidなどのスマートフォンを使っている状況は、Appleがそのイメージを持ち、その実現のためにリスクをとっていなければなかったものだと思います。私は、iPhoneが登場するかなり前から、Windows CEのスマートフォンを使ってきましたが、残念ながら、Microsoftには、クリエイションツールとビューアの二極化という未来のイメージを持っていなかったように感じます。持っていたのは、クリエイションもビューアもできるコンピュータを外に持ち出せるというモバイルというイメージだけです。
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1998年に、AppleはiMacを世に送り出しました。キャンディーカラーのディスプレイ一体型のコンシューマー向けパソコンです。そのカラフルな筐体は、「これからのパーソナルコンピュータは、生活の一部として、もっと日常に入ってくるよ」というメッセージを投げかけました(参照)。そして、そのメッセージは世界中で受け入れられました。
その1年後、iMacのノートブックバージョンであるiBookが登場します。iMacと同様のキャンディカラー、貝殻をモチーフにしたポップな筐体をまとったiBookは大ヒットしました。
しかし、たぶん、そのときのAppleには、まだクリエイションツールとビューアの二極化という未来のイメージはなかったのだろうと思います。そこにあるのは、まぎれもなくモバイルというイメージです。
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その頃のAppleのノートブックは、デスクトップのiMacとPower Mac同様、低価格のiBookとハイスペックで価格も高いPowerBookの二本立てでした。その戦略には、特筆するものはありません。多くのPCメーカーも同様の戦略を取っていましたし、コンシューマー向け、プロ向けという区分は、Appleの意志というより、デザインや映像でのニーズが高かった市場の要請によるものだろうと思います。
しかし、2006年、PowerBook、そして、iBookというブランド名をAppleはあっさり捨ててしまうのですね。動機としては、CPUがPowerPCからIntelに変わったことなんだろうと思います。そこにはいろいろあったはずで、Powerという名称をもう使いたくないという気分もあったのでしょうし、CPUが変わるタイミングでブランド名を変更することでブランドのリバイタル、リフレッシュを図る意図もあったのでしょう。
PowerBookはMacBook Proに、その流れで、iBookはMacBookになりました。
これは、Appleが公式に言っていることでもないし、単なる私の憶測に過ぎないことですが、この前後で、クリエイションツールとビューアの二極化という未来のイメージができたのではないかと思います。結果的になのか、それとも、かなり意識的にかはわかりませんが、iBookという資産価値の高いネーミングを捨て、ノートブックから、仕事ではなく、プライベートを含めた“私”を意味する「i」を切り離したことで、ノートブックに変わる、別の「i」をつくるという動機をAppleは得ることになったのでしょう。
それは、iPodであり、iPhoneであり、iPadであり、これから登場するであろうiTVのことです。
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現在のAppleの製品ラインナップは、そのどちらの系列もあわせもつ、コアの製品であるiMacを中心として「Mac」系と「i」系に分かれています。「Mac」系はクリエイションツール、「i」系はビューアとしての位置付けになっていることがはっきりとわかるラインナップです。ウェブサイトを見ても何の説明もされてはいませんが、こうして製品を整理して並べるだけで、あきらかに意識はしていることがわかると思います。
歴史にもしもはないと言いますが、もし、今もiBookというブランドが残っていたとすれば、iPod、iPhone、そして、何よりもiPadという製品があそこまで明快にビューアとしての機能に振り切れたかどうか疑問です。きっと、かつてのWindowsタブレットのように、クリエイションツールの機能への未練から、どっちつかずの単なるモバイルになってしまっていたような気がするんですね。上の図のMacBookをiBookに置き換えた図を想像してみてください。今、Appleの製品群から感じられるメッセージは、もうそこにはなくなっているはずです。
コンシューマーという芳醇な市場を持ち、そのコンシューマーをイメージさせるiBookというブランドを捨てる決断があったからこその、Appleの今なんだろうと思うのです。ネーミングというものの重さを感じます。この、マーケティングの見本というか、最先端のマーケティングの教科書のように、高度な戦略に基づき美しく整理されたブランドラインナップは、いかに捨てる決断というものが重要かということを見せつけられる思いがします。
そして、これは、本題とは少し離れたものですが、もうひとつ。
なぜか、映像コンテンツのセットトップボックスが「i」でもなく「Mac」でもない、AppleTVなんですよね。これは、もともとiTVというコードネームで開発が進んでいたものだそうですが、発売されたときにはAppleTVに変更になりました。そして、これから登場するであろうビューア、つまりテレビは、iTVになる予定です。なるほどねえ。やっぱりなあ。少し前に流れたニュースを見ながら、そんな感想を持ちました。
で、この小さなセットボックスに、Appleは、社名であるAppleの名を冠してきたんですよね。というからには、たぶん、このAppleTVは、このセットボックスがきっとそのブランドの実体ではないはずです。そうか。最終的には業界を含めたテレビそのものを制する気なのだな、すごいことを考えるなあ、でもそこは今までみたいにうまくいくかなあ、なんて思うのですが、いかがでしょうか。
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捨てる決断は大事と書きましたが、私はiPod Touchを捨てることはできなさそうです。なんか、同じ物を二回も買うのは釈然とはしないけど、やっぱり一度使うと便利だしなあ。Appleにやられっぱなしというのは、ちょっとおもしろくない気もするけれど、また近々購入することになりそうです。
16,800円×2。締めて、33,600円。ああ、もう、なんだかなあ、ですねえ。
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