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2012年2月 6日 (月)

インターネットをもっと怖がろう

 ブログをはじめたての頃、投稿ボタンを押すのがすごく怖かったんです。

 誰でも閲覧できる場所に自分が書いたものを投げ出すわけですから。はじめて投稿ボタンを押した時はすごく緊張しました。でもまあ、投稿ボタンを押してすぐに、名もなきブログのエントリをひとつ公開したくらいでは誰も見てはくれない、なんてこともわかるんですけどね。

 あの頃はまだユーザーの多くに、インターネットはオープンな空間であるという共通認識はあったと思います。無断リンク禁止みたいなことで、特定のブログコミュニティとの揉めごとはあったけれど、オープンであるがゆえの怖さみたいな感覚は、ほとんどの人が持ち合わせていたような気がするんですね。

 批判したら反論される。オープンな空間なんだから当たり前の話で、このブログでも過去に何かや誰かを批判する内容のものもありますが、それなりに覚悟を持って、怖い気持ちを乗り越えながら投稿ボタンを押したりしていたわけです。でも、それが表現するってことですよね。

 たくさんの投稿を重ねた今も、その怖さはやっぱりあります。ご批判を受けて、自ら反論をしたこともありますし、論が甘くて、浅くて、そのうえ間違ったことを書いて、専門家の方からご指摘を受けて、どう屁理屈こねても駄目だなと思って白旗を上げたことだってあります。

 2ちゃんねるなどでの誹謗中傷が問題になることがありますよね。それは、ほんと問題だとは思いますが、それでも、名無しを保持するシステムや名無しであることを維持するコメント主の意志は、やっぱり、インターネットはオープンな空間であるという認識に根ざしていると思うんです。つまり、そこにはオープンな空間に対しての自己防衛の意図があります。

 最近、ちょっと気になること。

 TwitterやFacebookといったソーシャルメディアが登場して、インターネットがオープンな空間であるという認識が少し薄くなって来ているんじゃないかな、と思うことがあります。過剰に意識する必要はないけれど、それにしてもなあ、という気がします。最近、Twitterとかで起きているいつくかの誹謗中傷問題を見て、ちょっと今までとは質的に違うものを感じています。

 システム的に言えば、自ら設定をしない限り、TwitterもFacebookもオープンなインターネットの中に何の囲いもなくあるんですよね。フォローしなくても、友達にならなくても、設定をしない限りは、誰でも全部閲覧できます。なんとなく知った仲間とのプライベート空間のように思えるのは、インターフェイスがそう見せているだけです。インターネットに公開されるブログエントリと何ら変わりはありません。

 mixiでさえ、その気になればオープンになってしまうこともあるんだし、それこそTwitterは、少し前、まだ競合サービスがひしめいていた頃はミニブログと呼ばれていたんですから。

 確かに、あのタイムラインのインターフェイスをずっと眺めていると、ある種の無敵感覚というか、自分が今置かれている環境をまったく考えに入れないゆるい意識になるのはわからないでもないけれど、それは、基本的に間違っているし、これからインターネットがどのように発展したとしても、そういう感覚が許容されることはないと思うんですね。システム的ににありえないたぐいのものですから。

 とは言え、私もそうしたインターフェイスの罠にはまってしまっていて、TwitterやFacebookで無敵に振る舞う人をタイムラインなんかでは見たことがなかったんですよね。だから、そういう人はいないことになってしまっていて、あまりこの問題について考えてはこなかったのは不覚でした。でも、今のソーシャルメディアの環境を考えると、それは必然ですね。

 インターネットがオープンな空間であるという認識が薄くなってきているのは、よくないなあと思います。現実は、どう思おうが、どこまでいってもオープンな空間なわけですし、そういう環境なんだしわからないでもない、で済まされない気がするんですよね。分かってやっていて、それなりの武装もしているのならともかく、そういう人って、タイムラインを見ると普通の社会人だったりして、余計に根が深そうだし、結果は悲惨になりそう。

 私なんか、これだけ書いて来たのに、投稿するときにはいまだにいろいろ考えますもの。インターネットをもっと怖がろう。いろんな事例を見るにつけ、あえてそれくらい言ってもいいのではと思い出してきました。

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コメント

「恐がろう」は判りますが、その前に
「仕組みを理解しよう」理解した上で
「正しく恐がろう」といって欲しいで
す。人は火を手に入れた時から、恐い
物を飼いならすノウハウやつき合い方
を学んで来たわけです。もう何万年も
点き合ってる「火」だって、ちゃんと
恐がらないと、火傷したり火事に成っ
たりしちゃうわけですからね。

インターネットも原子力もその他もろ
もろの我々が生み出してきた道具は、
危険性を孕んでいるものが多数ある、
でも便利、なら、ちゃんと理解して
使いこなす努力をして、危ない部分
は、ちゃんと理解して恐がりましょ
う。
こういう啓蒙主義的なのはダメ?

投稿: ををつか(をたくな講師) | 2012年2月 6日 (月) 08:57

いえいえ、いいと思います。

投稿: mb101bold | 2012年2月 6日 (月) 09:10

ネット(の怖さ)を教える前に現実を教える方が先なのかもしれません。
現実がネットの一番の手本である、と思うのですが
そう思うのは私が夢見過ぎなせいでしょうか。

投稿: | 2012年2月 9日 (木) 15:42

新しいコメントをいただいたので、今回のエントリを書くにあたっての、自分の中でのきっかけについて書いておきたいと思います。なんか、書きたいと思いましたので。そして、同時にエントリのかたちでは書きたくないとも思ったりもしていますので、少し長いですが、コメント欄にて。

きっかけは、今の時点でこのエントリをお読みになっている方はわりとご存知だと思いますが、あるフリージャーナリストの方と広告代理店の社員の方々とのtwitter上でのトラブルでした。その広告代理店の方は、twitterではニックネームで活動されていました。このコメント欄では詳しくは書きませんが、ことの顛末は下記リンクをご覧ください。

http://togetter.com/li/253174

このトラブルは、わりとネットではありふれたトラブルなのであまり私からは言うことはありません。どちらの肩も持つつもりもないし、揶揄してばれて怒られて、「対談しよう」と持ちかけられて、「辞退」します、と。それだけの話です。あまり愉快な出来事ではありませんが、まあ、それでも定期的にネットでは起るありふれたことです。

でも、このトラブルでひとつだけ重要な出来事があったんですね。それは、そのジャーナリストさんが、twitterでは公表していない広告代理店の方々の実名や所属会社をfacebookなどで調べて明かしたこと。このことがこのエントリを書くきっかけになっています。

この後、Togetterにまとめられて、話題のトラブルになり、みんなが知ることになりました。そのあと、アカウントを閉じられた方もいらっしゃいました。実名を公表されたので、実社会にも影響するでしょう。しょうがないことだと思っていますが、少し残念でもあります。その中では、いつもツイートを見ているフォロー・フォロアーの関係の方もいらっしゃいました。その方は、いつもは決して揶揄や誹謗中傷を重ねる方ではありません。普通の社会人の方です。揶揄ツイートの代償はあまりにも大きかったと思います。その行為とはまったく釣り合わないくらいに。

いつもなら、これは匿名性の問題、つまり匿名って誹謗中傷言い放題だね、という問題として語られることなのですが、今回は私は違うと思いました。本人たちは、自分が匿名であるという意識はあまりなかったと思うんですね。この揶揄は、自分が匿名であるということからよりも、ソーシャルメディアの「インターフェイス」が意識に与える安心感による油断から来ているものだろうと思ったのです。このエントリにも書きましたが、まさに「インターフェイスの罠」があったように感じます。

一応補足的に触れておきますが、あるソーシャルメディア内で通している通名を、そのソーシャルメディアとは別のメディア、しかもクローズドの性格が高いメディアで公表している実名・所属会社を明かす行為については、いろいろ意見はあるとは思いますが、ネット上にある中間的なコミュニティである様々なソーシャルメディアがこれから発展していく上では、あまり好ましい行為とは言えないと私個人は思っています。

また、加えてtwitterというコミュニティについて言えば、こうしたトラブルを想定して、twitterは公式のメンション(返信)や公式のリツイートを推奨しているはずです。震災のときにもそうでしたよね。普段は別にいいんです。それが技術的に可能であるんだし、使うことに何の問題もない。本当に駄目であれば、サービスが技術的に不可能にすればいいだけだし。

でも、こういうトラブルになるケースでは、少なくともtwitterというソーシャルメディアの可能性を信じるのであれば、公式のやり方を尊重してほしかったなあ、と。もちろん、揶揄それ自体はほめられたものではない、というのがそもそもの前提ですが。

ただ、どのように感情を表明しようとご本人が決めることですし、私が想像する以上の誹謗中傷があったのかもしれない。それに、そのやり方は決して間違っているわけではないですし、今回のことで、よくやってくれた、当然だと思った方もたくさんいます。私がとやかく言う話ではないです。

でも、togetterにまとめられ、大きな話題になった今、これは言っておきたいとも少し思いました。ある意味で、人によっては爽快な出来事だったのでしょうが、溜飲を下げてばかりいる場合ではない気がちょっとしています。

その是非はともかく、そのことは法的には何の問題もありませんし、これからも十分にありうることです。今回は、facebookで実名と会社を公開されている人で、その関連性も高そうな方でしたが、そうでない方もたくさんいるし、その方々が今回のようなことになることもあり得ます。

それが、インターネットで、インターネットにあるメディアの特性でもあります。だから、インターネットを使う以上、このことはわかっていなきゃいけない。最近はSNSがユーザーにとってのインターネットですから、非常に閉じられているように思えます。まるで会社の「タバコ部屋」とか「お手洗い」、また気の合う仲間とくつろぐ「居酒屋」のように。

けれども、そこはオープンなインターネットなんです。何かのきっかけがなければ、なかなかインターネットのオープン性が身に降り掛かることはありませんが、それは、でもやっぱり、ちゃんとわかっているべきだと思うんですね。でも、これは、あくまで、twitterやfacebookといったSNSからネットでの表現活動に入った人に向けての話ではあるんですけどね。つまり、ネットでの活動が長いおっさんからネットのニューカマーさんへのメッセージなんですね。

普通にブログ書いたりしている人は、そんなことわかってるわい、という話だとも思いますし、自分のこととしてはとらえないだろうと思っております。でも、そういう方に、言いたいことを言っちゃいけないというメッセージにとらえられたとしたら、書いた本人としては本意ではありませんので、この機会にちゃんとお伝えしておきますね。

>現実がネットの一番の手本である

総論としては正しいけれど、各論としては少し異なるように思います。言ってみれば、対処の仕方、身の施しかたが違う。それよりもなによりも、ここで言うネットはユーザーにとって、表現の場なんですね。その特化の仕方も、生活の場である現実世界と少し違うところです。今回のことは、ちょっと現実では起りにくいですものね。

最後に私もちょっと夢見がちなことを。このトラブルがきっかけに、ネットの自由が萎縮しなければいいなあと思っています。だたでさえ、世界ではネットの自由が曲がり角に来ているときですし。そのあたり、みんなが思ったことを自由に書ける方向で、うまくバランスをとっていけたらなあ、と思っております。

コメントありがとうございました。おかげで、なんかちょっといい足りてないなあとぼんやり思っていたことを書くきっかけができました。

投稿: mb101bold | 2012年2月 9日 (木) 20:15

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