« 前を見る | トップページ | 本日より、はじめます。(追記あり) »

2012年7月30日 (月)

「復興ブログの終了について」を読んで考えたこと

 福島県いわき市小名浜に「アクアマリンふくしま」という水族館があります。福島県立で、正式名称は「ふくしま海洋科学館」といいます。ほんとよくできた水族館で、環境水族館と自らが名乗っている通り、海の生き物たちがどんな環境で生きているのかがとてもよくわかる水族館です。

 昨年の3月11日に起こった大震災で、このアクアマリンふくしまも被害を受けます。そして、原発事故。津波による浸水で9割の魚が死亡して、セイウチなどの怪獣たちも他の水族館に避難したりしました。この一連の危機的状況の中で生まれたのがブログ「アクアマリンふくしま復興日記」でした。ブログのスタートの日である2011年3月31日の記事にはこんなふうに書かれています。

アクアマリンふくしま震災復興ブログをはじめました!
津波の影響で電源、ネットワーク機器が壊滅的被害を受け、正式ホームページで情報発信が困難になりました。
そのため、このブログでアクアマリンふくしまの復興状況を皆様にお伝えしていきます。

これからどうぞよろしくお願いします!

復興ブログ始めました - アクアマリンふくしま復興日記

 このブログはたくさんのニュースにも取り上げられました。ご記憶の方も多いかと思います。私も報道で知ったひとりで、以来、このブログはよく読んでいました。再オープンの時は自分のことのようにうれしくて、常磐線に乗って見に行ったりもしました。家族連れやカップルの人たちが多くて、男ひとりで出かけた私はちょっと浮いてしまっていたように思いましたが、でもまあ、私自身も再開がうれしくてうきうきしていたのか、水族館の施設内部を10人ほどのグループになってガイドさんとともに巡るバックヤードツアーなるものにも参加したり(ちなみに、男ひとりで参加しているのは私だけでしたが、これ、おもしろかった。おすすめ。)もしました。

●    ●

 2012年7月23日、「アクアマリンふくしま復興日記」に「復興ブログの終了について」というエントリが投稿されました。このエントリは大変な話題になっています。以下、上記エントリからの引用です。

多くの読者様と共に歩んできた「アクアマリンふくしまの復興日記」をこれ以上汚されたくないと考えこのブログを終了する決断をしました。

特に今、私が取り組んでいる福島県を取り巻く原発問題について、今後、情報発信する際にこのような圧力がかかる可能性があるのであれば、現在の職を続けていくことは私には無理です。

ということで、私の机の上には今、明日、提出する予定の退職願が置かれています。

放射線の問題に対しては真摯な気持ちで取り組んでいきたいから…

職を賭して伝えなくてはいけないこともあります。

 そして、「例えば」と前書きされた上で、いわき湯本温泉の「復興ホタルプロジェクト」のことを挙げられています。「アクアマリンふくしまの復興日記」を運営する水族館職員の方(富原聖一さん)は、生物多様性の観点に加え「ホタルは0.5μSv/hの放射線を浴びると光らなくなる」という科学的に疑わしい説を主催者側が採用し、ホタルが光ることで安全性をアピールするという手法には問題があると、地元紙「いわき民報」に投稿して、そのことでプロジェクトの主催者の方から抗議を受けていたとのことです。

 ウェブでは、今回のこのエントリの論点として、「生物多様性」の問題及び「ホタルは0.5μSv/hの放射線を浴びると光らなくなる」という説の科学的妥当性についての反応が多いようです。しかし、富原さんはこうお書きになっています。

今回のプロジェクトが、ただ単にホタルの放流だけなら、再生産のできそうにない土地ですし黙認する事も可能でした。

なぜなら、過去に何度もこのようなホタルの放流事実があるからです。

今更…というわけです。

いずれ、この国内移入種の問題は法整備も含めて考えねばならないことですけどね。

 また、こうもお書きになっています。

仮に、ホタルの専門家の実験の内容、0.5μSv/h でホタルが光らなくなることが事実だった場合、それによって、いわき市が安全だと世間に伝わるかも知れませんが、普通に0.5μSv/h 以上ある場所が多くある、他の地域の方は今回のプロジェクトをどう思うのでしょうか?

自分たちはホタルも棲めないところに住んでるのかと思ってしまうのではないでしょうか。

0.5μSv/h 以上は危険だと福島県外の人々に捉えられませんでしょうか?

福島復興を促進するはずのプロジェクトが逆に風評被害を引き起こさないかと懸念を抱きます。

 ここからは文章を精読したうえでの推論ですが、富原さんの本意はやはり上記の「逆に風評被害を起こさないかという懸念」にあると思います。少なくとも、今回の職を辞してまで言わなければならなかったこととしては、圧倒的にこちらにウェイトがかかっていたのではないでしょうか。

●    ●

 今回の「アクアマリンふくしまの復興日記」の件は、こうして考えてみると、震災、原発事故から1年と少し経った日本の様々な状況を象徴する出来事ではなかったのかと私には思えます。そして、この件は、今を象徴する重要な様々な問題が複雑にからみあっている出来事のように思ったのです。その複雑なからみあいをほんの少しでも解きほぐすことができれば。そんな思いも私にはあります。

 それに、私自身がここ最近ずっと考え続けてきたテーマの大部分が、この出来事ひとつに含まれている気がしているので、すこし長くなりそうですが、できるだけ丁寧に書き綴っていきたいと思います。

 まずは問題を整理します。

1)メディアの問題

 この「アクアマリンふくしまの復興日記」は、震災と津波の被害で壊滅的な状況の中で、職員の方々の現場の判断で、Yahoo! JAPANというウェブサービスの無料ブログを利用することで生まれた、非常に個人の色合いが強い公式ブログであったということ、そして、そこに書かれた言葉もまた個人の色合いが非常に強いものであったということが前提としてあります。私は、震災発生時は今と同じように東京にいましたので実感としてではなく、想像として語るほかないのですが、きっと現場ではある種の無政府状態が生まれていたのだと思います。当時の一連のエントリを見ても、頼るものは自分たちしかない、自分たちがこの水族館を守るしかない、という気概を感じます。

 だからこそ、企業や団体の公式ブログとしてはたぐい稀な読者との絆を生み出しました。その語り口は、公式ブログのお手本と言ってもよいくらいものだったと思います。

 先に引用した言葉ですが、2012年7月23日のエントリにはこう書かれています。

多くの読者様と共に歩んできた「アクアマリンふくしまの復興日記」をこれ以上汚されたくないと考えこのブログを終了する決断をしました。

 富原さんがお書きになったこの言葉に偽りはないだろうと思います。このブログの1年半の歩みを自らの復興への歩みと重ね合わせて励まされてきた方も多かったのだろうとも思います。そして、読者の方々と一緒に、このブログは個人ブログ、公式ブログを含めても、日本で有数のウェブメディアになっていきました。それは、声がより多くの人に届く、つまり影響力が大きいメディアになった、ということを意味しています。

 このメディアを、県立の水族館のスタッフが個人の資格で書く「個人ブログ」であると捉えるのか、それとも県立の水族館が団体として運営する「公式ブログ」であると捉えるのかで今回の見立ては変わってきます。

 今回、「アクアマリンふくしまの復興日記」を閉鎖することの直接の理由としては、いろいろと言いたいことを言えなくなってきたということだと思いますが、この観点で言えば、公式ブログをはじめとする企業及び団体の公式メディアでは、どこまで個人の意見の表明は許されるかという問題が見えてきます。特に、ホタルプロジェクトについては、水族館が専門領域とする「生物多様性」の問題や、実験結果の妥当性だけではなく、前述の通り、「ホタルは0.5μSv/hの放射線を浴びると光らなくなる」という仮説のもとに、天然のガイガーカウンターとして現地の安全性をアピールするというプロジェクトが、結果的には「0.5μSv/h 以上は危険だと福島県外の人々に捉えられ」ることの懸念を述べられています。

観光施設である水族館が、地元の温泉街のイベントにクレームを付けるということは、本来、やってはいけないことです。

 と述べられているとおり、この主張は公式ブログが受け止められる意見の範囲、つまり水族館がその専門性において責任をまっとうできる意見の範囲をかなり逸脱しています。このもしかすると最後になるかもしれないエントリに書かれたことは、こうなるのではないでしょうか。それでも言わなければならない。なので、結果的にエントリの削除を求められるかもしれないけれど、多くの人が読んでくれているこの場で言う。そして、その責任は退職というカタチで取る。それは、つまり、厳しい言い方をするならば、多くの人たちに個人の意見を知ってもらうために、水族館のメディアを意見の周知のために利用するということになってしまっているのではないでしょうか。

 私は富原さんが述べられている主張は正しいと考えます。その話法はともかく(後述します)内容については共感します。しかし、その意見が、水族館の公式ブログで述べられたことには違和感がありました。これは、私が企業や団体のコミュニケーションを専門にしているからなのかもしれません。少し厳密に考えすぎているような気もしないではないです。しかし、対話的なソーシャルメディアでの企業や団体のコミュニケーションでは、その領域の区分けは厳密に考えておいたほうがいいのではないかと思っています。また、加えて、公式と個人の区分けを決めたうえで、たとえば個人ブログやTwitter、Facebookなどで、個人の資格においてものを言う環境がもう少し整ってくれたらいいのに、と思っています。

 あるブロガーさんと話をしていたとき、そのブロガーさんはこう言ったことを思い出しました。

 「今のウェブで言論の自由があるのは、社長かフリーランスだけなんだよ。」

 ほんとにそうだと思います。この件でも、発端は富原さんの上毛新聞での投稿でした。そこで使われた肩書きは「アクアマリンふくしま 学芸員」ではなく「団体職員」とされていました。にもかかわらず、それが県の問題として誹謗中傷と受け止められ福島県に抗議をされてしまった。そのような現状では、公式ブログ上で言おうと、個人ブログ上で言おうと、結果は同じだったのかもしれません。けれども、それでもなお、この主張は、「アクアマリンふくしま」の正式な見解としてのコンセンサスを得られなかった以上、個人の資格で、個人が管理するブログなどのメディアにおいてなされてほしかったと思うのです。

 そういう論調はウェブにはあまり見られませんでしたし、私のこの意見は今回の件については少数派だと思うのですが。

 「アクアマリンふくしまの復興日記」は、前述の通り、震災直後の無政府状態に近い環境の中で、かなり個人の判断でものごとを動かさざるを得ない状況で生まれました。そのことから、書き手側に公式と個人の境界線があいまいになってしまっていたのだろうと思います。この条件について考えたとき、私は公式ブログを逸脱している、だから駄目、というふうには思うことはできません。職を辞しても言いたいことがある。言わなければならないこともある。いざと言うとき、道理はともかく言わなくちゃいけない、多くの人に知ってもらわなければならない、ということがあるのも理解できます。

 ただ、私は富原さんの主張されることは真っ当だと思うし、「アクアマリンふくしまの復興日記」は優れた広報活動であっただけに、どこで言うかという「メディア」というファクターについても、科学的事実と同じくらい厳密であってほしかった、と思うのです。

 多くの人に知ってもらいたいと組織の中で働く個人として思っている。けれども、その主張は組織としての意見としてはコンセンサスは得られなかった。そのとき、退職をかけて、組織の名を冠したメディアで主張し、そのメディアを道連れにするという、自爆的な方法を取るのではなく、個人が運営管理するメディアにおいて、組織と切り離した個人の資格において主張をしてほしかった。

 それが個人がメディアを持てる時代の筋の通し方だと思います。

2)低線量被爆の評価をめぐる問題

 今回の件では、ウェブでは「ホタルは0.5μSv/hの放射線を浴びると光らなくなる」という説の科学的な妥当性についての言及が多かったように思います。しかし、今回の件の本題は、この部分だけではなく、むしろ、富原さん自身が「仮に、ホタルの専門家の実験の内容、0.5μSv/h でホタルが光らなくなることが事実だった場合」とお書きになっているように、「復興ホタルプロジェクト」がその意図と関係なく、結果的に0.5μSv/hを安全の基準としてメッセージしてしまうことの懸念だったのだのでしょう。

 しかし、安全基準は0.5μSv/h ではなく、少なくとも公式には「放射性物質汚染対処に関する特別措置法」によって定められた基準であるべきです。現状、福島県には空間線量が0.5μSv/h以上の地域はあります。たぶん、この0.5μSv/hという基準は、放射線管理区域の基準である0.6μSv/hに基づいているのだと思うのですが、その基準を積極的に採用してしまうと、意図していなくても多くの地域は危険であるという印象を与えてしまうことになります。

 たぶん、「復興ホタルプロジェクト」の主催者であるいわき湯本の方々にはその意図は薄かったのだろうと思います。生物多様性の問題はひとまず置くとして、単純に復興のシンボルとしてのホタルの光という、観光的なイベントだったのでしょう。しかし、「ホタルは0.5μSv/hの放射線を浴びると光らなくなる」という説を採用して、安全性を証明するというサブテーマを設定した企画者には、明らかに「放射性物質汚染対処に関する特別措置法」に対する不信感はあったのだろうと思います。要するに、国の定める基準は信じられない、ということでしょう。また、同様に考える人たちに対して、より積極的な安全をアピールしたいという意図もあったのだと思います。

 これは、今回の件から「生物多様性」と「ホタルは0.5μSv/hの放射線を浴びると光らなくなる」という問題を切り離してみた場合、多くの対立が起こった「震災がれき広域処理」とほぼ同じ構図です。

 つまり、低線量被爆の評価をめぐる対立の問題であると言えると思います。大雑把に言えば、IAEA(国際原子力機関)の基準を採用するか、それともECRRやドイツ放射線防御協会の基準を採用するか、という対立。私は当然前者で、その意味では、今回の富原さんの主張は全面的に同意です。

 そして、その観点で考えると、今回の富原さんの立場は、県立の水族館の立場と矛盾はしないはずです。ただ、やはり今回の論点は、県立の水族館が言及できる範囲を超えてしまっているとは思います。公式のブログでは、その意見が妥当であったとしても、いかに現場で働く人が言いたいことであっても、低線量被爆の評価をめぐる対立に言及したり、他の復興プロジェクトを原発問題にからめて批判することは、メディアの特性から言って、背負い切れないのだろうと思うのです。

3)話法の問題

 これは、今回の件とは少し離れて「震災がれき広域処理」についてですが、「震災がれき広域処理」のコミュニケーションは、低線量被爆の評価をめぐる対立を心の問題にすり替えてしまったことに問題があったのではないかと私は考えています。

 問題の根本は信の問題、つまり、どこを基準に安全を考えるかという問題であるはず。互いに違う基準で考える限り、本来、お互いの理解はできるはずがありません。例えば、IAEA(国際原子力機関)の基準を信じる人は、それが当然と思うように、ECRRやドイツ放射線防御協会の基準を信じる人は、それが当然だと思うでしょう。

 被災地を応援しよう、という心の問題としてのコミュニケーションは、基準を同じ人に対してのコミュニケーションです。しかし、今必要なのは、政府が依って立つ基準は、この基準であり、政府としては、その基準以外は採用できない、ということだったのではないか、と思っています。

 例えば、心の問題としては、被災地を応援したい、という気持ちと、子供を守りたい、という気持ちは、どちらが正しくてどちらが間違っているということでもないだろうと思うのです。一頃、かつて放射線を専門とする科学者たちが提唱した「正しく恐れる」という言葉をよく聞きました。でも、感情に正しさなんてないと思うのです。まずは感情を肯定する、ということが大切だと考えています。

 こんな私でも、真っ暗闇の中を歩いていると、おばけが怖いと思うときがあります。そんな私に対して、おばけはいない、あんたのその感情は間違っている、と言われたとしたら、うるさいわ、そんなこと知ってるわ、こわいもんはこわいんじゃ、となるでしょう。

 今回の件でも、かなり強い調子で批判の言葉が綴られていました。気持ちはわかるんです。でも、やはり、それでも福島県の復興への思いはいわき湯本の人たちも同じはずです。その思いだけは肯定してほしかった。その思いを肯定しつつ、事実は事実として丁寧に語る話法はないだろうか。そんなふうに思います。自分にできるかはわかりませんが、でも、そういう話法が今必要とされているのだと思います。

●    ●

 現在、7月30日ですが、「アクアマリンふくしま復興日記」は7月末で閉鎖されるとのことです。富原さんは辞表を書かれています。このエントリを私が書いた意図は、今回のこの件が、今の日本で問題になっていることの縮図のように思えたことと、もうひとつ、一見、相当な揉め事に思えるけれど、問題を丁寧に整理すれば、何か解決策が見えるのではないかと思ったからです。

 富原さんの主張は、県立の水族館の主張として、生物多様性にしても科学的妥当性にしても原発関連の認識にしても、なんら過激で逸脱している部分はなく、そういう意味では退職する必要などないではないか、と思うんですね。生物多様性については、富原さんもお書きになっているように、水族館としても問題点の指摘以上にはアクションは起こさず、静観の姿勢だったわけですし。むしろ、水族館の職員としては、こういう人にこそいてほしいと思えるような方ではないか、とも思います。それは、きっと水族館の方も同じだと思います。退職することの妥当性は、組織の問題としてはないはず。

 ただ、ひとつ、水族館して主張しようというコンセンサスがなければ、公式ブログでは言うべきではなかったのでしょう。それは、今からでもできることではないですか。たぶん、水族館としては、あの意見は同意であっても主張はできないだろうから、当該エントリを削除して、新たにつくる富原さんの個人ブログで同じ主張をしていけばいいだけ。まあ、新しい話法も考えなくちゃいけないでしょうし、いろいろ抗議の電話が先方に行ってるみたいだから、ちょっとだけ上の人たちに動いてもらわなくちゃいけないでしょうし、水族館としても、そういった主張を個人としてするぶんには許容できるという度量も必要でしょうけど。で、もしそうなったら、とても素敵だなと思います。

 それに、あのブログは、富原さんのものではなくて、「アクアマリンふくしま」という水族館のものであり、読者のものでもあるのだから、富原さんの意志に関わらず、「アクアマリンふくしま」ファンの読者としても残してくれたらうれしいなあ、とも思うんですよね。

 こんな時代だし、退職みたいな後ろ向きの話ではなくて、広報ブログの新しいあり方、そして、組織と個人メディアの新しいあり方を見せてほしいなあ、と思ったりしております、というか、そういうふうにならないもんかなあ、なんて思ったりするんですけどね。

追記(8月2日)

 富原さんはこれからも水族館で働き続けられるとのことです。ブログ「アクアマリンふくしま復興日記」は残念ながら閉鎖とのことで、現在、「ご愛読ありがとうございました」という最後のエントリのみが閲覧できます。

 アクアマリンふくしまの公式ブログが新たにはじまるそうで、「アクアマリン発 阿武隈生きものブログ」というタイトルだそうです。館長さんのネーミングとのこと。この一節を読んでも、組織としても熟考されてのことだと感じられます。本当に見事でいい解決だったと思っています。

|

« 前を見る | トップページ | 本日より、はじめます。(追記あり) »

メディア」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/214429/55311479

この記事へのトラックバック一覧です: 「復興ブログの終了について」を読んで考えたこと:

» 覚え書き [ヒステリシスの際]
ある広告人の告白「復興ブログの終了について」を読んで考えたこと 「復興ブログの終了について」を読んで考えたこと: ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね) TwitterでもBlogでもコメントでも、文章だけでの発言は正確には理解されにくい。読む側は書き手の背景や過去の... [続きを読む]

受信: 2012年8月 3日 (金) 18:27

« 前を見る | トップページ | 本日より、はじめます。(追記あり) »